第213話 水妖精の呪縛
――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第十七節』――
黒き聖帽の四姉妹、三女エリザベスは嘲り笑う
『……愚かな子らに、赦しの懲罰を与え給え……』
氷炎術士メルヴィオーサ、猟師エシュリー相対し
吹雪に猛火、鉄矢の雨で攻め立てる
凍って燃えて、灰と化すほど焼き尽くされて
それでも倒れぬ悪魔祓い
加護か呪いか、聖者か不死者か
死なずの呪詛が働いて、復活の奇跡で蘇る
不死者エリザベスが呪詛つむぎ
地獄の痛みを振り撒いた
メルヴィオーサにエシュリーは、苦しみ、もがき、のたうち回る
反撃一手、エシュリーが弓を引き絞る
紅玉磨いた
赤い閃光が軌跡を残し、心臓穿ちて血が滴り落ちる
呪いは傷を開け続け、止め処なく流れるは聖者の血
死なずの呪詛は破られて、恩赦を願うエリザベス
天を仰いで、祈りて逝った
──────────
騎士の戦いは基本的に闘気をまとっての近接戦闘が主となる。相手が術士ともなれば、間合いを詰めて一撃を加えられれば勝敗は決する。
それゆえに、騎士との戦闘において術士が取る行動はまず距離をあけることだ。
先程、ティガが後ろから攻撃を仕掛けてきた時、リーガンは既に旧支部の建物内から脱出していた。今は運河の対岸まで移動しており、定石通りにレリィから距離を取っていた。
レリィと真っ向から衝突したのは、鋼鉄の
「ティガ! 手加減とかしないからね!!」
「なめんなよ、小娘がぁっあああっ!?」
大きく踏み込んだレリィの水晶棍による殴打が、ティガの振るう斧槍を軽々と弾いて、虎の巨体をもよろめかせる。
体格の良い傭兵ではあるが、騎士の闘気とまともにぶつかり合えばティガに勝ち目はない。
「リーガン! 早いとこ援護、頼むぜ! 一瞬でケリが着いちまいそうだ!!」
「はぁ!? ふざけないでよ、ダメ虎! 十秒くらいは踏ん張りなさいよ!」
ティガとリーガンが言い争っている間にも、レリィは怒涛の攻撃をティガに仕掛けていった。水晶棍が大上段から振り下ろされ、ティガが斧槍で辛うじて受け流せば即座に横合いからの強烈な殴打に切り替えて連撃を繋げていく。
「くっそ……一発一発が重てぇ! なんてぇ馬鹿力だしやがる!! リーガン! なんとかしろ!」
「言われなくても、やってやるわよ!!」
怒鳴り声を上げながらリーガンは、
『
水を操る
大人の頭ほどもある『水弾』が十を超える数で次々と撃ち出され、ティガに追撃を仕掛けようとしていたレリィに殺到する。
これに対してレリィは慌てずに、腰と腕そして手首の捻りで水晶棍を縦横無尽に回転させ、飛び来る水弾のことごとくを叩き落す。水晶棍に込められた翠色の闘気が、弾け散った水滴に透けて輝いた。
「しゃあぁぁあっ!!」
水弾の雨が収まらぬうちに、ティガが斧槍を振るいながら突っ込んできた。レリィはひとまず反撃の姿勢を取ろうと一歩下がるが、濡れた石畳がぬるりとした感触を足元に作り出し、体勢が崩れる。
「――――!?」
転倒する寸前でレリィは片手を地面に付き、肘のバネでもって側転すると隙を見せずに体勢を立て直した。体勢が崩れかかった隙をティガは的確に突いてくるが、レリィの立て直しは早く、難なく斧槍の一撃を弾き返すと、逆に、深く踏み込んできたティガへ水晶棍の突きを放ち、ぎりぎりで斧槍の腹でもって防御したティガを大きく後退させる。
『
リーガンの呪術により大量の水の奔流が運河から立ち昇り、レリィの頭上から滝の如く真っ逆さまに落ちていく。これだけの水量と勢いをまともに頭へ受ければ、並みの人間ならば首の骨が折れるかもしれない。レリィはティガへの追撃を止めて、冷静に水流の動きを見て避ける。
地面に降り注いだ水流は、幾本かの水の束に分離すると地を跳ね返った勢いで飛び散り、生きた大蛇のようにうねりながらレリィを四方から襲う。今度は敢えて回避を行わず、レリィはその場に留まると全身に闘気を漲らせて迎え撃った。
