第174話 宝石王

 賃金を受け取った後、レリィはクレスと別れて首都の見物に向かった。


 暗闇都市、暗黒街などと言われていても、街灯の数が多いので、むしろ山奥の村などよりもよほど明るい雰囲気だった。

 馬車から眺めただけでは気がつかなかったが、繁華街から離れた場所でも予想以上に人の数が多い。むしろ時間が遅くなるにつれ、出歩く人が増えてきているようでもあった。


 そうなると、大荷物を背負ったままでは通りを歩くのが難しくなる。早速、地図に記された案内所に向かい、宿を取ることにした。


「おや、可愛らしいお嬢さん、観光かい? ……にしても、凄い荷物だねぇ。あ、もしかして出稼ぎ? 今日、首都に着いたんでしょ? ひとまず宿を取るつもりかな? それとも借家の契約をする?」

 案内所に着いた途端、矢継ぎ早に質問されて返答に焦ってしまう。とりあえず首都見物が目的だったので、一晩の宿を取って荷物を降ろすことに決めた。




 宿の代金は予想していたよりも高かった。

 それでも、案内所で幾つか紹介された宿では一番安い所を選んでのことだ。これでは早々に仕事を見つけないと、毎晩の寝る場所にさえ困ってしまうだろう。

 初日の暗黒街見物は、仕事の情報集めに取って代わりそうだった。


「それにしても……高い……」

 宿代だけではない。街の見物を始めてすぐに気がついたのは、首都では物価から何から全ての値段が高いということだ。特に切実なのは食料品の値段。パン一つ取っても、これまで村で買っていた値段の数倍はしている。


 だと言うのに、街中での貨幣の流通は活発なようであった。田舎者からすれば信じられないほど高価な宝石を、「これ安いね」などと言いながら買っていくのは、ごく普通の格好をした一般市民だったりする。


「さあさ! 見ていっておくれ、買っておくれ! 老若男女、誰でも気に入るアクセサリー! 御呪おまじない効果も抜群、ベルヌウェレ工房製の虹色水晶オーラクリスタルだよ!」

「……あれ? ベルヌウェレ……? それって、クレストフ・フォン・ベルヌウェレと関係あるの?」

 思わず、道端で商品を並べていたおじさんに声をかけてしまった。すると、待っていましたとばかりに身を乗り出して商品の宣伝が始まる。


「お! お嬢さん知ってるねぇ、まさにそれ工房の創始者! うちで扱っているのはね、一般向けに作られたお手頃価格のクリスタル! 天然物に拘らなければ、人工合成した貴石のアクセサリーなんかもあるからね。特に、魔力の込められた虹色水晶は、持っているだけで不幸を跳ね除け、幸せを呼び込むよ! 遠慮せずじっくり見ていってくれ」


 店主の長い口上が終わってから、改めて虹色水晶とやらを間近に観察する。

 普通の無色透明な水晶と違って、表面が半透明の青い被膜で薄っすらと覆われ、水に浮いた油膜のように光の干渉が起こり、虹色の遊色効果イリデッセンスを示している。


(……綺麗だけど……少し派手かな……)

 てらてらと光り輝き、美しさを主張する虹色水晶の光に目が眩んでしまった。

 個人的な感覚で言うと、同じ青色でもクレスが術式で作り出した結晶――澄んだ空色の群晶――の方が落ち着いた色彩で好みだった。


「これ全部、工房で作られているんですか?」

「ああ、そうとも。こいつの製造方法はベルヌウェレ工房の専売特許だからね。何でも一級術士ベルヌウェレが、一つ一つに御呪いの効果を持たせているって話だよ。それだけに価値は普通の水晶より高くなるってものさ」


 この水晶一つ一つにクレスが祈りを込めているのかと思うと意外だった。いったい、どういう気持ちで御呪いを掛けたのだろう。

 ……彼のことだ。きっと高く売れますように、なんて祈りを込めたに違いない。

 そう考えると自然に苦笑が漏れてしまう。


「おじさん、ありがと。また今度、余裕のある時に見せてもらうね」

「何だい、買っていかないのかい? あ! わかった、彼氏に買わせるんだろ! そういうことなら、いつでも待ってるよ!」

 妙な勘違いをされてしまったが、否定はせずにその場を立ち去った。たぶん、都会では女の子が男性に貢がせるなんてことはよくある話なのだろう。少しばかり、そんな状況を経験してみたい気持ちにもなった。




