第203話 予期せぬ襲撃者

 ――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第七節』――


 行くは地獄の参道、海蝕かいしょく地獄

 湛える湖水は血の如く、水底深く澄み渡る赤

 やがて湖水は色を変え、黄色、黄緑、緑色

 果ては色なく透き通り、白い砂浜現れる

 地獄に一時、憩いの時間。水と戯れ、疲れを癒す


 旅の再開、夜の湖、進み行く

 岩礁地帯を小船で抜けて、断崖洞穴、進み行く

 波風強く洞窟削り、天然洞窟迷路の如し


 淡く光りし緑の光、無数触手の怪生物

 伸び来る触手は命を奪う、死神紛いの毒の腕

 国選騎士団の術士が絡まれ、舵取り役が倒れ伏す

 傀儡術士ミラが飛び、船から船へ飛び移る

 触手の毒針なんのその、硬い人形に傷つかず、水に落ちるも這い上がる

 騎士が闘気に身を固め、襲う触手を斬り払い

 舵取る術士を守り抜き、つわもの達は流れ行く


 精霊術士ダミアン操る水妖精ウンディーネ

 水流速めて船を押し、海蝕洞穴切り抜けた


──────────


 ミルトン支部長との会食を終えた俺達は、セドリックに促されて新支部の建物内を回ることになった。

「とりあえず今日は、僕が新支部の建物を案内しよう。建物の構造を知っておいてもらった方が警護もしやすいだろうし」

「あ、私も一緒に案内するわぁ」

「メルヴィ、いいけれども……邪魔はしないように」

「はいはい、邪魔はしませんとも、邪魔はね」

 含みのある言い方なのが気になるが、メルヴィの素性を知るにもなるべく近くで探りを入れられる方が俺にとっても好都合だった。そう思えば多少の悪戯は見逃してやってもいいだろう。もしかするとそれで尻尾を出すかもしれない。鬼が出るか蛇が出るか、それさえまだわからないところではあったが。


 新支部の主要な設備と部屋、外との出入り口などを見て回り、襲撃があった場合の備えや暗殺者が侵入する余地がないかなど確認した。

「そう言えば、護衛に雇った人間は他にどれくらい居るんだ?」

「元からカナリス新支部に勤めていた術士がほとんどで、五十名ほどが通常業務のついでに警備もしているよ。夜間もミルトン支部長がここに泊まるので、警備に武闘派の術士を二十名ほど残す予定だ」

「五十名もいるの? それだけいればミルトン支部長の警備は万全じゃないの?」

 楽観的な意見のレリィに、俺は首を振って即答する。

「不足だな。この建物の大きさと、出入りできそうなドアや窓の数を考えれば五十人でも少ない。しかも夜間には二十名まで減る。もし夜に暗殺者が襲ってきた場合、この人数で対応できるか……」

 各所に武闘派と思われる術士が配置されており、廊下を行き交う術士達もいざという時には戦えるよう武装しているのは見てわかる。だが、それでも専門の暗殺者が襲ってくる可能性を考えれば、侵入経路を全て潰すのは難しい。


「もう少し、夜間の人員を増やせないのか?」

「難しいね……。昼間は通常業務があるからともかく、夜まで仕事場に縛るわけにもいかない。彼らにも日常の生活がある。それに夜間に襲撃される可能性が高いとなると、武闘派の術士でもなければ怖がってとても警備など引き受けてはくれないよ」

「まあ、そうか……。だから、街にいる腕利きの人間に声をかけていたってわけだな」

「ミルトン支部長の直近で護衛に当たるのは、僕とティガ、それにメルヴィ、そして君達二人だ。他に二十名、半分ずつに分けて交代制で、建物内の巡回と見張りを行うつもりでいる」

「そうするとあまりミルトン支部長の近くから離れるわけにはいかないな。泊り込みで、一ヶ月間も建物に引き篭もることになるのか」

「昼間はカナリスの街を散策してくれていて構わないさ。今朝のように、不心得者を積極的に釣り上げてくれるなら僕も助かる」

 セドリックは冗談で言ったようだが、実際のところその方が決着は早いだろう。今朝の狼人達は下っ端過ぎて情報もなさそうなので自警団に預けてしまったが、もう少し事情を知っていそうな襲撃者でも捕まえられれば、武力抗争を推し進めようとしている首謀者に繋がるかもしれない。



