第175話 騎士の契約

「なんとなく来てみたものの……気後れするなぁー……」

 クレスの邸宅の門前。重厚な扉の中心には黄金色の球体が嵌め込まれている。

 改めて見てもこの門扉はすごい。いや、それを言ったら中の装飾などもっとすごいのだが、考え出すと切りがない。レリィは思い切って扉を叩く。


「…………」

 とりあえず、扉を叩いてみたものの反応がない。考えてみればこれだけ大きな敷地だ。

 入り口の門を叩いたところで、中の人間に聞こえるはずもなかった。


「ああ! もう、どうしろっての! こら、引きこもりクレス! 出てこーい!」

 半ばやけくそで黄金色の球体に蹴りを入れてみる。

 ――ぎょろり、と。球体が回転して、黄金色の目玉がレリィを睨み返してきた。


「ひぇっ……。目、目玉!?」

 物言わぬ黄金の瞳が、レリィの姿を捉えて焦点を絞る。しばらくの沈黙の後、重厚な金属の扉が重々しい音を鳴らしながらゆっくりと開いていく。

「入って来い、ってことだよね? お、お邪魔しまーす……」

 扉を通り抜け、そそくさと中へ入る。

 二、三歩進むと、レリィの後ろで門が勝手に閉じた。

(……逃がさないように閉じ込めた、わけじゃないよね……?)

 どの道、ここまで来たら後戻りもできない。レリィは臆さず前へ進むことに決めた。



 水晶の生える庭園を抜け、華美な装飾の玄関に入ると、床に嵌め込まれた宝石の一部が光を発して一本の道を示す。

 光の道標は、以前にも足を踏み入れたことのある応接室へと招いているようだった。どことなく見覚えのある廊下を歩いて、応接室の前まで来ると中からは誰かの話し声が聞こえてくる。


 部屋の中を覗くと、革張りのソファに見知らぬ女が足を投げ出して座っていた。

 すらりと伸びた両足は羨ましいほどに長く、その上、胸は豊かで腰はくびれており、完璧な女性の姿形フォルムに加え、まるで舞台女優のように整った顔立ちをしていた。

 ただ、その表情は一見して厳しく、剣呑な雰囲気が感じ取られた。

 一方のクレスも事務机で渋面を作り、女を睨んでいる。


(……まずいとこに来ちゃったかな……)

 一歩、後退りしたレリィの気配に気がついたのか、女が弾けたようにこちらを振り返る。

 そして、ずっと厳しい表情だった女が、まるで毒気を抜かれたかのように突然呆けた表情になった。

 それは明らかに、レリィを見てからの反応だった。


「えっと……仕事の話で相談に来たんだけど……お邪魔しちゃったかな?」

 クレスと女を見やって、レリィは場都合の悪さを感じながらも口を開いた。


「――いいや、構わないさ。もう帰るところだったからね」


 レリィの言葉に逸早く答えを返したのは意外にも、面識のない女の方だった。

 先程までの険のある表情はどこへやら、女は笑顔でこちらに近づいてくると、無遠慮に人の体を間近で眺め回し始めた。


「……いい。均整の取れた美しい身体……非常に良い肉付きをしている。騎士の資質がありそうだ。いや、本当に世辞ではなくて、随分と鍛えているのだね」

「は? はあ、どうもありがとうございます……」

 どう受け答えしたものか困ったまま、レリィはその場に突っ立っていた。


「うん。薄っすらと、抑え切れない闘気が溢れ出ているのも若々しくて、いい。しかし、こんな可愛い娘をこっそり囲っているとは……なるほど。納得したよ。私から言うことはもう何もないな」

