第185話 呪詛返し

 会議が終わり出席者も解散した後、女は会議室に一人居残ったドロシーに声をかけた。

「ドロシー、ちょっといいかな」

「え? あ、『風来』さん! な、何か御用事ですか?」

 声をかけられた事がよほど意外だったのだろう。彼女は焦った様子で机の上の資料を片付けて向き直る。


「少々、気になる事があるんだ。君が上げた調査報告、私も見せてもらったのだけど……らしくなかったね。いつもの君なら見逃しはしない事柄が、あちこち抜け落ちていたよ」

 唐突な話に付いて来られなかったのか、ドロシーはしばらくぼんやりと女の顔を見返してから、おもむろに手元の資料を漁り始める。


「……ええと、どれの事を言っているのか、わからないんですけど……。また、何か失敗しちゃったんでしょうか……?」

 本当にわかっていないのか、それともわかっていながらとぼけているのか、彼女の表情からは窺い知れなかった。はっきりと言ってやらなければ反応は得られないか。


「――幸の光。下調べは君の仕事だったね」


 ドロシーの資料を捲る手が止まる。

 すかさずもう一言。


「意図的に抜いたね」

 それは質問ではなく断定。


「君は遺跡の守護者について知っていたはずだ。その上で、クレストフには何も伝えずに調査へ行かせた。今回のこともそうだ。知りえた事実は意図的に伏せて、光の降臨する時期が決まっている、と君にとって都合の良い情報だけを上げたのだろう。幹部連中がクレストフの出立を急がせるわけだ」


 ドロシーは何も反論しなかった。

 ただ、寝惚けたように虚ろな目で女の方を見返してくるだけだ。反応のないことが不自然に感じられたが、ここまで話したからには最後まで問い質すしかない。


「……直接、調べてみてすぐにわかったよ。この時期、硝子の砂漠に降り注ぐのは幸の光じゃない。それは救済の光という名の、幸の光とは全く異なる何か。そんな重要な事を黙っていたのは、どういう意図だい?」


 疑問を投げかけられて初めて、ドロシーは自分が嫌疑をかけられていることに気づいた様子を示す。

「……ご、ごめんなさい~! 下調べが不十分だったみたいで、そこまでわからなかったんです。幸の光なんて御伽噺だと思っていましたし……」

 しどろもどろの彼女はあらぬ方向に目を泳がせ、落ち着かないのか、しきりに体を揺すっている。


「……そうか、君は本当に知らなかったんだね。まあ、そういうことなら仕方ない」

 追及の姿勢を弱めるとドロシーは胸を撫で下ろし、安心した表情を見せる。

 女はこれまでのやり取りは終わり、という態度をドロシーに見せてから「ああ、ところで」と、何とはなしに話を振ってやる。


「……もうそろそろ、我慢できなくなっている頃かな? お尻の具合はどうだい?」

「お尻!? 何でそのことを――」

 反射的に両手でお尻を抱えたドロシーは、はっ、と自らの言動による失態を自覚し、唇を噛み締めた。


「人を呪わば穴二つ……クレストフは彼のパートナーが掛けられた呪詛と同じものを、楔の名キーネームだけ書き換えて術者に返したそうだ。あれからもう数週間経っているから、進行型の術式なら酷いことになっているんじゃないかな」


 ドロシーは黙して語らない。だが、先程までの呆けた表情はなく、今は眉間に皺を寄せて女を睨んでいる。女は彼女の変化には構わず話を続けた。

「呪詛を掛けるのに第三者を介したとしても、その術式を編んだのは君だ。一級術士ともなれば、わずかでも痕跡があるならそれを辿って、呪詛返しを仕掛けることは可能だ。例え相手の素性が知れなくてもね」


 懐から紐の付いた布切れを一枚取り出してみせる。クレストフのパートナー、レリィ・フスカの使っていた下着だ。

「これを拝借するのに、クレストフは二、三発平手打ちをされたそうだよ。……笑ってしまうね。大方、ろくに説明もせずに取り上げたのだろう」


 呪詛の痕跡が残った下着から、呪詛を掛けた術士へと逆探知を掛ける。言うのは容易いが、実際に呪詛を解析して術士を特定するのは難しい。

 ただし、楔の名さえ突き止めれば、どこの誰とも知れない相手であろうと単純に呪詛を返すことだけはできる。そして、結果的に呪詛を返された相手がそれとわかる呪詛の発現に苦しんでいれば、後からでも犯人の目星は付くというもの。

