第169話 幻惑の呪詛

 レリィによって案内された場所は、大岩が幾つも重なり合ってできたような、複雑な地形をした崖の前だった。


「この崖が四番峰。上へ登るのは特殊な装備や技術がないなら無理かな。でも、上に登ったからって何があるわけでもないと思う。崖の上なら他の峰からも見たことあるけど、岩と草木しかなかったし」

「普段から山歩きをしているとは言え、随分と地形に詳しいな」

「ここら辺はね、以前に散々調べたんだ。父さんと母さんが行方不明になった時、この辺りで猛獣の探索を行っていたらしいから。でも、何も見つからなかった」


 レリィは猟師の仕事をする傍ら、行方不明になった両親の痕跡を探して山林の奥深くまで入ることがあるらしい。

「――五年前、か」

 レリィの両親、猛獣退治に出かけた術士と猟師が失踪したのは今より五年も前のことだ。


 大量の荷物を背負って山に入った二人は、山中で忽然と姿を消してしまった。山に入る姿を見た者はいても、出てくる姿を見た者はいない。

 普通に考えれば、猛獣と遭遇して殺されたと見るべきだろう。ただ、それにしても死体が出てこないこと、同時期に猛獣も姿を消してしまったこと、腑に落ちない点はある。

 そして、もう一つの情報と合わせれば――。


「知っているか? 五年前にも、この辺りで謎の光が目撃されている事を」

「え? そんなことがあったの?」

「知らなくて当然か。その時は深夜の時間帯で、目撃者は少なかったそうだからな」

 連盟の女から聞いた情報だった。


 更に遡れば十五年前にも謎の光が観測されているらしかった。

 その当時は、幸の光である可能性が持ち上がり、密やかにではあるが、研究者達によって徹底的な調査が行われたそうだ。しかし、これと言って特別なものは何も見つけられなかった。


 最終的に、光信仰教団も、幸福調査旅団もこれは幸の光ではないと結論付けて調査を打ち切ってしまった。


(……確かに、怪しいものは何も見当たらない。が、ここには何かがある……)

 五年前の失踪事件と猛獣の出没、そして謎の光。

 これらには関係があるような気がする。


 奇しくも、状況は再現されようとしている。

 謎の光が目撃され、一組の猟師と術士が森に入った。後は猛獣でも出てきてくれれば五年前の再現になるのか。それとも、この場で何か特別な行動を起こす必要があるのか。

 森の中は真っ暗で、ランプの明かりを照り返す崖の岩肌が殊更に強調されている。


「ねえ、これからどうするの? もしかして、この崖を登るとか?」

「少し待て。考えをまとめている」

 ずっと考えていたのは、大量の荷物を背負って山に入ったレリィの両親のこと。


 猟師と、術士。

 四番峰までの登山なら大量の荷物は不要なはず。

 ましてや、目的は猛獣退治だったはず。狩りが始まってしまったら大きな荷物は移動の邪魔だ。

 だとすれば、それ以外の理由で予め持ち込む必要のある荷物があったということ。


(……大量の荷物は、ひょっとすると術士であるレリィの母親が用意した、何らかの儀式の準備だったのではないか? 猛獣を誘き出す為の術式か? それとも、猛獣の棲み処を見つけ出す術式?)


「考えていても始まらないな。試してみるか――」


 左耳に付けられた耳飾りを軽く指先で触れる。

 黒、茶色、象牙色の三色が、同心円状に入り混じった不気味な球形の石。

 ――天眼石アイズアゲート――。

 石の主成分は、一般的に知られている鉱物の水晶と変わらない。

 だが、様々な含有物が層を成し、取り分け緻密な結晶構造をしている。


 これは、ある特殊な術式を封じるのに適した石だった。肉眼ではほとんど視認できないが、この石の内部には術式を構成する『魔導回路』が刻み込まれている。

 これに、人の脳から発生する『魔導因子』を流し込むことで術式が発動する。


(……さて、鬼が出るか蛇が出るか)


 意識を集中する。

 やがて、脳髄を搾り上げられるような感覚と共に、脳の神経を通じて魔導因子が分泌される。魔導因子の流れを指先へと誘導し、天眼石に刻み込まれた魔導回路へと、術式の原動力たる魔導因子を流し込む。


 仄かに、天眼石が白い光を帯びる。

 回路が魔導因子で十分に満たされた事を見て取り、術式発動の意思を込めた。


(――見透かせ――)


 魔力が効果を発揮する独特の感覚が湧きあがってくる。

 あとはただ、楔の名キーネームを発して術式を発動させるだけだ。意識を集中しながら、一呼吸して口を開く。


『天の慧眼けいがん!』


 呪詛の一声と共に、目の前の風景が一変した。

 木々も岩も全てが半透明に透けて見える。

 隣に佇むレリィの身体でさえ例外ではない。服を透かして、肉を通し、骨格までもが赤裸々に暴かれている。


(……ん? この娘の体……いや、今はそれどころではないな。周囲の探索を優先しよう)

 レリィの身体構造が少し気になったのだが、目的は彼女の身体を調べることではない。


 周囲をぐるりと眺め回した後、改めて眼前の崖へと向き直る。

 先程まで何の変哲もない崖に見えたそれは『天の慧眼』の発動によって、隠されていた真実の姿を曝け出していた。


 深く、縦に長い亀裂が走っており、その隙間の奥には巨大な空洞がある。

 半透明の景色に混じって、亀裂の周囲に色鮮やかな波紋も見えた。それが、長年この亀裂と奥の大空洞を隠し続けてきた仕掛け――『幻惑の呪詛』であることまで読み取れた。


 わざわざ呪詛を掛け、そこには何も無いかのように人の目を欺いている。

 もはや、何かがその中にあることは明白であった。

 いきなりの当たりに思わずほくそ笑む。


「こうも早く見つかるとは……」

「何笑ってるの、君。大丈夫?」

 傍目には何もない崖を前にして、薄ら笑いを浮かべているように見えたのだろう。

 レリィはやや離れた場所から、憐れみの目でこちらを見ている。失礼な態度でせっかくの愉悦も台無しになった。


 一々、状況を口で説明する気も失せてしまったので、何も言わずただ黙って崖の亀裂に体を滑り込ませる。その行為がレリィの目にどう映るか――。


「――んがっ!? 崖に! 吸い込まれた!? ちょ、ちょっとぉ! ……ク、クレス~!?」


 レリィは崖の亀裂を前にして、無言劇パントマイムの見えない壁を演じるように、何もない空間に向けて手を当てたり、頬を押し付けたりしている。

 見えない壁に阻まれて亀裂内部に入って来られないレリィの様子は、亀裂の内側から眺めると実に滑稽であった。

 それと同時に、この呪詛の本質もまた窺い知れた。


(……なるほど、つまりはそういう呪詛か)


 しばらく崖の亀裂の前――何もないはずの空間――に額を当てて、自分も崖へ吸い込まれないか試していたレリィだったが、早々に諦めたのか、溜め息をついて天を仰ぎ始める。


「あたしは何も見てない。初めから誰もいなかった。クレスなんて奴のことも知らない。うん、きっとそうに違いない! これは精霊の悪戯いたずら……」

「そんなわけあるか」

「うぎゃぁああ――!」


 崖から生えた手に髪の毛を掴まれ、レリィは品のない叫び声を上げながら、今度こそ岩壁の中へと引き込まれていった。

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