第199話 面倒な予感

 ――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第三節』――


 行くは地獄の参道、焦熱地獄

 山を流れし溶岩は、青紫の光を放ち、地を這う紫炎が波を為す

 風に煽られ火の粉は舞い散り、逆巻き渦巻き燃え上がる

 嵐が訪れ火柱上がる。炎の舌が襲い来てハミル魔導兵のサーヤが死んだ

 目には見えぬが猛毒空気、巻かれたミーシャも倒れて死んだ

 拠点作りて涼を取り、次なる地獄に備えて眠る

 永久とわに眠るはハミルの兵士幾人か

 死者に鎮魂捧げるは、黒き聖帽の四姉妹


──────────


 店内は人で込み入って、喧騒は外の大通りよりもよほどうるさいくらいだった。

 朝と言うにはやや遅く、昼と言うには早い時間帯。昨晩、メルヴィという謎の少女との遭遇でどうにも寝付けなかったこともあり、レリィに揺り起こされるまですっかり眠りこけてしまっていた。

 早速、腹を空かせたレリィに町へと引っ張り出され、彼女が目をつけておいたという飯屋に来たところだ。正直なところあまり食欲はなかったのだが、店内の席に着いてみれば香ばしい匂いが漂ってきて自然と空腹感が刺激される。

 食事時とは言えない中途半端な時間にも関わらず店は盛況だ。よく見たところ運河の船乗りが食事に来ているのか、客層は荒くれ者の多い雰囲気である。こいつらは今の時間、仕事をしなくていいのだろうか。それとも働く時間帯が飯時とずれているのか。

「んっふふふ~! ここはね、観光案内の本でも取り上げられていた有名店なんだ。朝に覗いたときは満席だったけど、今の時間が一番空いているみたいだね!」

「空いていてこの混雑か……。あまり騒々しい場所は好きじゃないんだがな」

 店の端の方では大柄な獣人達が朝っぱらから酒を飲んで騒いでいる。こんな場所を観光案内の本に載せるというのはどうかと思うのだが。実際、入り口から店内を覗いては去っていく観光客らしき姿が散見される。この騒がしさに二の足を踏まない豪胆な人間だけが、店の敷居をまたげるということだ。ちなみに俺は躊躇したのだが、レリィによって強引に店内に引っ張り込まれていた。

「まあまあ、そう言わないでよ。料理の味は期待できるはずだから、たまにはこういう騒がしい場所での食事もいいじゃない。あたしは好きだな、こういう雰囲気のお店。あ、店員さーん! 注文、お願い!」


 レリィは騒がしい店内でも良く通る声で、店員を呼びつけると適当に注文を済ませてしまう。途中でこちらにも品書きを見せてきたが、面倒だったので注文は全てレリィに任せてしまった。代金は気にしなくていい、と言った途端にレリィは顔を輝かせ、さらに追加の注文を幾つもしていた。多すぎて店員が二度も聞きなおしたくらいだ。