「はぁあああっ!!」
水晶棍の薙ぎ払いで左右前方の水流を吹き散らし、後ろから襲ってきた水流は闘気を集中した左の掌で受け止めてしまう。水の奔流が分離したことで、水流一本ごとの威力は減衰しているため、回避せずとも防御行動で対処できたのだ。
「私の『
「ちっ……全く隙がねぇのかよ……」
状況は終始、レリィがティガとリーガンを圧倒している。それでもティガは紙一重のところでレリィの攻撃を凌ぎ、リーガンもまたレリィに牽制をすることで戦況を保っていた。
(……こっちが押しているんだけど、どうしても決定打にならない。辺り一面が水浸しで足場もやけに悪いし、気をつけているのに足を取られやすい妙な感じ……。あんまり長引かせたくないな……)
慎重に立ち回りながら、何かを待っている。あるいは狙っている、という印象だ。今一つ攻めきれないというか、あと一歩のところでつまずく違和感がある。ここのところの連戦で闘気の消耗は激しいが、体調は悪くない。戦うのに支障が出るほどではないはず。それにも関わらず、思うように体の動かない時があるのが気がかりだった。
「そろそろ頃合だわ。ティガ、あんた死ぬ気で特攻しなさい」
「てめっ!? 俺ばっかり危険な役回りじゃねえか!」
「あんたは傭兵でしょうが! 前に出て戦いなさい! ……仕込みが終われば、私も十分な援護ができるわ」
「くそ、早くしやがれよ。俺がくたばる前になっ!!」
リーガンに毒づきながら、ティガは何らかの薬瓶を懐から取り出して一気に
虎の両目が見る見るうちに充血し赤く染まっていく。同時に、ティガの毛が逆立ち筋肉が一回り収縮して引き締まる。見た目は弱体したかのように思える変化だが、おそらく実際は真逆なのだろう。何の薬かはわからないが、筋肉を凝縮して身体能力を高める薬物と思われる。逆立った毛の上からでもわかるほど、筋肉の脈動がはっきりと目に映るのだ。
ティガが異様な変貌を遂げる最中、リーガンの方にも変化があった。
彼女が持つ杖の先端、丸く磨かれた
薄桃色の肩掛けが水に濡れ、薄紫色に染まりながら浮遊する水の中を漂う。肩下まで伸びた金髪もまた、渦巻く水の流れに乗ってゆったりと揺れていた。
ティガとリーガン、二人の雰囲気が大きく変わった。これまではどこかぎこちなく、攻めも守りも半端な動きだったのが一転して攻勢に傾く気配が感じ取られる。
(……仕掛けてくる。さっきまでと同じ、とは考えない方がいいかな……)
身構えるレリィに向かって、ティガが咆哮を上げながら地を蹴り疾走する。その速度はレリィの予想を遥かに超えて速く、野生の獣の走りそのものであった。
「やっぱり速くなってる!」
「がぁあああっ!!」
あっという間に距離を詰められ、走り寄る勢いのまま上段から振り下ろされる斧槍を水晶棍で受け止める。鋭く重い一撃が、闘気をまとった腕にも響いてくる。
「でも、これぐらいじゃ通用しないよ、ティガっ!!」
斧槍を弾き、水晶棍で殴り返せば、反応速度も上がっているのかティガもまた即座に斧槍を振るって応戦してくる。獣の如く吐かれる白い息と翠色に輝く闘気がぶつかり合って、汗と火花を散らしながら二人は交錯する。
レリィの頭上から覆いかぶさるように、ティガが斧槍で押し込んでくる。
ひときわ強く鋼鉄の斧槍と水晶棍が激突したとき、ばんっ、と金属の割れる音が鳴り、斧槍の刃に小さな罅が入る。レリィの足元では踏ん張った負荷で古い石畳が砕け、両者の激突の凄まじさが目に見える。
「――うっ!?」
両者の均衡が崩れたのは、その直後のことだった。突然、レリィの左足が後ろに滑り、片膝を着いてしまう。好機とばかりに斧槍を押し込んでくるティガに対して、レリィは必死に体勢を立て直そうと水晶棍でティガを押し返していた。
しかし、続けて右足も濡れた石畳の上をじりじりと滑り始め、徐々に体勢が悪い方向へと傾いていく。
(――おかしい。いくら足場が悪くても、こんな膝を着くほどに踏ん張れないなんて――!?)
