第202話 昼の魔法少女

 ――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第六節』――


 行くは地獄の参道、屎泥しでい地獄

 濁る湖水は茶色く淀み、糞尿汚物で溢れし臭気の沼地

 魔導推進の大型船舶、優雅と言えぬ湖上の旅路

 鼻は利かなく、吐き気は常に、食欲落ちて衰弱不可避


 船旅途中に行く手を阻む、蠢く汚物の異形ども

 船の甲板這い回る、固有の新種、汚泥粘菌

 勇猛果敢な騎士セイリス、長剣一閃斬りかかる

 一太刀加えて斬り飛ばし、飛び散る汚物をまともにかぶる

 誰も彼もが一歩引き、騎士セイリスは立ち尽くす


 精霊術士ダミアン操る水妖精ウンディーネ、暴れる水流解き放ち、汚泥粘菌押し流す

 糞尿湖沼を行く船は、ゆっくりゆっくり巡航する


──────────


 カナリス魔導技術連盟・新支部に到着した俺達は早速、入り口で待機していたセドリックに連れられてミルトン支部長と対談することになった。

 支部の建物は短期間で増築された形跡が所々にあり、どこか要塞のような物々しさを感じさせた。

 石の廊下をかなり奥まで進み、地下への階段を下りていく。その先に支部長の部屋があるらしい。普通、こうした高い役職の人間は決まり事でもあるかのように高い階に部屋を取りたがるが、逃げ場のない高所よりも抜け道まで作られた地下の部屋の方が安全ということらしい。


 地下の奥まった、しかし大きく空間を取られた支部長の部屋に案内されると、そこには既に食事の準備が整えられており、さらに部屋の奥にあった執務室からミルトン支部長が姿を現した。薄手の生地で織られた真っ白な法衣に身を包む、穏やかな表情をした初老の男性であった。

 セドリックから聞いた話によると、ミルトン支部長は準一級の医療術士であるそうだ。十年ほど前には、悪名高い『膿疱病毒分子のうほうびょうどくぶんし』の感染拡大を阻止した功績や、治療術によって多くの病人や怪我人を救ってきた実績があり、人をまとめる才能もあったことからカナリス新支部の長に認められたらしい。


「道中、荒事に巻き込まれたと聞いたが、君達にとっては朝飯前の運動という程度だったかな。さすがは『結晶』の一級術士とその専属騎士と言ったところか。セドリックから君達のことは聞いているし、君達もこの支部の現状について少しは聞いていると思う。だが、一級術士と騎士一名の協力を得るともなれば、私自ら事情の説明をしなければなるまい。まあ、食事でもしながらゆっくりと話を詰めていくとしよう」

 そう言いながら、ミルトン支部長は食卓の席へと腰をかけ、俺達にも席を勧めた。部屋まで同行してきたセドリックは一緒に食事を取るつもりはないのか、扉の近くで直立不動のまま立っている。


 連盟新支部でのミルトン支部長との会食は、朝の食事にしてはかなり豪勢な内容となっていた。

 カナリア産白身魚のパイ皮包みとトラキア牛の赤ワイン煮込みをメインに、香味野菜と鶏肉のスープ、赤エビのガーリックソテー、それにマヌカ蜂蜜をたっぷりとかけられたミルクアイスまで出てくる。

 朝食として全てを食べきるのはさすがに苦しい。もっとも、コース料理となっているので食事は順番にゆっくりと運ばれてくる。時間をかければ食べられなくもないか。ミルトン支部長も食事はおまけで会話を主体としたいような態度に見受けられたし、無理に食べきらずとも失礼にはあたらないだろう。

 もっとも、レリィについては朝昼関係なく食欲旺盛で、順番に運ばれてくる料理が待ちきれないといった様子だ。


「……旧支部の連中は自分達がこの街を管理している、と大きな勘違いをしているのだ。カナリスの経済が健全に回っているのも、新支部が都市内の生活基盤を細やかに支えているからこそ。だというのに、郊外における治安の維持以外にろくな仕事もしていない旧支部が、運営予算だけは平等に分けろとまで言ってきている。新支部の規模はもはや旧支部の倍以上はある。運営資金も新支部が独自に活動を行って、都市内で得ている報酬から賄われている。それを都市部での仕事を何もしていない旧支部が要求するというのは、いくらなんでも横暴とは思わないかね? そんな旧支部がいまや治安を維持するどころか、悪化させている……」

