第214話 収奪者

 ――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第十八節』――


 黒き聖帽の四姉妹、次女ジョゼフィーヌは笑わない

『……庇護を退け、罪深き咎人を弾劾だんがいせよ……』


 魔眼のビーチェ、騎士セイリスが相対し

 殴り、蹴り合い、また斬り合い

 風を操るジョゼフィーヌ、

 空気の揺らぎに身を隠し、戦棍振るって追い立てる

 闇を操る魔眼のビーチェ、

 光を捻じ曲げ分身作り、魔導の指輪で拳打を放つ


 疾風怒濤のジョゼフィーヌ、

 ビーチェの分身吹き散らし、詰めの一撃振るうとき、

 自由を奪いて体を縛る、ビーチェの魔眼が開かれる

 金色魔眼に動きを止めて、隙を生じたジョゼフィーヌ


 乾坤一擲、その一突きに全てをかけて

 群青闘気のセイリス走り、悪魔祓いの心臓貫き通す


──────────


 波が引いていく。

 精霊術士リーガンの術式によって運河から溢れ出した大量の水は、彼女が術式を解除すると同時に運動性を失い、重力にしたがって高きから低きへと流れ落ちていった。

 冷たい月の光が差す夜の河岸で、全身を水に濡らし膝を着いて座り込む。

 翠の輝きを失ったレリィの髪は、枯れ果てた枝葉のごとく赤茶色に染まっていた。


 リーガンは自らを水流に乗せて移動し、一定の距離を保ちながら精霊現象の水妖の呪縛オンディーヌ・カース共有呪術シャレ・マギカの遠距離攻撃でレリィを近づけないようにして戦っていた。

 レリィが苦労して間合いを詰めても、ティガが割って入ってくるため近接戦闘に持ち込む隙がない。徹底して負けない戦いに終始していると言えた。持久戦を強いられる中で、先に燃料切れとなったのはレリィの方だった。


「やっと、闘気が尽きたかよ」

 薬物によって一時的に肉体を強化していたティガは、先程までの興奮状態も一段落して冷静な自我を取り戻していた。

 引き締められた筋肉は鋼鉄並みの硬度を保ったままである。戦闘能力は維持されていた。

「……手間をかけさせてくれるわ。駆け出しの騎士一人を無力化するのに、当て馬を何回も戦わせた上でこれほどだもの。やっぱり、騎士と術士の壁は厚いわね……」

 精霊の力を借りているとは言え、リーガン本人も共有呪術の連発で精神の消耗は激しい様子だ。それでもまだ、戦う力は残されている。


 一方のレリィは完全に闘気が尽きていた。体にも力が入らない。

(……だるい。体、動かないや……。戦わなくちゃ、いけないのに……)

 目の前が薄っすらと赤い。自分の体が自分のものではないような、熱に浮かされた感覚。

「あなたに恨みはないけれど、ここで死んでもらうわ。あの男に肩入れしたことを悔やむのね」

 遠くからリーガンの声が聞こえてくる。ここで死ぬことになったとして、自分はクレストフの騎士になったことを後悔するだろうか。

 ――否。後悔などない。

 レリィは自ら望んでクレスと共に歩むことを決めたのだ。


「安心しな。あの野郎も今頃はセドリックの兄貴に倒されている頃だ。仲良く一緒に逝けばいい……」

「できれば、あの男にあなたが死んだことを伝えてから、絶望の中で殺してやりたいけど。たぶん、もう決着がついている頃合でしょうね。残念よ」

 ティガの近づいてくる足音が聞こえる。クレストフはセドリックと戦っている、その事実を知ってレリィの意識は僅かに覚醒した。

(……クレスが戦っている。あたしはクレスを護る騎士なのに、こんなところで座りこんでいる場合じゃない……)

