【第二章 不幸の枷】

第196話 うたわれる武勲詩

 雲間から降り注ぐ太陽の日差しが、穏やかに波打つ水面にきらきらと反射される。

 船の行き交う川岸に大きな丸太家屋ログハウスが立ち並び、岸に沿って張り出したウッドデッキでは多くの観光客が水と緑の豊かな景色を眺めながら、少しばかり早い昼食をゆっくりと楽しんでいた。


「のどかなものだな……」

「うーん? そうだね、こんなにのんびりできるのは久しぶりだね」

 思わず口をついて出た言葉に、向かいの席に座った若い娘が答えを返す。

 深緑色の長い髪を不可思議な紋様の刺繍された髪留めで八つに結い分けて、拳闘士のような袖のない白色の胴着に、四方に切れ目の入った腰巻を身に付けている。

 露出した手足は白磁の陶器のように滑らかな肌をしており、染み一つない顔にぱっちりと開く緑柱石エメラルドのように透き通った翠の瞳が、川面で反射した光を受けて輝いていた。


 相対して少女の瞳に映る自分の姿は、彼女とは全くの正反対で全身黒ずくめだった。ただその姿は決して地味なものではなく、首輪チョーカー腕輪ブレスレット耳飾りイヤリングに指輪と、全身に身に付けた貴金属と宝石の装身具が、日の光を受けてぎらぎらと無遠慮にきらめいている。

 我ながら趣味が良いとは言えないが、全て必要があって付けている装身具だ。


 良くも悪くも目立つ姿の男女二人組。見る者が見れば、二人がただの観光客でないことにすぐ気がついただろう。

 一人は術士の男。

 それも全身に魔導回路の刻まれた結晶を身に付ける、第一級の実力を持った人物だと、目利きに優れた者ならそこまでわかったかもしれない。

 そして今一人は騎士の少女。

 一見して活発そうな娘としか見られない幼さがあるが、引き締まった身体つきと隠しきれない闘気の威風は、彼女が並みの戦士でないことを示している。


 そんな二人が訪れていたのは、永夜の王国ナイトキングダムの首都から四つほど街を渡って辿り着く運河の都カナリス。首都近郊の港からはカナリスへ直行する旅客船も出ている。主に物資の輸送と観光を生業として栄える都市である。

 二人は今、単純に仕事抜きの休暇、実のところ普通の観光客として街を訪れていた。

 ただ、二人ともやたらと目立つ外見であるために、周囲の観光客や街の住人からやや浮いた存在として見られているようではあった。もっとも本人達は全く気にすることもなく、気ままに休暇を満喫しているのだが。


「でもさぁクレス? どうしてまた急にこの街……カナリスに来ようと思ったの?」

 丸太家屋の一般食堂で、昼食に頼んだ魚、貝、エビ、イカと盛り沢山の海鮮料理に舌鼓を打ちながら、レリィは今更ながら唐突な旅の理由を尋ねてきた。

 前触れもなく旅行に出かけると伝えたときは、疑問すら抱くことなく舞い上がって喜び、ここまでの旅程を存分にはしゃいで過ごしていたのだが、ようやく落ち着いてきたところで旅行に出たきっかけが気になり始めたのだろう。


「あぁ……黒猫商会の顧客優待として、カナリス観光の招待券をもらってな。しばらく首都から離れて休みたいとも思っていたし、都合が良かったんだ」

 黒猫商会の支店長チキータは何も言っていなかったが、さりげなくこうした優遇をするのは気が利いている。

 首都にいると魔導技術連盟の本部と近いこともあって、休暇中でも仕事を頼まれる事が珍しくない。それを引き受けるのも、あるいは断るのも面倒で煩わしい。そんな思いもあって首都から離れたカナリスへと旅行に来たのだ。


「確かにね、ゆっくりするにはいい場所かも。散歩してあちこち見て回るだけでも飽きそうにない街だし……あ、あれあれ! あの人、なんだろう!? すごい派手な格好してる!」

 そう言ってレリィは川辺に立つ人影を指差して声を上げた。自分達も目立つ格好をしている自覚は彼女にはないのだろうか。そう思いながらレリィの指先を追ってみると、なるほど確かに派手な格好をした人物がそこには立っていた。

