第171話 待っていた先客
術式発動の間、律儀にも構えを解かずに警戒していたレリィも、目前の光景に目を奪われて水晶棍を取り落とす。迸っていた翠色の闘気は徐々に弱まり、解れたレリィの髪の毛は枯葉のような色に染まってくたびれていた。
「凄い……こんなの見たことない……」
青い結晶に包まれた巨大な怪物は、姿形をそのままに手の平に乗るほどの大きさへと縮んでいく。物体の形容情報のみを保存し、重量を取り除いて圧縮する呪法だ。
「……捕獲完了。どうにか原型は留めたか……」
拳ほどの結晶体に圧縮された怪物は、ついさっきまで暴れまわっていた怪物とは思えないほど小さく、改めて見るとその姿は滑稽ですらあった。
それまで成り行きを見守っていたレリィは、状況が落ち着いたとわかると、真っ先に髪留めを拾いに行った。そして解れた髪を丁寧にまとめ直し、いつもの八つ結いに仕上げる。
深緑色だった髪の毛が半分、真紅に染まっていて、かなり異様な風体であった。
「――その髪留め、特別な物なのか?」
初めて会った時から妙な髪留めだとは思っていたが、今回の件でただの髪留めでないことは、はっきりしていた。
闘気を髪の毛に溜め込む術式か、あるいは単に闘気を抑え込む呪詛か、何かしらの魔導回路が組み込まれているのは間違いない。
「ん、これ? この髪留めはね、私が幸せな人生を送れる
「幸せな人生? まじない……?」
意味はよくわからなかったが、術士であるレリィの母親が作ったものなら、何らかの加護を持たせた物なのだろう。詳しく知りたいところではあったが、レリィに聞いてもそれ以上のことはわからない、ということだった。
「それにしてもさ。君、凄い術を使えるんだね。いったい何者?」
レリィは自分のことなど大した問題ではないといった態度で、むしろこちらの素性に興味津々のようだった。
それこそ今更、と言った疑問ではある。そもそも、こちらの素性は調査を始めてすぐに明かしていたはずなのだ。だから、問われれば同じように答えてやるほかない。
「疑問だと言うなら改めて名乗ろう。俺の
「一級術士!?」
素っ頓狂な声を上げて驚くレリィ。いや、本来はこれが普通の反応だろう。
それほどに一級術士というのは特別な存在なのだ。首都で暮らしていてさえ、一般の人間が個人的に関わる機会はほとんどない。
「あ、あはは……一級術士様か。道理で強いわけだわ。……実力を隠しているなんて、ちょっと人が悪いんじゃない……?」
「隠していたわけじゃない。一級術士であることも先に教えていたはずだ」
「嘘! あたし、聞いてないよ!」
「それは本当にお前が聞いてなかっただけだ!」
自己紹介の時、レリィは「首都」という単語には反応して、「一級術士」という更に驚くべき事実は聞き逃していたらしい。
「第一……それなら今まで、俺のことを何だと思っていたんだ?」
「無駄に雑学ばかり身に着けた金持ちのぼんぼん」
「そうか……。お前の俺に対する雑な態度の理由が、ようやくわかった」
「や、いやー……数々のご無礼を……ごめんなさい! てっきり、世間知らずの御坊ちゃまが
反省する素振りを見せるレリィだったが、さして態度が変わっているとも思えない。結局誰に対しても同じように、馴れ馴れしい性格なのだろう。
「お前の態度に今更、腹を立てるほどのこともない」
それに、侮っていたのはこちらも同じだった。
世間知らずの小娘、田舎の猟師と見くびっていたが、あれほど強力な闘気を発することのできる素養を持っているとは思わなかった。
――肉眼で容易に観察できるほどの濃厚な闘気。
特殊な術式の施された髪留めの効果もあるのだろうが、先程の戦闘を思い返すに、下手な三流騎士よりも、よほど実力はあるとみた。これだけの腕があれば仮に首都へ出たとしても傭兵としてやっていけるだろう。
(……ただの傭兵にしておくのも勿体無い気はするが……)
「……え、な、なんなの? あたしのことそんなに見つめちゃって?」
「別に。少しばかり、惜しいと感じただけだ」
「惜しい?」
「大したことじゃない。それよりも、もう少しだけ調査を続けるぞ。ことのほか、早く仕事が終わってしまったからな。せっかくだ、遺跡も観光したい」
謎の光の正体は既に掴んだ。
もはや、これ以上の調査を続ける意味はないのだが、目の前に未知の遺跡が存在しているのに見過ごしてしまうのは、あまりに味気ない。
「これでもう、お仕事終わったんだ。あれ、でも幸の光を探すんじゃなかったの?」
「俺が調査に来たのは謎の光の正体を突き止める為だ。そして、それは解明された。だから、仕事は終わりだ。ここから先は趣味だ」
「へぇ~、解明したんだ。で、結局、原因は何だったの?」
(…………。……こいつ、気がついてなかったのか……)
「……お前、頭悪いんだな……」
「どうしてそんな憐れみの目をするの――!」
本当にかわいそうなくらい頭の悪いレリィの為に、先程捕獲したばかりの怪物を見せてやる。怪物は今や小さな結晶の中に収まっているが、その外観や構造的特徴はよく観察できる状態にあった。
「この怪物、俺達と遭遇した時にどういう行動を取った?」
「どうって、いきなり眩い光を放って……突撃してきたんだよね、確か。それで?」
「それでってお前……、まだわからないのか? その光が天井の割れ目から空へ漏れて、謎の光として目撃されたんだ!」
「はあ? あ! そ、そうか! 言われてみればあの光、少し前に目撃した光と同じだ!」
