第211話 夜の帳
――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第十五節』――
壁や天井埋め尽くす、水晶の
旅ここに至り裏切るは、黒き聖帽の四姉妹
貴き石の精霊は、魂の監獄より抜け出したる、大罪背負う宝石喰らい
悪しき精霊の抹殺に、悪魔祓いが動き出す
聖霊教会が奇跡の一端、十字結界構築し
悪しき精霊、魂の檻に包みこむ
魂さえも、焼いて滅ぼす呪法の炎
じりじりじりと、貴き石の精霊、焼き焦がす
──────────
新支部で迎える三日目の夜。
ミルトン支部長に対する一番の脅威であったカスクートの殺人姉妹を昼間の内に撃退できたことで、新支部内の雰囲気は少しばかり緩んでいた。そんな警備の武闘派術士や傭兵達をセドリックが見回りがてら叱咤する間、俺とレリィはミルトン支部長の部屋で護衛兼話し相手として居座っていた。
「旧支部の様子を見てきたそうだな。マシドは元気にしていたかね」
ミルトン支部長はいつもと変わらぬ薄手の生地で織られた真っ白な法衣を着て、穏やかな表情で椅子に深く腰掛けている。
「あんたの暴走を止めてやる、と言っていたよ」
「そうか……まだ諦めていなかったか。しかし、問題はないな。予定より早く旧支部の解体は完了する」
「話では一ヶ月かかるということだったが?」
「早ければ明日にでも決着がつく。長引いても次の安息日までには片付くだろう」
予想外に早い展開だ。何があったか知らないが、新支部への襲撃事件を受けて、悠長にしていられないと考えたのかもしれない。なんにしても、この動きの早さは評価できる。旧支部が何か企んでいたとしても、ここまで早い対処をされれば何もできないまま支部同士の抗争には決着がつくだろう。
「短い期間だが、それまで君にはしっかりと護衛を頼もう。もちろん、最初に提示した依頼料は全額支払うとも」
「言われなくても、最初からその契約だったからな。あんたの護衛はきっちりやるさ。だが……まぁ精々、うまく事を運ぶことだ。俺は雇われた護衛であると同時に、連盟本部の監査役でもある。連盟の信頼を損なうような事件を起こせば、新旧の支部とも制裁を下すことになる」
「ふむ、肝に銘じておこう」
俺の忠告を神妙な面持ちで受け止めながら、ミルトン支部長はおもむろに立ち上がり、戸棚からワインとグラスを取り出し始めた。
「君も飲むかね?」
「いや、俺は結構。これでも護衛任務中なんでね」
高級そうなワインに目は引かれたが、さすがに酒を飲んでしまうのはまずいのできっぱりと断った。ミルトン支部長は残念そうな顔をしていたが、「失礼するよ」と一言だけ断って勝手に晩酌を始めてしまった。
ミルトンはそれほど酒に強くはないのか、すぐに気分良さそうな赤ら顔になり、普段から穏やかな表情がよりいっそう緩んでくる。
「……私には、娘が居てね。とは言っても、もういい大人だ。君と同じくらいの年かな。医療術士としてもそれなりに優秀で自慢の娘だったが、歳のわりに青臭いところがある。傷つき、苦しんでいる人達を助けるのだと、現場へ出ることに意味があると主張して、治癒術の研究を重視する私とはよく意見がぶつかったものだ」
「娘、か……。今は、新支部には見かけないようだが」
「ああ、新支部を飛び出して、自分の選んだ道に進んでしまった。本当は私の研究を引き継いで、医療術士として新支部で活躍してほしかったが、子供が自分の意志で独り立ちしたのなら親としては認めねばならないのだろう。例え、どんな道に進んだとしても……」
長い溜め息が吐き出される。様々な思いがあったのだろう。しかし、その思いは娘に伝わらなかった。けれども親として、子供が独立独歩で自分の将来を切り開いていくのは、肯定すべきことなのだろう。
「子供のいない君には、まだ想像もつかないかな。親というのは子供に思いを寄せる分だけ、自分本位の考えになってしまう。子供のためと思えばこそ、自分が最善と考える生き方を押し付けてしまうものだ。結果的に反発して、子供は自立していくのかもしれないがね」