「レリィ、お前また朝からそんなに食うのか? 俺はそこまで腹が減っているわけでもないぞ」

「え? そうなの? でも大丈夫でしょ。クレスが食べられなければ、あたしが食べるから」

 相当な数の料理を注文していたように見えたのだが、いざとなれば一人でも食べきるつもりらしい。

「少し気になっていたんだが、最近お前、食事の量が明らかに増えてないか?」

「あー……やっぱりそう思う? 自覚はあるんだけどね。なぜか知らないけどすごくお腹が空いて、食べないと力が出なくて目が回っちゃうんだ」

 レリィの食事量は明らかに増えていたが、そのわりに肉が付いたようには見えない。今もへこんだお腹をさすりながら、料理が出てくるのを今か今かと待っている。


「騎士として闘気の扱いに目覚めたことが原因かもな。普通の人間より、脂肪の燃焼効率が高くなっているんだろう。特に闘気を発した後は極端に体力を消耗するはずだ」

「ふーん、確かに言われるとそんな気がするかも。前はこんなにお腹が空くことはなかったもの」

 テーブルに運ばれてきた鶏のソテーを早速、口の中へと放り込みながらレリィが生返事を返す。

 とりあえず、いきなり肉にがっつくのは胃にきついので、運ばれてきたポテトサラダへ先に手を付ける。粉をふいた芋には適度に塩味が加えられていて、水気があって新鮮な野菜と一緒に食べれば、すんなり胃の中へと落ちていく。少し腹の調子が落ち着いてきたところで、オリーブオイルで炒めた鶏の切り身を口にする。単純な調理方法で作られた料理に違いなかったが、素材が新鮮な上に火加減と味付けが絶妙なのか、噛み締めるほど自然と唾液が溢れてくるように旨みが引き出されていた。

「確かに美味いな……ここの料理は。鶏の肉も新鮮だ。交易が豊かなだけあって、いい素材が入ってくるんだろうな」

「んんー! そうでしょ、そうでしょ! むぐむぐ、うん! 揚げた魚も美味しい! やっぱり運河の都だね」

 先ほどまで鶏肉を頬張っていたレリィは、今はパン粉の衣を付けて油で揚げた小魚を二、三匹ほど頭から尻尾までばりばりと骨ごと食べていた。呆れるほどに食事の勢いが全く衰えない。

 次々と運ばれてくる料理でテーブルの上はいっぱいになってしまうが、レリィの食欲を見るに完食するのは時間の問題と思われた。


「よぅ、お二人さん。随分と景気良く飲み食いしているなぁ?」

 隙間もないほどに料理の並べられたテーブルへ店にいた客の一人、大柄な虎の獣人がふらふらとした足取りで近づいてきた。顔色は毛に覆われてうかがいしれないが、獣のように荒い吐息には濃い酒気が混じっていた。

「羽振りの良さそうな格好して観光客か? あやかりたいねぇ」

 虎人は宝飾品に身を固めた俺の姿を見て、金持ちの観光客だとでも思ったらしい。あながち間違いではないのだが、身に着けている宝石は全て魔導回路が刻まれた代物だ。財力を示す装飾というよりは、いつでも実戦に対応できる機能性を保有した結果に過ぎない。


 酔った虎人は無遠慮にテーブルの上の料理に手を伸ばす。鶏の骨付き肉を摘み上げようとしたが、骨付き肉は虎人の指に触れる寸前で皿ごと移動してテーブルの端、レリィの手元へと確保されていた。

「あげないよ、それあたしのだから」

 そっけない態度で酔った虎人をあしらう。虎人は軽く舌打ちをすると顎をしゃくって睨んでくる。

「おう、兄ちゃんよぉ。お前の女、普段から飯食わせてやってんのか? まるで欠食児童かなにかみたいに飢えているじゃねぇか、えぇ?」

 皮肉のつもりなのだろう。だが、飢えているのはこの虎人の方だ。人様の皿に手を出そうとしたり、他人を威圧して貶めることで自身の欲を満たそうというのだから。あるいはそこから暴力に発展することを期待しての振る舞いなのか。だとしたら、血に飢えているのかもしれない。


(まあ、そういうことなら挑発に乗ってやってもいい。こちらも少しばかり苛ついていたからな)

 昨晩から引きずっていた不快な気分が、腹の奥より沸々と湧き上がってくる。

「浅ましいケダモノが、口を閉じろ。息が獣臭くて料理がまずくなる」

 八つ当たりに近い怒気をはらんで、罵詈雑言が口をついて出る。一瞬、何を言われたのか理解できなかったようで、虎人は首を傾げた。しかし、耳に入った言葉の一つ一つを理解するに至り、口の端が耳の近くまで裂けて凶悪な牙が剥き出しになる。茶色の体毛が針のように逆立ち、血走った目からは獣の殺意がほとばしった。