 ましてや命を落として、クレストフに負い目を与えてしまっては情けない限りだ。彼に幸せを貰った自分が、彼に不幸を遺して逝くわけにはいかない。

 彼が幸せを手に入れる手助けができればいいと、そう思って騎士になったというのに。


「……あたしは、負けられない……。クレスを不幸にしちゃいけない――」

 震える足に無理やり力を込めて、水晶棍を杖代わりに立ち上がる。ティガが息を呑み、リーガンが警戒する気配が伝わってくる。

 歯を食い縛って顔を上げれば、驚愕と畏怖の表情でレリィに視線を向ける二人の姿があった。自らの赤く染まった髪が一房、視界の端に垂れるのが映る。

「だってあたしは……クレスの騎士だから。護るって決めたんだから……!!」

 体内の血液が、沸騰するような熱を帯びてレリィの全身を駆け巡る。

 重力に逆らって舞い上がる鮮血色の髪。白く滑らかな肌には血管が浮き上がり、紅い光を放ち始めた。


「この期に及んで悪あがきを!! おとなしく死になさい!!」

 リーガンが青く光る青金石ラピス・ラズリの杖を構えて、水妖精の力を借りた術式を放つ。リーガンが独自に編み出した、精霊現象と固有呪術ユニクム・マギカの混成呪法である。射線上にいたティガが慌てて、転がりながらその場を離れる。

水撃波動フラクトゥス・アクアマレオ!!』

 空中に創り出された巨大な水の塊が、泡を撒き散らしながら前一方向へと弾け飛び、衝撃波を生み出しながらレリィへと迫る。段階的に加速する水球は、それ自体の大きな運動量に加えて弾け狂う泡の衝撃波を内包する。

 直撃すれば分厚い石壁でさえ撃ち破り、水球に呑み込まれれば弾ける泡の衝撃波で粉砕される。


 リーガンが必殺の意思を込めて放った呪詛は立ち尽くすレリィへと真っ直ぐに向かい、その目前で細かな泡となって弾け飛んだ。

 それはさながら海岸に打ちつけた波の如く、無数の小さな泡の玉となって――完全に無効化されていた。

「――――は?」

 間抜けな声がリーガンの口から自然と漏れた。

 確実に相手を粉々に砕き散らすはずだった呪詛の一撃は、レリィの紅く輝く髪の一端に触れた瞬間、術式としての力を失ってしまった。

 闘気で呪詛を防いだのではない。水晶棍を盾にしたわけでもなく、物理的な防御方法は一切として行われなかった。そうではなく呪詛を成す根源、術式を発動するための魔力そのものが唐突に打ち消されたのだ。

 結果として、力を失った水の波動はただの泡と化して霧散する。


 その場に佇むレリィは、意識は朦朧としながらも自分の体に少しずつ力が戻り始めるのを実感していた。

 古代の伝承にある超越種ゴルゴンの如く、宙に広がり漂う鮮血色の長い髪。その先端が、僅かに闘気の翠色を取り戻している。


 リーガンの契約精霊、水妖精ウンディーネが苦しげに唸りながら、契約主であるリーガンの命令を受けずに運河へと飛び込み暴れ狂っていた。先程まで力を持て余すほどだった水妖精が、今や急速に弱って精霊としての現出すら危うい状態になりかけている。

「どういうこと……私の術式が、精霊まで……力を失った? ……いえ、奪われたというの?」

 レリィから放たれる紅い光は、リーガンの心を酷く揺さぶり衰弱させる。何か自分の中からごっそりと持ち出されている感覚。術士の繊細な感覚であれば、その何かが魔導因子であることが即座にわかった。

 元より普通の騎士とは異なる力の使い方をするレリィは、髪に蓄えた魔導因子を闘気へと変換する特異体質の持ち主だ。さらには貯蔵した分が枯渇しても、周囲の空間から魔導因子を吸収することができる。それは例えば、手に握った魔蔵結晶から供給を受けることもできれば、すぐ傍にいる術士から強制的に奪い取ることも可能とする能力。すなわち――

「魔導因子の収奪能力……? 嘘でしょう……!? ば、化け物なの、こいつ!!」


 水妖精から奪い取った魔導因子の分だけ回復した闘気は、レリィに立ち上がる力を与えてくれた。紅い髪を宙に舞わせながら一歩を踏み出すと、リーガンが「ひぃっ」と顔を引き攣らせて大げさに距離を取る。代わりに前へ出たのは斧槍を手にしたティガだ。