 にやり、と意地の悪そうな笑みを浮かべてクレスを見やる。

「長々とお邪魔をしたね。用も済んだことだし、私はもう帰るよ」

 女は含み笑いと共に応接室から出ていった。



 部屋に残されたのはクレスとレリィの二人きり。

「今の人……綺麗な人だったね」

 状況がいまいち飲み込めていないレリィは間の抜けた感想を漏らしてしまう。


「そうか? お前ほどじゃないだろう」

「へ? あ、あたし? あ、わっわ、き、綺麗? えへ」

「うろたえるな。恥ずかしい反応をする奴だなお前は。冗談に決まっているだろ」

「ぶうぅうぅ……!」

 予期しない褒め言葉。あまりにも自然に顔色一つ変えず言うのだから、その言葉が本気か冗談か判るはずもなかった。


「それで、お前はまた何の用事があって来たんだ? あまり俺と関わっていることが知れると――」

「危険だって言うんでしょ? 君の噂なら、街で散々聞かされたよ」

「そうか……。なら、それを知っていてどうして来た?」

 レリィの言動に対して、クレスは大きく眉を歪めた。クレスの悪評を知った上での行動ならば尚更に理由がわからない、といったところか。

 何の得があって近づいてくるのか、彼が警戒するのも当然だ。


「ん~……。いや、ね。下手すると命でも狙われていそうな感じだし、街中でも用心棒は必要かなぁ~と思ってさ。どう? 住み込みで、食費とか必要経費出してくれるなら、格安の賃金で請け負うけど」

「お前そんなこと言って、街で仕事が見つからなかったんだろ」

 一発で看破されてしまった。


「うぐっ……やだなぁ……まだ一週間だよ? 仕事探しを本格的に始める前に、君の用心棒とかだったら優先して受けてもいいかなぁーって、親切心に決まっているじゃない」

「宿代や物価は思いのほか高かったか?」

「や、そ、そんなことはないよ! ある程度、物価が高いことは予想していたから……」

 それも図星だった。


「まず認識を改めてもらいたいことがあるんだが……、一級術士の俺が素性の知れない傭兵を公然と雇うのは体裁が悪い。理由はまあ色々とあるが、最悪なのは暗殺要員を雇っていると世間から見られることだな」

「そ、それは、あたしも嫌かも……」

「そういうことだから、お前を用心棒として雇うのは難しい。案内所の斡旋する仕事より都合のいい仕事も今はないし、手持ちが心許ないなら一度、村へ帰ったらどうだ」

「……村には帰りたくない……」

 出直してまた来ればいい、とクレスは思ったのだろうが、レリィはこのまま首都で生活することを望んでいた。


「お願い! クレスの用心棒が駄目なら、他に安定した仕事が見つかるまでの間でいいから、泊まるところだけ貸して! 案内所の人も、一ヶ月あれば何かしらの定職には就けるだろうって言ってたし!」

 クレスが黙っているので、レリィは形振なりふり構わず嘆願した。村に戻ったら、もう二度と首都へ出てくる機会は得られないかもしれない。


 そんな嘆願を聞いているのかいないのか、しばしクレスは黙考していた。

 そして、ある一つの妙案を口にする。

「そうだな……。そういうことならお前、いっそのこと俺の専属騎士になれ」

「……? 騎士? え? 騎士ってどういうこと? 誰が?」

 突拍子もない提案に、レリィは目を丸くするばかりで理解が進まない。


「通常は騎士の方が自分のパートナーになる術士を雇うものだが、俺は自分の好きな仕事を優先したいから、仕事上の立場として俺が雇用主になる方が都合はいい。対等の立場では駄目なわけだ」

「あ、ああー……そうだね。君ってそういう性格かも」

「だが、騎士ってのは気位の高い連中ばかりでな。王侯貴族ならともかく、一般の人間に雇われ、命令されるのを良しとしない。例えそれが一級術士であってもな。……特にうるさいのは騎士個人より、彼らを管理している騎士協会の方だ。協会に登録されている騎士が不当な扱いを受けないように、騎士との仕事の契約は全て協会を通して行われる」

「そういうもの……なんだ?」


「だが、抜け道はある。……まず、恥も外聞も誇りも何もない傭兵のお前を、俺が雇う」

「その言い方、ちょっと傷つくんだけど……」

「その後、然るべき手続きを経て、お前が騎士になる」

「…………。――あたしが、騎士に?」

「そして、契約上はあくまで傭兵時代に交わした雇用関係を維持する。こうすれば、面倒な騎士協会を通さずに理想の契約が成立する。俺としても自衛の為に傭兵を雇うより、騎士をパートナーにする方が体裁はいい。これならお前を雇う意味もあるというもの――」

