第197話 甦る悪夢

 ――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第一節』――


 目指す秘境は宝石の丘ジュエルズヒルズ

 の地に至る道のりは、過酷極まる試練の旅路

 転移の門をくぐりぬけ、つわものどもが歩み出す


 行くは地獄の参道、針山地獄

 迎え現る群れなす獣、化け狐猿の縄張りか

 飛び来る礫が身を叩き、鋭き岩に貫かれ、最初の犠牲が屍さらす

 武闘術士団がまとめ役、燃える拳の拳闘術士、勇猛果敢なエリザが消えた


─────────


 夢を見ていた。

 とても心地よい夢。

 かつて見た風景、宝石の丘ジュエルズヒルズに一人の少女がいた。

 ぼさぼさの長い髪に、金色の瞳をした、眼の下に泣き黒子ぼくろのある痩せた少女だ。

『私は……クレスと、ずっと一緒にいる……』

「ビーチェ……」

 さらにその周りには賑やかなほどに人が集まっていた。


『師匠! また私に稽古をつけてください!』

 長い髪を後ろで一括りにまとめ、白い甲冑を着た実直そうな女騎士がいた。

「セイリス……」


『ようクレストフ! しけた顔しているな、一緒に夜の街にくりだすか?』

 丈の長い紺の外套と青い頭巾を被った親友の術士がいた。

「ダミアン……」


『あら、クレストフ。寂しいなら慰めてあげるわよぉ、ベッドの上で』

 紫のドレススカートを身にまとう妖艶な女術士がいた。

「……メルヴィオーサ」


『おう、大将! 次はどこに行こうってんだぁ? 俺様も連れて行けっての!』

「……グレミー!?」

 銀色の体毛に包まれた狼人までいた。


 かつて宝石の丘に旅立った総勢百人近い人々が俺の周りを囲んでいた。その表情に怨みの念などは一切感じられなかった。殺したいほど憎まれても当然の仕打ちをしたというのに。


『それは違うよ、クレストフ君。君を本気で怨んでいる者などいない。そのことに君は気がつくべきだ』

 埃で煤けた白衣を羽織る初老の紳士がいた。

「テルミト教授……」


『これは幻、だが君の記憶の中にある真実でもある。そして、あるいはありえたかもしれない、幸せの形だ』

 幸せ、自分にとっての幸せの形。これがそうだと言うのか?

 確かに、この夢は暖かい。宝石の丘の同行者、全員が生きて目的地へ辿り着き、全員が生きて帰ることができたなら、それはどれだけ幸福であっただろうか。

 だが、それは叶わぬ夢だった。宝石の丘へ到達して生き残ったのは自分一人、同行者は皆――。


 朗らかに笑っていた、かつての仲間達が次々に結晶化していく。

 代わりに現れたのは、極彩色の岩を寄せ集めたような化け物。宝石の丘に辿り着いた勇士達を最後の最後で絶望の淵に叩き落した宝石喰らいジュエルイーターだった。

 腹に開いた巨大な口が、結晶化した仲間達もろとも己を飲み込もうと迫る。

 逃げることもままならず、無明の闇へと、飲み込まれていく。



「――くはっ!?」

 気がつけば薄暗闇の部屋の中。ベッドの上で目を覚まし、宝石の丘の光景が夢であったことにようやく気がつく。

 寝汗をかいて、呼吸も荒く上下する自身の胸に手を当てて、首から提げた棒状結晶の首飾りを握り締める。

 嫌な夢だった。自分にとって都合の良い夢。

 あるいはありえたかもしれない、だが実際にはありえなかった夢。

 最後には夢の通りに、宝石の丘へ辿り着いた者は、自分以外は生き残ることができなかった。例外と言えば道半ばで帰還した一部の人間、猫人のチキータなどが数少ない生き残りだが、彼女は宝石の丘を目にしてはいない。自分と同じ風景は見ていないのだ。あの理想郷と、絶望の終局を。