 ミルトン支部長の話は、セドリックから聞いていた話と大きく変わるものではなかった。ただ、旧支部と新支部で武力抗争が起きているのは事実だが、ミルトン支部長はあくまでも受け身であり、旧支部側が暗殺者を一方的に送りつけてきているとの主張は彼独自のものだった。新支部に戦力を集めているのも、あくまで自衛の為だと言う。

「君達にはあくまでも私の護衛として、新支部に詰めておいてもらいたい。一ヶ月の期間、無事に時間を稼げれば、その間にどうにか旧支部とのいざこざも片付けられるだろう」

 旧支部代表者であるマシド支部長は、準一級の武闘術士で完全な武闘派だ。もし、正面から武力行使に及べば、新支部の元々の戦力では抵抗できなかっただろうから、抑止力として新支部が戦力を集めるのは理に適っているようには思える。


(……とはいえ、この話もどこまで信用していいものか。街でも情報収集して裏づけは取っておいた方がよさそうだな……)

 俺はミルトン支部長の言うことは話半分に聞いておき、旧支部の動きについてもう少し詳しく尋ねてみることにした。

「旧支部は随分と強硬な手段に出ていて、事態は命の奪い合いに発展し、『カスクートの殺人姉妹』まで動いているとか?」

「いや、幸いにもまだ死者は出ておらんよ。怪我をした者は何人か出てしまったがね……。それも私が癒して、後遺症も残ってはいない。こちらの反抗で傷ついた旧支部側も似たようなものだろう。君達も、護衛任務が最優先ではあるが過剰な反撃は控えて欲しい。無論、本職の暗殺者相手にはその限りでもないがね」

 既にここへ来る道中、襲ってきた狼人達を半殺しの目に合わせているが、まあ、死んではいないので別にいいだろう。


「しかし、旧支部はそこまで強行して新支部を潰したあと、収拾をつける算段があるのか……」

「さてね……頭に筋肉が詰まっているのではないかと言われるマシドが束ねる旧支部だ。そこまで深く考えているとも思えん。大方、暗殺未遂で一線を越えてしまったが為に、後に退けなくなっているのだろう。都合の悪いことは、後で全て揉み消せばいいと単純に思っているのかもしれん」

 ミルトン支部長は大きく溜め息を吐き、頭を押さえながら軽く首を振った。旧支部のマシド支部長が先のことを考えているかどうかは知れないが、少なくともミルトン支部長は後一ヶ月で収拾をつけるつもりでいる。実際、うまく収拾をつけられたのなら、俺が連盟本部の見届け役として支部存続の是非を判断することになるだろう。そういった意味でも、ミルトン支部長は俺を敢えて近くに置いて、カナリス支部が組織として成り立っているところを見せたい思惑もありそうだ。


「それで今後の護衛に関する話だが、俺達は新支部であんたを守ればいいのか? ここ一ヶ月の内に外出の予定などはあるのか?」

「ふむ……詳しくはセドリックと打ち合わせをしてもらうとして、当面のところ私に外出の予定はない。ここに泊り込みで仕事になる。君達にも泊り込みで護衛を――」

 ミルトン支部長が今後の予定を話している最中に、突然、部屋の戸が勢いよく開いた。ノックなしで室内に飛び込んでくる小さな人影。

 セドリックが腰の剣に手をかけ、レリィがミルトン支部長の前に立つ。

 俺は、飛び込んできた人物を見て座ったまま反応に困っていた。

「やっほーミルおじ様~! 新しい護衛の人を雇ったって聞いたんだけどぉ~。私も挨拶していいかしらー……ってあれ?」

 当然、彼女がここにいると理解はしていたのだが、まさかこうも唐突に現れるとは思わなかった。

 黒い三角帽子と薄紫色のミニドレスに身を包む小柄な少女。紫に染められた長髪は腰まで伸び、発育の著しい胸と見せ付けるように露出した太股。一度でも見たら忘れるはずもない、俺にとっては忘れようもない人物。自称魔法少女のメルヴィ。


