第184話 不協和な会合

 魔導技術連盟本部、その会議室で一つの円卓を囲み、複数の老若男女が集まっていた。


 空席は二つ。


 若草色のローブに身を包む『深緑の魔女』が腰まで垂れた栗色の髪を揺らして、ぐるりと一同を見回した。

「本日の出席者は……これで全員揃っているのね、ドロシー?」


 この場においてただ一人だけ、席に着かず直立していた女性が、びくん、と体を竦ませる。何か他のことでも考えていたのか、弾かれたように慌てて室内にいる人数を確認し、手元の資料と見比べる。


「は、はい……。えーと、皆さんお揃いになりました!」

「では資料を配布して」

 『深緑』に促されて、出席者に一部ずつ資料を配布する。間違えて一人に二部配ってしまうなど、手際はあまりよくなかった。


 会議が始まる前に一時の間隙が生まれる。

 間の悪い沈黙を埋めるように出席者の一人、銀縁の四角い眼鏡をかけた中年女性が、誰に言うわけでもなく言葉を発した。

「『結晶』の姿がないわね。いつも会合には現れていたのに、今日はどうしたの?」


 クレストフは今頃、硝子の砂漠に到着している頃だ。

 帰って来るのはさらに一ヶ月以上は先になる。会議室は静まり返っており、中年女性の問いに答える者が誰もいないようなので、仕方なく女――『風来の才媛』――が答えを返した。


「クレストフは連盟の仕事で遠出しているよ。……彼に依頼を回してきたのは貴女だったね、『深緑』」

 話を振られた『深緑』は、初めてその事実を知ったかのように目を瞬いた。しかし、すぐに思い至ったのか、女の言葉に続けて中年女性へ答えを返す。


「ええ、大事な取引先からの仕事でしたから。取り急ぎ、信頼できる彼に任せました」

 あっさりとした返答。

 具体的な仕事内容を明かさないことに不審でも抱いたのか、中年女性はもう一つの空席に目を向けた。

「『王水の魔女』も見えないようだけど?」

 神経質そうに、銀縁眼鏡のレンズを磨きながら、また誰ともなく疑問を呈する。


 この中年女性は、連盟幹部の一人で経理を担当している。術士ではなく、あくまで経営者の一員として連盟に所属している人間だ。それ故に、専門的な術士の業務には関わりが薄く、情報も入ってこないのだろう。


 とは言え、『王水』に関しては『風来』も情報を持っていなかった。

 元々、会議に出席することも少なく、普段はどういった種類の仕事を請け負っているのかも謎の人物だ。

 古参の魔女の一人ではあるが、その行動を把握しているのは『深緑』ぐらいのものだろう。あとは彼女と親交の深い――。


「文句ばっかり言うんじゃねえよ、おばさん臭えなー。一級術士は忙しいんだ。机の上でばかり仕事ってわけにもいかないんだよ!」

 他者を威圧するような声が会議室の天井を響かせる。


 声の主は短髪赤毛で、やや色黒の肌をした女性だった。緋色の龍鱗をあしらった軽装の鎧に身を包み、一見して戦士かと思わせるほどに引き締まった体つきをしている。

 『王水の魔女』と親交の深い『竜宮りゅうぐうの魔女』。見た目からは想像もつかないが、彼女もまた一級術士だ。


「おばさん臭っ――て、あ、あなただって、術で見かけを若作りしているだけで、年は私と大して違わないでしょう!」

「あんだとぉ!? 四十五の婆あと一緒にすんな! こちとら、こう見えてもまだ水も滴る三十九歳だ!」


 ……全く、若々しい見た目からは想像もつかないのだが、もういい歳だ。ずれた論点で言い争いを始めた二人を見て、『深緑』が大きな溜め息を吐く。

「それは自慢になっているのかしら……それとも自分を卑下しているのかしら?」

「てめえにだけは言われたくねえぞ! 半世紀以上も生きているてめえにはなぁ!」


 会議室が沈黙に包まれる。


 これまでとは違う空気の重さに、資料を配布していたドロシーの手も止まる。言われた当の本人、連盟においてはおそらく最古参であろう『深緑』は平静を装いながらも、口元が僅かに引き攣っていた。