「珍妙な技を使いやがる!」

 警戒をしながらもティガは大胆に斧槍を振るって攻撃を仕掛けていく。十分に遠心力を使って放った斧の一撃を、レリィは水晶棍の柄を地面に突き立てて最小限の動きと力で受け流す。

「まだ、これだけの動きができるのかよ!? リーガン! おい、リーガン、どうして追撃をしねえんだ!!」

「馬鹿言わないで! そいつは周辺の魔導因子を手当たり次第に吸収しているのよ!? 私が術式で攻撃すれば、余計に回復してしまうわ!」

「んだとぉ!? じゃあ、このまま俺が一人で押し切るしか――うぐぉっ!?」


 ほんの一瞬、気が逸れたティガに向けて水晶棍が打ち込まれた。強かに左肩を打たれてよろめくも、転がるようにして間合いを取り直し再び斧槍で切りかかる。

 だがそれもレリィが片手で振り回す水晶棍に弾かれて、一歩、また一歩とティガは追い詰められていった。

「くそっ……段々と力が戻ってきてやがる! 騎士相手でまともにやりあったら、俺達に勝ち目がねぇなんてことはわかっちゃいたがよ。どうもとんでもねえ怪物を相手にしていたようだな……!」

 どれだけ激しく斧槍を振るって打ち込んでも、ことごとくを弾き返してくるレリィに、ティガは焦りの表情を浮かべて吠えた。

「こうなったら仕方ねえ!! 勝負に出るぞ、リーガン! お前の切り札に賭ける!!」

「切り札って……わ、私にアレを使えっていうの!? 無理よ! 接近戦になるもの! その化け物には近づけない!」

「近づけるように、俺が動きを止めてやるさ……命がけでな」

 ティガは一旦、レリィから大きく離れて懐から薬瓶を取り出すと、その中身を一息に呷る。

「ミルトンの旦那には、連続服用は止められていたが……ここで使わなけりゃ意味がねぇ!!」

 既に引き締められていた虎人の筋肉がさらに絞り上げられる。体毛がところどころ抜け落ちて、皮膚に皺が寄っていった。


「ぐぅおぁああああ――っ!!」

 ティガが咆哮を上げてレリィへと飛びかかる。水晶棍による痛烈な殴打がティガの右側面から襲うが、斧槍の刃を地面に刺してこれを防ぐと素手のままレリィへと突貫していく。

 体を捻転して、素早くレリィの後ろへ回りこむと両腕を抱え込むようにして抱きつき締め上げた。

「ティガ……何のつもり?」

 それまで無感情に水晶棍を振るっていたレリィに困惑の表情が浮かぶ。

 レリィは容赦なく、背後から抱きしめてくるティガの脇腹に闘気を込めた肘打ちを何度も加える。肘打ちが入るたびにティガは体を震わせるものの拘束を解くことはなかった。

「ぐぶっ!! リ、リーガン!! 今しかねぇ! 心臓を狙えっ!!」

 捨て身の覚悟でレリィを捕まえ、ティガは血を吐きながら吠えた。


 リーガンが腰の後ろから一本の短剣を取り出す。銀色に輝く細やかな意匠の彫られた短剣。この局面で術士であるリーガンが短剣を取り出す意味、そしてクレストフから受けた講義の中でレリィの記憶にある騎士を殺しうる武器の存在。

(……聖霊教会の神聖武装、『慈悲の短剣ミゼリコルデ』!? どうしてリーガンがあれを持って――まずい!!)

