第170話 守護者
崖に走った亀裂の奥、そこは人一人が通れる程度の幅を持った洞窟になっていた。
亀裂は洞窟の天井まで走っており、頭上からは淡く冷たい月の光が差し込んでいる。
更に洞窟の壁には光苔がびっしりと群生しており、洞窟内はある程度の明るさを持って見渡すことができた。
「こんな場所が……崖の中に……」
どこか整然とした洞窟で、人の手が加えられているように見えた。壁の光苔も自然に生えたと言うよりは、植えつけられたように思われる。
「では、行くか。調査を再開する」
「待って! 先に説明して! あたし達どうやって崖の中に入れたの? 岩壁をすり抜けたみたいだったけど……」
説明を求めるレリィを無視して洞窟の奥へと進む。
だが、レリィは自分がすり抜けた岩壁を振り返り、洞窟内部からは普通に出入りできそうに見える亀裂から、外へ出ようとしていた。
その後ろ髪を思い切り引っ張って洞窟内へ連れ戻す。「ぐぇっ」と変な声を上げて引き戻された後、こちらを涙の滲んだ険悪な目つきで睨んでくる。
「もう! 何で髪を引っ張るのかな!」
掴みやすいからだ、と言ってやりたかったが余計に怒らせるだろう事は想像がついた。
代わりに、先程の問いに答えてやることにした。説明を済ませなければ、レリィはいつまでも入り口の辺りで行ったり来たりを繰り返すだろう。
「入れた、のではなく、入れない、と思い込んでいただけだ」
「思い込み? でも、外からは亀裂なんて全く見えなかったし、実際に亀裂がある場所を触っても硬い岩壁しかなかった……」
「そう思い込ませるのが、ここに掛けられた呪詛の効果だ」
崖に亀裂など入っておらず、そこにはただ硬い岩壁があるばかり。そう思い込ませることで、実際に亀裂の入った部分を目の前にしても、また亀裂を指でなぞっても、『その先には進めない』と錯覚させる。
ただ、実際に壁があるわけではない。呪詛の影響外にある人物や、偶発的な事故などから外力が加われば、亀裂の奥へと入り込むことに何ら抵抗は生まれない。
しかし、そう考えると中途半端な呪詛の護りではある。絶対に見つからないように、誰も入り込めないようにと、そのような強固な意志で隠されていたわけではなかった。
それはまるで、穴の開いてしまった壁を薄い壁紙で覆い隠して取り繕ったかのような。
「先客がいるな……」
「誰がいるの?」
独り言のつもりが、レリィには聞こえてしまったらしい。
脈絡のない台詞だったが、即座に話に付いてくるあたり順応が早い。もしくは、つい先程の事には興味を失い、気移りしただけかもしれないが。
「奥に進めばわかる。お前が先行しろ」
「どうしてあたしが……」
「後金の金貨一枚、いらないのか」
「ここは用心棒のお姉さんに任せて!」
態度を一変させ、レリィは威勢良く前へと歩み出た。
現金な奴。だが、欲望に素直な姿勢は好感が持てる。明確な打算が働いている人間ほど、行動の予測も立てやすい。それでこそ信用できるというものだ。
幅の狭い洞窟を進んでいくと、ほどなくして大きな空洞に出た。
その空洞の中心に、巨大な岩を直接くりぬいて作られたと思われる神殿が建っていた。相当に古い建造物。永い時を経て劣化が進み、あちらこちらが崩れかけていた。
「……古めかしい遺跡。神様でも祀っていたのかな」
「大昔には、世界を
「……へぇ」
レリィは何故か感心したような声を漏らして、上目遣いにこちらを見やる。視線を感じて横目で見返すと、レリィはすぐに古びた神殿へと目を戻した。
「君、神様を信じているんだ。意外……でもないか、幸の光を探しているくらいだし」
「信じるも何も、神々と呼ばれた者が存在したのは歴史的な事実だ。各地にその痕跡も残されている。むしろ、幸の光なんて伝説より、よほど現実味のある話だろうが」
「そうなの? 神話なんて、想像の産物だと思っていたけど」
「お前の考えているのは……天地創造の神、唯一絶対の主、星々の連なり、
「俗世の存在なんだ……神様も堕ちたもんだね……」
朽ち果てた遺跡をしみじみと眺め、遥か過去を懐かしむような遠い目になる。
まさに諸行無常と言うところか。
