第192話 救済の光

 二人は灰となった超越種を前に無言で立ち尽くしていた。


 物力召喚の維持を解かれた宝玉の大蛇グローツラングは、全身を淡い輝きに包まれ、ゆっくりと光の粒になり霧散していく。物力召喚によって一時的に呼び出されていたものが、元の場所へと還っていくのだ。


 白き一角モノケロースが滅び、灰を積もらせた祭壇は物悲しい遺跡の雰囲気だけを残していた。

 まるで遠い昔から、そこには何もなかったかのように。


「神様、として崇められていたんだよね、さっきの獣。倒してよかったのかな?」

「本来なら、遠い昔に滅びているはずの存在だ。滅ぼさずに捕獲できたとも思えない。これでいいんだ」

「……うん、一人ぼっちでこんな所に居ても、幸せとは言えないものね」

「最果ての地で独り、か……」


 何があの生き物にとって幸せだったのか、それは全く想像もつかないことだ。そもそも幸福を求めていたかさえ定かではない。暴れ狂ってなお、古い住処を離れなかったのは郷愁があったのだろうか。考えても答えは出そうにない。

「時間があまりない。先へ進もう」

 自分は進む。より明確な幸福を求めて。この先に答えがあると信じて。




 ほどなくして、遺跡の中心部と思われる地点へと辿りついた。

 遺跡の最深部には古い壁画と古代の文字で書かれた碑文が遺されていた。円形の空洞、その壁を一周するように壁画と碑文が配置されている。そして、中心にひときわ大きな壁画と碑文が据えられていた。壁画には一角獣ユニコーンと思われる獣と寄り添う人間の少女らしき姿も描かれていた。


「この壁画……昔ここにあった国の歴史か。文字はどうにか読めそうだな」

「解読できるの?」

「ああ。この文字は見たことがある。しかし、解読書は必要だな……呼び寄せるか」


 物力召喚用の魔導回路が組み込まれた小粒の結晶を取り出し、結晶を軽く握り締めて意思を込める。

(――世界座標『結晶工房・無限書庫』に指定完了――)

『――彼方かなたより此方こなたへ――。古代ジェルマニア文字、解読書よ、来たれ』

 術式が発動した瞬間、小粒の結晶が光り輝き、手元に一冊の本が出現する。


「おお~! 今の何!? すごい! 格好いいんだけど!」

「……召喚術。いまさら驚くのか、先の戦闘でも使っていたぞ? 術士にとっては基礎中の基礎なんだが……」

 物体や力場りきばを遠方から呼び寄せる物力召喚によって、邸宅の書庫にある本を一冊召喚したのだ。呼び寄せる目標物に対して、世界座標の指定さえできていれば初級の術士でも行使が可能な術式だ。

 術の効果がわかりやすく、実用的な面から見てもレリィにとっては感動に値するものだったのだろう。特に、本というわかりやすい物を呼び寄せる行為が。


「さて、大変なのはここからだ。まず、どこから解読を始めるか……」

 ざっと壁画と碑文を眺めてみると、どうやら壁画に描かれた内容を、すぐ下の碑文が説明しているらしい。

 書き出しはどれなのかわからない。ただ、中央の大きな壁画と碑文が重要だろうと踏んで、まずそこから解読を始めることにした。


「一番、大きいやつから解読するんだね。何が書いてあるの?」

「急かすな、今から訳していく……」

 碑文は所々かすれている部分もあったが、意味を拾える程度には読み取ることができた。


「……最後にして最大の儀式……我らが神に幸あれ……」

 書き出しはそこから始まった。


「……百四十四年に一度訪れる……時を隔て、天空にとぐろ巻く虹大蛇にじおろち、その国土に『救済の光』を齎す……」

「虹大蛇……? それに救済の光……って、幸の光じゃないの?」

 碑文には確かに救済の光とある。暗にそれが幸の光を指し示している可能性もあるし、全く別物ということもありえる。


「……昼と夜の釣り合う季節……月が闇に消えた晩、その明くる日に……太陽が天辺に昇る時……雲は晴れて光が降臨する……」

「昼と夜が釣り合う季節って? 月が闇に消える? 太陽が天辺に来るのは正午だよね? 正午に虹大蛇だか、救済の光だとかが見られるの?」

「昼と夜の時間が同じ長さの季節なら、この地域であればちょうど今の時期に当たる。そして月が消える……新月の晩のことだな。昨日は……どうだったかな? なんにせよ新月のその次の日に、救済の光が降臨する……ということか」


