第204話 贖罪の喜捨

 ――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第八節』――


 行くは地獄の参道、歪曲地獄

 行けども行けども変わらぬ風景

 異界現出、世界は歪み、霧の水路を巡り続ける

 時を刻むは万年時計、指針が報せる時間は狂い、旅路は既に三年過ぎた


──────────


 メルヴィのおかげで早朝からややこしい事態に巻き込まれてしまった。今も微妙に疑いの眼差しで見てくるレリィをなだめるためにも、早い時間にも関わらずカナリスの街を歩き回って、朝から仕事に精を出している気の利いた食事処を探しているところだ。

 しかしまあ、適当に散歩をしているうちにも頭に上った血が引いてきたのか、レリィは段々と機嫌が良くなり自分から食事処を探すようになっていた。


「ところでさ、最近のクレスは羽振りが良くなったよね? 前は病気じゃないかってくらい、ドケチ……節約していたじゃない?」

「はっきりドケチと言っておいてから、わざわざ言い直すな。それに以前も節約していたわけじゃない。つまらない事や、くだらない人間相手に金を使いたくなかっただけだ」

「今は違うわけ?」

「今も同じだが、お前に金を使うのは投資みたいなものだ。無駄なことだとは思っていないな」

「んん~……、それは素直に喜んでいいのかな……。どうせならもっと単純な理由でもいいのに……」

 食事をおごってやるというのに、何が不満なのかレリィがぶつぶつと呟き始めた。一人きりで長期間山篭りすることもあった狩人時代の癖なのか、レリィは独り言を呟いていることが多い。こうなってはまともな会話にならないので、俺はひとまずレリィの奇行は無視して食事処の選定に戻ることにした。


 カナリスの街並みへ視線を戻すと、ちらほらと歩いている人々の動きの中に、一箇所で静止した動きのない場が見て取れる。正確には、その場から動くことはなくとも声は上げられており、黒い修道服を着た若い女性が箱を持って何やら叫んでいた。

「恵まれない人々に愛の手をー! 明日を生きるために立ち上がる手助けをー! あなたの気持ちの余裕が、困った人を助けまーす」

 実際には大した話でもなんでもなく、珍しくもない聖霊教会の募金活動が行われていただけだった。

「そこのお金持っていそうなあなたー! ぜひ、人助けだと思ってご協力をー!」

 その場で動かずに声を上げているだけだと思っていた修道女が、どういうわけか俺を見つけるなりぐいぐいと箱を持って迫ってくる。


「いや、俺は募金などするつもりはないからな。他をあたってくれ」

「人は皆、助け合って生きているんですよー? 今は裕福な生活を送っていても、何があって人生転落するかわかったものではありませーん。未来の自分を救うと思って、余裕のあるうちに寄付をしてみませんかー? きっとあなたが貧困層に落ちぶれたときにも、手を差し伸べてくれる人がいるはずですー」

「……嫌なことを言うな。だからって俺は募金しないぞ」

「えぇー? 何故ですかー? 富を独占していると天より罰が下りますよー。もっと具体的には、懐も心も貧しい人間に恨まれて刺されますよー」

「だから妙に生々しい嫌な表現をするな! お前、本当に修道女か?」

「正真正銘、聖霊教会の修道女ですよー。それより、何故なんですかー? 全身にこれでもかってくらい宝石を身に付けて、お金持ち宣言して歩いている人が募金を拒むなんておかしいですー」

「金持ち宣言とか言うんじゃない。これは必要があって身に付けている装身具なんだ。いい加減に――」

「あたしも、聞きたいな。クレスが募金しない理由」

 やたらとしつこく募金箱を押し付けてくる修道女から逃げようとしたところ、その場に突っ立ったままのレリィがぼそりと呟く。我が意を得たとばかりに修道女の募金箱攻勢にも力が入る。


