第190話 神話の入口

 硝子の砂漠に入って十日、地獄のような灼熱と極寒の昼夜を繰り返し、ようやく砂漠の中心地と思しき場所まで到達した。


 そこが中心と判ったのは、先人の冒険家が『世界座標』を刻んだ標識のおかげである。世界座標の指定は、物力召喚においても被召喚物の位置を絞り込むのに必須の作業だが、単純にその場所を示すのに使われることも多い。

 砂漠の中心地点には、単純な魔導回路を刻み込んだ金属製の杭が打ち込まれていた。この魔導回路に干渉することで、広大な砂漠を迷わず中心に向かって進むことができたのだ。


(……そして、情報に間違いがなければこの地下に……)


 黒、茶色、象牙色の三色が、同心円状に入り混じった不気味な球形の石――天眼石アイズアゲート――の耳飾りに意識を集中し、術式を発動させる。

(――見透かせ――)

『天の慧眼!』


 一見して何もない広大な砂漠。

 それも全てを見透かす術を使えば風景は一変する。地下に巨大な空間と、無数に張り巡らされた人工の洞窟が視える。


(……問題は入り口だが……)

 地下への入り口は幾つかあるようだったが、そのほとんどは崩れ、砂に埋もれてしまっていた。

 どうにか掘り起こして入り込めそうな入り口を探すと、中心地点から大分離れた場所で好都合な入り口を見つけることができた。


「地下に遺跡があるって言っても、どうやって入るの? 砂で埋まってるよ」

「埋まっているなら、掘り起こしてやればいい」

 淡褐色の結晶、黄玉トパーズを懐から取り出し、刻み込まれた魔導回路に意識を集中する。脳内から発生した魔導因子が黄玉の魔導回路を巡ると、鈍い褐色の光が放たれる。


(――道を成せ――)

『探求の洞穴!』


 まるで生き物の口が開くように、砂漠の地面に大穴が開き、穴の側面を黄褐色の結晶がびっしりと覆い尽くして地下への道を作り上げる。

「調査の間、数日程度ならこれで入り口を維持できる。中の安全を確認できたら、馬車も地下へ移してしまおう」

「中は……涼しいかな、暖かいかな? 寒暖の差が小さいと助かるんだけど……」

 幸いなことに地下は外よりも気温の変動が小さく、馬を休めるにも都合の良い場所となっていた。


「準備はいいな。今度は地下から中心部を目指す」

「了解。また、遺跡の守護者がいないとも限らないから、あたしが先行するね」

 レリィは以前の遺跡調査でも使った水晶棍を構え、魔導ランプをかざしながら真っ暗な洞窟を進んでいく。




 地下の遺跡は、地上の荒れ具合に比べて驚くほど保存状態が良かった。

 入り口付近こそ砂が入り込んでいたものの、奥へ進めば正方形の石版が整然と敷き詰められた壁と石畳が延々と続いている。所々に脇道や小さな部屋の入口が幾つもあるが、どこも袋小路になっていて、基本的には前にも後ろにも一本道が伸びているようだった。


「遺跡の内部は細部まで調査がされていない。罠があるかもしれないから慎重に進め」

 先行するレリィに警戒を呼び掛けながら、自身も『天の慧眼』の術式を使って周囲に異常がないか監視を厳しくする。


「そういえばさ、ここって何の遺跡なの?」

 注意をしたばかりだというのに、レリィはお気楽な観光気分で辺りの壁を不用意に触れ回っている。警戒していたのは最初の数分だけだ。とりあえず何か罠でも作動した時の為に、レリィから少し距離を取りながら質問に答えてやる。


「俺たちはまさにそれを調べているんだ。連盟の情報部による事前調査はあくまで硝子の砂漠について、周辺地域の詳しい歴史を洗い直すことが目的だったからな。地下遺跡の発見はその過程で偶然に見つかったものらしい。そうして過去に国が存在し、幸の光と何らかの関係もあることが見出されたということだ」

 その時は地下探索など想定していなかった為、情報部は遺跡調査を諦めて首都へと帰還した。そして情報部で調査結果の整理が済んだ後、連盟はより地下遺跡の探索に長けた人間を選定して再調査を計画した。それが今回の調査であった。


(……遺跡や秘境の探索は俺の専門、しかも幸の光と関係しているとなれば当然仕事が回ってくるわけだが……)

 『風来の才媛』が訝っていたように、どうも話の流れが都合良すぎるのは確かだ。この遺跡へ自分を探索に向かわせるよう、あらかじめ決まっていたのではないかと思えてくる。

 とは言え、疑わしいからと仕事を全て断っていては何もできない。そもそも一級の探索任務ともなれば危険は付き物だ。例えそれが何者かの謀略であったとしても、その謀略ごと解決してしまうのが一流の仕事というやつだ。


(……報酬は多いのだから文句は言うまい。むしろ想定外の事態が起きても、情報さえ持ちかえれば追加料金の請求は可能だろう……)

 得てもいない利益を夢想しながら、不安要素を一つ一つ自分にとって都合の良いものに置き換えていく。そうする内に誰かの陰謀であろうがなかろうがどうでも良くなってきて、心にも余裕が生まれてきた。


