第208話 黒ずむ銀食器

 ――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第十二節』――


 猛り狂いし貪欲の怪物ベヒモスに、相対するは結晶術士クレストフ

 雨と降らせる結晶槍

 海魔の氷槍、肉を貫き、臓腑を穿つ

 ベルガル筆頭、国選騎士団が槍を持ち、追撃投擲とうてき、投げ放つ


 傀儡の魔女ミラが操りし、魔導人形が十体、おどり立ち

 ミラ諸共に特攻し、自爆の果てに、怪物が半身吹き飛ばす

 全員全力全霊で、勢い果敢に攻めかかり、怪物の命を削り取る


 結晶術士クレストフ、法具・金剛杵ヴァジュラを撃ち放ち

 貪欲の怪物ベヒモスが心臓に穴開く

 氷炎術士メルヴィオーサの呪詛も飛び、

 溶岩海溝、深き底より呼び寄せし、ガイアの鮮血流し込む


 心臓焼かれた超越種、古代の神が滅び去る

 死闘の記録は永遠に、録場機ろくじょうきへと刻まれた


──────────


 旧支部を後にした俺達は、当初に予定していた食事処へとやってきていた。

 豚の丸焼きを店の看板としていて、薄く削いだ豚肉と合わせて、青トマトや香草ハーブ、アスパラガスなど客が自分の好みで選んだ食材をリーフレタスに包んで食べる形式だ。

 店員の若い娘が肉削ぎ専用のナイフを持って豚肉を薄く何枚も切り分け、注文のあった客の元へと運んでいく。


 羊乳チーズや豚肉の腸詰めなども選べるようになっており、特に表面を軽く焦がす程度に焼いた腸詰めは、噛み締めるとぷりっとした歯ごたえと共に肉汁があふれ出してきて思わず口元がほころんでしまう。

「わっ、おほ……ん、ん、これ、美味しいかも……もぎゅっ……むぐ……!」

「うまいのはわかったから、落ち着いてゆっくり食べろ。……そんなに腹減っていたのか?」

「だって、朝食は抜いてきたから……そのまま旧支部に乗り込んで、もうお昼じゃない。お腹もすくよ」


 レリィは旧支部にいる間も、目立たないようにではあるが薄っすらと闘気を身にまとって警戒を続けていた。その分だけ余計に体力は消耗するわけだから、朝食なしで昼になったことも合わせれば空腹を訴えても不思議はない。特に、ここ最近のレリィは要求する食事の量が増えている。それでもしっかり食べないと体重が減ってしまうというのだから驚きだ。

 贅肉に悩まされている人間からすれば羨ましい体質なのだろうが、闘気を発するというのは結局のところ過度な運動をしているに等しい。つまり、痩せたいなら運動しろということである。


「おかしな体をしているな、お前は。どうなっているんだ?」

「んん~? とっても健康的ってことじゃないの?」

 闘気を発すれば体力を消耗し、並みの人間よりも食欲旺盛なのは一般的な騎士の性質だ。

 だが、レリィに限っては普通の騎士と比べても異常な食事量と思われる。何故、それほどに食事を必要とするのか。

(……こいつの闘気はどうも、普通の騎士とは生成方法が違うようだしな。周囲の魔導因子を取り込んで闘気に変換しているから、むしろ体力の消耗は少ないのかと思っていたが……実は変換効率が悪いのか?)

 レリィは興味の尽きない身体のつくりをしている。一度、本格的に調べてみようかとも考えていた。俺が諦めた騎士の力、闘気をあるいは術士でも扱えるようになるのではないだろうか。

 物思いにふける俺の様子を、レリィは食事の手を動かしながらも、ちらちらと観察していた。

 やがて、落ち着いて話をする機会ができたと考えたのか、もぐもぐと口を動かしながら器用に声を発した。


「それで……旧支部での話から何かわかったの?」

「うん? まあな……。この支部同士の抗争、追い詰められているのはむしろ旧支部の方ということだな」

「あ~そっか。やっぱりそういうことなのかな……」

 もしゃもしゃと豚肉のレタス巻きを口にしながら、レリィは小首を傾げて唸る。

「力ずくの襲撃を受けている新支部も、経済面ではかなり痛烈な反撃を旧支部に与えている。組織の体力で見れば、まちがいなく旧支部の劣勢だろう」

「どちらかが一方的に悪いとか、そういうことはないのかな?」

「さあな。部外者の俺達には本当のところはわからないし、おそらく悪いのは取り潰された支部の方になる。結果論だがな」

「勝てば官軍、負ければ賊軍、ってやつ?」

「太古の格言か、まさにその通りだ。負けた方が騒動の責任を負わされて、勝った方が自分達を正当化する」


 食事の手を休め、レリィは悲しげに目を伏せた。

「旧支部の人達、どうにか助けられない? 穏便に済めばそれが一番だと思うんだけど」

「無理だな。マシド支部長の態度からすると、最後まで抵抗するだろう。それから、俺達が彼らに加担するのは絶対になしだ。抗争が長引いて泥沼化すれば、それだけ余計に被害が出る」