「……全くわからない話でもないけどな。だが、結局のところ歩む道を決めるのは他の誰でもない、自分自身だ。それを親が言ったから従ったとか、他人の考えで自分の道を決めているようでは、何一つ自分の人生にはなりえないだろう」
俺にも覚えがある。それは、他人の意見の一切を聞かずに、自分が正しいと思った道を真っ直ぐ突き進んできたこと。一方で、俺の勝手な都合で他人の意思を無視して、俺の望む生き方を押し付けてしまったこともある。
宝石の丘の旅路、直前に別れた一人の少女もそうだった。危険な旅路に連れては行けないと判断して、知人のところへ預けて置いてきたのだ。もっとも、彼女は俺の気遣いを拒絶して、強引に旅路へと同行してきたのだが。その結末は――。
「……長々と話をしてしまったな。もう、夜も更ける。そろそろセドリックも見回りから戻ってくる頃合だろう。君も休むといい」
ミルトンの声で我に返り、思いのほか支部長室に長居していたことに気がつく。セドリックはまだ戻ってきていないが、支部長室より手前にある俺とレリィにあてがわれた部屋で待機していれば、護衛としての役割は果たせるだろう。
やや気分の浮かれたような足取りで、支部長室に備え付けられた仮眠室へ向かうミルトンを見送った後、俺も自分の部屋へと戻ることにした。
部屋に戻ってきてみれば、既にレリィはベッドの上で眠りこけていた。俺が部屋に入ってきても反応がなく、警戒もなく眠り続けているので呆れると共に少しだけ心配になった。まさかとは思うが睡眠薬でも盛られていたりしないだろうか、と。
新支部への襲撃があってから間もないこともあり、内部で手引きしたと思われる人間はまだ突き止められていなかった。より警戒すべきは外からの襲撃よりも、内からの奇襲である。
「おい、起きろ、レリィ。そんな状態で大丈夫なんだろうな?」
「んうぅ~? クレス、戻ってきたの? 平気、平気……万一の時に備えて、寝ているだけだから……おやすみぃ……」
とりあえず薬を盛られて眠りこけていたわけではないようだ。レリィの言う万一の時が、いつのつもりで今寝ているのか甚だ疑問なわけだが、連日の戦闘で疲れも溜まっているから休めるときは休んでおいた方がいいだろう。俺もそこそこ疲労が蓄積してきている。
いつまた襲撃があるかわからないので、感知装置による警戒網も追加で部屋の入り口に設置しておいた。ミルトン支部長の部屋に向かう地下への階段にも仕掛けてあるので、誰かが侵入してくればすぐに気がつくはずだ。
――びりびり、と早速、廊下に張った警戒網にかかる反応があった。おそらく今の時間と状況なら通過した人物は……。
自室の戸を開けて廊下に出ると、ちょうど部屋の前を通りかかったセドリックと顔を合わせる。いきなり開いた戸にセドリックは驚いた様子だったが、すぐ表情を元に戻すと苦笑して声をかけてくる。
「クレストフ、ミルトン支部長の護衛は万全のようだね」
「ああ、警戒は厳重にしている。そっちはどうだ? 先日のように容易く侵入を許しているようでは、他の護衛共の役立たずにもほどがあるぞ」
「手厳しいね。君に言われると反論もできないけれど。建物内の警備は、最善を尽くしてできうる限りの警戒はしているよ、今も」
「ふん……そうだといいけどな」
正直なところ、期待はしない方が良さそうだ。内部犯がいるとすれば十中八九、建物内の警備に当たっている術士や傭兵の中に紛れ込んでいる。信用できない連中の警備を期待するより、そいつらが全員敵だと想定してミルトン支部長の警護を考えた方が確実である。
「じゃあ、僕は支部長室の警備に入るよ。昨日、今日と敵の襲撃は失敗しているし、さすがに今夜は襲撃の可能性も低いと思うけどね」
「まあな。こちらが最大限に警戒しているところへ、時間も置かずに襲撃を仕掛けてくるのは考えにくい。それでも、油断はしないでおこう」
「頼むよ、それじゃあ……」
支部長室に向かうセドリックは、どこか元気がないように見えた。昼間、旧支部の話をしたときのセドリックの様子も気になる。
セドリックが内通者ならミルトン支部長はとっくに暗殺されているだろうし、彼が裏切り行為を働いているとは考えにくいが、何か面倒な事情は抱えていそうだった。