「言いやがったな、成金野郎が!! 高い位置から見下したその態度、どこででも通用すると思うなよ!! 今、この場では、俺様の爪と牙がてめえの命を握っているんだ!!」

 虎人の太い腕が大きな爪を立てて、俺の首筋に向け伸ばされる。

「ちょっと君達、食事中に喧嘩しないでよね!」

 横あいから割って入ったレリィが無造作に虎人の腕を掴むと、あっさり捻り上げてそのまま巨体を床へと押し付けた。

「があぁっ!? な、なんだくそ!?」

 虎人は立ち上がろうと必死にもがくが、レリィが腕の捻りを巧みに調整するとまるで子猫をあやすように、虎人の巨体がころころと床を転がった。


「クレスも言い過ぎ。あんな悪口をいきなり言われたら誰だって怒るでしょ」

「先に絡んできたのはそいつだ。俺の軽口をまともに受けて怒り狂うのも、そいつの忍耐が足りないんだろう」

「まぁたそんな子供みたいな理屈こねて……。クレスこそ我慢する気、欠片もなかったくせに」

「そういうレリィこそ、料理の一品すら譲る気なかったろうが」

「それはお金を出して頼んだ料理だもの。なんの断りもなしに人様の食事に手を付けるのは盗人のすることだよ」

「その食事も金を出しているのは俺なんだがな……」

 取り留めのない会話をする間も、レリィは片手で虎人を押さえつけながら、空いた片手で鶏の骨付き肉を口に運びかじっている。行儀の悪い娘だ。


「て、てめえら!! 舐めるのも大概にしやがれ!! 俺様をコケにしてただで済むと思うなよ!!」

 床に這いつくばったまま三流悪役のような台詞を発する虎人を見て、レリィが心底面倒くさいといった様子で深い溜息を吐く。レリィのような小娘に、完全に小物扱いされたことで虎人は更に表情を険しくして暴れようとする。だが、それをレリィが力づくで押さえつけ許さない。

「ねえ、君もさ。酔っているんだろうけど、他の人の迷惑も考えてくれる? あたしも片手が塞がったまま食事するのは不便なんだけど」

「この期に及んで食事だとぉ!? どこまで馬鹿にしやがるんだ!! ちくしょぉー!!」

 どちらかというと俺の悪口などよりも、よほどレリィの仕打ちの方がえげつないと思うのだが間違っているだろうか。とは言え、この酔った虎人を解放すれば店内で暴れようとするのは目に見えている。一発、当て身でも食らわせて気絶でもさせないとこの場は収まらないかもしれない。


「お強いお嬢さん、それくらいで許してはもらえないでしょうか。彼の身柄は私が預かりますので」

 いよいよ物騒な手段を考えに入れ始めたところで、周囲の野次馬の間から一人の男が進み出てきた。短い髪を後ろに撫で付けた美青年。軽銀の鎧に身を包み、立派な拵えの大剣を背負ったその姿はまさに騎士といった風貌。物腰は落ち着いていて、見た目より意外と年齢を重ねているのかもしれない。

 男の登場でそれまで暴れていた虎人が急に静かになる。男の態度と合わせてみれば、彼らはどうも知り合いのようだ。レリィはどうしたものか困惑していたが、俺が無言で一つ頷くと、ずっと捕まえていた虎人の腕を突き放すようにして離した。

 解放された虎人は勢いで数歩前へとよろめき、鎧姿の男の前へ面目なさそうに立ち上がった。先ほどまでの威勢はどこへやら、借りてきた猫のように大人しくなっていた。


「セ、セドリックの兄貴……」

「ティガ、君にはお使いを頼んでおいたはずだよ。その役目を放り出して酒場で飲んでいるのはどういう了見だい?」  

「い、いや、サボっていたわけじゃないんですぜ。昼飯のついでに少しばかり酒を頼んだだけで……」

 完全にサボりだ。昼休憩にしては早い時間帯だし、職務中に酒を飲んで酔っ払うとは言い訳もできない。

「ティガ」

 セドリックが低く抑えた声を発すると、虎人のティガは首をすくめて縮こまった。こうしてみると不思議に可愛げも出てくるのは獣人の特権だろうか。怒られているティガに、レリィも生温かい視線を向けていた。


「いいかい、君に与えた仕事をもう一度、確認するよ。僕らは今、戦える人材を集めている。この街でなるべく腕の立つ人間を探してくるように、と。それが君に与えられた仕事だ」