 ほぼ一日、新支部の建物を確認するのに時間を費やし、ミルトン支部長護衛の仕事は初日を終えてしまった。

「さて、それじゃあ君達の宿泊する部屋に案内するよ。支部長室のすぐ近くで、来客用の部屋だから不自由はないと思う」

 案内されたのは支部長室のある地下への入り口付近に作られた一階の客室だった。地下入り口の直近にレリィの部屋、そこから一階中央ロビーに通じる廊下の途中に俺の部屋が用意されていた。ちなみにセドリックとメルヴィの使う部屋は地下にある。虎人のティガは他の武闘派術士達と一緒に、一階にある広い仮眠室を使っているらしい。仮眠室は広い中央ロビーと繋がっており、多くの人数を即座に警護のために展開できるようだ。

「部屋についてだが、俺とレリィは同室にしてくれ」

「え? 二人で一部屋を使うのかい? 空き部屋は十分にあるけれど……」

 ミルトン支部長の護衛も重要だが、何よりも自分の身を守る都合上、専属騎士のレリィは同じ部屋に居た方がいい。奇襲された時、咄嗟に体の動く騎士と比べて術士は対応が苦手だ。それにどちらか一方でも建物内の異変に気がつけば、すぐに報せることもできる。

 そうした合理的な理由があっての判断なのだが、セドリックはいまいち理解できていないらしい。まあ、自分自身が強い騎士にはわかりにくい感覚かもしれない。


「セド兄ってば、聞き返すなんて野暮ねぇ。そりゃあ男女の仲だもの。一緒の部屋の方が色々と都合もいいでしょうよ」

 意味深な台詞で妙な誤解を広めるメルヴィ。セドリックとレリィが揃って顔を赤くした。

「す、すまない……。確かに余計なことを聞いた。そういうことなら、地下入り口の横にある部屋は一人部屋だから……君達二人は廊下の途中にある部屋を使ってくれ。あそこなら二人部屋としても使える」

「ち、違うからね! そんな変な意味じゃないから! ほら、こういうのは騎士と術士の関係っていうか、互いに補佐しあうにも同室の方が都合いいって意味で……クレスもなんとか言いなさいって!」

「……敵の奇襲があった場合、即連携行動に入る為にも騎士と術士はなるべく近い位置に居た方がいい。それだけのことだ」

 必要以上に慌てるレリィを横目にしながら、俺は冷静に同室の理由を口にした。言っていることはレリィと同じことなのだが、こうした話は言葉を並べ立てて弁解するよりも、落ち着いて簡潔に説明した方が理解されやすい。

 セドリックはそれを聞いて、メルヴィの冗談に乗せられたことを恥じたのかまた顔を赤くしていた。誤解させるような発言をした当のメルヴィは、鼻歌など歌いながら素知らぬふりをしている。



 本格的な護衛任務は明日からということで、俺はレリィと共にあてがわれた部屋で休むことにした。魔導回路を刻んだ結晶を多数、裏地の袋に仕込んだ外套を脱ぎ去り、俺は重荷から解放された。それでも魔導結晶の指輪や耳飾り、俺にとって重要な棒状結晶の首飾りなど、必要最低限のものは肌身離さず身に付けておく。

「はぁ……やはり仕事となると疲れが溜まるな。自分で引き受けたとは言え、休暇が恋しいな」

「そうだね。今は仕事中だものね……」

 部屋の中に入ってから立ったままで落ちつかず、どこかよそよそしいレリィに俺は眉をひそめた。

「別に今くらいは寛いでも文句は言わないぞ。楽にしたらどうだ?」

「まあ、そうさせてもらうけど……。クレス、変なこと考えていないよね?」

「変なこと?」

 レリィは自分の身体をかき抱いて、警戒の視線を送ってくる。メルヴィの冗談をまだ気にしているのだろうか。昨日も同じ部屋で寝ていたというのに今更な話だ。


「お前こそ、余計なことを考えている暇があったら、しっかり休んでおけ。明日からは気を張って過ごさなければいけないからな」

 早々にベッドで横になった俺は、レリィに背を向けて丸くなる。今日はもう、夜にすべきことは何もない。

 俺がそのまま休むつもりだとわかったところで、レリィからも力を抜くような溜め息が聞こえてきた。

 しばらく後、衣擦れの音が聞こえて隣でもベッドに潜る気配が感じられた。寝巻きに着替えてレリィも寝たのだろう。ベッド脇の壁に掛けられた青い魔導ランプの光も消え、部屋は暗闇に包まれた。