「……別に、俺の知ったことではないか」
ミルトンの話では遅くとも次の安息日までには決着がつく。そうなれば細かい事情も関係がない。俺の仕事もそこまでだ。
セドリックが支部長室へと入っていったのを確認したところで、俺も部屋へと戻った。レリィは相変わらず幸せいっぱいの顔で、涎を垂らしながら眠っていた。
疲労が溜まっていたのか、寝台に横になってすぐ俺は深い眠りに落ちていた。
夢もみないほどの熟睡で、目を覚ましたのは肩を揺り動かされる感覚に気がついてからだった。
瞬時に覚醒すると、周囲の状況に目を凝らす。常夜灯の仄かな灯りが、寝台脇に屈みこむレリィの顔を照らしていた。口元に一本指を立てて「声を出すな」の仕草をしている。緊張に固まった表情は異常事態を告げていて、俺はすぐに感知装置の状態を探る。
(……感知装置が、働いていない? 何かの呪詛で無効化されているのか……)
中央ロビーから廊下に至るまでの感知装置に反応がない。
感知装置を起動させずに無効化しても、感知装置が働かなくなったことはわかるので何者かの侵入があったことはわかる。だが、異常を報せる信号を遮断する術式も使われたのか、熟睡していた俺には異常が通知されなかった。目を覚ましてから自分で確認をしてやっとわかったというのは、既に後手に回っていることを意味する。
レリィは直感で異変を感じ取ったのだろう。そして、思いのほか近くまで敵が接近していることも理解して、俺を静かに起こしたのだ。
俺はレリィの肩を叩き、指の動きで意思を伝える。
感知装置が無効化された範囲で敵の位置がおおよそわかる。敵は廊下に、あと五、六歩で部屋の前を通過する。
レリィもおおよその敵の位置は掴んでいたのか、無言で頷いていた。すぐそばまで敵が迫っている。緊張が高まり、レリィは首筋にじっとりと汗をかいていた。
(……ここまで容易に侵入を許すとは。今回もまた、他の警備は何をやっていたんだ!?)
役に立たない。全く、役に立っていない。ここまで役に立たないと、全員が申し合わせて裏切っているのではないかと疑いたくなる。
侵入者がミルトン支部長の部屋に向かおうとしているのなら、俺達の部屋の前を通り過ぎた瞬間に後ろから急襲をかける。そのことを伝えると、レリィは音を立てずに部屋の戸のすぐ横へと移動する。
俺は廊下を照らし出すための術式、
息を潜めて、侵入者が部屋の前を通り過ぎるのを待つ。
レリィは壁に耳を当てて、廊下の様子をうかがっていた。しかし、訝しげな顔をすると、困惑したような様子で俺に視線を投げかけてくる。
(――どうした? 敵が、俺達の部屋の前で止まっている?)
とてつもなく嫌な予感がする。
レリィを手招きして、俺の傍へ呼び寄せる。慎重に、レリィが後ずさりをしながら俺の元へ移動する。
その瞬間に、部屋の戸が勢いよく破られて、何者かが侵入してくる。
後退しかけていたレリィへ向け、薄闇に乗じた侵入者の凶器が鋭く風を切る。
短剣の類による突きか。レリィは体を捻り、喉元を狙って伸びてきた攻撃を辛うじてかわした。
(――照らし出せ――)
『煌く陽光!!』
俺は即座に
橙色の光が部屋を満たし、侵入者の影を浮き上がらせる。侵入者は二人、見覚えがある瓜二つの容姿。
「カスクートの殺人姉妹!?」
再度の襲撃を考えなかったわけではない。だが、昼間にあれだけ手痛い敗北を喫して、その日の内に再び襲撃してくるとは思っていなかった。
そもそもカスクートの殺人姉妹は白昼堂々暗殺を実行するのが常と言われていた。それもあって今晩の内にこの二人が仕掛けてくるとは、全く予想外のことだった。
あるいは、白昼に襲うと思い込ませる、それこそが標的を油断させる欺瞞の噂だったのかもしれない。
魔導の光に照らし出された殺人姉妹。首筋から左頬にかけて火傷を負った妹のセレネに、右胸と左腿に裂傷を受けた姉のヘリオス。
ここまで早い奇襲となれば、彼女ら自身の傷も癒える時間はなかったのだろう。それでも、俺達を殺すだけの策があるというのか。
(――俺達を、殺す?)