 それは一見して、秘境の部族か大道芸人かと思わせる姿の人物だった。

 全身に生えた黒い羽毛の上に色取り取りの飾り羽を付けた烏人からすびと。腕には指先でかき鳴らすことのできる弦楽器を抱えて、嘴を空に向け歌うように詩を吟じている。


「遥か最果て、伝承の地へ~♪ 命知らずな百余名、いずれも人並みならぬつわものよ~♪ 目指し進むは底なき洞窟、人外魔境の深き地へ~♪」

 どうやら吟遊詩人のようである。彼らが詩を吟じる姿は、観光地であるカナリスでは街中でよく見かける光景だ。

 それだけならば街の風景の一つとして気にも留めなかったのだが、彼が歌う詩の内容に思わず意識を惹き付けられた。


「深き地の底、地獄の参道、進む先には黄金郷~♪ おとぎの話にうたわれし、宝石の丘へ夢をかけ~♪」


 ――休暇に訪れた地で、まさか吟遊詩人の歌としてその名を聞くことになろうとは。

 かつて御伽噺おとぎばなしと語られた秘境、宝石の丘ジュエルズヒルズは実在した。

 大勢の同行者を募って彼の地、宝石の丘を目指し、他でもない自分がその地の存在を実証してみせたのだから。


「旅の導き、先駆けは~♪ 貴き石の精霊従えし、高名なりし錬金術士~♪ その名はいまや知れ渡る、宝石王のクレストフ~♪」

 宝石の丘へ旅立った錬金術士クレストフとその同行者の名簿は公開されている。

 彼らはクレストフを除き、誰一人として旅から戻ることはなかったが、彼らには名誉が与えられ、その縁者には多額の見舞金が贈られた。もっとも、多額といっても宝石の丘で儲けた総資産からすれば微々たるものだ。


 本当は見舞金など支払う予定もなかったのだが、自称縁者があまりに多く沸いて出て鬱陶しかったので、一度だけ機会を設けて身元がはっきりした関係者にだけ金一封を贈ったのだ。

 期間限定の対応で、それ以降は応じないと明言することにより、以降の面倒を全て断ち切ったわけである。処理は全て代理人に丸投げしてしまったが、後で渡された報告書を見た限りでも、相当数の縁者への見舞金が出されていたのだけは覚えている。

 俺自身は一人一人の素性など細かく確認する気もなかったのだが、代理人は優秀だったらしく、それなりに調べ上げた上で公正な判断が行われたようだ。


 旅の詳細こそ伏せられてはいるが、道中で脱落した数少ない生存者から僅かばかりの話を聞いた者もいるのだろう。想像が多分に混じりつつも、それなりに面白おかしく、秘境を目指した者達の悲劇的な旅路は多くの吟遊詩人によって歌われるようになっていた。