物分りの悪いレリィが歓喜の声を上げてようやく理解する。
そんな様子を呆れ顔で見られているのに気がついたのか、レリィは咳払いを一つした後、遺跡に向かって走り出す。
「さあ、行こう! いざ、遺跡の探検へ! 宝物なんかあるかも知れない!」
「そんな都合のいいもの、遺されているわけないだろ……」
レリィとのやり取りで遺跡観光の気分は興醒めしてしまったが、逆に冷静になった頭で考えると、新たに疑問が浮かんできた。
(……そういえば、つい最近にも光は目撃されていた。それも怪物の仕業だとすると……)
だが、その疑問は浮かぶと同時に解消されることとなる。
「きゃわっ!」
遺跡の入り口でレリィが転んだ。
ろくに前も見ないで走っていたからだろう。両足を万歳し、下着を曝け出しながら仰向けにひっくり返っている。
近づくとレリィはすぐに飛び起きて衣服を正し、必死に下着を隠そうとした。
――その手が、遺跡の前に横たわった物を見て凍りつく。
「あ、ああ……もう、最悪……」
たった今、自分が躓いてしまった物を見て、レリィは顔面を蒼白にしていく。
それは死後、程よく時が経ち腐りかけた人間の死体だった。
「なるほど、これで合点がいったな」
他でもない。この死者こそ、つい最近に目撃された光の……つまりは、怪物の犠牲者だ。
腰を抜かして座り込むレリィを押しのけ、よく観察してみるとその死体、生前の人物には心当たりがあった。
「……こいつは……。……依願退職したはずの人間が何故ここに……?」
間違いなく見覚えのある人物だった。つい最近まで連盟本部に勤めていた術士である。一身上の都合で本部勤めを辞め、遠く田舎の故郷に帰るという話だった。
(……公式の辞令は嘘、か。術士の行方不明を連盟が揉み消したな……)
術士が調査任務の途中で、事故や事件にあって命を落とすことは少なくない。だが、公に発表すれば少なからず騒ぎになる。連盟の信用問題にもなりかねない。裏で手を回して穏便に事を済ませたのだろう。
確かこの術士は独り身で近しい親類もいなかったはずだ。……あるいは、初めからそういう人物に調査を任せていたのかもしれない。
そこまで考えたところで自嘲の笑みが浮かぶ。
調査に送り込まれたのは死んでも問題にならない人物、もしくは――。
(……死んでほしいと思われている人物、に違いない……)
「あーもうやだ。ねえ、帰ろうよ~。宝物も何も、ないってばー……」
「子供みたいなことを言うな。大した物がないのは承知の上だ。それでもまだ、探すものはある」
あれから遺跡内部を調査してみたが、やはり大したものは遺されていなかった。一番奥の部屋に入ると、棺のようなものが置いてあったが、それも中身は空だった。
棺には古代式の複雑な魔導回路が刻まれており、その形式から人間に何らかの施術をする儀式用の魔導装置であることが窺えた。だが、一部が欠損しているのか起動させることはできなかった。
「医療施設の跡地か、それとも何かの研究所だったか……。うん? この魔導回路……似ている、か……?」
後ろで退屈そうにあくびをしているレリィ、彼女の髪留めに描かれた魔導回路の文様も似ているような気がする。ただ何となくだが、あるいは細部まで調べれば共通点がみつかるかもしれない。
(そのうち、十分な暇が出来たら棺と髪留めの魔導回路を調査してみるか。レリィが協力するかはわからないが……)
遺跡を調べてもそれ以上、詳しいことはわからなかった。他に特徴的な事と言えば、十五年前に誰かが一度だけ棺の蓋を開けたらしい事くらいか。
蓋が十五年前に開けられたと考えたのは、棺の中に溜まった埃の積もり具合と、単純に光が目撃された一番古い記録とを関連付けてのことだ。
とは言え、大きく間違ってはいないだろう。
以前に誰かがこの遺跡を訪れて、めぼしい遺物は持ち去ってしまったのだ。
「先ほどの怪物は、もしかすると
しばらく調査を続けると、最奥の部屋に小さな地下室があるのを見つけることができた。
そこに、寄り添うように二つの屍が横たわっていた。
「あ……。この二人……」
「古い死体だな。完全に白骨化している。死後、数年というところか」
服装と骨格からして、片方は男の猟師、もう片方は女の術士。
(……予想はしていたが、やはりここに……)
ここまでレリィを連れてきたのは無神経だったろうか。
彼女はここに、この二人が眠っているなど考えもしなかった様子だ。彼女がその死体を見せつけられた時、何を想うのか。そこまでは考慮していなかった。
「はは……。やだな……二人ともこんな所で眠っていたんだ。こんな山奥の遺跡、探しても見つからないはずだよ……」
死後数年を経過した、見覚えのある格好をした二つの死体。
頭の回転が鈍いレリィにもわかったはずだ。
それが、他ならぬ――。
「――父さん、母さん。やっと見つけた」
五年前の光、帰らぬ両親。その意味が目の前にあった。
腰を屈めて跪き、細くなった二人の手を取って胸元に引き寄せる。
「信じてた……。二人とも、私を捨てて出て行ったわけじゃないって……。理由があって帰ってこないんだって……。信じて、探し続けて、だけど――」
目の端に涙を湛える少女を前に、いかなる言葉をかければいいのか。どれほど考えてみても、ただ見守るほかに良い案は浮かんでこなかった。
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