強烈な違和感を覚えた。標的、それはいつから俺達に変わったのだろう。今の状況なら、下手に俺達を刺激するよりも、無視してミルトン支部長を暗殺しにいく方が自然な動きのはずだ。だというのに何故、わざわざ俺達を先に始末しようとするのか。あるいは他にも敵が――。
「クレス、集中して!」
レリィの言葉に意識を引き戻され、目の前の暗殺者へと注意を戻す。B級の暗殺者を前にして、気もそぞろに考え事など自殺行為だ。今は、余計なことを考えている暇はない。
昼間に一戦交えて手の内が知れ、顔や体に傷を負った状態では姉妹の役割を逆転する奇襲も通用しないと開き直ったか、杖を持ったセレネが一歩下がった位置に立ち、ヘリオスは人を殺傷するのに特化した刺突剣を握っていた。
狭い部屋、出口は暗殺者二人が固め、どういうわけか援軍は来ない。
ヘリオスの持つ刺突剣は、この狭い部屋でならレリィの持つ水晶棍よりも取り回しが良い。武器の種類ではレリィにやや不利な状況か。室内ということもあって、俺はレリィを巻き込むような術式は使えない。セレネもまた同じ条件ではあるから、ここはいかにして騎士同士が決着をつけるか、お互いの相棒の騎士をどうやって術式で補助するかが重要になってくる。
いかなる術がこの場において最も有効か、敵の呪詛に対する防衛術式の準備もしながら、複数の攻撃補助手段を思い浮かべる。
先に動いたのは殺人姉妹の妹セレネだった。杖に刻まれた魔導回路が淡い光を帯びて、セレネの口から発せられる
『――夜の
瞬時に部屋の中が闇に包まれる。それまで室内を明るく照らしていた日長石の光も、途端に広がった闇に呑まれて消えてしまう。これは、視界を封じる呪詛か。だが、直接的に視覚へ干渉する呪詛ではない。その手の呪詛には抵抗できる自動防衛の術式を俺は魔蔵結晶として身に付けている。
(――だとすれば、一定範囲の空間に光を遮る物質を散布したと考える方が妥当か。有効な手段を直ちに、考えるよりも先に幾つか試す!)
即座に決断し、こちらも反撃の第一手を打った。
(――爆ぜろ――)
銀板に刻み込まれた魔導回路に右手の指先から魔導因子を送り込み、意識を集中して術式を発動させる。
『
おそらくは殺人姉妹のセレネが居たであろう位置に向けて、炸裂系の呪詛を撃ち込んだ。空間が爆ぜて、轟音と突風が巻き起こる。
音は派手だが殺傷力はあまりない。レリィがびっくりしているのが気配で伝わってくるが、爆発に巻き込まれてはいないはずだ。まずはこれでいい。
相変わらず室内の闇には変化がなく、風圧などで払い除けられる物質系の術式とは異なるとわかった。そして、敵に対しては俺の攻撃が不発であったと思わせておけばいい。
雷銀爆轟の呪詛とほぼ同時に、俺はもう一つの術式を発動させていた。
左耳につけた
(――見透かせ――)
術式の発動時、レリィと背中合わせになって立ちながら、彼女の背に触れることで術の効果を共有する。
『天の慧眼……』
術の効果によって、真っ暗だった視界が突然、濃淡で表された透視映像となって広がる。
急に見えるようになった視界に戸惑いながら、闇の中、敵に対して身構えようとするレリィ。背中越しにレリィの太股を軽く掴んで動きを押し止め、小声で囁く。
「……そのまま、見えないふりをしろ。敵の奇襲を逆手に取って反撃をする……一撃で決めるぞ」
頷くことも、声を発することもできないが、レリィがごくりと唾を飲み込んで喉を鳴らしたことで、俺の言葉が伝わったことがわかる。レリィが闘気を封じていた髪留め四つを解き、全身に闘気をみなぎらせた。闇の中、全方位に警戒をしている態度としては自然だろう。
俺もまた、ひとまずは目が見えていないふりをしながら、敵の位置を把握する。セレネは最初に居た場所からは離れて、部屋の外、廊下にまで出ていた。先程の俺の攻撃は完全に的外れだったわけだが、これで俺達の目が見えていないと思い込ませることができただろう。
ついでに先程の爆音で、もし殺人姉妹が音を頼りにこちらを狙ってきていたとすれば、聴覚に痛打を与えられたはずだ。もっとも、セレネもヘリオスも動きに全く変化がないことから、聴覚を強化してこちらの位置を探っているわけではないようである。
