第212話 過去の報い

 ――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第十六節』――


 黒き聖帽の四姉妹、四女エイミーは不敵に笑う

『……あがなえぬ罪の重さに打ちひしがれよ……!』


 ナブラ兄妹、騎士グゥと、術士ルゥが相対し

 医療術士ミレイア、冒険者イリーナも加勢した


 戦棍振るうエイミーに、冒険者イリーナが切りかかる

 振るう戦棍、形を崩し、鎖で伸びる連接棍

 騙し、不意討ち、後ろから、イリーナが頭を潰され命を落とす


 投げ放たれるは十字剣、ルゥとミレイア狙うと見せて

 グゥのふところ飛び込み刃を立てる

 騎士の闘気も貫きし、慈悲の短剣ミゼリコルデの安楽死

 心臓一突き、ナブラ・グゥは崩れ落ち、護るものなき術士が二人

 贖罪の連接棍に打ちのめされて、ミレイア、ルゥと、命を落とす


 血の池広がる惨状で、哄笑上げるエイミー一人

 黒い殺意が溢れ出る


──────────


 運河に流れる水音だけが聞こえてくる深夜の街中。魔導ランプの街灯が青い光をぼんやりと放ち、疾走する黒い人影を辛うじて浮き上がらせていた。

 逃げる者と追う者。街の地理を知り尽くしていると見られる逃走者の動きは、追跡をするレリィにしてみれば実際の速さ以上の逃げ足に感じられる。既にクレストフによってかけられていた透視の呪術は効果を失っている。今は自身の目と耳で追跡を行っている状態だ。気を抜けば即座に見失ってしまいそうだった。


 それと、一つの気がかりが足枷になっていて、レリィに全速力での追跡を躊躇わせていた。

(……クレスが付いてきてない。すぐに追いかけてくると思ったんだけど……)

 逃走する暗殺者を見失わないためにも後ろを振り返ることはできないが、後ろから追ってくる足音が聞こえてこないのが何よりの証拠だ。

 しかし、クレストフにあの暗殺者を捕まえろといわれて、レリィは任せろと返した。例え一人での追跡になったとしても、ここで引き返すわけにはいかない。


 レリィが密かに決意を固めたところで、後方からレリィを追ってくる何者かが現れた。足音からすると、大きくしなやかな動きが感じ取られ、どうもクレストフの走る足音とは違う印象を受ける。

 足音はレリィのすぐ横へと近づいてきて、声をかけてきた。

「おぅ、騎士の姉ちゃん。付いてきてやったぜ」

「ティガ? 何で君が来たの?」

 レリィの横に並んだのは、鋼鉄の槍斧ハルバードを背負った虎人の傭兵ティガだった。意外な人物の登場にレリィが目を白黒させていると、ティガは耳まで裂ける大きな口を歪めて笑い、レリィの問いに答えた。

「あんたの相棒はミルトン支部長の護衛に回ったんでな。セドリックの兄貴が、俺にはこっちへ行けとよ。今、逃げてやがる暗殺者の匂いは覚えたから、運河にでも飛び込まれない限りはどこまでも追跡できるぜ」

「匂いでわかるの!? それは便利だね、じゃ、追跡案内よろしくね!」

「おう、任せとけ。こっちだ!」


 ティガは細い路地へと入り込み、右に左にと道を曲がりながら暗殺者の追跡を続ける。暗殺者の姿が見えないにも関わらず動きに一切の迷いはなく、人気のないカナリスの街中を駆けていく。

 走りながら通り過ぎていく街並みにレリィは既視感を覚える。

「この道……もしかして旧支部へ向かっているの?」

「……そうみてぇだな。旧支部の中に逃げ込まれると厄介だ。そんな所に捕り物騒ぎで駆け込んでみろ。下手すりゃ、俺ら新支部が夜襲をかけに来たと勘違いされるかもしれねぇ」

