第183話 暗躍する者

 

 『風来の才媛』、彼女は仕事にしか興味のない女だった。

 そして、彼女の騎士もまた仕事にしか興味のない男だった。

 仕事の相棒として、彼らは長く変わらぬ関係を続けてきた。



 真面目で実直で、使命感に篤い……騎士。

 そんな彼が、何の前置きもなく発した愛の告白。


『愛している。人生を共に歩む、伴侶になってほしい』


 告白を受けた女はその時、思わず笑ってしまった。この仕事の虫が何を言い出したのかと。しかし、固い表情を崩さぬ彼を見て、それが冗談ではないとすぐにわかった。


 笑ってしまったことを謝罪し、女は即座に申し出を断った。

 女に必要だったのは有能な騎士であって、愛すべき夫ではない。彼女自身も淑とした妻になどなれるはずもなく、結婚など考えられなかった。

 だからこそ、この騎士を選んだ。男女の関係になど発展しそうにもない、この愚直なまでに堅物の騎士を。


 だが、彼は退かなかった。


『愛してくれとは言わない』

『今までと同じでいい。二人の関係は何も変わらない』

『されど一生続く契約を、交わしてほしい』


 本当に、どこまでも愚直な男だった。

 それ故にこの男を選んだのだと、女は認めざるを得なかった。

 この男以外に自分の伴侶はありえない。


『ずるいな。そんな美味しい契約を提示されたら、私が断れるわけないじゃないか』


 結婚した後も、その騎士とは今までと変わらない付き合いが続いた。

 同居するでもなく、休みに二人で旅行へ行くでもなく、特別なことは何もなかった。

 それなのに、これまでとは決定的に違っていた。

 何も変わっていないはずなのに、何故だかとても満たされていた。


(……私はたぶん、初めて知った……)

 これがきっと、幸せというやつなのだろう。




 遠く外国で任務に当たっているであろう伴侶を想いながら、女は緑濃い山林を黙々と登り続けていた。

 道のりは険しい。傾斜のきつい山道を登りながら、せめて案内人がいれば楽だったろうにと、現実にはありえない状況を思い浮かべてしまう。


 四番峰を目指して山を登り始めたのは明け方だ。ところが昼を過ぎても、遠くに見える四番峰に辿り着くことが出来なかった。

 確実に距離は縮まっているのだが、崖を迂回して、川を避け、山道を上り下りしていると、見た目の距離以上に歩く必要があるようだ。


「クレストフは三時間程度の軽い山登りだと言っていたが……これはそんな生易しいものではないね……」

 これまで村には山歩きに慣れた腕の良い猟師が一人、案内役としていたらしいのだが、新しい仕事を求めて都会へ出てしまったらしい。元から村に住んでいた若者で、殆ど無償で働いてくれていたそうだ。


(……出て行くのも当然か。無償で『働かせて』いたのだろうから……)

 小さな村ではお互いが協力し合って暮らしていくのが常識だ。

 ただ、最近の若者からすれば、それを当たり前の事として仕事を押し付けられるのは理不尽に思えるのだろう。ましてや、その仕事に対する見返りがないとなれば努力するだけ虚しいものだ。


 村に定着してくれる新たな用心棒を探すのは時間がかかる。

 仮に見つけたとして、腕が良いほど金は掛かるだろうし、雇ってすぐ役に立つかといえばそれも難しい。この山の地形を熟知するまでに何年の経験が必要だろう?


 元居た猟師が定期的に猛獣狩りを行って村の安全を守っていたことからして、このまま森の手入れを怠れば、いずれは村の周辺に獣が溢れ人里に下りて来る恐れがある。

 村の人間も今更ながら、これまで働いてきてくれた若者が如何に村にとって重要な人材だったか痛感している様子だった。


「人というのは……失ってからでないと、大切なものに気づかないのだから……ふう……実に悲しいことだ、よ!」

 崩れかけた斜面を、太い木の根に掴まりながらよじ登る。自然と口から出た独り言にも力がこもり、どうにかこうにかして急斜面を登りきった。


 目の前に大空が広がり、間近に四番峰が見える。

「いい眺めだ……」

 そして眼下には底の暗い断崖がぽっかりと口を開けていた。

 谷と言っても過言ではない。

 いつの時代の物とも知れぬ、朽ちた橋が架かっている他は向こうへ渡る道もなかった。


「ここまで来て迂回しろって言うのかね」

 女は誰ともなく苦笑を漏らし、首を振った。

 深呼吸をして気持ちを落ち着け、胸元に手を当て意識を集中する。


(――世界座標『風吠かざぼえの洞穴』より、我が召喚に応じよ――)