 詩歌は続き、旅の同行者を歌い上げる場面へと進んだ。



 ――後に続くは、夢追う者達。人並みならぬつわものども


 宝石王の親しき友、精霊術士ダミアン

 宝石王の学問の師、アカデメイア教授テルミト

 宝石王の秘蔵っ子、魔眼の少女ビーチェ


 剣神教会が一剣ひとつるぎ、剣聖アズー

 旧き時代の生き証人、傀儡の魔女ミラ


 若き乙女の白い騎士、群青闘気の騎士セイリス

 熱を自在に操りし艶やかなる魔女、氷炎術士メルヴィオーサ

 慈愛深き癒しの聖女、医療術士ミレイア

 成り行き任せの女戦士、冒険者イリーナ

 薄幸の娘、猟師エシュリー


 国選騎士団が筆頭、琥珀闘気の騎士隊長ベルガル

 霊剣泗水を携えし、傭兵隊長タバル

 魔導都市ハミルより来たる、学級長レーニャ引率の魔導兵団

 魔獣討伐を生業とする、荒くれ戦士のコンゴ魔獣討伐隊


 武闘術士団がまとめ役、燃える拳の拳闘術士エリザ

 霊剣と妖剣の担い手達、団長ファルナ率いる剣闘士団

 呪術結社赤札の巫女、アメノイバラノヒメ

 吼え猛る獣爪兵団が長、狼人のグレミー


 仲良きナブラ兄妹、騎士グゥと術士ルゥ

 相思相愛の二人組、騎士マルクスと術士ユリア

 黒猫商会の商隊長、猫人チキータ率いる商売命の烏人

 聖地を探し世界を巡る、聖霊教会が巡礼者、黒き聖帽の四姉妹


 集いし手練れの者達は、地獄の参道ひた走る。伝説のの地、宝石の丘を目指してひた走る――



 朗々と歌い上げられる宝石の丘への挑戦者達。名前だけは公表されていたが、彼らの素性まで正確に詩として詠まれているのは驚いた。よく調べている。

 そして、具体的な表現が含まれるがゆえに、一人一人の名前を聞くたび苦い思い出が鮮明によみがえってきた。

 思わず胸元にぶら下げた首飾りへと手をかける。半透明の棒状結晶で、お世辞にも綺麗な装飾品とは言えなかったが、握り締めていると次第に心が落ち着いてくる。


「ねぇ、今さ、クレストフって言わなかった? それに宝石の丘って、クレスが以前に冒険で目指した場所じゃなかったっけ?」

 レリィは詩歌の内容が良く理解できなかったのか、唐突に聞き覚えのある単語が耳に入ってきたことで混乱したように小首を傾げた。

「場所を変えよう」

 詩人の歌を聞いて不快な気分になってしまった。

 昼食の海鮮料理を半分以上残して立ち上がる。有無を言わさず席を立ちあがると、驚いたレリィは慌てて皿の上の海鮮パスタを口にかきこむと遅れて席を立つ。レリィがもたもたしている間に昼食代の支払いを済ませると、足早にウッドデッキを下りてその場を歩き去る。


「失礼、旅の人。わたくしの語りはお気に召しませんでしたか?」

 立ち去ろうとした背に、吟遊詩人の烏人から声がかけられる。その声に反応したレリィが立ち止まってしまった為、無視して行くこともできずに、軽く舌打ちをしながら振り返る。

 ひとまず会話の意思がこちらにあると勝手に判断したのか、派手な飾り羽を身に付けた烏人は大仰に腰を折り、優雅な礼を披露してみせる。


「わたくし、各地の伝承を詩にして諸国を放浪しながら歌い広めております。かたのリラートと申します。一期一会の旅の縁、つまらぬわたくしめの歌、よろしければ御感想など頂けると今後の作詩の参考になるのですが、いかがでしょう?」

 語り部のリラートと名乗る烏人。

 真っ黒な羽毛に挟み込むように色彩豊かな付け羽を飾りつけた姿は、烏というよりもさながら孔雀のようであった。


「別にあんたの歌が悪いわけじゃない。俺の気分が悪いだけだ」

 我ながら身勝手な、意味不明の理由だ。

 黒い眼をぱちぱちと開け閉めして、首を傾げる烏人のリラート。その仕草が、かつて見た烏人の動きに重なって見えて思わず鼻筋に皺が寄る。


「ちょぉっと、クレス! なんなのその態度! いきなり席を立って、食事だってまだ途中だったのに!」

 語り部のリラートに対する態度を見かねて、というよりは昼食を中断されたことにレリィは腹を立てた様子で、腰に両手を当てて怒りの態度をあらわにした。表情の読みにくい烏人と比較して、対照的にわかりやすいレリィの感情表現はなんとなく心を落ち着かせてくれる。

「魚介類は生臭くて口に合わない。カナリスの名物料理は他にいくらでもあるんだ。一つところで満腹になってしまうと、次の店での楽しみがなくなるぞ」

「え? この後も食事処を回るの? そ、そう! 大丈夫だよ! まだまだお腹五分目ってところだからね!」


 少しばかり余裕を取り戻せたことで、口から冗談まじりの言葉が飛び出す。レリィも単純なもので、この後も空腹を満たす機会があるとわかればすぐに機嫌が良くなった。

 そんな二人のやり取りを見ていた語り部のリラートが、喉の奥で「クカカッ!」と笑い声を響かせる。


「若いお二人の逢瀬を邪魔してしまいましたか。恋歌も歌う詩人としては、まだまだ配慮が足りませんでした。ご容赦を。そして、楽しい旅を――」

 逢瀬の言葉にレリィが顔を赤らめてうつむく。別段、隠れて逢引きをしているつもりなどないのだが。そもそもレリィとは騎士と術士の相棒という関係で、男女の恋人関係とは全く異なる付き合いだ。

 ただ、旅先の他人にあえて説明することでもないだろう。ここらがいい去り時でもある。

「行くぞ、レリィ」

「うん……」

 どういうわけか奇妙なほど素直に後ろをついてくるレリィ。そんな態度を取っていると本当に逢引きでもしていたように見られる気がする。


 ここ運河の都市カナリスは、若い男女が駆け落ちする名所としてよく知られていた。その恋が成就するか、悲恋で終わるか、吟遊詩人の歌の種もまた尽きることがない。

 語り部のリラートもまた恋歌の幾らかは持ち歌としてあるのだろう。そんな歌の一節として詠み上げられる前に、レリィの手を引いて早足で歩き去る。

 リラートは元いた場所から一歩も動くことはなく、再び弦楽器をかき鳴らして宝石の丘ジュエルズヒルズの冒険譚を歌い始める。




 その場を去った自分には知る由もなかったが、語り部の物語は続いていた。

 宝石の丘の大冒険、その裏話。

 誰も知らないはずの凄惨なる物語――。

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