第167話 幸せの案内人

 幸の光は世界各地で目撃例がある。

 特に、西方の国、神聖ヘルヴェニア帝国においては、つい最近も観測されたと言う話があったばかりだ。


 今回の依頼は、ヘルヴェニアとの国境付近にある山奥でそれらしい光が目撃された、との情報について調査し、真偽を確かめることである。

 幸の光についての真偽は定かでないが、謎の光が目撃されたことは間違いのない、確実な情報である。


「まずは……場所の確認か。面倒だな……」


 朝方、峠を越えて村に着いた後、宿で一眠りしたら夕方になっていた。

 元より調査は夜間に行うつもりだったので、予定通りと言えなくもない。とりあえず、旅行者の助けとなる案内所で、山を案内できる人間の紹介を求めることにした。


「山の案内? はぁ、ここらは行楽地じゃないからねぇ。最近は山林の猛獣達も多いし、地元の人間だって山の中には滅多に入らないよ」

 名ばかりの案内所職員の男。普段は別の仕事をしているのだろう。山の案内を頼んではみたものの反応はいまいちだった。


「少し山奥まで入り込むことになる。多少、代金が掛かっても構わない。夜の山歩きと、武術に長けた者がいれば雇いたい」

「へぇ!? あれ、あんたひょっとして、観光で来たんじゃないの? 何かの仕事?」

「……ここは、行楽地ではないんだろう?」

 愚鈍な田舎者でも、金が絡むと反応も違ってくる。


 案内所の職員は「それならば適任者を探して来るから、村に一つある食事処で待っていてほしい」と言い残して、案内所を飛び出していってしまった。

 他に、旅行者でも来たらどうするのか、案内所には誰もいなくなってしまった。


「田舎、だな……」

 山林に囲まれた村には、畑と水路、それに小さな家々がぽつり、ぽつりとあるばかり。

 村の中心には外からの客を泊める為の宿屋があり、隣接して大きな食堂が建てられている。もっとも、大きな建物といっても村の中での話だ。首都の建物で言えば中位の倉庫と表現するのが相応しく、それが村唯一の食事処のようだった。


「貧しい村だ」

 素直な感想を洩らしながら、きゅぅう、と腹を鳴らして食事処へと向かった。

 思い返せば、昨日の夜から何も食べていなかった。




 村の食事処で山歩きの適任者とやらを待つ間、やや早めの夕食をとる事にした。

 品書きなどなく、村の食材で作られた定食が数種類しかなかった。味はお世辞にも良いとはいえなかったが、量だけは多かったので空腹を満たすことはできた。


 腹を休め、食後の茶を啜っていたところで先程の案内所の男が現れる。

「やー、お待たせしました。山奥まで案内できる、腕の立つ用心棒と言うことで、なかなか適任者がいなかったのですが、見つけてきましたよ!」

 いつの間にか敬語に変わり、わかりやすく手揉みまでしてゴマをすってくる。


 そんな男の後について来たのは、峠越えで遭遇した棒術使いの少女だった。

 思わぬ再会にお互い顔をしかめる。思わず口を衝いて出た言葉は――。


「小娘じゃないか」


 見たままを言っただけなのだが、この言葉で少女はあからさまに機嫌を悪くした様子だった。背中に担いでいた長い棒を乱暴に床へ下ろすと、自身は近くにあった椅子へ無言で腰掛ける。


「いやあ、実はこう見えて彼女、村じゃ一番の腕っ節なんです。つい先月には、剛腕竜ディノケイルスをたった一人で仕留めたんですから! 山も歩き慣れていて、間違いなくお役に立てますよ」