「そっか……仕方ないのかな……」

 俺達は正義の味方じゃない。ましてやどちらが善か悪かもはっきりしない状況なのだ。ならば、抗争の早期終結を手助けするのが無難な選択のはずだ。


 フォークを持つ手を止めて、解決策がないか少しだけ考えてみる。

 手を休めたところに、給仕の店員が深皿に入ったポタージュスープを差し出してくる。店員はまだ若い娘で、雇われて日が浅いのか、ぎこちない動きで空いた皿を拾い上げ運び去っていく。

 言い出したレリィが黙々と肉を頬張る間、しばらくスープにも手を付けず考えて見たものの、抗争の穏便な終結は甘い考えだと判断して俺は旧支部のことは忘れることにした。

 取り留めのない思考をやめ、ふと手元に視線を戻したら食台の上の肉は一枚もなくなっていた。

「おい、レリィ。食ったら食った分だけ注文を追加しておけ」

「え? あたし、さっき注文追加したよ」

 つまり、注文が追いつかない速度で食べてしまったということか。どれほどの欠食児童なんだ、こいつは。


 仕方なく俺は先程の給仕の娘に手を振り、豚肉の追加を急がせた。

 慌てた給仕の娘は薄切り用のナイフとは別の大振りなナイフを手にして、滑らかな手さばきで豚の丸焼きから肉を削ぎ落としていく。

 あっという間に肉で山盛りの皿ができあがり、俺とレリィの目の前に差し出された。

「よっ! 待ってましたー!」

「レリィ、待て」

「……?」

 わずかに違和感を感じ取り、手を付けようとしていたレリィの動きを止める。

 肉を目の前にフォークとナイフを手にしながら小首を傾げ、それでも犬のように従順に待っているレリィをよそに、俺は召喚術で自前の銀食器を呼び寄せる。銀製のスプーン、ナイフ、フォークの三点セットが、金色をした光の粒と共に手元へと出現する。


 召喚した自前の銀のスプーンを、どろりとしたポタージュスープに浸す。掬い上げた銀の匙には乳白色の紛れもないポタージュスープが湛えられている。スープを一杯だけ口にして、スプーンを置いた俺はフォークとナイフで肉に触れる。

 すると肉汁に触れた銀のフォークの先端、ナイフの切っ先が黒く変色していく。


「――毒か」


 ぼそりと呟いた一言、それをきっかけにして場が大きく動いた。

 先程まで肉の塊を削いでいた給仕の娘がこちらへ走り寄り、手にした大振りのナイフで斬りかかってくる。俺は慌てず席に着いたままフォークで大振りナイフの刃を挟み、返しに銀のナイフを投げつける。的確に喉元を狙って飛んだ銀のナイフを、木のトレイで受け止める給仕の娘。

 いや、この娘は給仕などではない。

「白昼堂々、暗殺とはな!!」

 手馴れた動作と毒の扱い、どう考えても暗殺者だ。


 素早く席を立った俺は、暗殺者の娘に向けて椅子を蹴り飛ばす。娘が避けた先に別の客がいて、派手な音を立てて椅子が激突した。突然の争いに悲鳴を上げて逃げていく客。一人が逃げ出せば次々と、巻き込まれまいとした客が我先にと出口へ殺到する。

 人の波が出口へと流れる中で、その流れに逆らって進む女が一人。先程の給仕に化けた暗殺者の娘とは別、草色のフードを被って武骨な杖を手に握る女からは明らかな殺気が放たれていた。

 跳ね上がったフードから覗くその容姿は、給仕に化けていた暗殺者の娘と寸分違わず見分けがつかない顔立ちをしている。一瞬、目の前の娘が女のいる位置に移動したのかと錯覚するほどに似通っていた。

(……双子の姉妹!? だとすると、こいつらは――)