 街を一回りしたところで、レリィは適当な酒場へと足を踏み入れた。お酒が飲みたかったわけではなく、夕食を取るついでに情報収集をしようと考えたのだ。

 酔いが回ると人の口は軽くなる。

 ついでに財布の口も緩くなる。


「どうぞどうぞ、手酌じゃ面白くないでしょ」

「や、ありがたいねぇ~、こんな綺麗な娘さんに注いでもらえるなんて……。女将さん、こっちの子に一つ、おつまみ出してあげてよ」

 偶々、カウンター席で隣り合った商人風の男に酒を勧めた。と言っても、男が飲んでいた酒を半ば強引に奪って注いでいるだけだ。それでも男は、悪い気はしなかったようで、機嫌良く街の情報など話してくれた。


 安い宿や市場、人手が足りていない仕事、街の流行や景気の話……街に住んでいる人間ならばつまらない世間話でも、レリィにとっては色々と役立つ情報ばかりだった。


「最近はさぁ、宝石価格の変動が激しくて……。老舗の宝石店も相次いで潰れてね」

「へぇ……。宝石市場は景気、悪いんだ? それにしては宝飾品のお店、活気があるように見えたけど……」

「一部だけだよ! 全体を見れば酷いものさ。つい先日もね、手堅く商売してきた友達の宝石商がさ、どうにも立ち行かなくなって結局は廃業してしまった! ここ数ヶ月で店が潰れたり、経営に行き詰まって身投げした宝石商は十や二十じゃないんだから!」

 男はやや興奮気味に酒の入った杯を持ち上げ、ぐいっと飲み干す。


「何でそんなに景気悪くなっちゃったの?」

 空の杯に酒を注ぎ足して話の先を促した。

 男はその酒をすぐさま呷ると、声を荒げながら話を続けた。


「何でも何も、そりゃあの有名な一級術士様のおかげよぉ! 秘境『宝石の丘ジュエルズヒルズ』から大量の天然宝石を持ち帰ったかと思えば、馬鹿みたいに安い合成宝石や……御呪い付きの虹色水晶なんてものまで作り出して、一挙に市場へばら撒いたからさ! 宝石価格が値崩れを起こして、多くの宝石商が首を括ったよ!」

「その術士って……」

「クレストフ・フォン・ベルヌウェレ。稀代の結晶術士なんて呼ばれているわ」

 興奮気味で呂律の怪しくなってきた男に代わり、店の女将さんが応えてくれた。


「二十代の若さで一級術士の称号を得たのも凄いんだけど、それ以上に商売人でね。自分で編み出した術を応用して、宝石を人工的に作り出すことに成功したの。しかも、一般受けするように御呪いを掛けたパワーストーンとして売り出して……これがもう飛ぶように売れたわけ。そうして今じゃあ郊外に宝石御殿を建てるほどの大富豪になっているわ」

 宝石御殿というのは例のお城のことだろう。どうしたらあれほどの家を持てるのかと疑問だったが、話を聞いて納得した。要するにクレスは宝石商だったわけだ。


「術士としての活動も派手でねぇ……。魔導技術連盟では『風来ふうらい才媛さいえん』と双璧をなす、最年少幹部として連盟の運営にも関わっているの。……大した人物よ。貴族とのお見合い話もあるって噂だし……」

 こうして改めて客観的な立場から話を聞くと、クレスが本当に高名な術士であることが知れる。確かに本人も一級術士だとは言っていたが、どこか身内の批評を聞いているようでこそばゆい感じがする。


 そんな感覚から自然と口に出たのは、どうということもない一言だった。

「……へぇ~、あのクレスがねぇ……」


 ただその一言を口にした途端、酒場の喧騒が止んだ。

 見回せば、周囲にいる人間の雰囲気が一変していた。

 ある者は驚愕、またある者は疑惑の表情。そして、すぐにそれらの感情図は変化する。


 忌避、嫉妬、そして憎悪の眼差し。

 悪意の込められた視線をあらゆる方向から感じて、レリィは背筋を凍りつかせた。


 ――今、自分は決定的な失敗を犯した。


 それが如何なる意味を持った失敗だったかはわからない。だが、つい先程まで会話していた隣の男が、顔を青くして額に大量の汗を噴出している姿から、笑って誤魔化せる失敗ではないと直感した。


(……クレス、その呼び名に問題があった……?)


