第176話 魔女の円卓

 魔導技術連盟本部、その会議室で一つの円卓を囲み、複数の老若男女が集まっていた。その中の一人、若草色のローブに身を包んだ女が隣の空席へと腰を下ろす。

 緩やかに波打つ栗色の髪は腰まで垂れ、長い睫毛と濃い褐色の瞳が特徴的な、妙齢と見られる女だった。着席した際、仄かに香草の匂いが漂ってきた。


「随分とお疲れのようですね、『結晶』。出張は空振りでしたか?」

 にこやかに、皺一つない笑顔で声をかけてくる。

 こちらのことを通り名で呼ぶこの女は、一級術士にして魔導技術連盟の取締役でもある。森の精霊と契約をする者として『深緑しんりょくの魔女』と呼ばれていた。


「空振りはしていない。ただ、外れを引かされただけだ」

 まともに答えてやる気にはなれなかった。

 山奥の村から街へ戻ってきてすぐ、一日と休む間もなく、このような場へと引っ張り出されたのだ。不機嫌にもなろうというもの。

 だが『深緑』はそんな態度も意に介さず、穏やかな表情で「ご苦労様」と労いの一言を口にした。


「細かい報告はいつも通り、『風来の才媛』にお願いしますね。彼女は今、遠くに出掛けていますので、戻ってからになりますが……」

 言われてみればあの女の姿が見えない。もともと会議の始まる時間ぎりぎりに飛び込んでくることが多いので気にもしていなかったのだが。


 何とはなしに部屋の中を見回してみる。連盟の幹部達がずらりと顔を並べた一室によく知った顔を見つけた。過去に資金提供などで世話になったフェロー伯爵だ。

 こちらの視線に気がつくと、彼は落ち着いた紳士の風貌で軽く頷きかけてくる。意味はよくわからないが挨拶のつもりなのだろう。とりあえず当たり障りのないように頷き返しておいた。会議の時間が近づくにつれ、次々と円卓の席が埋まっていく。


(……今回も『王水の魔女』は欠席のようだな。まあ、会いたくもない顔だから助かるが、今も裏で何をしていることやら……)

 連盟幹部の中でも古参である王水の魔女。しかし、彼女が会議の場に姿を現すことはめったにない。何かあっても代理の人間が報告に来るぐらいだ。


 ちょうど視線が交差する斜め横の席に、その代理で来たと思われる人間が腰を下ろした。その人物は大量の紙束を円卓の上に並べ、出席者に今日の議題に関係すると思われる資料を手馴れた様子で配り始める。やがて目の前に資料が差し出された。


「こんにちは~、クレストフ一級術士さん。あ、今は通り名で『結晶』さんとお呼びした方が良かったですかねー?」

 色素の薄い金髪をゆるく内側に巻いた、若い女性の術士が間延びした声で挨拶をしてくる。一瞬、誰だったか思い出すのに時間がかかったが、やや間を置いて彼女の素性を思い出す。


「ああ、調査課の……ええと、ドロシー課長」

「わ、ひどい~。いま、ちょっと名前、忘れていましたね~?」

 彼女は魔導技術連盟の情報部調査課に所属する三級術士、ドロシー課長である。それなりに有能で、若くして調査課を取り仕切る立場にある。


「今日は『王水の魔女』の代理か?」

「はい~。あと、『風来』さんが当たっているお仕事の資料もまとめていまして~」


 なるほど、それで三級術士の彼女がこんな一級術士や有力者の集まる会合に同席しているわけか。本来なら情報部長あたりが出席するのが筋だろうが、現場に近い人物から直接に話を聞きたいところなのだろう。

 なにせ、『王水』にしろ『風来』にしろ掴みどころのない魔女どもだ。直接に彼女らと情報をやり取りしている人物でなければわからないことも多い。


「あ、ところでー……『結晶』さんは今日この会議の後、お暇だったりしません?」

「暇はないな。重要な用事があるなら、時間を作るが」

「では、ぜひ~! 夕食をご一緒しませんかー?」

「俺に何か用事があるのか?」


 情報部のドロシーが俺に用事とは珍しい。『王水』か『風来』に絡んでの話か、そうだとしたら面倒くさそうだが無視することはできない。俺が身構えたのに気がついたのか、ドロシーもまた神妙な面持ちで声を潜める。


「とっても、とっても重大な用事です~……私と、二人きりで、夕食を共にするという……」

「………………。それで? 用事はなんだって?」

 もう大体、後の予想はついたのだが、一応は確認のため用事について再び問い直す。


「ですから~、繁華街の暗黒通りに三ツ星の古代食レストランがあるじゃないですかー。そこで是非、友好を深めたいなーと」

「俺も暇ではないからな。悪いがその怪しげな古代食とやらは君が一人で調査してきてくれ」

「えー!? ひどいー! 全然、怪しくないですよ!? 古代食と言えば世界十大美食に含まれる食文化の極みですよ~!」


 あいにくと最近は美食にもそれほど興味がなくなってしまった。なおも食い下がるドロシーを適当にあしらいつつ、時計を見ながら会議が始まるのを待つのだった。




 やがて、円卓の席がほぼ埋まったところで『深緑』が軽く腰を上げ、一同を見回す。

「資料は行き渡りましたね。では、定例の報告会議を始めましょうか。ドロシー、今日の議題について簡単に説明を」

「はい、では情報部より、本日の議題に関わる背景をご説明いたしますー」


 各件名について、情報部調査課のドロシーによる下調べの内容が話され、重要案件と判断されたものが一級術士の調査に引き継がれたと説明される。

 とりわけ出席者の興味を惹いたのは『風来の才媛』が関わっている案件だった。なんでも、とある地域で凶悪な獣、『超越種』が目撃されたという話だった。


「現在、『風来』が調査を行っている『白骨の森』についてですが……先達てこちらに届いた情報からすると、噂となっていた『超越種』の存在は確認できなかったようですね」

 『深緑』の素気ない発言で、会議室に落胆とも安堵とも取れる溜め息が幾つも漏れる。


「『風来』が調べ、存在しないと判断を下したのなら、目撃情報に誤りがあったということでいいのかね?」

 連盟幹部の一人であるフェロー伯爵が口を開き、『深緑』に意見を求める。

「断定はできませんがその可能性は高いでしょう。森の付近を通った複数の人間が、奇妙な怪物を目にしたという話でしたが、あるいは『幻想種』の悪戯だったのかもしれませんわね」


 ――幻想種。それは超越種と同様に二千五百年前の『魔導開闢の時』から世に現出を始めた種族である。

 俗に精霊などと呼ばれている存在だ。実体を持たない情報体、あるいは魔導因子の渦とも定義されている。

 危険性は超越種ほどではないものの、無視できるほど無害とも言えない。彼らが引き起こす精霊現象は自然災害にも似て、規模が大きい時には街一つを消し去ってしまうことすらあるのだ。

 いずれにしろ、超常存在の目撃情報があった以上は徹底した調査が必要だろう。


「来週にも本人が帰還する予定ですから、詳細は次回の会合で彼女から報告をしてもらうことにしましょう。それでは次の議題ですが……」


 会合の議長を務める『深緑』が次々と案件を取り上げ、進捗状況の確認をしていく。


 だがこの場において、幸の光に関する議題が出ることは一切なかった。

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