カスクートの殺人姉妹、彼女らの殺しの手口は昼間の襲撃や今この状況から容易に想像がつく。
実に暗殺者らしい奇襲戦法で、標的が襲撃を全く意識していないところへ巧妙に近づいて殺す。そればかりか、正面切っての戦いに見せかけた騙まし討ちもしてくる。初見ではまず見破ることができない方法で、自分達にとって圧倒的に有利な状況を作り出して確実に標的を仕留める。
今夜の襲撃も、一日の内に二度も襲ってくることは考えにくいという油断を突いて、なおかつ昼間には使わなかった視界を奪う呪詛で先手を取る。
普通であれば何の対策もできていないところで、このような状況に追い込まれればまず助からないだろう。だが、所詮はB級の暗殺者、カスクートの殺人姉妹は『俺』という一級術士を侮りすぎている。
本来なら昼間の襲撃で暗殺は完遂されていたものを、俺が毒殺を見破り、奇襲攻撃に耐え切った時点で、彼女らは俺達に拘ることをやめるべきだった。
どんな手段を使ってこようとも、俺には対応できるだけの実力がある。しかし、カスクートの殺人姉妹はそのことを理解していない。だからこそ二度目の襲撃などという愚行に走ったのだ。
(……これまでにどれだけの人間を殺害してきたかは知らないが、カスクートの殺人姉妹は今日ここで終わる――)
彼女らは俺達が闇に視界を奪われたと思っている。なおかつ、俺が反撃に放った呪詛は不発に終わった、と。
おそらく殺人姉妹の二人は、この闇の中でも標的の居場所を知ることができるのだろう。現状の短い時間で細かい仕組みまでは看破できないが、そういう風に呪詛を作りこんでいるはずだ。一方的な攻撃を与えるのに絶好の機会を作り出したと言える。
その確信が強いほど、攻撃の瞬間における防御の隙は大きくなる。当然だ、まさか反撃されるとは思ってもいないのだろうから。
絶対的な優位を保ちながらも、こちらが闇雲に放つ攻撃には当たるまいと、殺人姉妹の姉ヘリオスは闇の中で俺達を迂回しながら部屋の奥へと回りこんでいる。俺達は気付かないふりをしながら、意識だけを注意深く暗殺者の動きに向けていた。
闘気を出す気配はない。勘のいい騎士なら、敵の闘気を感じ取って反撃に転じてくる恐れがあるから、攻撃の瞬間まで闘気を抑えているに違いない。
(そんな小賢しい真似、通用しないけどな)
攻撃態勢に入っているのはヘリオスの方だけ。セレネの方は依然として部屋から出た廊下で待機している。万が一にも標的が広範囲攻撃で抵抗してきた時のために、『闇の帳の呪詛』を維持する術士の妹は安全圏に退避したわけか。
「レリィ……騎士の……ヘリオスの方の動きに集中しろ……。奴が攻撃を仕掛けてくる瞬間、そこを狙え」
俺は再び、周囲には聞こえないほどの囁きでレリィに声をかけると、目が見えてない演技をしながらレリィから距離をおく。
さあ、最初に狙うのは俺か、それともレリィか。ヘリオスは、迷うことなく俺の正面へ向けて歩き出した。足音はなく、風の乱れさえ感じさせない動き。
レリィが緊張した様子で息を呑んだのが見える。反撃の一瞬、その刹那を見極める。もし、その一瞬を見誤れば敵の正面にいる俺が死ぬ。そう、考えでもしているのだろう。
暗殺者が俺の間近に迫る。
あと三歩ほどで触れられる位置まで来て、ヘリオスの体から薄紅色の闘気が立ち昇る。暗殺者が音もなく地を蹴り駆け出した。
そのわずか一瞬前、翠色の闘気を爆発させたレリィが俺と位置を入れ替わり、暗殺者の正面に立っていた。真っ直ぐに、迷うことなく敵の元へと一歩を踏み出す。
「姉さんっ、止まって!!」
異変に気がついたセレネが声をかける。闇の中、咄嗟に踏み止まったヘリオスは、レリィが渾身の力をこめて振るう水晶棍を辛うじて刺突剣で受け止めるが、圧倒的な密度の闘気に包まれた水晶棍は抵抗を許さず剣をへし折り、六角錐の先端がヘリオスの
衝撃でヘリオスは部屋の隅まで弾き飛ばされ、壁に激突するとそのまま床に倒れ伏して動かなくなる。だが、気絶しただけでまだ死んではいないだろう。
「上出来だ!! あとは俺が拘束する!! レリィ、お前は廊下の術士を捕まえろ!」
「わかった! あたしに任せなさい!」
頼もしい声でレリィが叫ぶ。
その声に無言で頷き、俺は
(――