「ちょ、ちょっ、ちょーーっと待って! それ、無理があるでしょ!?」


 話の途中で待ったをかける。クレスとしては素晴らしい思いつきだったのだろう。説明に横槍を入れられて、気分を害された様子だった。

「何が不満だ。嫌なら、お前には村へ帰るほか道はないぞ」

「そうじゃなくて、今の話! 騎士になることが前提みたいなんだけど!」

「当然だ。騎士でもないお前にどの程度の価値がある?」

「だから、そういう言い方されると本当に傷つくんだけど……。そういうことじゃなくて実際問題、あたしが騎士になることに無理があるでしょ?」

「簡単だ。俺が推薦すればな」


 事も無げに言って見せるが、騎士になるのが難しいという話を以前にしたのは、他でもないクレスであった。

 ただその時、騎士になれる数少ない方法についても語っていた。


「え……あ……それって……」

「有力者の推薦と、高額の登録料さえあれば、後は実際に適当な任務を一つこなすだけで騎士として認定される。騎士協会への登録料は出世払いで貸しにしといてやろう。騎士になってしまいさえすれば、すぐに取り戻せる金額だからな、うん。我ながら完璧な将来設計だ。この話に乗らない手はないぞ」

 今までに見たこともない喜色満面な笑顔でレリィの疑問に答えるクレス。


 生理的な悪寒を感じて、レリィは顔を引き攣らせながら一歩退いた。実に魅力的な提案なのだが、どうにも話がうますぎる。怪しすぎた。

 しかし、警戒するレリィを見たクレスは背を向けると、気まぐれを起こしたような口調で簡単に話を覆す。


「その気がないなら、村へ帰れ」

「乗る! 乗った、その話!」


 思わず口走ってからクレスの表情を窺うと、彼は口の端を歪めて笑っていた。

 もし、彼が本物の極悪人なのだとしたら、その笑いの意味するところは――。

(……あれ? あたし、もしかして早まったことした……?)

 レリィは口走った勢いのまま、なにやら細かい文面の載った書類にサインをしながら、どのみち選択肢は他になかったのだと、何度も自分に言い聞かせていた。




 ちなみに騎士として認定されるには幾つか条件がある。


 一つは、ある水準以上の武術の腕を持ち、騎士の象徴たる闘気を発せられること。遺跡での戦闘を見た限り、クレスの評価では及第点であるらしかった。


 そして二つ、一般に十分と認められる教養があること。格好だけでも騎士としての振る舞いが必要なのだ。


「特に、ちょっとした言葉遣いには気をつけろ。生まれの卑しさが知れるぞ」


 他人のことをとやかく言えるほどクレスも口は綺麗でないが、術士と騎士では立場が違うのだった。術士が一般人に毛の生えた程度の十級術士から、魔導技術連盟の幹部になるような一級術士までいるのに対して、騎士は例え三流であっても貴族と同等、常人と同列には扱われない。

 上流階級が集う社交の場に出る機会も多い為、最低限の作法は知っておく必要がある。


「あたし、そういうの苦手なんだけど……どうしても身に着けなきゃ駄目?」

「駄目だ」

「ええー? 何でそんなこと気にするの?」

「田舎くさい。パートナーを組む俺の恥になる」

「…………」



 怒涛の勢いで話がまとまってしまったが、ひとまず寝床は確保できた。

 クレスの専属騎士となるにはそれなりの準備も必要らしく、明日から特訓が始まるらしい。


 やや不安、いや、かなり不安な思いを抱きながらも、客間を与えられたレリィは高級な天蓋付きベッドにもぐりこむと、数分としない間に眠りについていた。


 不自然なほど柔らかい寝床には、どこまでも深く体を沈めていけそうな感触を覚えた。

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