第168話 山麓道中

 光が目撃されたと言う地点、四番峰は山の麓からさほど遠い場所ではなかった。

 峰の高さも、三番目の半分程度しかない。これが一番に高い峰であれば、山頂は白い雪を被っており、重装備で数週間をかけて挑まなければならなかっただろう。


 日の沈み始めた、なだらかな丘陵線を横目に、少女の案内で山へと分け入る。目的地までは徒歩で三時間程度という話だ。

「付いて来れそう?」

 少女はからかうように確認してきた。


 昨晩、六時間以上の峠越えをしてきた自分にとっては、どうと言うこともない。夕方まで眠っていたおかげで疲れも抜けている。

 ぶっきらぼうに「問題ない」と、返答してやると、少女はつまらなそうに鼻を鳴らして顔を背けた。

 その後しばらく、お互いに無言で歩き続けていた。


 少女は時折、こちらの様子を横目で盗み見ては、視線が合うと慌てて目を逸らすという事を繰り返していた。何か気になることでもあるのだろうが、特に何も言ってこない以上こちらから何か言うこともなかった。


「ね、君さ。何で幸の光を探しているの?」

 少女は前を向いて歩きながら、不意にそんなことを訊ねてきた。

 夕日の斜光に照らされた少女の横顔は、改めて間近で見ると――美しい。

 整い過ぎていると評価しても良いほどか。

 ただ、澄ました横顔はどこか表情を隠しきれておらず、こちらの事情に興味津々といった様子が窺える。


 ……表向き、仕事の依頼を受けたという話なら隠すべきことはない。本心は、依頼にかこつけて自分が幸の光を手にすることにあるが、そこまで話す必要はないだろう。


 こちらがそんな思いを巡らせている一方で、彼女は独自の予想に行き着いていた。

「君、ひょっとして光の巡礼者?」


 光の巡礼者とは、かつて幸の光が降り注いだとされる聖地を歩いて巡る、物好き連中のことだ。そして聖地と呼ばれる場所は、様々な組織・団体や研究者によって徹底的に調査されつくした後、観光名所として定着した土地である。

 もはや真新しいことなどないとわかっているにも拘らず、その地を訪れようとする連中は後を絶たない。


「ここってヘルヴェニアの近くだし、時々来るんだよねぇ、熱心な人が。そういうことなら協力も惜しまないよ。巡礼者を助けると幸せのおこぼれが貰えるって話もあるし……」

 大きく的を外した答えに、少女は輪をかけて勝手な想像を膨らませていく。

 おかしな誤解を招く前に、素性をはっきりさせておいた方が良さそうだった。



「そういえば、お互いに自己紹介まだだったよね。あたしレリィ・フスカ。村では用心棒や畑仕事まで、力のいる仕事なら何でも引き受けているよ」

「逞しいことだな。まあ、精々いい働きをしてくれ、レリィ・フスカさん」

「あ、あたしのことはレリィって呼び捨てでいいよ」

 日が落ちてすっかり暗くなった森の中、ランプで道を照らして歩きながら、お互いの自己紹介をしていた。


「俺の名はクレストフだ」

「クレスだね。覚えたよ」

 名乗ったそばから呼称を略してくる。こういった馴れ合いは好ましくない。


「俺の名前を気安く呼ぶな。これまで通り、代名詞でいい」

「……う、君ねぇ……。もうちょっと友好的な態度が取れないのかな……。雇用する側、される側の距離感を強く感じるんだけど……。はぁ、仕方ないか、どうせ日雇いだし……」


 こちらのことを巡礼者だと勘違いしてから、明らかにレリィの挑発的な態度は軟化していた。そのままの方が円滑な人間関係を築くには都合が良かったのかもしれない。

 だが、すぐにそうではないと明らかになる事実だ。

 話がややこしくなる前に、こちらの素性を明かしておくべきだと判断した。


「一応、断っておくが俺は巡礼者じゃない。首都じゃ、名の知れた一級術士で――」

「首都! 首都から来たの!?」

 首都、という単語に過剰反応するレリィ。田舎娘の、都市への憧れというやつだろうか。

 それにしても、人がせっかく懇切丁寧に自己紹介をしてやろうと思ったのに、見事に話の腰を折ってくれる。


「ああ、羨ましいなあ……。あたしも首都に住んでみたいなぁ。ね、首都だと仕事って色々とあるんでしょ? 傭兵とかさ」

「……首都まで出てきて、傭兵になりたいのか?」


 話の腰を折られたことは不愉快だったが、それよりもレリィの首都への憧れが、少しばかり一般婦女子のそれとは違うことに違和感を持った。完全に出稼ぎ労働者の目線である。

 内心、もう少し年相応の少女らしい夢を期待してしまった。


「山奥の村で猟師やっているよりは稼ぎも良さそうだし。活躍して有名になれば、ほら、騎士になれる可能性もあるって聞くし。あたしね、騎士になるのが夢なんだ……」

 なるほど、騎士か。

 前言撤回。この娘はとてつもなく、夢見がちな少女であった。


「はっきり言って難しいな。その道は諦めた方が無難だ」

 ここは一つ、レリィの世間知らずを笑い、落ち込ませてやろうと思いつき、騎士を目指す者に立ち塞がる数々の障害を教えてやった。


「傭兵上がりの騎士は確かに多いが、傭兵の数からすればほんの一握りだ。そもそも騎士協会で認定を受けるには、有力者の推薦と高額の登録料、それと認定試験に合格する必要がある。ああ、ちなみに認定試験を受けるにも、これまた高額の受験料がかかる。並の傭兵じゃ、一年間の稼ぎを全て注ぎ込んでも、受験料が払えるかどうか、ってところだろう」