 そういえば、彼は自分の名を気安く呼ぶなと言っていた。それが単に馴れ合いを好まない態度というのではなく、彼の名を人前で気安く呼ぶことが、とても危険なことであるからだとしたら……。


「……き、君……もしかして、あの結晶術士と知り合いなのかい?」

 男は一つ席を空けて座り直し、周囲の反応を窺いながら恐る恐るといった口調でクレスとの関係を訊ねてくる。

「う、うーん、まあ、知り合いという程でも……。一度、調べ物の仕事を手伝っただけ」

 あからさまに知らないと言っても、慌てて言い繕った様にしか見えないだろう。外の仕事でちょっと知り合った程度だ、と平静を装って答える。


「ああ、なんだ。そうか、その程度の関わりか」

 ほっとした口調で男が緊張を解く。それに伴い周囲にいた人間の雰囲気も軟化した。

 明らかに興味を失った気配が感じられ、先程までの刺すような視線も、重苦しい空気もなくなっていた。


「いやまあ、だったら知らなくても仕方ないな。一応、忠告しておこうか。あの男には必要以上に近づかない方がいい。仕事も、次に頼まれたとしても断った方がいい。あの男と個人的に好んでつるむ奴は、まともな人間じゃない。君も同類だと思われてしまうよ?」

「そうよ、気をつけた方がいいわぁ。特に、あなたみたいな若い女の子は玉の輿を狙っていると見られるから」

「玉の輿!?」

「あら、冗談じゃないのよ? 本当にね、普通の街娘から貴族の子女まで、彼を狙っている人は多いんだから。中でも怖いのは女性の術士ね……。水面下では他の競争相手に呪詛まで掛けて、足の引っ張り合いをしているらしいから」

 どうやらクレスは色々な人から疎まれる一方、いろんな意味で狙われているようだ。




 首都の中心から少し外れた場所に宿を取り、首都をあちこち回りながら仕事を探して、一週間が経過した。

「まっずいな~。どうしよう、仕事……」


 空は分厚い雲に覆われて、暗闇都市は朝から薄暗い雰囲気である。街中では魔導ランプの青い光が灯り、辛うじて朝の闇を払っていた。

 夜の方がガス灯の点いている分、まだ明るい印象を受ける。きっとこの先も毎日、この街は朝から晩まで薄暗闇に包まれたままなのだろう。


 空を見上げるレリィの心中も、ちょうど今の曇り空のように不安が晴れなかった。ただ座っているだけでも動悸が早まり、言い知れぬ焦燥感が胸の内に湧きあがってくる。

 一週間も街を回ってみれば、首都の物価がどの程度か理解できる。宿代まで考えると、仕事を見つける前に手持ちのお金が尽きる危険性が高かった。


(……まさか、首都で定職に就くのがこんなに難しいなんて……)


 日雇いの仕事もあるにはあるが、大抵は一日の宿代と食費で消える程度の給金だ。その上、毎日都合のいい仕事があるとは限らない。元から首都に住んでいる人間ならばともかく、出稼ぎ労働者には厳しいのがこの街の現実であった。


(……一時的にでも、食い繋ぐのに何か安定した仕事を見つけないと……力仕事くらいしかできないんだけど……)

 その力仕事も、見た目が華奢な少女であるレリィには無理だと思われるのか、全て雇用主と顔を合わせた時点で断られていた。


(……考えが甘かったのかなぁ。クレスに雇われて首都へ来た所までは、上手く事が運んでいたのに……)

 ふと、一週間前に別れた嫌味な一級術士の仏頂面を思い浮かべる。


 レリィが仕事を探して街中で情報を集めていると、特別に意識していた訳ではないのだが高名なる結晶術士の噂が行く先々で自然と耳に入ってきた。方々で話を聞いた限りその評判は……ひどく悪い。


 ――永久凍土の万年氷まんねんごおりよりも冷たい男、その身に毒を孕む悪鬼――。


 彼の成功を妬み、足を引っ張ろうとした者は逆に踏み台とされ消えていった。また、敵対する者には容赦がなく、彼に呪詛を放った者はその倍の重さと苦しみの呪詛を返されると言う話だ。


 他にも、安い合成宝石を天然物と偽って高く売りつけたとか、借金の形に若い娘を攫い身代金を要求したとか、陰では詐欺や誘拐など犯罪行為に手を染めているなどと、ろくでもない噂が広まっていた。


(……そんなに酷い奴だとは思わなかったけどな……)

 噂の内容をそのまま真実と受け取るほどレリィも単純ではない。多くは彼の成功に対する逆恨みだろう。ただそれを差し引いても、ここまで街の嫌われ者になっているところを見ると同情を禁じ得ない。


「うーん……クレスを頼るのは気が引けるけど……」

 仕事も見つからず、他にやることもない。


 気がつけばいつしか魔導ランプの青い光に誘われて、レリィはクレスの邸宅へと向かい歩き出していた。

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