「クレス! 敵なの!?」

「気をつけろ!! 『カスクートの暗殺姉妹』だ!!」

 既に席を立って俺の背中を護っていたレリィは、杖を振りかざし叩き付けてくる女の一撃を、足元の床に置いてあった水晶棍で迎撃する。杖と棍棒、二つの間で雷撃の火花が飛散した。

 六角錐状の水晶に握り棒を生やしたこの武器は、一定以上の衝撃を与えることで電撃を放つ造りになっている。まともに打ち合えば武器を伝って雷撃が打ち据え、相手は即座に行動不能に陥る。

 だが、敵もまた杖に何らかの呪詛を仕込んでいたようで、雷撃の軌道は杖を避けるように放散していた。


 レリィが敵の一撃を防いだところで、俺は自身が使う武器を即座に創り出す。

(――組み成せ――)

 青く輝く半透明の柱状結晶、藍晶石カイヤナイトを握り、術式を発動した。

三斜藍晶刃さんしゃらんしょうじん!!』

 握りこんだ藍晶石を柄の中心として、上下双方向に幅広の刃を持った段平だんびらが形成された。

 結晶の塊から削り出したかのように荒々しい藍色に澄んだ刃からは、相対した者を威圧する魔力の波動が放射されている。


 武器の生成にかかった時間は僅かに三秒ほど。それでも暗殺者が仕掛けてくるには十分な時間と言えたが、そこはレリィが素早く闘気を発して牽制することで時間を稼いでいた。

 場数を踏むことで、戦闘におけるレリィの連係には磨きがかかっている。まだまだ相棒としては足りない部分もあるが、今のは及第点と言えよう。

 八つ結いにした髪のうち、封呪の髪留めを四つ解いて闘気を解放したレリィ。深緑色の長い髪が光を発しながら浮かび上がり、翠色に光る闘気が帯状に立ち昇る。

 全力ではないが、初見の相手に闘気を半分解放するということは、レリィもかなり本気なようだ。直感的に油断のできない相手と判断したのだろう。


「何その変な武器? クレスも前へ出て戦うの?」

 敵から目はそらさずに、俺が創りだした自前の武器にレリィが文句をつけてくる。レリィが持っている水晶棍も俺が創りだしたものなのだが、そちらに文句をつけずに俺の得物に文句をつけるとはどういう了見だろうか。

「護身用だ。相手は暗殺者二人、お前だけで抑えきれなければ俺も近接戦に対応せざるをえない」

「悔しいけど、不意討ち得意そうな相手だもんね。クレスのことはなるべく護るけど、ある程度は自分で防いでね!」

「お前も油断するなよ。こいつらは毒を使う。刃で傷を付けられないように、全身を闘気で護っておけ」

 暗殺者なら不意討ちは得意、それは理解できる。しかし、不可解なのは最初の毒殺が失敗しているにも関わらず、こうして真正面から睨みあっている状況だった。賢い暗殺者なら奇襲が失敗した時点で退いているはずだ。


(……旧支部に圧力をかけに行った仕返しにしては、しつこいな……)

 新支部に肩入れする俺を排除できれば、旧支部としては利益になるだろうが、暗殺者がそこまで考えて動くとは思えない。奴らは大抵、主義思想ではなく金と保身で動く。それでも真っ向から暗殺を仕掛けてくるということは、俺達を倒す自信があるということ。

(舐められているのか? それとも何か秘策があるのか――)

 俺の疑念をよそにカスクートの殺人姉妹は余裕たっぷりの仕草で微笑み、薄気味悪い含み笑いを漏らしている。


「ふふふふ……ねえ、姉さん。今回の獲物は随分と活きがいいわ」

 杖を持った方の女が、ナイフを持った娘に語りかける。こちらが武闘術士の妹セレネか。

「そうね、久しぶりの大物だわ」

 ナイフを持った娘は目を細めながら、赤い唇を舌なめずりして濡らした。こちらは騎士の姉ヘリオス。

 その様子を見て、レリィが小さく体を震わせた。

「クレス、この人達もしかして……、人を殺すこと楽しんでいる?」

「そのようだな……悪趣味なことに」

 怖気の走るような殺人姉妹の性癖。俺とて、敵となれば人を殺すことはある。けれども、殺す行為自体を楽しむことはない。

 それがこの姉妹については愉悦となっている。楽しむ為に殺す、そのついでに殺しを仕事にする。こいつらはそういう類の人間だ。俺でさえ嫌悪感に吐き気がするほどなのに、性根が純粋なレリィからしてみたら、カスクートの殺人姉妹はどれほど異常な存在として目に映っただろう。