 はっきりとは言い切れないことばかりである。

 もう少し読み進める必要がありそうだ。


「……愚者に与える土地はなく……愛すべき民には天の国への架け橋を用意する……。なんだか急に抽象的な表現になったな……」

「どういう意味? 全然わからないんだけど……」

「……我らが愛しき一本角の神に捧げしこの大地に、未来永劫の安寧と平和を……」

 一本角の神。これはおそらく先ほどの白き一角のことであろう。古代において、各地の国々は一柱の神を王に据えていたとされる。それも今になっては、滅びた国の遺跡で暴れ狂う獣に成り下がっていたわけだが。


(……しかし、国が滅びたのに神だけが存在し続けたのは何故だ? 過去、この国に何が起きたのか、救済の光と関係があるのか……もっと碑文を正確に読み取らねば……)

「ねえってば、無視しないでよ。何て書いてあるの!」

「ああくそ、うるさい! 静かにしていろ! 集中できないだろう!」

 碑文の意味不明さに苛立ち、横から口を挟むレリィをつい怒鳴りつけてしまった。


 レリィは邪険にされて腹を立てたのか、鼻息を荒くして「勝手にすればいい!」と、いつになく口汚い言葉でこちらを罵ってから、地下通路を後戻りして馬車の方に帰っていく。

(……ここまでの安全は確認できているし、別にレリィが護衛に当たる必要もないか……)

 むしろ、隣であれこれ口を出されるより、一人で解読に集中した方が調査も捗るだろう。

 そう考えて、敢えてレリィを止めることはしなかった。




 数時間かけて、碑文の解読は終わった。

 中央の碑文だけでは要約されていてわかりにくかったが、周囲の壁画と碑文を詳しく解読すれば、記された歴史が克明に浮かび上がってくる。


 ――その救いのない歴史が。


「なんてことだ……馬鹿げている。『救済の光』だと? こいつは幸の光どころか――」

 そういえばもう正午が近い。昨日は新月の晩だったろうか? 重要なことだ。早急に確認しなくてはならない。


(――世界座標『結晶工房・無限書庫』に指定完了――)

『――彼方より此方へ――。月相げっそうへん、予言書よ、来たれ』


 もし今日がその日だとするならば注意が必要だ。馬車にいるレリィにも知らせなくてはならない。地下の中心部にいれば安全だろうが、洞窟の入り口付近は危険かもしれない。

「やはり今日が……」

 呼び寄せた、月の満ち欠けを記す書には、奇しくも昨晩が新月の夜であったと示されている。




 地下通路を足早に馬車へと戻り、レリィに声をかける。

「レリィ! 急いで馬車を奥に移動させろ。ここは危険かもしれない!」

 応えたのは馬の嘶き。

 レリィの姿は、馬車の近くには見当たらなかった。

「レリィ……どこにいる?」


 『天の慧眼』で辺りを見回すが近くにレリィの姿はなかった。考えたくはない最悪の可能性が脳裏をよぎる。視線をゆっくりと地上へ向けると、砂漠の中心地に立って空を見上げるレリィの姿が視えた。

 心臓が警鐘を鳴らし、悪寒が全身を駆け巡る。

 碑文にはこうある。


『……愚者に与える土地はなく、愛すべき民には天の国への架け橋を用意する。我らが愛しき一本角の神に捧げしこの大地に、未来永劫の安寧と平和を齎す為に、百四十四年に一度、時を隔てて訪れる。天空にとぐろ巻く虹大蛇、その国土に救済の光を齎す。天より下る救済の光は我らと共に、愚者を飲み込み焼き滅ぼすだろう。最後にして最大の儀式。我らが神に幸あれ――』


 昔あった大きな戦争。

 滅びかけた国が、彼らの崇める神を護り抜く最後の手段として、敵軍もろとも自らの国土を未来永劫焼き尽くすという呪詛を掛けた。

 その歴史は、地下の巨大空間に大きな蛇を描いた壁画と古代文字で綴られた石碑の形で刻まれていた。とぐろを巻いた虹色の大蛇が、空から首を真っ直ぐに下ろして、人々を飲み込もうとしていた。その壁画の意味するものは――。


 時刻が正午になって空の天辺に太陽が昇るとき、天からの光に大地は焼き尽くされる。


 ――即ち、レリィは死ぬ。

 そう考えた瞬間、底抜けの絶望感に襲われて膝が震えた。

(……こんなことで、失うというのか……!!)

