第191話 白き一角

 どうしてここに、いつからここに、という疑問は超越種に関しては意味がない。

 理由があってそこに居るものもあるだろうが、基本的に単独個体にして揺るぎない存在である彼らにとって、生息圏という括りはないのだ。どこにいてもおかしくはない、どこででも生きていける。


 とは言っても、彼らが望んで気に入った場所に留まることは多々あることだ。それも数百年から千年単位で動かないことさえあるという。

 だとすれば、超越種の縄張りに踏み込んだのはこちらの方ということになる。そして白き一角モノケロースは己が支配する領域に踏み込んだ侵入者に対して、明確な敵意を持って排除しようと既に動き出している。


 進むなら戦いは避けられない。

 だが、『超越種に出会っても決して近づいてはいけない。必ず帰還し、応援を要請すること』、それが超越種と遭遇した時の行動原則とされている。


(……言われなくとも、まともに戦おうなどと思うまいよ……!)


 生物の限界を超えた強靭な肉体と、己以外の存在を駆逐することに特化した攻撃器官。たった一体の超越種に二つ三つの国が滅ぼされることさえある。

 超越種がまだ神々として崇められていた頃、人類に代わり国々を治めていた歴史がある。だとすればその力の大きさも理解できよう。並の人間では千人束になっても敵わない。

 一級術士であっても、正面から挑むのは自殺行為だ。


「クレス! 生きてる!?」

 通路を駆け戻ってきたレリィがこちらの安否を確認する。白き一角は通路の先にある部屋から動いてはいない。態勢を立て直すなら今だ。


(――壁となれ――!)

『白の群晶!』

 透明な水晶の塊が通路を目一杯に塞ぐ。

 これで少しは時間を稼げるだろう。


「すぐにここから離れるぞ! とにかく距離を取る!」

「うん、わかった……。でも傷の手当ては?」

「後だ!」

 傷口から血が滴るのも無視して通路を走り抜ける。早く傷を塞ぐ必要はあったが、それ以上に敵から距離を取る方が重要だった。


 注意深く水晶の壁の向こうへ警戒を続けながら走っていたが、白き一角は一向に動きを見せる気配はない。

(……こちらから攻撃を仕掛けなければ動かないか? ならば一度、傷の手当てを……)

 隣を並走していたレリィが何か気配を感じたのか、不意に振り返り表情を強張らせる。

「避けて! 何か来る!」


 一瞬だけ気を緩めた途端、分厚い水晶の壁を貫いて長大な角が飛び出してくる。角は正確にこちらの心臓目掛けて伸びてきた。

(……俺の姿を捉えている!? いや、それよりも……!)

「伸びてくるのか!? ここまでの距離を!」

 体を仰け反らせて、間一髪で角の刺突をかわす。角が纏う放電の火花まで計算に入れて、大きく避ける必要があった。体へひどく負担が掛かり、脇腹の傷が激しく痛み出す。


 目標を失い、宙を貫いた角は何かを迷うようにふらふらと揺れながら、青白い火花を広範囲に散らし始めた。

(……俺のことを探しているのか……視えてはいない?)

 ばんっ、と空気を裂いて太い雷が走り、通路の壁を焦がす。立て続けに辺り一帯へ青い雷の腕が伸び、手当たり次第に床や天井を打ち据えて、派手に火花を撒き散らす。


(……広範囲への無差別攻撃に切り替えるとは。どこまでも手に負えない奴だ……!)


 巻き込まれる前に、まずは身の安全を確保しなければならない。痛む脇腹を左手で押さえながら、右手に握った黄玉トパーズに意識を集中する。

(――壁となれ――)

『硬質群晶!』

 床に叩き付けた黄玉トパーズが褐色の光を放ちながら、通路を黄褐色の結晶で覆い尽くす。白き一角の雷は結晶に阻まれて届かなくなる。水晶よりも固い結晶の壁だ。さすがに超越種の角でも一撃で貫通してくることはないはず。


「ねえ、クレス。早く……早く血を止めないと……」

 泣きそうな表情で訴えるレリィに「心配するな」と、小さな声と苦笑いで返す。

 走り回ったことで脇腹の傷口からは大量に出血していた。止血の術式を発動させなければ、これ以上は動けない。痛みに耐えかね堪らず膝をつきながら、震える手で懐を探り、血星石ブラッドストンを手元に取り出す。

 濃緑色の石を基礎に、べったりと血に塗れたような模様を持つ玉髄の一種である。


(――置き換えろ――)