 体を起こして部屋を見渡せば、隣の寝台には大口を開けながら気持ちよさそうに寝ているレリィの姿があった。

 レリィの寝巻きは生地の薄いホットパンツに、丈の短いチューブトップで些か露出が多い格好だ。毛布を跳ね除け、真っ白な太股を開けっ広げにしている。

 ボリュームのある八つ結いの髪は四方八方に広がっていた。本人の話では、とりあえず体で潰さない限り、寝癖は付きにくい髪質なのだとか。

 実に幸せそうに眠っている。その熟睡する寝顔を見て羨ましく思い、自分もまた心が安らいでいく。

 宝石の丘への旅路、あの地獄の旅は終わったのだ。



 どうにも目が冴えてしまい、静かに部屋を抜け出すと宿の裏口から外へと出た。

 裏庭にはシーツや手拭いなどの洗濯物が吊るされており、木製の古びた安楽椅子が野晒しになっている。風に吹かれてゆらゆら揺れる椅子の上には、小さな子供が好みそうな可愛らしい妖精を模した人形が置かれていた。

 そんな物寂しい風景を横目に裏庭の隅にある井戸へと歩み寄り、手押しポンプを上下させて水を汲み上げる。備え付けの木桶に水を張ると、両手で水をすくって口に含み喉の渇きを癒した。

 よく冷えた地下水が胃の中へと流れ込み、火照った体を内部から冷ましてくれる。

 桶に残った水に顔をつけ、しばらく無心のまま息を止めて、頭から雑念を振り払う。


 ――過去に向き合う覚悟はとっくに決めた。だが、それはうじうじと思い悩むことではなかったはずだ。

 事実を認め、逃げずに受け入れる。そして、前に進むと決めたのだ。

 そのはずなのに。自分の中でわだかまる暗い感情は、いつまでも己の精神を苛む。


(……そう綺麗に心の整理はつかないか……)

 容易には答えの出ない問題だ。何が正解かも、答えがあるかどうかもわからない。

 気弱になれば、すぐにも絶望に呑み込まれてしまいそうだ。


『……見ていられないわね。しゃきっとしなさいよ……』


 不意に、どこからともなく声が聞こえてきた。幻聴? いや、小さな声だが、確かに女性の声が聞こえた。

 驚いて水から顔を上げて辺りを見回すも、近くに人影は見当たらない。

「誰だ? レリィか?」

 呟いてはみたものの、レリィではないような気がした。声の質が違うのだ。

 聞こえてきた声は低く抑えられた女の声。元気の有り余ったレリィの声とは全く異なる。


(……なんだ? 警戒すべきか? とりあえず周囲の状況を術式で探ってみるか――)

 そこまで考えを進めたところで、洗濯物の陰からひょいと姿を現す人物がいた。今の今まで気がつかなかったが、シーツの裏にでもいたのだろう。

 闇に佇む人影は小柄で、妙に先の尖った頭にくびれた腰が特徴的なシルエットとなっている。

 夜空の雲間から覗く満月の光が差し込み、暗がりに紛れた人影を照らし出した。

「――――ぅっ!? ……お……まえは……?」

 姿を現した人物を見て、思わず息を詰まらせた。水で湿らせたはずの喉が急速に渇いていく。


 月光に浮かび上がったのは、黒い三角帽子と薄紫色のミニドレスに身を包む一人の少女の姿。

 紫に染めた長髪を腰まで伸ばし、見せ付けるように太股を露出して、紫檀の杖を股の間に挟みこみ足を絡めている。

 体格は小柄で歳は十代前半と見られる。だが、胸の発育だけは著しく、大人顔負けの色香を振り撒いている。


「こんばんは、お兄さん。散歩するには、いい月夜ねぇ」

 謎の少女は間延びした甘ったるい声で語りかけてくる。

 彼女の容姿、そして声音にまで、確かに覚えがあった。


 ――似ている。似すぎている。


 だが、別人であることは間違いない。

 自分の知る『彼女』は成人した女性であって、小柄な少女ではなかった。そして何より彼女は――。


(――他でもない。俺が殺したはずだ――)


 氷炎術士メルヴィオーサ、いるはずのない彼女にそっくりな人物がそこに立っていた。

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