「うわ、それはまずいよ……急ごう!」

「待て待て! まだ、暗殺者の逃げ場が旧支部に決まったわけじゃねぇぞ! 先走るな!」

 急ぐのには理由がある。もしも暗殺者が旧支部に逃げ込み騒ぎを起こしたとしたら、それが新支部の差し金と勘違いされるような事態になれば、あの人が出てくる。

 旧支部のマシド支部長。準一級の武闘術士。本能的に、あの人とだけは戦いたくないとレリィは感じていた。



 月夜に照らされる旧支部は、古びた外観が昼間よりもなお際立って見える。物悲しさすら漂う建物、その入り口は深夜だというのに戸が開け放たれたままになっていた。

「やっぱりここに逃げ込んだのかな?」

「まちがいねぇな。匂いはこの建物の中へ入り込んでやがる」

「遅かった……。でも、放っておくわけにはいかないからね。旧支部の人には何とか理由を説明して、あの暗殺者の子は捕まえないと」

 意を決して旧支部の入り口をくぐる。建物内は静寂に包まれて、ランプの明かり一つ見えない暗がりに落ちている。


「誰もいない……ううん、違う。いる、ね……」

 微かに聞こえる人の息づかい。感覚を研ぎ澄まし、闘気を薄く身にまとい敵の奇襲に備える。

 連日の戦闘と、今晩の襲撃でも立て続けに闘気の消耗があった。深緑色をした八つ結いの長い髪は、貯蔵した魔導因子を枯らして半分以上が紅色に染まっていた。

 闘気の消耗は最低限に抑えながら、今の局面を乗り切る必要がある。敵は暗殺者一人だけとは限らない。何かの罠や、伏兵がいるかもしれない。

 あるいは旧支部の人間と鉢合わせて説得に失敗した場合、最悪マシド支部長とやりあうことも考えておかなくては。


 一歩進めば、旧支部の受付が見える。そこに一つの人影が佇んでいた。レリィは警戒を強め、水晶棍を握る手に力をこめる。

 差し込む月の光が暗がりを仄かに照らし、闇に潜む者の姿を暴いていく。

 薄桃色の肩掛けを羽織る、やや太目の眉が特徴的な垂れ目がちの容姿の女。

 薄く笑みを浮かべた唇と、不敵な表情から感じられるのは狂気の陰。

「やっと来たのね。遅かったじゃないの、待ちくたびれたわ。……本当に、ね。待ち望んでいたのよ、この時を」

 暗闇の中から歩み出てきたのは、旧支部所属の術士リーガン。

 リーガンは足元にあった黒い影を踏み越えてきた。レリィはその光景を見て思わず、一歩退いてしまった。


 旧支部の暗い床には、カスクートの殺人姉妹、その妹セレネがうつ伏せに倒れていた。リーガンはセレネをわざと踏みつけるようにして前進し、レリィの目前へと姿を現した。

 リーガンは無機質な瞳で足元のセレネを見下ろし、踏み躙りながら冷たい声で呟いた。

「役に立たない暗殺者……。あの男を分断できたのが唯一の成果かしら」

 心底から落胆した、と言わんばかりの溜め息を吐いて、リーガンはセレネの体を思い切り蹴り飛ばした。生きているのか怪しいほどに無抵抗のまま、セレネは床の上を蹴り転がされて仰向けに倒れる。

 月光の下に佇むリーガンの表情はただ一色の感情に染まっていた。


 ――憎悪。

 昼間に会った時も不機嫌を隠していなかったリーガンであったが、今は昼間と比べるまでもないほどに憎しみを顕わにしていた。

 何に対してそこまでの憎しみを抱くのか、抑えようもなく湧き上がる強い憎悪の源泉はどこにあるのか、ふと想像してレリィは胸の内が薄ら寒くなった。

 暗殺者セレネから興味を失ったリーガンの憎しみは明確に、今度はレリィに対して向けられていたのだ。

(……前にもこんなことあった気がする。初めて首都へ来て、クレスの名前を迂闊に出したとき……)

 ほとんど面識のない人間に、自分のあずかり知らぬ理由で強い感情を向けられる恐怖。ただ、クレストフと共にいるという理由だけで狙われる悪意の理不尽さ。


「……リーガン、だったよね。君は、そこの暗殺者との関係を認めるの?」

「くだらないことを聞かないで。見ればわかるでしょう?」

 意外なほどにあっさりと暗殺者との関係を認めるリーガン。後先を考えていない投げやりな返答から、底知れない気味の悪さを感じる。

「あぁ、でも……あなたはわかっていないのかもね。純粋さは美徳だけど、鈍感なのは罪だと思うわよ」

「あたしが、わかっていない?」

 意味ありげなリーガンの口調に引っかかりを覚える。


「昼間のことだって、そう……。私の気持ちがどれほど乱されていたか、わかるはずもないでしょうね。仇を前にして、ともすれば噴き出しそうになる殺意を抑えて、茶番を演じなくちゃならなかった私の思いは!」