『血漿硬化!』

 鈍い赤色の光を帯びた血星石ブラッドストンを傷口に押し当てると、真っ赤な硬質の結晶が成長して瞬時に傷口を塞ぎ、出血を完全に止める。


「血が止まった……。もう大丈夫なの?」

「とりあえず、な。失った血は元に戻せないし、致命傷だったら治すこともできないが、この程度の傷なら固めて塞いでおけば問題ない」

 問題は、今にも結晶の壁を突き崩さんとしている白き一角。

 どこまで逃げても後ろから突き殺されて終わりだ。

 無事に帰還して応援を要請、などと模範的な行動ができるなら苦労はない。白き一角に敵として認識されてしまった以上は、対策を考えて奴を退ける他に生き残る道はないのだ。


 本体の姿は結晶の影に隠れて見えない。向こうはこちらの正確な所在など関係なく、角と雷を使って攻撃を仕掛けてきている。

(――ならばその角、圧し折るまで!)

 攻撃の基点となっている角を折れば、少なくとも一方的な展開は覆せる。ここは特大の術式を一気に仕掛けるべきだろう。


「レリィ、奴が結晶の壁を突き崩してきたら、全力で本体目がけて突っ込め」

「了解――な、わけないでしょ!? 死んじゃうよ!」

「角は俺が封じておく。失敗したらどの道、二人揃って死ぬだけだ。役回りも公平だろ」

「……やってみる。納得したわけでもないんだけどね」


 髪留めを解きながらレリィは突進の構えを見せる。

 八つの内、四つの髪留めが外されて、充実した闘気がレリィの身体に満ちていく。髪留めを全て外した方が闘気の量は増えるらしいが、制御も困難になるとレリィは言っていた。つまり、今の状態がぎりぎり制御できる全力ということだろう。


(……まもなく結晶の防壁も突破される。俺も術式の準備をするか……)

 口に手を突っ込み、奥歯を掴んで軽く捻ると金属的な着脱音が鳴り、無色透明の宝石が転がり出てくる。

「こいつを使う事態になるとは思いもしなかったが……」

 ぎらぎらと光り輝くそれを握りしめ、静かに精神統一を図る。


 そして、何度目かの刺突を繰り返して、雷光を帯びた白き一角の角が褐色の結晶壁を突き崩し伸びてくる。

 同時にレリィが角の横をすり抜けて、突進を開始した。迸る雷撃をものともせず、翠色の闘気を棚引かせて一直線に疾走する。

 レリィが疾走を始めてから数瞬後に、彼女を援護するべく、白き一角の角を封じる呪詛を発動させる。


(――世界座標『風吠えの洞穴』に指定完了。我が呼びかけに応えよ――嵐神ルドラ、汝が力の一端を――原初の宿命に従いここに示せ――!)


 かつて、『風来』と共に冒険した『風吠えの洞穴』。そこに眠る古代の神、嵐神ルドラは、現代に残る数少ない自我を保った超越種である。色々と手間はかけさせられたが、ある種の契約を交わすことでその力の一端を借り受けることができるようになったのだ。


金剛杵ヴァジュラ!!』

 目前の空間から光の粒と共に出現したのは、短い竿の両端に槍の穂先を備えた武器。

 物力召喚によって借り出された、一部の神々が扱うとされる金剛石ダイヤモンドで創られし法具。

 いかに強靭な超越種の身体でも硬度でこれに勝る物はない。


『汝が敵を討て!』

 力ある一声で金剛杵は真っ直ぐ飛翔し、白き一角の角と激突する。空中で停止して激しく雷を散らしながら、金剛杵の穂先は白き一角の角を削っていく。


(……少しずつ削ってはいる、が押されているな。あちらも相当に硬い……! 正面からでは厳しかったか!?)