「あれ? あれあれぇ~!? クレスお兄さん、何でここにいるのぉ?」

 人差し指を頬にあて、小首を傾げて上目遣いに視線を送ってくるメルヴィ。座っている俺に上目遣いで視線を合わせようとしているため、胸の谷間が奥までよく見えている。

 あざとい、実にあざとい仕草だ。狙ってやっているに違いない。

「誰? クレスの知り合い?」

 戸惑うレリィと、呆れて溜め息を吐くセドリック。

「メルヴィ、君はお客が来ていると知っていて、部屋に入るときノックもできないのかい?」

「できないんじゃなくて、しないのー。メルヴィはぁ、いつだって神出鬼没の魔法少女だから!」

 きらりん! と自分の口で効果音をつけながら、メルヴィはなにやら謎の決めポーズをしてみせる。無意識のうちに俺の腕には鳥肌が立っていた。


『……メルヴィ、話が進まないわ。ここは何故、そこの男が居るのか問い質すのが先でしょう……』

 メルヴィの肩に乗った妖精人形のミランダが、一切の動作なく声を発する。ミランダの存在をしらないレリィだけが、顔を青くして周囲を見回している。

「なになにっ!? 今の声!? どこから聞こえてきたの!?」

「もう~、ミランダってば、初対面の人を驚かしちゃだめでしょ。めっ!」

『……そんなつもりはなかったのだけど。私が怒られるのは理不尽だと思うわ……』

 ミランダを指先で軽く弾くメルヴィのやりとりを見て、レリィもようやく謎の声の主に思い当たったようだ。

「人形が……喋っている……?」

 それでもまだレリィに理解できる範疇の外だった。術士の常識からすれば、さほど驚くようなことでもないのだが。


「これこれ、メルヴィ。今はセドリックが連れてきたお客と、大事な仕事の話をしているのだ。邪魔をしないで静かにしていなさい」

 今度は誰の声かと思うほど、甘く優しげな声を発したのはミルトン支部長だった。顔を見ればだらしなく目尻をさげ、口元を緩ませている。

 ぽんぽん、と膝を叩くミルトン支部長にメルヴィは小走りで駆け寄り、その膝の上に飛び乗って小さく収まる。

「は~い、ミルおじ様! お話はここで聞きながら、静かにしているわねー」

 三角帽子を外して後頭部をぐりぐりとミルトンの胸にこすりつけるメルヴィ。ミルトンの表情がさらに崩れる。

(……これはやばいな。完全に骨抜きにしてやがる……)

 魔法少女というより魔性少女だ。こうやって権力者に取り入った後、いったい何をするつもりなのだろうか。ミルトン支部長の骨抜き状態を見ると、どんな我が侭でも喜んで聞いてしまいそうな感じがした。


 気持ち一歩引いた視線で観察をしていた俺に、どういうつもりかメルヴィが視線を寄越して「はぁ~、やれやれ……」という芝居臭い動作をしてくる。

「それにしてもクレスお兄さん……セドにいの誘いに乗っちゃったの? もう、仕方ないなー。観光で来たとか言っていたのに、結局お金目当てで仕事を受けちゃうとか。感心しないわねぇ」

 セド兄というのはセドリックのことだろう。こちらも骨抜きにされたのかと見やれば、当の本人は苦虫を噛み潰したような顔をしている。どうやら彼は篭絡されてはいないらしい。

「……随分とここには馴染んでいるようだが、メルヴィ、お前もミルトン支部長に雇われているのか?」

「ん~? まあ、そんな感じかしらぁ。命がけの護衛っていうのとは違うから、報酬は寝る場所と食事に少しのお小遣い、その代わりに不審人物が新支部に出入りしていないか、巡回のお手伝いをしているのよぉ」

