第188話 相食む竜種

 空高く舞い上がった翼手の蛇竜リンドブルムが、中庭に鎮座する四つ首蛇竜デミヒュドラーへ向かって急降下していく。


「まずは挨拶代わりだ。吹き飛ばせ、翼手の蛇竜リンドブルム!」

 『竜宮』の指示に従って、翼手の蛇竜は突風を巻き起こしながら四つ首蛇竜に突っ込み、揺れ動く首の一つを蹴り飛ばして再び空へと昇っていく。


 衝突の勢いで弾かれた首が、怒りの咆哮とばかりに『燃え盛る叫声アーデントボイス』で空を舞う『竜宮』に反撃をしかける。翼手の蛇竜を巧みに操り、『竜宮』は危なげなく高周波攻撃を避けた。避けた先にあった連盟本部の建物、その煉瓦作りの壁に音波が弾けて罅が走る。


「はっはっ! さすがに八つ首蛇竜ヒュドラーの亜種だけある! 愉快な生き物じゃねぇか! ……あいつは殺してでも絶対、手に入れるぞ……。――来い、ディノス!!」


 突如、地鳴りと砂煙を上げて、連盟本部の敷地に一匹の竜が突っ込んでくる。

 全身が鎧の如く骨板で覆われ、尻尾には棍棒のような骨の塊がぶら下がっている。竜種の中でも特に防御の堅い装盾の撃槌竜アンキロサウルスだ。これを駆るのは鋼の全身鎧に身を包んだ騎士。

 完全防備、筒状の鉄仮面が特徴的な『竜宮』の専属騎士、竜騎兵ドラグーンディノスである。


 ディノスは一抱えもある巨大な槍を前へ構えて、装盾の撃槌竜と共に四つ首蛇竜へ向かって突っ込んでいく。

 迎え撃つように四つ首蛇竜の牙が襲いかかる。しかし、ディノスを狙った一撃は朱色の闘気を纏った槍になされ、今度は逆にディノスが槍を投擲する。


 投擲した槍の推進力による反動で、装盾の撃槌竜は突進の勢いを相殺されてその場に急停止した。

 一方で恐るべき速度を有した槍が、骨と鋼の衝突音を響かせ四つ首蛇竜の身体に突き刺さる。四つ首蛇竜は巨体を大きく傾け、四つの首が苦しみ悶えるようにうねる。


「引き抜け!」

 『竜宮』が空から指示を飛ばす。

 ディノスは槍の柄から長く伸びた鎖を手繰り寄せ、力任せに四つ首蛇竜の身体から槍を引き抜く。槍の刺さっていた部分から真っ青な血液がほとばしった。


 だが、出血は見る間に治まり、ぽっかりと空いた傷口も新たに肉が盛り上がって塞いでしまった。

 元通りに再生。損傷なし、と言ったところか。


 槍を引き戻して次なる攻撃に備えるディノスに対し、四つ首蛇竜は首を四方に伸ばして囲い込み、回避も防御も許さぬ強酸の雨を吐き散らした。降り注ぐ強酸によって、全身鎧のディノス、そして装盾の撃槌竜の体から白煙が上がる。

 さらに、酸で表皮を焼かれた装盾の撃槌竜に追い打ちをかけるように、得体のしれない黄色の液体が吐きかけられた。


『――グモオォォ!』

 突然、装盾の撃槌竜が断末魔の叫びを上げて倒れ伏す。焼け爛れた皮膚から大量に出血し、血だまりに沈む装盾の撃槌竜。上空から一部始終を見ていた『竜宮』は、黄色い液体の正体に思い至り、小さく舌打ちした。


(……溶血毒かよ。あれじゃぁ即死だな、くそが……!)


 表皮を剥かれた上で体内に毒液を流し込まれたのだ。四つ首蛇竜の毒液はわずか一滴でも体内に取り入れれば、人一人を殺すに足る猛毒である。剥けた皮膚より吸収された毒が、速やかに装盾の撃槌竜の命を奪い去っていった。


 竜騎兵ディノスは装盾の撃槌竜が倒れる直前に離脱し、毒液を被るのは免れていた。しかし、騎兵が乗り物を失っては戦闘力も半減する。何より機動力に欠けるのでは、四つ首蛇竜の攻撃を避けるのは困難だ。

 状況の不利を悟ったか、ディノスは手近な建物の陰に隠れて四つ首蛇竜の撒き散らす水弾から身を守っていた。


 ひとしきりの攻撃が終わった機会を狙って、ディノスはもう一度、朱色の闘気を纏った槍を投擲する。まさに竜が吐く火炎の息吹の如く、先程にも劣らない充分な威力の投擲。

 槍は四つ首蛇竜の体、おそらくは胸元と見られる位置に深々と突き刺さった。


「掴まれ! 離脱だ!」

 投擲を終えて無防備になったディノスを『竜宮』が翼手の蛇竜で回収に向かう。ディノスが『竜宮』の手を取って空に舞い上がろうとした瞬間、それまで加速を続けていた翼手の蛇竜が突然失速する。