 互いの力が拮抗し、力比べとなった両者の均衡を崩したのは、レリィの突進による一撃だった。遺跡を震わす裂帛の気合いと共に、闘気を先端に纏った水晶棍が骨と鋼の衝突音を響かせ白き一角の身体に突き刺さる。

 白き一角の筋肉がぎゅっと収縮し、伸びていた角が瞬時に引っ込む。均衡が崩れたことで金剛杵もまたあさっての方向へと飛んでいく。


「軌道がずれた! レリィ、棍を引き抜け! 次はそっちに来るぞ!」

 レリィは水晶棍の柄を握りしめ、力任せに白き一角の身体から棍を引き抜く。だが、棍の刺さった部分からは一滴の出血もなく、ぽっかりと空いた穴も瞬時に肉が盛り上がり、白い毛が生えて覆いつくした。恐るべき再生能力である。


 棍を引き戻して次なる攻撃に備えるレリィに対し、白き一角は引っ込んでいた角を再び高速で伸ばす。しかし、レリィを狙った一撃は翠色の闘気を纏った棍に弾かれ、逆にレリィが棍を力一杯突き出して再び攻勢に転じる。

 水晶棍の先端は、先程も当たった場所へ正確に、そして更に深々と突き刺さった。


「うううっ! りゃあぁぁっ!!」

 レリィは体を投げ出すように勢いをつけ水晶棍を引き抜き、白き一角の身体に深い傷跡を残す。もっとも、その傷跡も瞬く間に肉が盛り上がり塞がってしまうのだった。

「うわっ……! 何なのこいつ? すぐに傷が塞がっちゃうよ!」

 慌てた様子で一歩下がるレリィ。棍の刺さった後は、滑らかな白い表皮に覆われて円形の禿げを形成していた。


 効いている。

 すぐ元に戻りはしたが、その再生速度と精度は明らかに低下していた。この白き神、超越種とは言え、生命としては既に末期なのだ。

(――ここが攻め時と見た――!!)


金剛杵ヴァジュラ!!』

 今を除いて白き一角を倒す好機はない。その一念を込めた呪詛を滑らかに禿げ上がった箇所へ目掛けて解き放つ。距離は遠かったが、金剛杵の穂先は寸分の狂いもなく狙った部分に突き刺さり、そのまま白き一角の体内へ潜り込む。


 ――キヒィイイィ――。


 金属の擦れ合うような高音が鳴り響く。それはもしかすると、初めて聞いた白き一角の鳴き声だったのかもしれない。

「駄目押しをくれてやる!」

 金剛杵の術式を維持しながら、更にもう一つ術式を追加する。取り出したのは鮮やかな黄色をした硫黄の結晶。台形を立体的に組み立てたような形状で、複数の結晶が重なり合うように群晶を成している。内部には緻密な魔導回路が幾重にも刻み込まれていた。


(――世界座標、『朝露の砂漠リフタスフェルト・底なしの洞窟』に指定完了――)

『我が呼びかけに参じよ――宝玉の大蛇グローツラング!』


 吐かれた呪詛は硫黄の結晶を変質させて、巨大な生き物を形作った。太く、長く、全長は優に一〇メートルを超えるそれは、煌めく宝石の眼球を有した大蛇。吐息は硫化水素のガスとなり、牙から滴る液は複数種の鉱物毒を含む。

 通常の生物ではありえないこの大蛇は、俺が特別な契約を交わした精霊、宝玉の大蛇グローツラング。本来は地の底深くで金剛石が貯め込まれた宝物庫を守っているが、一時的に守護の任を解いてこの場へと召喚したのだ。


 召喚された宝玉の大蛇は白き一角へと体を伸ばし、その白くて丸い体に噛み付いて牙を立てた。二本の鋭い牙が白き一角の肉に食い込み、体内へと鉱物毒を流し込む。この攻撃に反応して、ざわりと白き一角の体が身震いし、宝玉の大蛇の顎から脳天までを一瞬にして角で貫く。それでも、宝玉の大蛇が怯むことはなかった。


 白き一角は宝玉の大蛇を執拗に何度も角で刺し貫く。その度に密度の高い雷撃を放ってもいるのだが、宝玉の大蛇には全く効果がない。

 幻想種の一種である宝玉の大蛇には、打撃・斬撃・刺突といった類の攻撃は一切効果がない。根本的に、幻想種を構成する魔導因子の流れそのものを止めなければ、活動を停止することはないのだ。


 苦し紛れか、白き一角の角がレリィに向けて伸びる。が、レリィは巧みな棍捌きと体術でそれを綺麗に受け流した。

 そしてついに――。

 ばん! と硬い繊維質の物体を断ち切る音が鳴り響き、放った金剛杵が白き一角の体を貫通した。白き一角を包む体毛が逆立ち、再び金属音のような悲鳴が轟く。


 途端に白き一角の全身から炎が吹き上がり、真っ白な灰となって崩れ落ちる。超越種の滅び。永きに渡り生き続けた存在の、それはあまりにもあっけない最後の瞬間だった。

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