嵐神ルドラの息吹!』


 術式発動の一声と共に、高い密度を持った旋風が巻き起こる。

 風は、大の字に広げた女の体を高く宙へと舞い上げて、不規則な軌道を描きながら四番峰の頂上へと運んでいった。




 クレストフが硝子の砂漠へ向け出立したのが先々週のこと。

 これに遅れること今に至り、彼が前回の調査で見つけた遺跡へようやく足を運ぶことが出来ていた。


 もっと早く現場を見に来たかったのだが、優先すべき仕事が入ってしまい、こんなにも遅くなってしまった。誰かの陰謀ではないかと疑いたくなるほど最近は多忙なのである。


 荒っぽい空中飛行で乱れた着衣を整え、問題の遺跡があるという崖の前に立った。クレストフの話では幻惑の呪詛で遺跡への入り口が隠されているらしい。

 だが、見た目では切り立った崖の岩肌が続くばかりで、それらしき裂け目は見つけられない。


「視覚に作用する呪詛だとすれば……」

 岩肌に左手を当て、目を瞑り崖に沿って歩き始める。程なくして左手から岩の感触が消えた。目を瞑ったまま、その位置で崖に向かって直進する。

 数歩進んだところで目を開けると、そこは人一人が通れる程度の幅を持った洞窟になっていた。洞窟は天井に亀裂が走っており、頭上からは傾きかけた陽の光が差し込んでいる。


 幅の狭い洞窟を抜けると大きく空間が開けた。

 崩れかけた遺跡、折れた柱、それらを囲むようにして罅割れた水晶群が疎らにあった。

 ――唯一つ。一点の濁りも、一欠けの傷さえない巨大な結晶が、根元に六角錐の槍を無数に生やして鎮座していた。


 あらゆるものを寄せ付けず、如何なる干渉も受け付けない意思の体現。


「クレストフの『晶結封呪しょうけつふうじゅ』……。いつもながら見事なものだ」

 大きく裂けた洞窟の天井から斜陽が差し込み、結晶を透過して地面に虹を映し出す。これを壊すのは忍びなかったが、封呪を解かなければ調査も進まない。


「さて……? 楔の名は確か……」

 呪詛を解くには幾通りかの方法がある。

 それが例えば人に掛けられた呪詛なら、薬品や外科的な施術で引き剥がしたり、儀式によって呪詛の構成を細かく分解していくなどの手法だ。その中で最も単純な方法としては呪詛を掛ける時に予め設定される楔の名を用いることだ。


『内包せしもの。解き放て、哀れなる操り人』

 クレストフから聞いておいた、呪詛を解く楔の名を女が口にすると、永久に融けることはないと思われた水晶の塊がいとも簡単に崩れ去る。

 楔の名とは、呪詛を掛ける対象を特定する座標指定の一種であるが、同時に呪詛を構成する核として働き、その名を用いることで発動後の呪詛を制御することができる。


 それはつまり楔の名さえわかってしまえば、例え他人の掛けた呪詛であってもその制御権を奪えるということだ。解呪の方法として、まず楔の名を解析するのはよくある手法であった。


 完全に崩壊して粉となった水晶。その粉末の山に埋もれるようにして、一つの死体が横たわっている。

 間近に近づいて検分してみると、その死体、生前の人物は確かに知った人間だった。


「魔導技術連盟、情報部調査課、四級術士カガリ……。クレストフの言っていた通りか。しかし、彼女が何故ここに……?」

 死体を詳しく調べたところ、死者の頭髪に一本だけ毛色の違う毛髪が混じっていた。


「ふむ? これは……?」

 淡く煌く細い糸。それには、極めて緻密な構造の魔導回路が刻み込まれている。

「……どうやら敵は意外なほど近くに居たようだね……。……さて、この情報、クレストフが目的地に着く前に届くかどうか……」


 陽も落ちて静まり返った洞窟の中、今は遠くの地にいる彼に向けて、女は手紙をしたためた。洞窟の外に出ると、女は何事か呪文のような言葉を呟きながら、書き終えた手紙を無造作に風に乗せて飛ばしてしまった。


 手紙は風に乗って舞い上がると、まるで意思のある鳥のように空の彼方へと向けて飛んでいった。

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