 考えるよりも早く、全力で走り出していた。



 地上へ出ると異変の兆候は既に現れ始めていた。

「レリィ!! 今すぐに地下へ! 退避しろーっ!!」

 砂漠の中心にいるレリィに退避するよう呼びかけるが、距離が遠くて声が届かない。

 レリィは今もぼんやりと空を見上げている。


「あれが虹大蛇か……?」

 天空に、円環を成した大きな虹が出現していた。二重、三重……よく見れば四重に輪をかけて光り輝いていた。四つの輪は光の強度を強めながら、ゆっくりと中心に向かって収束しているようだった。

 輪の数はまだ増える。

 レリィはその光景に目を奪われてしまったようで、空を見上げたまま突っ立っている。


 確かに見惚れてしまうほどに美しい光景。だが、まともな自然現象ではない。紛れもなく、人為的な意図によって引き起こされている現象だ。レリィの元へと駆け寄りながら、必死に目を凝らして呪詛の正体を探る。

(……この不自然な現象を引き起こしている原因は何だ……?)

 空に輝く光の輪、その周辺のかなり広い空間で時折、空気の揺らぎが見える。

「空に……蜃気楼……? あんな高い場所で、視界を歪めるほどの屈折現象が起きているのか……? だとすると、救済の光というのは――」


 救済の光の実体。

 雲を消し去り、空気と異なる屈折率の気体をレンズ状に形成する現象。

 上空で完成した気体レンズによって、強力な太陽の収束光が天空より降り注ぎ、直下の大地を広範囲に焼き尽くす。百四十四年周期で発動する大掛かりな呪詛。

「精霊現象を組み込んだ、経時発動型の儀式呪法……それも、これほどの規模とは……」

 地平線の先にまで広がる巨大な気体レンズ。それこそがこの儀式呪法の規模を物語っていた。


「クレス――!!」

 駆け寄ってくる姿に気がついたのか、それともこの異変に危険な兆候を感じ取ったのか、レリィが砂漠の中心点からこちらに向かって走ってくる。

 太陽が空の頂上に登り切ろうという時、虹の円環は七つになり、より一層の輝きを放つ。

(……虹大蛇が呪詛発動の前兆現象なら、救済の光が降り注ぐまで、もう時間はない――)


 遥か上空で完成する儀式呪法。今から阻止を試みるのは無駄と悟った。地下に潜る以外に逃れる術はないが、近くに都合のよい地下への入り口は見当たらず、もはやそれも間に合わない。

(……ならば、出し惜しみなしで足掻いてみるまで……!)


 魔導因子を貯蔵した六つの虹色水晶で六角形の陣を作る。その中心に物力召喚用の魔導回路を刻まれた紫水晶アメシストの群晶を配置した。

 術式を封じる媒体は、合成物質から生物の身体まで様々だが、とりわけ宝石のような結晶体を基板とした魔導回路は、それ自体に大量の魔導因子を貯蔵できる特徴を持つ。


 本来、魔導因子は人の脳内で生成される希少物質である為、大規模な術式を発動させるには、大人数を要する『儀式』が必要となるが、あらかじめ魔導因子を貯蔵しておけば単独でも儀式呪法の発動ができる。

 特に、今回は虹色水晶の陣によって術式の補助を行っている。

(……強力な儀式呪法に対抗できるのは、より強力な儀式呪法に他ならない……)


「レリィ! こっちへ来い! 陣の中へ!」

「ね、何が起こってるの!? どうするの!」

 混乱しながらも律儀に陣の中へと入るレリィ。説明をしている時間はなかった。


(――世界座標、『宝石の丘ジュエルズヒルズ』に指定完了――)