 特殊な任務にあたる者へ聖霊教会が貸し与えし神聖なる武装。

 十二人、苦しむ人を安楽死させることで、騎士の闘気さえ一度だけ打ち破る奇跡を得ると言う古代の聖遺物、『慈悲の短剣』。

 リーガンがなぜ教会の貴重な武器を持っているのか。そんな疑問は意味をなさず、状況は単純に最悪だった。ティガは死力を尽くしてレリィを拘束することに集中している。どれほど暴れても拘束が解けない。そして、いかに闘気をまとったレリィであっても『慈悲の短剣』の一撃だけは防ぐことができないのだ。

「一撃で、心臓を!」

 リーガンは『慈悲の短剣』を握り締め、レリィの胸元目掛けて腕を突き出す。

 切っ先が胸へと潜り込み、心臓へと――。


氷結ジェリードゥ!!』

 呪詛を唱える声が響き、『慈悲の短剣』の刀身が拳大の氷に包まれレリィの胸へと当たって止まる。刃が心臓を貫くことはなく、氷の塊と化した短剣はレリィの形の良い胸を押して、僅かに潰しただけだった。

氷弾イーツェ・ブレット!!』

 術式によって作り出された氷はすぐさまレリィの魔導因子収奪能力によって溶けて消えるが、続けざまに放たれた『氷弾』がリーガンの手から短剣を叩き落す。石畳を滑った『慈悲の短剣』は勢い止まらずに運河へと没した。

「くぅっ!? どうして!! なぜ邪魔をするの!?」

 氷弾を受けた衝撃で傷めた手を押さえながら、リーガンが旧支部の建物の屋上に立つ人影を睨んで怒鳴った。


 高所から呪詛を放った人物。それは、三角帽子と薄紫色のミニドレスに身を包む、紫の長髪を腰まで伸ばした小柄な娘。

 胸の発育は著しく、大人顔負けの色香を振り撒くその少女は――。

「メルヴィオーサ!!」

「私は魔法少女メルヴィ。メルヴィオーサじゃないの。間違えないでね」

「メルヴィてめぇっ……この期に及んで今更、邪魔を――っぐぅ!?」

 レリィはティガの拘束が緩んだ隙に、腹へ肘打ちを食らわせて抜け出し、後頭部を思い切り殴りつけて昏倒させる。『慈悲の短剣』は運河の底へと沈み、魔導因子の収奪能力を有するレリィを前にして、術士であるリーガンに勝ち目は完全になくなった。


「あららぁ、レリィお姉さんてば容赦ないのね。ティガも、もう限界だったんだけどぉ。まあ、うるさく吠える駄目虎君は、叩いて躾けないとわからないから仕方ないわねぇ」

「メルヴィ……助けてくれたの?」

「んー、まあ私って平和主義者だし? お姉さんにも恨みなんてないからぁ」

 メルヴィはくねくねと意味もなく小さな尻を振りながら、壁を伝う配水管を使って旧支部の屋上から器用に滑り降りてくる。

 リーガンは怒りに満ちた眼差しでメルヴィを睨み、喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。

「それでも、貴女だって憎いのでしょう!? ……罪悪感もなく幸福な未来を生きようとしている、あの男が!」

「罪、ねぇ……。彼が本当に罪を犯したのか、断罪するのは真実を知ってからでも遅くはないと思うけどぉ?」


 メルヴィはミニドレスの胸元に手を突っ込み、胸の谷間の奥から半透明の棒状結晶を取り出した。

「それ! クレスの首飾り!」

「んふふっ、ちょっと無断拝借してきちゃった。と言っても、すり替えたのはお姉さん達が新支部に泊まった初日のことだけどね。『中身』の確認に随分と時間がかかってしまったわぁ」

 クレストフが肌身離さず持っていたはずの首飾り。いつの間にやら、メルヴィが偽物とすり替えていたらしい。

「これはね、『録場機』って言って、周囲の音声と風景を三次元的に記録できる古代の記憶装置なの。この中にいったい何が記録されているのか、私が今ここで引っ張り出してきた意味はわかるかしらぁ?」

「――それは、もしかして……私達が公開を求めていた……」

 焦点の合わない目で、リーガンが呆然と呟く。彼女には心当たりがあるのだろう。この録場機に何が記録されているのか。


「そうよ。これにはねぇ、宝石の丘の旅路が……その真実が記録されているの。さ、暴いてみましょうか。クレスお兄さんがずっと秘匿してきた、過去の軌跡を――」

 棒状結晶の録場機から白い霧と淡い光が溢れ出し、おぼろげな過去の映像を浮かび上がらせた。

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