 話を聞けば彼女も一応は護衛の一人らしい。ただ、雇い主に抱え上げられるように侍る姿は、護衛よりも何か別の役割が与えられているようにも見えた。


「ちょっと……ちょっとクレス、説明してよ。いったい、何者なのこの子は……? どう見ても怪しすぎるし、普通じゃないんだけど……」

 レリィが隣から俺の脇腹を肘で突いてくる。大した力は入っていないのだが、的確に急所を突いてくるのはやめてほしい。不意討ちをくらって体をのけぞらせてしまった。

 まあ、常識的な人間の目から見れば普通じゃないのは確かだ。違和感を覚えていないのはミルトン支部長くらいだろう。

 しかし、ではメルヴィが何者かと問われれば、俺にもわからないのが正直なところだ。ただのおかしな自称魔法少女というだけならともかく、俺はこの娘が氷炎術士メルヴィオーサという女に酷似している事実を知っている。同時に、決して同一人物ではありえないことも。だからこそ、この少女の存在はわけがわからない。

「俺も詳しくは知らない。一昨日の晩、宿の前で出会っただけで……」

「一昨日の晩? この街に来てからクレスとはずっと一緒にいたはずだけど……。もしかして夜中に……色町へ出ていたの? ま、まさか、こんな小さな女の子を連れ込み宿に……!?」

 この話の展開は、やぶ蛇だった。レリィの視線がじっとりと疑わしいものに変わり、席を立って俺の顔を覗きこんでくる。


「クレス、答えなさい! いくら健全な成人男子でも、やっていいことと悪いことがあるよ。そ、そりゃあ、あたしはそういうお相手できないかもしれないけど……。それにしたってこんな年端もいかない女の子を――」

「待て待て待て! 激しく誤解しているぞ! 妄想がたくまし過ぎるんだよ、お前は!」

「あらあらぁ、ふふふ、お二人さん痴話喧嘩かしらぁ?」

 詰め寄ってくるレリィの傍に、いつの間にかメルヴィが近づいていた。

「まぁ、パートナーが知らない他の女の子と仲良かったりしたら、気になっちゃうわよねー。色町に行くぐらいなら、私を襲ってみなさいよーってことかしら、ねっ!」

「はへっ?」

 何の前触れもなく、ばっ、とメルヴィがレリィの腰巻を捲り上げる。元々、切れ込みが入って短かった腰巻が完全に腰の上まで捲くれ上がり、レリィの真っ白な太股と布地の少ない紐下着があらわになる。


「あら、本当に勝負下着だったのかしら。大胆ね、お姉さん……」

「わぁーっ!! ななな、何をーっ!?」

 いきなりとんでもなく破廉恥な冗談をかましてくる。セドリックは何も見ていない、といった風を装ってあさっての方向に顔を背けているが、目の前でやられた俺は目のそらしようもない。捲れたのは前の方だけなので、ミルトン支部長からは死角になっており、彼だけは何が起こったのかわからない顔をしていた。


「ちょっと、君ねぇ! 悪戯にもほどがあるよ!?」

「やーん、お姉さん、そんなに怒らないで。お詫びにメルヴィのも捲っていいから、許して?」

「あたし、そんな趣味ないから!! ……って、そう言いながらクレスに抱きつくのはどうして!? やっぱりそういう関係!? め、捲りあいするような関係なわけ!?」

「うふふ、お姉さんってば初心うぶねぇ。可愛くてからかうの楽しいわぁ~、と、あらっ?」

「――メルヴィ、そこまでにしたまえ」

 俺の背中に隠れようとしていたメルヴィが、セドリックに両脇を固められ持ち上げられる。体格差が違いすぎるので、メルヴィはほとんど抵抗もできずに俺から引き剥がされた。


「二人とも、驚かせてしまってすまない。メルヴィときたら、いつもこんな調子でね。支部内の巡回や情報収集には役立ってくれるが、彼女が来てからというもの風紀の乱れが著しくて頭を痛めているんだ。今までの行為は全てメルヴィなりの冗談だから、本気にしないでくれ」

 本気にしてしまったらミルトン支部長のように骨抜き状態となるのだろう。恐ろしいことだ。

「まあ、確かに驚きはしたが、この手の冗談は覚えがあるし俺は惑わされたりしない。問題ないな」

「あたしは、クレスがあんな少女好みだったことが驚きだけどね……」

 いまだに冗談を本気と捉えている人間がもう一人だけいた。頼むから、その汚物を見るような目で俺に視線を送るのはやめてもらいたいものだ。

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