 今日の会議の始まりから、彼女の不審な挙動は目に付いていた。


「――あの呪詛。……絶対に解けるはずがないと思っていたのに……。解析までして呪詛返しをするなんて、どこまで陰湿な男なのかしら……」

 説明を聞き終えたドロシーの顔は、諦観の表情へと変化していた。

「ねえ、風来さん? 呪詛が解けなくてお尻が痒いのよ。もし知っているなら、楔の名を教えて頂けませんか?」


 言い逃れはできないと開き直ったのか、ドロシーは乱暴に腰の辺りを弄り、がりがりと音が聞こえるほどに自分の肌を掻き毟った。

 予想通り、呪詛の影響はかなり進行していたようだ。


「さて……実はどういう楔の名を設定したか、私も教えて貰っていなくてね。……そうすると、あれだね、君もクレストフに診てもらうしかないな」

 細紐の下着をひらひらと揺らして、女は下品な笑みを浮かべてみせる。

 そう簡単に呪詛を解いてやるわけにはいかない。まだ、彼女には聞かねばならないことがあるのだから。


「――あぁ、もう貴女って人は……。あんな男に肩入れして、本当に目障りな人ですねー」

 こちらの下手な挑発にさえ乗ってしまうほど追い詰められているのか、次第に彼女の本音が口から漏れ始めた。


「何故、こんな真似をしたんだい」

「何故ですって? わからない? ……そうね、わかるはずがないわ……あなた達には。一級術士の……あなた達にはね!」

 まずは理由を問い質す。そのつもりの一言だったが、思いのほか彼女は反応を示した。


「……どうしてあなた達ばかり幸せを手にできるの? 一級術士として認められて、良きパートナーに恵まれて、なのに同年代の私はいつまで経っても三級止まり! やっとの思いで『王水の魔女』に取り入ったものの、雑用ばかりやらされて……!」

 ドロシーは金切り声を上げて激昂する。

「そもそも、あなた達と出会うまでは全て順調だったの……。二十代で三級術士になれれば、将来も有望って言われていたのに……。私がどんな成果を上げたって、あなた達がそれ以上の完璧な成果を出すから、私の評価が低く見られるのよ!」


「……参ったね。それは少し被害妄想が過ぎるよ。君の仕事は堅実で、評価も高い。今のまま実績を重ねていけば、いずれは昇級もあったはずだ。……もっともその可能性も、私が今から尋ねる質問の答え次第では永久に閉ざされるけれどね」

「あら、そうですか? ……聞きましょう。どんな質問です? 言ってみてください」

 ひとしきり喚き散らして息が切れたのか、ドロシーはやや落ち着きを取り戻した。確認するなら今しかない。


「先月に、魔導技術連盟の情報部調査課を依願退職した――四級術士のカガリ。彼女の行方を知らないかい?」

「カガリでしたら退職後は故郷へと戻り、そちらの地域連盟で再び雇用される……という話でしたけど。それが何か?」

「どういうわけか彼女、故郷へは戻っていなかったんだよ。地域連盟へも連絡がなく消息不明。そして、つい先日に山奥の遺跡で死体となって発見された。例の謎の光が目撃された場所だ」


 ドロシーは荒く息を吐きながら、血走った目で睨んでくる。女もまた彼女から一瞬たりとも視線を外さぬまま話を続けた。


「彼女にはある呪詛が掛けられていた。弱い強制力で、無意識下に働きかける操心術の一種だ。詳しい効果まではわからないが、それが彼女に不可解な行動を取らせた原因に間違いない。カガリの毛髪の中には毛色の異なる一本の細い糸、魔導回路が刻み込まれた呪詛の媒体が紛れ込んでいたよ」

 緻密な魔導回路が刻み込まれた淡く煌く細い糸。それをドロシーの目の前でゆらりと風になびかせる。


「その術者が私だと言うんですか? 何を根拠に……」

「呪詛返しが得意なのは何もクレストフだけじゃない。私は、その呪詛の発生源に向けて逆探知用の呪詛を放った」

 ふわり、と周囲の空気が揺らぎ、ドロシーの体に纏わりつくように赤い光の粒が舞う。


「――追跡子トレーサー――。覚えておくといい。これは空気中に拡散させると、条件に見合った座標へと自動的に収束する。非常に便利で厄介な、私の発明さ」


 まるで時が停まったかのようにドロシーは硬直していた。

 息を止め、瞬きすることさえやめている。


「全て君の仕業だよ、ドロシー」

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