 翼手の蛇竜の翼に、粘り気のある透明な物体がまとわりついていた。

 四つ首蛇竜が次々と透明な粘液を吐き出し、翼手の蛇竜に直撃させる。翼手の蛇竜は粘液に絡みつかれ、そのまま錐揉み状に墜落していった。


 『竜宮』はディノスの手を離して、すぐさま翼手の蛇竜から飛び降り地面に着地する。翼手の蛇竜は硬い地面に激突し、翼を折りながら不時着した。そこへすかさず四つ首蛇竜の強酸が浴びせかけられ、盛大に白煙を上げながら翼手の蛇竜は絶命してしまう。


 ディノスは投げ出された勢いのまま、鎖に繋がった槍を引き抜き、四つ首蛇竜の身体に深い傷跡を残す。もっとも、その傷跡も程なくして肉が盛り上がり塞がってしまうのだった。

「ちぃっ……! 本当に化けもんだな、こいつはよぉ!」

 苛ついた様子で吐き捨てる『竜宮』。槍の刺さった痕は赤黒い靄に包まれた後、四つ首蛇竜本来の青い鱗まできっちりと再生していた。このままでは埒が明かない。


嵐神ルドラの一矢!』

 連盟本部の建物、その屋上から超高密度の不可視の矢が、四つ首蛇竜へ目掛けて解き放たれた。

 放たれた嵐神ルドラの一矢が、四つ首蛇竜の胸元へ突き刺さる。


『――キシュァァアア――!!』

 空気の漏れるような音が四本の首から漏れだす。それは『燃え盛る叫声』とは音色の異なる、四つ首蛇竜の悲鳴だった。

 肉体の再生はする、だが攻撃が効かないわけでもない。痛みがあるのなら、それは必ず四つ首蛇竜の生命を削っているはずなのだ。


「おおらぁ! 人の獲物に手ぇ出すんじゃねえよ!」

「そんなこと言っている場合かね。やるなら今しかないだろう」

 『風来』に横から手を出されて『竜宮』は不平の声をあげた。それでも、今が好機であることは彼女にも理解できている。一言文句を言った後には、もう次の術式の発動に備えて意識の集中を始めていた。


(――異界座標、『闇冥深海あんみょうしんかい』より汲み出せ! 現世をさまよう、魔竜が思念の残滓を宿して――!!)


 『竜宮』が身に着ける緋色の龍鱗をあしらった軽装鎧、そこに刻まれた魔導回路が赤く光を放ち魔力の発現を示した。薄曇りの天気ではっきりしない『竜宮』の影が、途端に陰影を濃くするとゆらゆら揺れ動き始める。


『影の魔竜よ、があぎとで喰い千切れ!』

 吐かれた呪詛は『竜宮』の影を変質させて、巨大な生き物の顎を形作った。それは平面から立体へと成長し、上半身だけの真っ黒な竜を生み出した。


 影の竜は四つ首蛇竜へと体を伸ばし、その青ざめた体に噛み付く。口内にずらりと並んだ幾本もの黒い牙が四つ首蛇竜の肉に食い込んだ。四つ首蛇竜の体が身じろぎし、影の竜の喉元に四本の首でもって牙を立てる。それでも、影の竜が怯むことはなかった。


 異界座標からの物力召喚と精霊現象を組み合わせた『竜宮の魔女』の固有呪術ユニクム・マギカ。異界の物質か、あるいは力場か、何を基礎としているのか理解不能な召喚物。四つ首蛇竜の牙に貫かれながらも平然としている姿から生命の気配は感じ取れない。だが、そこには僅かに知性の欠片がある。


 四つ首蛇竜は影の竜を何度も牙で刺し貫くのだが、『竜宮』が生み出したそれは何の影響も受けてはいない。それどころか反対に、真っ黒な牙を四つ首蛇竜の体へさらに深く食い込ませていく。

 痛みに耐えかねて暴れまわる四つ首蛇竜の首が『竜宮』に向けて伸びる。が、それらの攻撃は竜騎兵ディノスの巧みな槍捌きによって牽制される。そして――。


 ぶつり、と筋肉の繊維を引き千切る音が鳴り、四つ首蛇竜の体が真っ二つに引きちぎられた。四本の首がまっすぐ天へと立ち上がり、空気が抜けるような弱々しい音が漏れ出す。


 やがて力なく、四つの首が地に垂れ落ちた。

 四つ首蛇竜の絶命を見て取った『竜宮』は、いまだ痙攣を続けている首を高々と掲げながら勝利の声を上げた。

「おっしゃ! こいつの死骸は貰い受けたぞ! 竜を二頭も潰したんだ、文句は言わせねえ!」

「ま、それは別に構わないけれどね……」


 『竜宮』の生み出した影の竜は音もなく縮み、陰影を薄めて『竜宮』の影へと戻っていく。

 『風来』の前で見せた今の呪術は、あるいは禁呪の類ではないかと疑わせるものだった。しかし、確たる証拠もなく、痕跡を残していない以上は誰からも咎められることはないだろう。あまりにも異常性が突出した呪術で、その術式構成がまったく解析できないのだ。


 多くの術士が自身の秘術は隠そうとするものだが、『竜宮』の一級術士たるゆえんは、世にはばかることのない実力行使が可能な点と言えるのかもしれない。

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