『晶結封呪!!』
水晶がヘリオスの周りを取り囲むように成長し、巨大な結晶塊の内へと封じていく。手早く殺して終わりにしても良かったのだが、せっかく気絶状態で捕まえることができるのだから、暗殺の背後関係を吐かせるためにも拘束しておくことにした。B級の暗殺者ともなれば、今回の件だけでなく過去の暗殺事件についても関与が明らかになるかもしれない。
ただ、カスクートの殺人姉妹による暗殺活動が国外にまで広がっていたなら地方警察の手にはあまる。魔導技術連盟と騎士協会の共同で身柄を確保し、ゆっくりと尋問の呪詛にかけて情報を引き出していくことになるだろう。
殺人姉妹の姉ヘリオスを結晶に封じた俺は、すぐに廊下へと飛び出してレリィの後を追う。騎士のレリィが手負いの四級術士などに遅れを取るとは思わないが、悪質な呪詛の罠を仕掛けて反撃してくる可能性はある。そうなれば負けこそはしなくとも、逃亡を許してしまうこともありうる。
急ぎレリィの元へと向かい、中央ロビーへと出る寸前で不意に後ろから肩を掴まれて足が止まる。
まさか、ヘリオスが呪詛を抜け出してきたのか、と一瞬だけ最悪の可能性が頭を過ぎるが、すぐにそれはないと考え直してゆっくりと後ろを振り返った。
「クレストフ! 待ってくれ! 君はここに居てくれ!」
殺人姉妹の妹セレネと、レリィを追走しようとしていた俺を止めたのはセドリックだった。
「セドリック、何故、俺の足を止める。殺人姉妹の片割れをここで逃がすわけにはいかないだろう」
「冷静になってくれ、クレストフ。今はミルトン支部長の護衛が最優先だ。あの暗殺者達が囮ということも考えられる。陽動が敵の目的なら、君がここでミルトン支部長の元を離れるのは、大きな戦力の低下になるはずだ」
確かにセドリックの言う通りだ。少しばかり前のめりになっていたかもしれない。新支部内の警備はどういうわけか今回もろくに働いていない。俺がレリィを追って出て行ってしまえば、ミルトン支部長の守りは確実に薄くなる。
「とは言っても、レリィ一人に追撃を任せるのも不安なんだが……」
「それならティガを補助に回したから心配ない。ティガは嗅覚に優れているから、暗殺者が街中に逃げたとしてもすぐに追いつくことができるよ」
なるほど、虎人のティガは索敵要員としても使えるのか。てっきり腕力ばかりが自慢の傭兵かと思っていた。あの体力なら足も速いだろうし、レリィとは間もなく合流できるだろう。
「まあ、そういうことなら大丈夫だろうな。了解した。とは言え、ここで二人して支部長室の前に突っ立っていても間抜けだ。俺は新支部の建物内がどうなっているのか巡回してくる。セドリックはミルトン支部長を護衛して、何かあれば大きな音でも立てて俺に報せてくれ」
「……そうだね。それがいい」
セドリックの要請に従い、新支部でミルトン支部長の護衛に付くことになった俺は、とりあえず建物内の警備体制を改めて確認するため中央ロビーに出た。
真夜中の時間、中央ロビーに人気はない。それは当然なのだが、奇妙なことに新支部の出入り口を護っているはずの武闘術士達の姿が見えなかった。それどころか、傭兵が詰めているはずの仮眠室にも誰一人として姿がない。建物の中から人の気配が消えていた。
(――ティガはレリィの補助に回ったとして、他の連中はどこへ行ったんだ? まさか総出で暗殺者を追っていくはずもないだろうに……)
そう言えば、あの
もう少し、周辺を調べようと中庭へ下りたところで、唐突に俺の背後へ立つ人の気配が現れる。
――ぞくり、と背筋に冷たい感覚が走り抜ける。
全く気が付かなかった。いつの間にか俺の背中へ、硬く鋭い鋼の先端が突きつけられていた。
「動くな。そのまま、僕の話を聞いてもらおう」
声には聞き覚えがあった。間違えるはずもない。つい先程まで、会話を交わしていた相手だ。
後ろを振り返るまでもなく、背後の人物が誰かはわかった。
月が煌々と庭の木々を照らす中、俺の背に抜き身の剣を突き付けたのは騎士セドリック。
ミルトン支部長の護衛として、地下に戻っていたはずの男だった。
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