 考えられる障害と試練を一通り挙げてやると、案の定、レリィは話に衝撃を受けた様子で顔を俯け、大きく肩を落とした。


「そうだったんだ……。それってつまり、後援者パトロンさえ得られれば実力次第って事だよね? そ、そっかぁ、そうなんだ……。いいこと聞いちゃった、くふふっ……!」

 話を聞いて、レリィは奮起した。

 含み笑いと共に、落とした肩が小刻みに震えている。

 日の落ちた山林の中に、白い悪魔を垣間見た気がした。

 もう一度、前言撤回。この娘は意外と計算高く、油断ならない。




 ……山に入ってから、この質問をしたのは何度目になるだろうか。

「まだ目的地に着かないのか?」

「まだまだ、半分ってとこだよ。疲れた? 休憩する?」

「先を急げ」

「痩せ我慢は格好悪いよ? きつくなったら言ってよね」

 痩せ我慢などではない。

 目的地への到着を気にかけていたのは、単に自分がせっかちな性格だからである。

 時は金なり、という先人の格言を思い出す度に、時間の浪費を許し難く感じてしまう。


「……そういえば、騎士を目指しているとか言ったな」

 無言で歩き続けていると、無駄に時間を浪費しているような気がしてならず、この合間に少しでも情報交換をしておこうと、山道を先行していたレリィに話しかける。

 レリィは、話しかけられるのを待っていたかのように、すぐに立ち止まって後ろを振り返った。


「歩みは止めるな」

「むっ……ぐ。か、可愛くない奴ぅ~。……気を使ってるあたしが馬鹿みたい」

 どうやら休憩しようと声をかけた、とレリィは受け取ったらしい。


「お前の親兄弟や、親戚に騎士はいるのか?」

「……さあ? 母さんは術士だったけど、父さんは普通の猟師だった。親戚は知らない」

「知らないのか? 騎士を目指しているのに、両親に身近な騎士の話を聞いたりしたこともないのか?」

「知らない。親戚付き合いなんて全くなかったし、あたしが騎士を目指そうと思ったのも父さんと母さんがいなくなった後だから」


 静かな夜の山道。

 二人の間に沈黙が流れ、虫の鳴き声と、木々の葉擦れの音が耳障りに聞こえてくる。


「なんだそれは。お前の両親、蒸発でもしたのか?」

 深い意図もなく尋ねると、レリィはその瞬間にずっこけた。

 暗闇の中だ。木の根っこにでもつまづいたのだろう。

 レリィはのろのろと起き上がると、隣で様子を見ていたこちらを恨めしそうに睨み、服についた土を叩いて落とす。


「……普通、こういう時って『すまん、つまらないことを聞いた』とか、『辛いなら話さなくていいぞ』って、優しく言葉をかけるものじゃないの……?」

 なにやらこちらの反応が気に入らなかったらしい。

 妙な拘りがあるものだ、とは思ったが、わざわざ要望に従ってやる義理はないはずだった。


「転んだ女の子を助け起こそうって、そぶりもないし……」

 レリィはぶつぶつと文句を垂れながら歩き出す。

 とりあえず、こちらも歩調を合わせて歩き出した。


「うちの両親はね、五年くらい前に山の猛獣退治に出かけたきり、行方不明になったんだ」

「すまん、つまらない。話さなくていいぞ」

「ここは黙って聞いて――っ!」

 最近の若い娘は難しい。




 レリィの両親の話はその後、大した展開もなく終わった。

 結局、猛獣は退治されたのか、どこかへ逃げたのか、それ以降は目撃されることもなく、レリィの両親も行方不明のまま現在に至るらしい。


 ただ、その二人が失踪前、大量の荷物を背負って山へ入る姿を村の人間が見ており、子供を捨てて都会に出たのではないかという噂が広まったそうだ。よくありがちな、本当につまらない話だった。


「それで、結局のところ親戚に騎士がいるとどうだって言うの?」

 喋るだけ喋ってすっきりしたのか、ようやく当初の話の筋へと戻ってくる。

「遺伝的な資質も無視はできない、ということだ。騎士を目指す者にとって、一番の難題は『闘気』を発する素養があるかどうかだからな」

「闘気? なにそれ?」

「……わからないのならいい。説明したところで、どうなるものでもない。こればかりは才能だ」

「えぇ~? どういうものかくらい、教えてくれてもいいのに、ケチ」


 傭兵業でも続けていればいつかは必ず目にするはずだ。本物の騎士が発する、闘気と呼ばれる脅威の技を。それを目にすれば、自分が騎士になれるかどうかなど一発でわかる。

「け~ち、ケチ。本当は知らないんだー」


 あれは言葉で説明できるものではない。

 三流の騎士でさえ、闘気を纏えばほぼ全ての呪詛を退け、並の術士の攻撃は無効化してしまう。第一級の術士でさえ、騎士の闘気を打ち破るには相当に強力な術式を要する。

 騎士になれなかった自分がその劣等感を克服する為に、どれほどの修練を積まなければならなかったことか。

 心身の修練だけでは及ばず、対費用効果コストパフォーマンスを無視した独自の術式を編み出して、ようやく騎士に対抗できるだけの力を得たのだ。

 今でこそ劣等感はないものの、羨ましいと思うことは幾度もある――。


「おーい、ケチケチ魔王く~ん」

「誰が、ケチケチ大魔王だ!」

 こちらの心の葛藤など露知らず、無神経なレリィは人のことをケチ呼ばわりする。が、ふざけた口調とは裏腹に、レリィの表情は真剣そのものだった。


「到着したよ。ここが四番峰、例の光が目撃された辺り」

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