かつて神々と呼ばれた者達は、進化を間違えた生き物、その成れの果てであったとされている。彼らは『魔導開闢期』に自然発生したとも、人が生み出したとも言われている。
人を超えた存在、如何なる生物よりも優れた『超越種』として生態系の頂点に君臨し、それまで世界を統御していた人間に成り代わったとされる。だが、彼らには生命としての致命的な欠陥があった。
強靭にして長命である一方、子孫を残すための生殖機能を持ち合わせていなかったのだ。
そして多くの超越種が、長い年月を重ねて精神を病み、暴走した挙句に自滅するという末路を辿った。
現代においても超越種は存在する――あるいは新たに生まれている――と聞くが、彼らは非常に稀な存在で、やはり末路は自滅に行き着くらしい。
初めから、生命としては不完全な存在だった。
故に彼らの栄華は永遠には続かない。
後に残るのは、彼らを崇め奉った愚者どもが夢の跡。
「……神話など今はどうでもいいことだ。とりあえず、あの神殿を調べる。何でもいい、手掛かりになるようなものを――」
「駄目、止まって」
神殿に近づこうとしたところをレリィに制止された。
これまでになく真剣な表情に、思わず気圧されて足を止める。
厳しい表情でレリィが睨み据える先には、神殿とその入り口に建てられた三本の柱。その柱の中央に、ぎらぎらと光る金属の塊が鎮座していた。
「あれは……?」
良く見ると金属の塊には獣の顔が彫りこまれ、四本の足も生えていた。その四肢には、錆びて朽ちかけた鎖が申し訳程度に絡み付いている。
もっと近くで観察しようと、一歩足を踏み出した――その時。
骨が軋むような不快音を発しながら、金属の塊が四本の足で重々しく体を持ち上げる。そして、小さな両の目の目蓋をゆっくりと開き始めた。
「……竜?」
レリィの疑問の声に応えてやることはできなかった。
強いて言えば、ずんぐりむっくりとした体型の竜、と言えなくもない。
だが、その体を覆うのは甲冑の如き金属質の鱗と、背中から何十本と生えた
(――いや、動物であるというだけで、生物ですらないのかもしれない……)
ただ、決められた動作をするだけの無機物。
目の前の怪物はそんな印象を抱かせた。
「どうする? 引き返す?」
「……あれがどういうものか、まだわからない。ただ、危険なものだったとしても引き返すつもりはない。可能なら捕獲して調べたい。暴れるようなら破壊してでも――」
――ギィイイィ……と、怪物は四本の足を動かして、緩慢な動作でこちらへ向き直る。
怪物の動きに、妙な気配を感じて身構える。
レリィもまた警戒態勢に入っている。
普通に考えたら、噛み付くにも突進するにも襲い掛かるには完全に間合いの外。加えて緩慢な動作。果たしてこの怪物は、これから何をしようというのか。
怪物の一挙手一投足を見逃すまいと注視する。
……そんなこちらの行動に対応したのか、それとも予め登録された行動だったのか。
怪物は――眩い光を放った。
「――くぅっ!!」
「きぁうっ! ま、眩し……い」
二人揃って眼の網膜を焼かれる。完全に不意を突かれた。
怪物は背中に生えた硝子の角柱から強烈な閃光を放ったようだった。明らかにこちらを意識しての攻撃。そう、これは攻撃だ。
(……こちらの目を眩まして、次に来る行動は――)
考える間も惜しい。とにかく広範囲に強固な防御を。
判断は一瞬。手探りで、懐から防御の術式を封じた結晶を取り出す。
結晶の形状にはそれぞれに特徴がある。選び出したのは、六角錐の結晶が数本まとまった水晶の
(――壁となれ――)
『白の
意思を込め、呪詛を吐くと同時に水晶の群晶を地面に叩きつける。
一連の動作によって術式が発動すると、地面に叩きつけた水晶を核にして、巨大な水晶群が瞬時に生み出される。視覚では確認できなかったが、意思に込めた通り、分厚い水晶の壁が怪物との間を隔てたはずだった。
術式発動から一瞬の間もなく、地面を揺らすほどの鈍い衝撃音が洞窟全体に反響する。
そして、水晶の砕ける高く澄んだ音色もまた響いた。
(……突進してきたのか!? 距離はかなり開いていたのに……見た目以上に速い!)
