第198話 夜の魔法少女
――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第二節』――
行くは地獄の参道、叫喚地獄
熱き濃霧に、煮沸の大地
噴き出す泉が地面で爆ぜて、幾多の強者が屍さらす
傭兵、騎士、魔導兵、次々飛んで横たわる
飛んで死なぬは騎士ばかり。頑丈自慢のベルガル率いし国選騎士団
タバル傭兵隊が幾名か、
ハミル魔導兵団が幾名か、
グレミー獣爪兵団が幾名か、
白き濃霧の地に消えた
──────────
「ねえ、お兄さん。こんな夜更けに一人でどうしたの? ひょっとして一人で眠れない夜を過ごしているとか? 私が慰めてあげよっか?」
こちらの動揺をよそに、少女は上目遣いで媚びるように誘いをかけてくる。軽く膝を曲げて、小さな体に不釣合いなほど豊かな胸を両腕で挟み込むような体勢を取る。押し上げられた胸の谷間が、あからさまに強調される。狙ってやっているとしか思えない。
「お前は、誰だ?」
辛うじて言葉にできたのはその一言。目の前の少女が自分の知る『彼女』でないのなら、全くの他人のはずだ。この応答はむしろ正しい。だが、もしもこの少女が『彼女』に縁のある者ならば、自分に近づいてきた目的は何なのか――。
「ん? 私が誰か? ふふん! 聞いて驚き、
「――――は?」
きらん! と、自分で効果音を口にしながら、妙に慣れた仕草で可愛らしい
自称魔法少女『メルヴィ』。
よりにもよってその名前。しかもまるで自分の異常性を隠すつもりがない様子だ。
ここまで材料が揃っていて、けれども目の前の少女はこちらをただの『お兄さん』と認識している。
あくまで他人だというのか。色々な共通点もすべて偶然だと――。
(――いや、待て。あるいはメルヴィオーサに縁のある者だとして、俺の素性を知らないだけなのか? だとすれば、出会ったことだけが偶然になる。それぐらいのことならありうるか……?)
疑念は拭えない。ここで正直に自分も名乗るべきか、それも判断がつかなかった。
「それでぇ……お兄さんの名前はなんていうのぉ? どこのどういう人?」
「…………クレス、だ。首都からやってきた観光客だ」
考えた末に出てきたのは何とも中途半端な自己紹介だった。本名全てではないが、偽名でもない。そんな姑息な名乗りをしてしまったのも、結局のところは自分がまだ過去の『罪』から逃げている証拠だろうか。宝石の丘で、唯一つだけ自身が罪と認識していること。
「ふむふむ。お兄さん、クレスって言うんだ。あ、そうそう、まだ自己紹介が済んでいない子がいた」
「……?」
意味深な台詞を口にしながら、メルヴィは庭に放置された安楽椅子へと歩み寄る。その上に置かれた妖精の人形を手に取り、自分の胸元へと無造作に突っ込む。
『……苦しいわ。雑に扱わないでちょうだい……』
低く抑えられた女の声。庭で最初に聞いた声だ。聞き間違いでなければ今、確かに人形から声が聞こえたような気がした。
可能性としてはメルヴィの腹話術というのもありうるが、ここはむしろ魔導的な現象と見た方がよさそうだ。
「この子はミランダ。私のおともだち!」
『……あなたと、おともだちになった覚えはないのだけど……』
不満げな声が妖精人形あらためミランダから発せられる。恐らくは擬似人格を宿した魔導人形の類だろう。自称魔法少女であるメルヴィの使い魔みたいな役回りか。
「ねぇ、お兄さん。何があったかは知らないけれど……」
いつの間にかメルヴィがこちらの顔を覗きこむほど至近距離に迫っていた。潤んだ瞳と濡れた唇は男を惑わす危険な魅力だが、胸に挟み込んだミランダが谷間から抜け出そうと必死にもがいている姿が視界に入ると全ては台無しである。
メルヴィとしては彼女の魅力で相手の注意をうまく引き付けられた、と思ったのか。目と目を合わせて強い口調で言い放つ。
「自殺は駄目よ! よくない!」
「……なんだって?」
さっきからわけのわからないことだらけだ。今度は自殺と言い出した。
(――自殺? この俺が?)
「うん、よくない。よくないわー。しかも、そんな木桶に顔を突っ込んで、溺死自殺とかちょっと無理があるでしょ。世を儚むにしても、運河の都カナリスなら他にいくらでも身投げできる場所があるのに。よりにもよって井戸の木桶! 自殺を止める前に、まずその方法論から止めたくなるわぁ」
こいつはいったい何を言っているのか。自殺もそうだが、木桶に張った水で自ら溺死? どうしたらそんな結論に至るのか。
「お前がどうしてそういう考えに至ったのか知らないが、俺は自殺も溺死もするつもりはないぞ。さっきは顔を洗っていただけだ。冷たい水が気持ちよくて長く顔をつけてはいたけどな」
「あらぁ、そうなの? もしかして私の勘違い?」
『……誰がどう見ても自殺ではありえないでしょう。馬鹿なことで声をかけたものね……』
思考回路のおかしいメルヴィは、魔導人形のミランダにまで馬鹿さ加減を指摘されている。
「まぁ、そういうことならぁ。私が心配することもなかった、それだけのことね」
本当にただそれだけだったのか。通りすがりにメルヴィはこちらの胸元を軽く叩き、ひらひらと手を振りながらその場を去っていく。
このまま行かせてしまっていいのだろうか。だが引き止めたところで何を話すというのか。
「お兄さん! 縁があったらまた会いましょうね」
逡巡する心を見透かしたかのごとく、去り際にくるりと振り返ってメルヴィが声をかけてきた。
結局、彼女が何者であるのかわからないまま見送ってしまった。
それでも、ここカナリスにいる限り、再び彼女とは出会う予感がする。
根拠はない。しかし、確信に近い予感だった。
悪い予感は当たる。
ろくでもない厄介事の気配が、すぐそこまで迫ってきていた。
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