「そうですよー。こんな可愛い彼女さんを侍らせておいて、募金を渋るなんて甲斐性なしのすることですー。はっ!? まさか、あなたは紐男だったり……?」

「誰が紐だこら。俺は単純に、聖霊教会の偽善活動が気に食わないだけだ」

「偽善活動じゃありませんー! 慈善活動ですー! 奉仕の活動なんですー! あなたには誰かを助けたいと思う心の欠片もないんですかー!?」

「馬鹿馬鹿しい。もしも本気で誰かを救うつもりで金銭を使うなら、他人任せの寄付ではなく、自分自身で有効に使ってみせるさ」

「そんなこと言って、下心なしに他人のためにお金を使ったことあるんですかー?」

「打算は常にあるものだ。見返りの期待できない投資はしないな」

「えらそうなこと言って、ただの守銭奴じゃないですかー!! 彼女さんも言ってやってくださいよー。この甲斐性なし! って!」

 募金が得られないことに腹を立てているのか、修道女はレリィを唆してまで煽り始めた。だが、そんな俺と修道女のやり取りを見て、レリィはくすりと笑いをもらした。


「クレスらしいよ。でも、それが裏も表もない、君の生き方なんだね」

 悪意のない、彼女の素直な感想だった。

 言われて少し、ぎくりとする。自分は本音を隠して建前を言っているのではないのか。本当は何を思って、レリィに投資しているのか。建前などなかったとして、では自分はレリィに何を見返りとして求めているのか――。


「ふわぁー!? なんなんですか、こ、この甘ったるい空気はー! 男が男なら、女も女ですー! ふぅぅ……主よ、罪深き人類を寛大な心で赦し給えー、いえむしろ赦さずに相応の罰を与え給えー!」

 いくら頭にきたからって、修道女が人を呪う言葉を吐くな。さすがに俺も頭にきたので、理論武装した言葉の暴力で言い返してやろうかと考えたところで、


「ああ、いけませんよメグ。奉仕とは、人の自然な心から行われるもの。決して強制するものではないのですから」

 いつからこの場に居たのか、突然、知らない人物が会話に入り込んできた。

 黒い祭服に身を包んだ格好から司祭と思われる老人が、怒り狂った若い修道女を優しく諭す。

「し、司祭様ー!? でもー……募金、全然集まらなくて……」

「無理して集める必要はありませんよ。人々の心に余裕があれば、自然と集まるものなのですから。もしも、まるで人の善意が集まらないというのなら、それはこの街の人々が皆、余裕なく苦しんでいるということ。それならば、我々が手を差し伸べる相手が増えるだけのことです」


 老司祭は柔和な笑みを浮かべてこちらに視線を送ってくる。細く開けられた目で静かに見据えるその視線は、言い知れぬ不安を俺に与えた。

「通りすがりの旅の人。修道女シスターメグが、ご面倒をおかけしましたね。お気になさらず、あなた自身が信じて進む道へお戻りください」

「ふん……言われなくとも、これ以上は付き合っていられるものか。もう行くぞ、レリィ」

「うん、行こうか。お腹、減ったよ」

 若い修道女はまだ不満気な様子だったが、老司祭の手前、それ以上に文句を言ってくることはなかった。

 ただ代わりに、俺達が去る寸前に老司祭が独白のように、聞こえるか聞こえないかという大きさの声で語りかけてきた。


「富めるがゆえに貧しき人よ……。教会からはせめて『慈悲』だけでも、人伝ひとづてに贈らせて頂きましょう」

 修道女も司祭も、最後まで気分の悪くなる言い回しだった。意味を問い質すようなことはしない。どうせ、神に祈るしか能のない連中だ。言う事を一々真に受けていたら切りがない。

(しかし、つくづく……聖霊教会は気に食わない。気に食わない連中ばかりだ……)

 食事前に嫌な思いをした。それは俺の過去に関わる、聖霊教会との確執によるものだ。今やどうでも良くなったことだというのに、そのはずなのに、修道女を見れば否応なしに思い出す記憶がある。

 宝石の丘が間近に迫った旅路の終局に、ある一人の修道女が死に際で言い放った言葉だ。


『……錬金術士クレストフ……あなたは……決して幸福を得られない…………。……同情します』

 嘲笑うように、くすりと笑って息を引き取った修道女の言葉。

 あの呪詛は、まだ俺の身にかけられたままなのだろうか?

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