術式を封じ込めていた水晶が小さく音を立てて砕け散る。
外部から魔導因子を流し込んで発動させる天眼石の魔導回路と違って、この水晶には予め大量の魔導因子を貯蔵してあった。
故に、意識の集中を必要とせずに強力な術式を発動できるが、一瞬で大量の魔導因子が流れる為、魔導回路がその負荷に耐えられず決壊してしまうという欠点がある。使い捨てで再利用もできないので
それでも、一瞬で強力な術式を発動できる利点は大きい。その一瞬が、生きるか死ぬかの境となるのだ。今にしても、すぐに防御に転じていなければ一撃で轢き潰され死んでいただろう。
……辛くも怪物の第一撃目は、どうにか食い止められた。だが、間合いを瞬時に詰めるほどの機動力と、鉄よりも硬い水晶を砕く頑強な体躯。
その威力を想像して、背筋に悪寒が走る。
本気でやらねばならない。
「レリィ! 目は見えているか!」
「駄目! 見えない!」
視力の回復には時間がかかる。それを待っていてくれるほど敵は甘くないはずだ。
今度は懐の結晶を探るのではなく、右の耳飾りに付けられた丸い石を軽く抓んだ。
焦る気持ちを落ち着けて、魔導因子の生成に神経を集中する。魔導回路が満たされて、術式の発動が可能になったことを感じ取り、意思を込める。
(――見透かせ――)
『魚の
術式の発動と共に視覚が回復する。
そればかりか、洞窟全体を見渡せるようになる。
この『魚の広角眼』は本来、死角を補う為の術式だ。それを今回は単純に、眩んだ両目の代わりとしていた。
すかさず周辺の状況を探る。
怪物は……当然の如く顕在。鱗の表面に無数の傷は見えるものの大した損害ではなさそうだった。それでも頭から水晶の群れに突っ込んだことで、群晶の隙間に挟まって身動きが取れなくなっているようだった。
この機を逃す手はない。未だに視力が回復せず、戸惑いの表情で辺りを警戒しているレリィにも『魚の広角眼』の術式を掛けてやる。
急に戻った視力にレリィはいっそう混乱の度合いを深めた。
「な、何これ!? 見えるようになった? けど、なんだか視界が歪んで、目、目が回る~!」
「うろたえるな。今はとにかく、その感覚に慣れろ」
「うぇえ、酔いそう……。クレス……君の姿が二頭身に見えるよ?」
訳がわからないなりにレリィは状況を把握しようと努力する。まず、二頭身のこちらを視て首を傾げ、辺りに生えた無数の巨大水晶に驚き、最後に怪物の姿を捉え身構えた。
その頃になって、怪物は水晶の柱を圧し折って、ようやく体の自由を取り戻した。
「おっそろしい相手だってことが、よくわかったんだけど……まだ続けるの?」
「当然だ」
微塵の迷いもなく、はっきりと戦闘続行を告げてやると、レリィは覚悟を決めたように長い棒を握り締める。
「それじゃ……ま、一つ挑戦してみます……かっ!」
言うが早いか、レリィは全速力で怪物の後ろに回りこみ、飛び跳ねて全体重を乗せた一撃を繰り出す。
痛快な一撃が怪物の背中に決まり、見事にレリィの棒は折れ飛んだ。
「ああ、嘘! 折れたぁ~!」
「役立たずが……」
思わず大声で罵倒してやろうかと思ったが、この一撃で怪物はレリィに興味を示した様子だった。この隙を利用して攻撃を仕掛ける方が利口だろう。罵倒の台詞は飲み込んで、次なる術式の発動に意識を集中する。
取り出したのは再び水晶。だが、先程のような群晶ではなく、六角錐の結晶が対を成す双子の水晶である。
(――貫け――)
『
呪詛を吐き、結晶を硬い地面に突き立てる。
無数の小さな結晶が地を走るように前方へと成長していき、怪物の真下まで到達すると爆発的に成長を遂げた。
鋭い形状をした二本の水晶が地面から飛び出し、けたたましい音を上げて怪物を真下から突き上げる。間近で様子を見ていたレリィからは驚愕の声。
「地面から――生えた!?」
――がくん、と怪物は大きく体を揺らして仰向けに転がった。しかし、水晶の剣で突き上げられた怪物の腹は、数枚の鱗が弾け飛んだだけであった。
半ば予想してはいたが、ここまで頑丈なのには恐れ入る。とは言っても、全く効果がないわけでもないようだ。ならばレリィにも、もう少し働いて貰わねばなるまい。
三度、懐から取り出したのは水晶。ただし、今度は一本だけの六角水晶。
(――組み成せ――)
結晶に意思を込めた後、これをレリィに向かって放り投げる。
「受け取れ!」
「取れ……って! それ何なの!?」
『
六角錐の先端が地面に突き刺さり、術式発動の合図と共に水晶は急速に成長を始めた。そして、水晶が人間の足一本分の大きさに成長した段階で、新たに六角錐の底部から握り棒の形をした結晶が生えてくる。
「あれは――。……うん、使えそう!」
成長を遂げた水晶棍を拾い上げると、レリィは果敢に怪物へと挑み掛かった。怪物はまだ仰向けに転がったままだ。
「てえぇぇえい!!」
気合一閃、怪物の腹に向かって水晶棍を打ち込む!