「口が汚いですよ、『竜宮』。それ以上、年齢の話を続けるようなら『つぐみの呪詛』を掛けますからね?」

「上等だ……。黙らせることができんならやってみな……」

 冷ややかに脅しをかける『深緑』に対して、『竜宮』は喧嘩腰で睨み返す。


 不毛な言い争いばかりが続く会議の中、他の者に気づかれないように『風来』はこっそりと溜め息を吐いた。まったく、この場にいないクレストフが恨めしい。


 以後の会議は罵り合いに大半の時間が費やされた。重要な話に関しては一応、議題にかけられるものの、初めから答えが決まっている問題を再確認するようなものばかりだった。

 全くもって、時間が勿体なくなる会議だ。


「しかし、情報の共有はきちんとしてもらわなくては困るな。今日は『結晶』とも話をするつもりで来ていた。一級術士ほどではないにしても、我々とて忙しい」

「不手際を失礼しました、フェロー伯爵。何しろ急ぎの依頼ということで、お伝えするのが間に合わなかったのです。ご理解ください」


 クレストフが出立したのはもう一ヶ月前だというのに、相手が知らないのを良い事に、ぬけぬけと連絡不備の言い訳を急務の一言で片付けてしまう。この辺りはさすが最古参の魔女だけあって肝が据わっている。

 だが、適当にあしらわれたのが気に障ったのか、フェロー伯爵はなおもしつこく『深緑』に食ってかかった。


「会議を疎かにしてまで、彼が受けるほどの仕事だったのかね? 他の者でも代理が利いたのではないか?」

 ちらりと、ドロシーの方を一瞥する伯爵。目を向けられた彼女の方は、なにやら居心地が悪そうにもじもじと体を捩っている。


「下調べ程度ならそれで済むのでしょうが、本格的な調査には一級術士が当たるべき仕事です。そのように判断いたしました」

 有無を言わせぬ物言いに、フェロー伯爵は顔面に血を上らせて抗議を続けようとした。


(……これ以上、会議が長引くのは御免だな……)


「今この場にいない人間の話をしても仕方ないね。そろそろ次の議題に入ってはどうかな」

 伯爵が言葉を発する前に『風来』は会議の進行を促した。すると『深緑』は何事もなかったかのように、速やかに次の議題へと話を戻す。

 発言の機会を逸した伯爵は不愉快そうに、ふん、と鼻を鳴らし「小娘が……」と微妙に聞こえる程度の小声で吐き捨てた。


(……やれやれ、また私が憎まれ役かい……?)

 どういうわけか、連盟の幹部会での揉め事は「また傲慢な小娘のわがままか」と、まるで彼女が強引に意見を通したかのように扱われる。

 しかし、この立場を当然のものとして振る舞えるのは悪いことばかりではない。


「……ところで、欠席者が二人いるわけだけれど……、ドロシー? せっかく席が空いているんだ。そんなところに立っていないで君も座ってはどうかな?」

 会議は長い。まだまだ議題は多く残っている。ぎすぎすとした空気を和ませるのに、若い女性を席に着かせるのもまた一興であろう。


「え、ええ!? と、とんでもない、一級術士の方が座るお席に三級術士の私なんかが……」

「誰もそんな事を気にはしないよ。議事録を書くのだろう? 近くに座って書くといい」

 ドロシーは恐縮しきりで席に着こうとはしなかった。当然の反応か。彼女にとってみれば、この提案は迷惑以外のなにものでもないはずだ。


「構わないから、お座りなさい。いつものことでしょう? 今日はどうしたのです? そんな所に立って……」

 『風来』の意図を察してか、『深緑』もドロシーに着席するよう促した。それでも彼女は頑として座ろうとしなかった。

 その代わりに、彼女は腰の辺りをさすりながら申し訳なさそうに呟く。


「その……腰痛がひどくて……」

 会議室に失笑が漏れる。

 一同の中では最も若い彼女がこともあろうに腰痛とは。


 誰もそれ以上の無理強いはしなかった。何にせよ場の空気が変わったことで、会議は滞りなく進行した。『風来』としても当初の目論見が果たせたことには意味があった。


「ドロシー。今日の議事録、まとめ終わったら一度見せてください。毎度のことですが、余計な所は省いて書くようにして頂戴」

「……は、はい! 特に年齢のことなんかは、今更書く必要もありませんよね?」

「余計な一言も慎みなさい……」

 いつも通り『深緑』に小言を言われながら、ドロシーはその場に残って議事録をまとめ始めた。

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