戦闘中に敵から目をそらすことは命取りになりかねないが、レリィは自らの足にまとわりつく違和感を拭えず、思わず自分の足元を横目で確認した。
レリィの足首には、地面から生えた半透明の水色をした手が、がっちりと掴みかかっていた。
「なにこれっ!? 気持ち悪っ!! 手……? 手が……!?」
足首を掴む手にはさらに力が入り、踏ん張っていた足が石畳の上を滑っていく。
「引っ張られているとわかれば!」
ティガの斧槍を受け止めながらも、闘気を足に集中させることで半透明の手を蹴り足でもって振り払った。弾き飛ばされた水色の手首は石畳に叩きつけられて、ばしゃり、と原形を残さずに水となって飛び散る。ついでに勢いのままティガの足を蹴りつけて、一瞬だけ斧槍の圧力が弱まったところで後ろに跳び退り、間合いを大きく開ける。
(……っぅ! ティガの足、あれ筋肉なの!? まるで鋼鉄の柱でも蹴ったみたいに硬い……! それに、今さっきの気持ち悪い手――)
おそらくリーガンが何らかの呪術を使ったのだろう。そう思って彼女の方を見れば、リーガンは距離を置いた場所で
彼女の傍らには水の塊が浮遊しており、それらが少女の姿を象ってリーガンの周囲をぐるぐると回っている。
「あれは……水を操る術式?」
術士との戦闘経験が少ないレリィには、リーガンがどのような効果のある術式を操っているのか、いまいちよくわからない。少なくとも水を操って、こちらの動きを阻害することはできるようだが。
「ぅうるるるぅうああっ!!」
「行きなさい、ティガ。私が援護してあげる」
目を血走らせて唸るティガに、リーガンが檄を飛ばす。
そして援護を宣言したリーガンが杖を振るうと、静かだった運河から大きな波が押し寄せて、彼女の体を大量の水で押し流した。
器用にもリーガンは波の上へと半身を出して、水の流れのままにレリィへと接近してくる。
(――術士が自分から距離を詰めてくる――?)
クレストフから騎士の勉強と称して、様々な種類の術士について知識を叩き込まれたが、騎士を相手に自ら距離を詰めてくる術士というのは滅多にいないはずだった。
それは接近戦でしか真価を発揮できないような能力の武闘術士であるか、近づくことで何らかの利点を得られる呪術を隠し持った相手であると教えられた。
リーガンは一見して接近戦を得意とするような武闘派には見えない。つまり、絡め手で来る可能性が高い。
(クレスが言っていたっけ。相手が武闘術士なら闘気のゴリ押しで騎士の方が圧倒的に優位。でも、特殊な呪術を隠し持った術士が相手なら、切り札次第で苦戦もありうるって)
どちらにせよレリィにできるのは闘気をまとって迎え撃つのみ。レリィの髪が翠色に輝きながら宙に棚引き、水晶棍も薄っすらと光を帯びる。
「来るなら来なさい!」
押し寄せる波を前に吠えるレリィ。真っ向勝負を決めたレリィに対して、波と共に近づいてくるリーガンは杖を前へと突き出して微笑を浮かべた。
杖の先端、丸い
『
リーガンが唱えた
『
予想通り、リーガンは立て続けに呪詛を飛ばしてくる。
警戒するレリィに、呪詛の効果は思わぬところから襲い掛かってきた。
レリィの背後、それもすぐ真後ろの位置――雨の中から出現した腕がレリィの首と肩をしっかりと捕まえ、尋常ならざる力で締め上げてくる。
(……なにこれ!? 水……じゃない……。水の中に溶け込んだ、もっと別の何か――)
先程、足首を掴んできた手首と同じ感触。それがもっとはっきりとした形を持って、レリィの体を固く縛り上げていた。
首下に半透明の少女の顔が浮かび上がり、水中に弾ける泡音のような、しかし確かな嘲笑の声が聞こえてきた。
「……うわっ、これもしかして……精霊現象……!?」
共有呪術とは異なる特異な術式。術士の中でも稀な精霊術士が、精霊の力を借りて引き起こす現象だ。
精霊の格によって力の強さは大きく変動するが、高位の精霊にもなると高い知能に加えて、災害級の精霊現象を引き起こすものもいるらしい。
「ようやく気付いた? そうよ、私は第二級認定の精霊術士。この精霊はね、カナリスの街に古くから住み着いていた
大波が押し寄せてきた。
荒れ狂う水流に揉まれて、レリィは満足に身動きが取れない状況に追い込まれてしまう。そこへさらに、波間を裂いて水に濡れた虎が襲い掛かってくる。
「ごぉぁあああっ――!!」
「ティガっ!!」
彼には水妖精の加護でも与えられているのか、その動きは陸を走り回るのと遜色ない速さだ。
押し付けられる斧槍の刃を水晶棍で押し返し、牙で噛み付こうとしてくるティガを水流に阻まれながらも足裏の蹴りでどうにか引き剥がす。
武技も何もあったものではない。荒波に呑まれながら猛る獣との殺し合いである。
『
常に一定の距離を取りながら、リーガンは術式をレリィに向かって放ち続ける。波間から飛び出る大蛇のような水の奔流が、ティガと取っ組み合いを続けるレリィの背に打ちかかる。
レリィは反撃しようにも遠く離れたリーガンに攻撃が届かず、波に半身を呑まれた状態では間合いを詰めに行くこともできない。それに、息つく暇もなく襲い掛かってくるティガを無視することもできない。
水妖の呪いは体にまとわりつき、半ば水中戦を強いられる状況でレリィの体力は確実に落ちていく。
いつしか濡れた髪は赤黒く染まり、闘気の輝きが失われていった。
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