「レリィ、お前はこの地に幸の光が存在すると思うか?」

 『天の慧眼』であらかた周囲を探り危険がないと見た所でレリィの意見を聞いてみる。

「どうだろう。あまり期待できないんじゃない? 本当に幸の光なんてあったら、ここにあったはずの国も幸せになっていて、滅びはしなかったと思うんだけど」

 レリィは無警戒に遺跡の中を歩き回りながら、その問いかけに答えた。なるほど、レリィの言うことも一理ある。だが、むしろその逆も考えられはしないだろうか。


「俺は可能性が高いと思っている。かつてこの国に幸の光があったとすれば、それを知った他国が幸の光を目当てに攻め入って国を滅ぼしてしまった。そんな仮説ならありえそうだろう?」

「うーん、そう言われるとそんな気も……。あ、でも幸の光じゃなくて、別の宝物か何かがあったことも考えられるでしょ。それが何で幸の光だと思ったの?」

「その辺りは断片的に残っていた過去の歴史的資料に、光にまつわる伝承とそれが結果的に幸福をもたらすものである、との記述が残されていたからだ。文献に関しては俺も確認した。断片的な文章だから確実とは言えないが、全く無関係とも言い切れない」

「へえ、それなら確かに調べる価値はあるのかも――あれ?」

 レリィが急に立ち止まって自分の髪の毛をいじり始める。


「急にどうした?」

「や、何だかね、髪の毛がふわふわするというか、変な感じが……」

 レリィの長い深緑色の髪を観察すると、綺麗に束ねられていたはずの髪の毛が数十本ほど、四方八方へ向けてあちこち跳ね回っている。


(――空気が、帯電している?)

 何か異常事態が発生しようとしている。そんな直観があった。


 慌てて『天の慧眼』で周辺の状況を探る。

 そして、長く前方に続く通路の向こうに大きな部屋があることに気が付く。今までとは異なる構造の部屋に見えた。

「レリィ、最大限に警戒しろ」

「う、うん……何かあるのはわかったけど、さり気なくあたしを盾にしながら、前に進むのやめてくれない?」

「……黙って進め」

 無言でレリィを先行させながら、前方の様子を注意深く探る。色々と諦めたような表情でレリィが溜め息を漏らし、ゆっくりと前進を続ける。


 部屋の前まで来ると、中に祭壇らしき石の構造物のあることが肉眼でも確認できた。その祭壇の上には、雪のように真っ白な毛玉が鎮座していた。


 傍らにいたレリィが一歩退き、水晶棍を握りしめる。

 白い柔毛の下で波打つような筋肉の脈動と、所々で隆起する角張った骨の形状が観察できることから、それが生物であるとわかった。

 大きさは縦横高さと、それぞれ両腕を広げた長さほどであろうか。特徴らしきものは白い体毛の他になく、頭も、手も足も、尻尾さえなかった。

 だが、確実に生きている。


(……機械仕掛けの、遺跡の守護者ではない。見たことも聞いたこともない種類の獣だ。合成獣キメラの類なのか? いずれにせよ、まずは術式で動きを封じ――)

 懐から術式を込めた結晶を取り出そうとして、思考はそこで中断した。


 白い毛玉から角が生えてきたのだ。

 角は人間の腕ほどの長さまで伸びると、ぶるぶると小刻みに震え始めた。

 角の先端は仄かに青白く、帯電を始めていた。


(――永久の休息を与えよ――)

『青き群晶!』

 危険を察知し、迷わず術式を行使する。

 あらかじめ魔導因子を蓄えられた結晶、投擲した天青石セレスタイトの群晶はしかし、宙で淡青色の輝きを放って四散する。


「ク……クレス……」

 青ざめた顔でこちらを見ているレリィ。そして、自身の懐に生じる違和感。

 青き群晶、放ったはずの術式は不発。一瞬、何が起こったのか理解できなかった。


 だから、その角が自身の脇腹を貫いた時、それはきっと飛んできたのだと思った。


 角が刺さると同時に、どん、と内臓が飛び跳ねるほどの衝撃が襲ってくる。

「――――ぐぶっ!!」

 衝撃で吹っ飛ばされ、天地も判らぬまま石畳の通路を転がっていく。体を直角に折り曲げた状態で横たわり、堪らず胃の中の物を吐き出す。

 それでも、悠長に寝転がっているわけにはいかなかった。


 痺れる体に鞭打って、祭壇に居座る化け物を睨み据えた。

 白い毛玉は、一本の長い角を生やしていた。もうそれは角と言うよりも、長大な槍と表現できるかもしれない。

 信じ難いことだがあの角は瞬時に伸びて、レリィをかわしながらこちらの腹を――正確には天青石セレスタイトの結晶を狙って――刺し貫いたのだ。

 その上で、電撃を体内に流し込んできた。今ので心臓が停止しなかったのは本当に偶然でしかない。


 命の危機に際して自動的に働く防御術式も、ただの一撃で発動の瞬間に打ち破られていた。術式の核となる宝石を埋め込んだ首輪チョーカーからは、守護の結晶五つが全て失われている。


「まさか……とは思ったが。こんなものにお目にかかれるとは、幸運というべきか……。また、あの女に自慢できるなこれは……」


 こいつは間違いなく、普通の生物ではありえない。

 造られた守護者とは違う。

 魔獣などという生易しいものでもない。


「超越種……堕ちた神々の一柱ひとはしらに会えるとは……」

 長大な角を持つ獣。

 この生き物の特徴には心当たりがあった。


 すなわち『白き一角モノケロース』と呼ばれし神。

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