「さ、楽しいお仕事を始めましょう。姉さんはそっちの元気な騎士の娘を」

「あなたはこっちの陰気な術士の男ね。どちらが先に仕留められるか――競争よ」

 こちらの動揺を付け入る隙と見たか、カスクートの殺人姉妹は俺とレリィにそれぞれ一人ずつ、全速力の突撃を仕掛けてきた。

 給仕に化けていたナイフを持った娘は、左手にナイフを持ち直すと右手で長いスカートを捲り上げ、太股に装着して隠してあった短剣ショートソードを引き抜く。向かう先、狙いはレリィだ。もう一人の女は金属製の武骨な杖を構えて、レリィを迂回しながら俺の方へと距離を詰めてくる。

 カスクートの殺人姉妹は、姉が三流騎士、妹は四級の武闘術士。どちらも接近戦を得意としている。レリィが全力を出せば一流騎士にも匹敵し、俺は第一級の術士としての実力を有している。まともに当たって負ける要素はない。

「暗殺者が真っ向勝負とは考えにくいが……」

 敵の奇策を警戒しつつ、腰を軽く落として左手を前に出し、右半身を後ろへ引いて迎撃の態勢を取る。左手には黄玉トパーズの魔蔵結晶を握りこんである。


(――組みなせ――)

黄土おうどの盾!!』

 左腕を包み込むようにして、黄玉の結晶が円盤状の盾を形作る。魔力によって強化された鉄より硬い結晶の盾は、物理的な衝撃に対してだけでなく、並大抵の呪詛は弾き返す。敵がどんな呪詛を杖に込めていようとも、この盾を打ち砕くことはできない。

 レリィと殺人姉妹の姉が切り結ぶとほぼ同時、俺と殺人姉妹の妹も正面から激突した。横殴りに振るわれた杖は仄かに淡い薄紅色の光を帯びて、俺の左腕の盾へと叩きつけられる。


「――――ぅっ!?」

 ずしり、と予想以上の重圧が左腕にかかる。

 杖の一撃を弾き上げ、藍晶石の刃を突き入れようとした俺の目論見もくろみは外れた。

 敵の打撃に盾ごと体を持っていかれ、地面から足が浮く。

 踏ん張りが利かなくなった一瞬で俺の体は大きく後ろへと弾き飛ばされ、店内の椅子や食台を盛大に巻き込みながら床を転がった。

 衝撃で結晶の首飾りが鎖から切れて落ち、床の上を滑っていく。


「ちょっと!? どうしたのクレス!? 大丈夫なの!?」

 殺人姉妹の姉が繰り出す素早い短剣の舞いを、レリィは水晶棍で受け流しながらもこちらに注意を向ける。その隙を突いてナイフを走らせてくる暗殺者に、レリィは苦々しく顔を歪めながら対応せざるをえない。毒を警戒して必要以上に防御を意識しているせいか、レリィの動きは固かった。

 初撃で盾を半ば砕かれた俺は、薄紅色の光を帯びた杖の猛攻を辛うじてかわしながら、牽制に三斜藍晶刃で斬り返して、なんとか間合いを取るのに精一杯の状況となっていた。

 武骨な杖と藍色の刃が打ち合うたびに、薄紅色と藍色の波動が炸裂して周囲に衝撃波をまき散らす。打ち合えば打ち合うほどに俺の結晶の刃は欠けていく。

「くそったれが……こんな形で一杯食わされるとはな……」

 完全に先手を取られた。それもこれも、警戒していながら見落としていた初歩的な敵の罠。

 カスクートの殺人姉妹は、姉が三流騎士、妹は四級の武闘術士。その容姿は瓜二つで外見から区別はつかず、武装の剣と杖、姉ヘリオスと妹セレネの呼び合い、それらで姉妹を判断するしかない。


 それが、罠。


 剣を持つ者が騎士とは限らない。

 杖を持つ者が術士とは限らない。

 敵を欺くつもりなら、戦う前から罠の仕込みはなされている。

 妹が姉を『姉』と呼ぶとは限らない。

 姉が妹を『妹』扱いするとは限らない。


 杖持ちが騎士の姉、剣持ちが術士の妹。

 姉が妹を姉と呼び、妹が姉を妹扱いする。

 この姉妹の役割は、初めから逆転していたのである。

 ただ一回の奇襲のために。

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