鱗の剥げた部分を狙って打ち込まれた水晶棍は、先程の突き上げで罅の入った鱗も数枚砕きながら、露わになった怪物の肉にめり込む。衝撃で、怪物の巨体が弾み上がった。
――――ォオオォ――――!!
咆哮を上げた怪物は、受けた攻撃の反動を利用して自身の体を跳ね上げると、仰向けの状態から体勢を立て直す。見た目の巨体からは想像もつかない動きだ。
間を置かず四本の足を屈伸させると、爆音を発して地面を蹴り、自らを砲弾と化してレリィに突っ込んでいく。咄嗟に水晶棍を前方に構え防御を固めるレリィだったが、突進の直撃を受けて盛大に吹っ飛ばされた。
レリィは地面を滑るように転がっていき、洞窟の壁に背中を強く叩きつけられる。衝撃で髪留めが外れ、括られていた髪の一房が解れた。
乱れた髪の一房は、深緑から真紅へと染まっていく。
レリィは地面に横たわったまま、微動だにしない。
「……当てにならんな。もう少し、戦えるかと思ったが……仕方ない」
続けて仕掛けるはずだった『双晶の剣』を中断し、紅水晶の術式に切り替える。
そう決めた直後、不意に目に止まったのは洞窟の天井へと立ち昇る、翠色をした光の糸。
(……光……? 何の光だ、あれは……?)
「あー……。いっ……痛いなぁ~……もー……」
間の抜けた声を出しながら、頭を抑えてレリィが起き上がった。
彼女の解れた髪が、八つに分けた髪の一房が、
「本気、出すからね。覚悟しなさい……!」
髪を掻き揚げ、更に二つ、三つと髪留めを外すと、先程までとは比較にならないほど膨大な量の光が、解れた髪の毛から迸る。
――宙へたなびく翠の光。
その光は紛れもない、闘気――。
水晶棍を担ぎ上げ、一足飛びに怪物へと肉薄するレリィ。全身を捻って力を溜め、水晶棍を大きく振りかぶり怪物の脳天目掛けて打ち下ろす。
――ゴゥン! と烈風を伴った一撃が炸裂し、翠の閃光が薄闇の洞窟内を奔り抜ける。
――――グヴォォオオオオオオォ――――!!
頭蓋を守る鋼鉄の鱗がひしゃげた。
怪物はおぞましい怨嗟の念を込めた咆哮を上げつつ、レリィに向かって突撃する。その
怪物は突撃の方向を強制的に捻じ曲げられ、神殿前の柱に激突した。
「圧倒的だな……」
レリィと怪物、互いの優位性は完全に逆転していた。このままの勢いであれば、いずれ怪物は原型を止めなくなるまで徹底的に破壊され、活動を停止するだろう。
(……だが、それでは困る。壊すにしても、もう少し綺麗に壊してくれなければ……)
これ以上、レリィによって貴重な『証拠品』が傷付けられないように、強力な術式でもって一気に方をつけることにする。
「神の眷族か、それとも単なる神殿の守護者か。どちらにせよ旧時代の化石……」
四肢を投げ出し突っ伏す怪物に、ゆっくりと歩みを進め近づいていく。
(――薙ぎ払え――)
『
紅水晶から桃色に輝く光の鞭が伸び、怪物の四本足に絡みつく。
水晶との激突でも、その堅牢さを誇示していた金属の鱗。それが光の鞭に絡みつかれると赤熱し、すぐさま強度を失って溶け落ちる。
――同時、四本の足は光の鞭に括られて、あっさりと焼き切れた。
「進歩した人の英知を舐めるな。お前たちの時代は、
紅水晶に代わって次に取り出したのは、限りなく空の色に近い結晶。
淡青色に透き通った
「レリィ。
足を失ってもがく怪物を前にして、傍らで立ち尽くしていたレリィを後退させる。
天青石に刻まれた魔導回路を、脳内で生成した魔導因子でじっくりと満たしていく。
ほどなくして結晶は、淡く、冷たく、輝き始めた。
怪物に止めを刺す最後の術式の発動。
意思を込め、その呪詛を口にする。
(――
『青き群晶!』
手の平の上で天青石を核にして、淡青色の結晶が成長を始める。
その成長は遅々たるものだったが、放り投げられた結晶が怪物に当たって、かつんっ、と軽い衝撃を受けると、結晶は四方八方へ爆発的に成長して、怪物の巨体を丸ごと結晶の内部に取り込んでしまった。
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