 第一級の結晶術士として、クレストフ・フォン・ベルヌウェレが認められている理由。

 それこそが、世界の果てにあると言われる『宝石の丘』の『大晶洞』を丸ごと借りてくる大規模な物力召喚を可能にするわざ

『――彼方より此方へ――。来たれ……紺碧こんぺきの大晶洞!』

 大量の光の粒が発生し、瞬く間に陣を包み込む。


「――わぁ……!」

 レリィの口から感嘆の声が漏れる。

 光の粒が弾けて消えた後には、巨大な水晶の壁が出現し陣を囲った。さらに水晶は縦横に伸びて梁と天井を形成し、無数の水晶からできた洞窟を創り出す。

 結晶はやや黒味を帯びた深い青。分厚い結晶体が重なり合い、さながら光の届かぬ深海のよう。大晶洞に囲われて辺りが一時的に暗くなる。


 だがその数瞬後に、耳をつんざく轟音と眩い閃光が大晶洞を貫く。晶洞内が瞬時に透き通った青い光で満たされる。

「――この光が! 救済の光……!」

 全てを焼き尽くさんとする強烈な光線は、しかし無秩序に重なり合った巨大な水晶の柱に散乱され、その光と熱を在らぬ方向へと逃がした。


「綺麗……」

 幻想的な光の芸術と化した晶洞内でレリィは光り輝く天井を呆然と眺めながら、まるで緊張感のない一言を呟いていた。

「……確かに美しい……。だが、これよりずっと……宝石の丘は美しい場所だった……」

 陣の中心で大晶洞を維持しながら、かつて一度だけ足を踏み入れたことのある秘境に想いを馳せる。


(……あそこは、本当に美しい土地だった……)


「……赤い碧玉ジャスパーの岩肌を流れる川、石英クォーツの小石が沈んだ泉……。緑柱石の樹海には銀の蔓が這い、所々に薔薇輝石ロードナイトの花が咲いていた……」

「……君は、そこに行ったことがあるんだ?」

「ある。樹海を抜けた先には紫水晶の晶洞があって、奥へ進むと五色の光……黄、緑、青、紫、そして褐色に煌く正八面体の蛍石フローライトが、そこにひっそりと群生していたんだ……」


 ――ぴしり、と。小気味よい音が大晶洞に響く。


「……あの光景は今も鮮明に思い描くことができる……」

 額から、一滴の汗が伝って落ちた。

「クレス……? 大丈夫? 汗がいっぱい流れてる。顔色も悪いよ」

「……この大晶洞を呼び出すと、あの時の感動が蘇る……。……これ以上に価値あるものはこの世にないと、本気でそう思えたくらいだ……」

 レリィは体調を気づかってくれたが、それに応えるだけの余裕はなかった。それよりも宝石の丘の情景を崩さずに、大晶洞を維持することで精一杯だった。


 物力召喚で一時的に借りてきているだけのものをそのまま保つのは、さながら喉の半ばまで水を溜め、飲まず吐かずの状態を維持するに等しい。

 かと言って、借り物を完全にこちらへ持ってくるとなれば、それに見合う莫大な代償を何らかの形で払わなければならない。ここまで大きな物体を持ってくるには、陣の形成に使用した虹色水晶の十倍を超える量の魔導因子が必要になるだろう。


(……救済の光。この光があとどれだけの時間降り注ぐのか……)

 先が見えないことで、次第に精神が消耗していく。

 ――ぴしり、と。陣を支えていた水晶に、一つ、また一つと罅が入り始める。

「限界が近いな……」


 大晶洞が、段々と光に溶けて消えていく。実際には魔導因子の媒介力が薄れて、元ある場所へと還っていく途中なのだろうが、大晶洞が消えた部分から光が洩れて、溶けて消えたように見えるのだろう。


 全力を出し切って、もう抗う力は残されていなかった。


(……後悔などしない、そう思っていたが……)


 崩れ去る大晶洞の下で何を後悔したのか、明確に自覚はしていなかった。

 ただ、薄れゆく意識の淵で脳裏を過ぎったのは、あのいけ好かない女が幾度となく自分へ発していた、忠告の言葉だった。

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