 夜も深まった頃、眠りについていた俺の『警戒網』に何かが引っかかる感覚があった。

 小さな紅玉ルビーの魔導結晶を対にして部屋の前の廊下に幾つか仕掛け、その間に不可視の光を走らせた簡易的な感知装置だ。光が遮られると、俺の身体に軽い電流が走って報せるようになっている。一日ごとに魔導因子を補充する必要はあるが、一晩だけでも動作すれば感知装置としては十分な効果時間である。

(――それにしても、おかしい。感知信号が送られてきているのは地下の方向からだと……?)

 感知信号にはどこの場所で反応したかわかるように、距離によって電流の強弱を、方向によって電流の脈動を変えてある。ぴりぴりと連続的に伝わってくる電流の具合から、反応した魔導結晶は廊下の地下方面に仕掛けたもので間違いない。侵入者ならば外側からやってくるはずだが、内側から来るのは何者なのだろうか。


(地下からであれば、やってくる人間は限られているが……)

 警戒はしたまま、俺はベッドの上で寝返りをうち、部屋のドアを監視する。誰かの足音が部屋のドアの前で止まった。ガチャガチャとドアノブの錠を開ける音がする。鍵で開けているのではなく、鍵開けの道具か、あるいは鍵開けの術式でも使っているような音の鳴り方だ。

(……錠を壊してこじ開けないぶん丁寧だが……夜中にそれで侵入してくるのは非常識も過ぎるだろう)

 俺は警戒の度合いを上げて、いつでもベッドから跳ね起きることができるように体勢を整えた。

 ちなみに同室に居るレリィは近づいてくる何者かの気配にはまだ気がついていないのか、すっかり眠りこけている。鈍感なのか、あるいは危険が迫ってはいないと本能的に察しているのか。


 がちゃりと鍵が開き、部屋の戸が静かに開いていく。部屋も廊下も真っ暗闇で、侵入者の姿はわからない。俺は枕元に置いておいた猫目石キャッツアイの魔導結晶を手に取り、意識を集中した。猫目石が仄かに蜂蜜色の光を放ち、猫の瞳のような縦縞の筋を表す。

(――見透かせ――)

『猫の暗視眼……』

 ごく小さい声で楔の名を発し、術式を発動する。途端に暗闇で何も見えなかった部屋が、家具や人影まで詳細に見えるようになる。

 そして俺の目に映った侵入者の姿は、枕を抱いて目をこすりながら歩いてくる寝巻き姿のメルヴィだった。ちなみに寝巻きはいつもの魔法少女姿に上着を一枚羽織っただけの姿である。さすがに帽子は被っていなかった。


「んにゅ~……お兄さん? 起きているのぉ……?」

 メルヴィは寝惚けたような声を漏らしながら、俺のベッドへと近づいてくる。

「メルヴィ? こんな時間にどうした。わざわざ鍵まで開けて……」

「……一人だと不安で、眠れなくてぇ……。一緒に寝るぅ……」

 もっともらしい言い訳をしながらメルヴィは俺の許可も待たずにベッドの中へもぐりこんでくる。


「こら、自分の部屋へ戻れ。小さな子供じゃあるまいし」

「小さな子供ですぅ~……か弱い少女なんですぅ~……う~ん、むにゅにゅ……」

「だからって何で俺のベッドに入り込んでくるんだ。セドリックの部屋の方が近いだろう」

「セド兄はやだ……鎧着たまま寝ていて、汗臭いし。クレスお兄さんの方がいい。それに……大勢で集まっていた方が安全って、言っていたし……。ここにはレリィお姉さんもいるからぁ……」