「わかってるよぉ! だ、だからこそ、ほらっ! こうして腕の立ちそうな奴に声をかけて、腕試しをしていたんだ!」

 そう言いながらティガは俺とレリィを指差して、どうにかセドリックの怒りをごまかそうとする。他人事と見ていたのだが面倒なことに巻き込まれそうな話の流れだ。馴れ馴れしく俺の肩を叩こうとしてくるティガの太い腕を軽く払い、舌打ちを返してやる。ティガが小声で、「……てめ、話、合わせろ……!」とか言ってくるが、こいつの事情など知ったことではない。

 だが、そんな怪しいやり取りでも納得できるものがあったのか、セドリックは真面目に考え込むしぐさを見せる。


「ふぅん……? なるほど、確かに見たところ彼は術士のようだし、そちらのお嬢さんもなかなか腕っぷしが強そうだ」

「そうだろ!? そっちの成金のガキはよくわからねえけど、こっちのイカした髪型の姉ちゃんはマジで強者に違いないぜ。腕力だけなら、しらふの俺と良い勝負だ!」

 俺の反応が悪かったからか、今度はレリィを引き込もうとするかのように、ばしばしと彼女の背中を叩いている。レリィは単純に褒められていると取ったのか、鼻の頭をかいて照れていた。単純馬鹿か、こんな下手な口車に乗せられてどうする。

「君達、もしよければ名前を教えてはくれないかな? しばらくこの街にいる予定であれば、頼みたい仕事もあるんだ」

 案の定、面倒臭そうな仕事の依頼が舞い込んでくる。脈のありそうな素振りを見せるからこうなるのだ。レリィには後できちんとしたしつけをしなくてはならないか。


「あいにくだが俺たちは休暇中で、この街には観光に来ているんだ。仕事を受けるつもりはない。……行くぞ」

 きっぱりと言い捨てて、俺は席を立った。レリィは慌てたように、俺とテーブルの上に残った料理を交互に見て、早足でその場を去ろうとしている俺の腕を引っ張る。

「ちょっと待ってよ! 行くって、食事まだ途中なんだけど……」

「この期に及んでまだ食うのか、お前は……?」

 状況も状況なのに、この場で食事を続けようとするレリィの神経には呆れ果てる。確かに食事の途中で邪魔されて、非のない俺達が席を立つのは気に食わないが、このままここで食事を続けようとすれば確実にセドリックの話とやらを聞かされることになる。それならば場所を変えて食事をし直した方が良いというものだ。


「いいから行くぞ」

「あ~、まだ鶏の手羽先と白身魚のムニエルを食べてないのにー……」

 格好良く立ち去ろうとしたのにこの腹ペコ娘のせいで台無しだ。後ろ髪を引かれるように料理を目で追い続けるレリィを引きずりながら、俺は支払いを済ませて店の出口へと出る。

「ま、待てよ! お前ら! セドリックの兄貴が名前を聞いているんだぞ、断るにしても名乗って行きやがれ!」

 立ち去ろうとする俺たちに向けてティガが吠える。

 馬鹿馬鹿しい。どうして関わりを持つ気もない相手に名乗らねばならないのか。しかし、無視して行こうとしたところで、レリィがこれまた馬鹿正直に応じてしまった。

「あたしはレリィ・フスカだよ。で、こっちが……」

 俺の名前まで勝手に教えようとするレリィを軽く小突いて口を塞ぐ。


「もがぁっ!? 痛ひぃ!? なんで? なんで叩くの、クレス!?」

 結局、俺の手を口から外して、こちらの名前までその場で呼んでしまう。こいつはここまで頭の悪い娘だったろうか? いや、違う。単に名前を名乗ることに抵抗がないだけなのだろう。そして、厄介事に巻き込まれる経験が浅いゆえに、迂闊な行動を取るに違いない。やはり、俺の専属騎士としての再教育が必須なようだ。


 休暇を返上してでもレリィの再教育を優先すべきか本気で悩みながら、俺はレリィを力づくで引きずりながらその場を後にするのだった。

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