「何のこと? 仇を前にして、って……。あの時、あの場に居たのはあたしと――」

 ――背後から、唐突に大きな気配が襲いかかってくるのを感じて、レリィは咄嗟に身を翻して横へ跳んだ。

 槍斧の鋭い刃が先程までレリィのいた場所を薙ぎ払い、虚しく空を切った。

 レリィはリーガンから視線は外さないようにしながら、後ろから襲い掛かってきた人物に問いかける。

「今のは、いったいどういうつもりなのかな。ティガ?」

「悪ぃな。だけど、始めっからこういう予定だったもんでな」


 レリィの問いに答えたのは、クレストフの代わりに補助として付いてきたはずの虎人ティガだった。問いかけに対する答えは、明確な敵対意思である。

 クレストフは新支部に敵の内通者がいると話していた。それがティガなのだろうと、レリィはすぐに納得した。

「細かい言い訳はしないぜ。要するに、標的は最初からあの成金野郎で、そいつと組んでる騎士の姉ちゃんも目ぇ付けられてたってことだ」

 思い返せば不自然なことは多々あった。カナリスの街へ来て、実際に戦闘が起きたのは自分達の周りだけ。旧支部と新支部も水面下での争いがある、と話に聞くばかりで目立った衝突はなかった。そして何より、カスクートの殺人姉妹は昼間も今晩もクレストフの暗殺に動いていた。

「狙われていたのはミルトン支部長じゃなかったんだね。……そっか、またクレスが狙われているのか。色々な人から恨みを買っているのはわかっていたけど、ここまでするんだ……」

 レリィはひどく悲しい気分になった。クレストフの過去に何があったか詳しい話は知らない。それでも、ここまで多くの人から憎悪を抱かれる人生というのは、いったいどれだけ業が深いというのか。


「他人事のように言っているけれど、あなたも当事者なのよ。クレストフに加担する者、クレストフが信頼を寄せる者。単純に護衛の騎士として、クレストフから引き離したい理由はあったわ。でも、それだけじゃない」

 リーガンの目が、レリィに対して殺意のこもった視線を送ってくる。

「あの男にとってあなたの存在は決して小さくない。だからこそ、あなたを殺す価値がある。大切な人を奪われる苦しみ、思い知ればいいのよ」

「…………!!」

 言われたことに、表現できない怒りが湧いた。自分がそこまでクレストフにとって大切な人間となっているかどうかは、正直なところレリィには自信がなかった。だが、クレストフがどう思っているかということよりも、リーガンがそのような悪意でもってクレストフを追い詰めようとしていることに、純粋な怒りが湧いたのだ。


「ねえ、リーガンは誰か、大切な人を失ったの?」

「殺されたのよ。あの男、クレストフに騙されて。私の敬愛する義兄あに、ダミアン兄さんは……宝石の丘への旅路で死んだ!! なのに、あの男だけは生きて帰ってきて、今も平気な顔して暮らしている!!」

「……ティガも同じかな?」

「まあな。獣人の傭兵団をまとめていた狼人のグレミーってのがいてな。そいつは俺の親友だった。あの成金野郎に直接、殺されたってわけでもないとは思うが、野郎が一人だけ生きて帰って来たことを考えれば、宝石の丘の旅路に付いていったほかの連中は全員騙されて、一人抜け駆けしたと思うのはあたりめぇの話だ」

「証拠はあるのよ。他でもないあの男が宝石の丘の旅路に関する『記録』を持っている。だけど、ひた隠しにして決して明かそうとしない。それは公開できない理由があるからでしょう?」

「そんなの、あたしは知らないよ」


 レリィには判断が付かない。本当にクレストフが大勢の人間を騙していたのか。だが、そんなことはどうでもよかった。それよりも、何よりも許せないのは――。

「ただね、大切な人を失うことが、どれほど辛いか知っている君達が……。クレスにも同じ思いをさせようとしている。あたしはそれが、許せない――!!」

 翠色の闘気が怒りと共に噴出する。暗殺者との戦闘で解いた、闘気を封じる呪術の込められた髪留め。

 その残りの髪留めを全て解いて、レリィは全力の闘気を表に出した。翠に輝く長い髪が、立ち昇る闘気と共にゆらゆらと宙に揺れている。

 怒りに満ちた闘気に、リーガンとティガは気圧されるようにしてレリィから距離を取った。


「情報じゃ騎士に成り立ての新米だって聞いていたがよ。こいつはやばいんじゃないか、リーガンよぉ?」

「騎士ならこの程度の闘気、当たり前でしょう……。臆するんじゃないわよ。例え相討ちになろうとも、この娘を殺して私は復讐を果たす」

 リーガンとティガには復讐という目的がある。それはレリィを殺すことで、クレストフに大切な人を奪われる苦しみを与えること。

 だからこそ、この戦いには負けられなかった。クレストフを脅威から護ったとしても、それでレリィが死んでしまえばリーガン達の復讐は成立してしまう。

「あたしは負けない。殺されてなんかやらない! 君達二人とも、止めてみせるから!」

 翠に輝く闘気を棚引かせながら、レリィは復讐者二人に挑みかかっていった。

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