「まあ、安全面ではこの部屋ほど安全な場所はないけどな……。まったく仕方がない……」

 敵の襲撃を受けた場合、大勢で集まっていた方が、誰かが気が付いた時点で対応も即座にできる。自分でも同じような理屈を話した手前、合理的な理由ではあると納得しないわけにもいかない。今からメルヴィを説得して部屋に追い返すもの面倒くさい。自身も眠たかった俺は仕方なくメルヴィの好きにさせた。

 それにしてもセドリックは鎧を着たまま寝ることができるのか。そんなことで体の疲れを取ることができるのか、それが可能ならなかなか凄い特技かもしれない。などと、くだらないことを考えながら、俺は眠りに落ちた。背中でメルヴィがもぞもぞと身じろぎする感触はあったが、もはや夢の中の俺には気になることもなかった。




「クレス、起きて。起きなさい、クレス!」

 翌朝、レリィの不機嫌な声に起こされた。まだ日も昇っていない早朝だ。任務があるとはいえ早すぎるだろう。

 夜間の見張り番は虎人のティガや他の傭兵達がやっている。何か事件でも起きていない限り、俺達が必要以上に早く起きる理由はないはずだ。


 しょぼつく目を擦りながら、起き上がろうとベッドに手を付くと枕とは違う何か柔らかいものを掴む。

「あんっ……」

 やけに艶めかしい声が聞こえてきた。


 ベッドの前に仁王立ちしていたレリィの目が鋭く釣りあがる。

 まだ頭の働かない俺は、一拍遅れてレリィの視線を追ってみる。俺の手の下には半球状に盛り上がるシーツがあった。

 ――これは何だ?

 ようやく意識が覚醒した俺は、シーツを乱暴にめくり取った。するとそこにはメルヴィが寝ていた。俺のベッドの上に、服の乱れた少女が。


「いったいどういうことか、説明してもらえるよね? クレス?」

 頬を引き攣らせながら、レリィが現状の説明を求めてくる。気のせいか、翠色の闘気が背後から立ち昇っているように見えた。

「待て、これは陰謀だ。俺は一切、やましいことはしていないぞ」

「現在進行形でやましい現状があるのは、どう言い訳するの?」

 レリィがベッドの上に散乱したメルヴィの服と下着を取り上げ、俺に突き出してくる。少女が着るには随分と派手な下着だなと場違いな感想を抱いてしまった。


 俺とレリィが問答を繰り返しているうちに、ようやく騒動の元凶であるメルヴィがのそのそと目覚める。

「あー、おはよう。お兄さん、お姉さんも」

 メルヴィは何事もなかったかのようにベッドを降りて、レリィから服と下着を受け取るとその場で着替え始める。まじまじと見ていたら後頭部をレリィに拳骨で殴られた。かなり力が入っていて、顔面をベッドに突っ伏しながら軽く意識を飛ばしてしまった。


「えっと、メルヴィ? できれば貴女の方から詳しい事情を聞きたいんだけど。どうして貴女がクレスのベッドで一緒に、寝ていたのかな?」

 メルヴィは一瞬、考え込むような仕草をした後で、満面の笑みを浮かべながら答えを返す。

「やだぁ、レリィお姉さんってば、詳しい情事を知りたいなんて……。うん、そのね……私とお兄さんとはぁ……何もなかったよ? ちょっと人恋しくて、夜の内にお兄さんのベッドへ潜り込んじゃったの。うふふ、お兄さんって意外と体温高いんだね。暑くなったから、無意識に服も脱いじゃったみたい」

「ク、ク、クレス~!? 有罪! 有罪だよ、これは!!」

「落ち着けレリィ! メルヴィの言い方は怪しいが、何もなかったと証言しているぞ! 服を脱いだのも無意識のようだし、俺に非はない!!」

「はぁ!? それで言い訳のつもり!? あたしが寝ている横で、こんな小さな女の子とな……ななな、何をしていたのー!!」

「やだ、失礼よぉ。私ってば、これでも立派な淑女のつもりですぅ」

「立派な淑女は夜中に男の人のベッドに潜り込まないから!!」

「俺は無実だ……」

「クレスは反省しなさーい!!」


 不毛な言い争いは、騎士セドリックが部屋に来てメルヴィを回収していくまで続いたのだった。

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