 予想してしかるべきだった。この村は本当に田舎なのだ。

 普通、一人でも常駐の用心棒がいれば、他の人間に回ってくる仕事などない。故に、仕事がなければ人も集まらず、いざという時には慢性的な人材不足になる。


 例え相手が危険極まりない剛腕竜――全長一〇メートルを越える肉食竜――だったとしても、たった一人で対処せざるを得ないのだろう。

 ならば当然、今回のような仕事も、その常駐の用心棒が適任者となるわけで……。


「雇うのが嫌なら一人で山に入ったらぁ? 鋭爪竜ディノニクス程度なら、どうとでもなるんでしょ?」

 間違いなく、他に用心棒となりうる人材はいないのだろう。それを知っていて、この少女は挑発的な態度を取っている。


 ……自分の身を守るだけならば確かにどうとでもなる。だが、何の武術の心得もない村人に案内を頼んで、万が一にも死なれては後始末が厄介だ。

 その為の、腕が立つ者、という条件だった。

 適任ではある。腕の程は確認済み。万が一に死んでも、その時はこの少女を用心棒に勧めた者を責めれば済む話……こちらに非が及ぶことはない。


「いいだろう。この娘に任せよう」

 内心で保険を掛け納得したところで、案内所の男には銀貨を二枚くれてやった。案内所の男は満面の笑みで、少女に「粗相のないように」と一声かけて食堂を出て行った。


 残された少女を見やると、彼女は目を丸くして呆けていた。

 ――大方、断るとでも思っていたのだろう。

 感情に流されて、浅はかな判断をするような子供にでも見えたのか。生憎と自分はそこまで愚かではない。他に適任者がいないのなら、相性の悪さに目をつむる程度の分別は身に着けている。


「おい、いつまで呆けている。仕事が決まったんだ。案内を頼む」

「……わかってるよ。山の案内でしょ。どの辺り?」

「とりあえず目指すのは西の山だ。国境沿いに歩いてもらう」

 少女は、国境沿い、という注文にやや怪訝な顔をしたが、特に問い質してくることはなかった。余計な質問はせず、雇い主の要求に従う。


(……良い反応だ。それでいい……)


「勘定」

 食事の支払いを済ませるために、食堂の女主人に声をかける。

「竜の尻尾焼き定食、三〇〇ルピアだよ」

「三〇〇なら、銅貨六枚……五枚しかないな、銀貨もさっき使ってしまったか。後は、金貨しかないが……両替はできるか?」

「金貨の両替かい? ……困ったねえ。うちじゃ無理だし、役場にでもいかないと……」

「そうか、じゃあお前、払っておけ」


 そう言って、代金の支払いを少女に任せる。唐突に食事代の肩代わりを押し付けられた少女は、状況を理解できていないのか何の反応もせずに突っ立っている。

 食堂の女主人が少女の肩を叩き、手の平を上にして差し出す。支払いの要求だ。

「なんで、あたしが!?」

 少女の文句を背に受けながら、食堂を後にした。



「待ちなさいって、君! ちょっと、せこいんじゃない!?」

 食事代を支払わされた少女は憤慨しつつ、大変に失礼な発言をしてくれる。誰も小娘に驕ってもらおうなどと考えたわけではない。

 突っかかってくる少女の鼻先に金貨を一枚押し付けてやる。反射的に受け取ってから、その輝く金色をまじまじと見つめ、数秒あってから少女はようやく顔を上げた。


「なにこれ?」

「金貨だ。見たことないのか? 偽物じゃないぞ」

「そうじゃなくて! 本物だってことはわかるよ! だから、この金貨には何の意味があって、あたしに渡すのかっ……て!」

 力みすぎたのか、それとも手に汗でもかいたのか、少女は金貨を取り落とす。畑の脇の排水溝に向かって転がっていく金貨に、慌てて飛びかかり捕獲する。


「粗末に扱うなよ。それはお前の報酬だからな」

「はあ、ふぅ……。え、報酬? 誰の? あたしの?」

「前金で金貨一枚。後金でもう一枚。それが今回の仕事の報酬だ」

「ふぅん……結構、気前がいいんだね? 夜の山道案内で金貨二枚……。そういえばさっき案内所の人にも銀貨渡していたし……」


 地べたに座り込んだまま考え込む少女。

 何を考えたのか、顔を真っ赤にしながら、慌てて金貨を突き返してきた。


「だ、駄目! 受け取れない! あたし、そういうお仕事は経験ないから!」

「いったいどんな仕事を想像した! 危険手当に決まっているだろうが!」

「き、危険!? どどど、どうして知っているわけ!? あたしの危険日のことなんて――」

「そんなこと知るか! 山奥には猛獣が棲息していて、夜間は特に危険だから、その為の手当てだ! これから五日分のな!」

「――あ、なんだ、用心棒代か。うんうん、まあ五日分なら、こ、これくらいかな?」


 金貨に目が眩んで相場を計りきれていないようだった。

 田舎でこういった仕事を受けることは滅多にないのだろう。食堂でも金貨の両替ができないなど、貨幣の流通があまりないものと思われた。


「契約成立だな。……さて、山に入る前に少し、下調べをしておきたい。そこで、お前にも情報収集を手伝ってもらうことになるが……」

「えぇー? 情報収集? 何だか面倒な仕事だね……」

「簡単なことだ。最近、目撃されたと言う謎の光、その目撃地点に関する情報が欲しい。村に住んでいるなら話くらい聞いたことがあるだろう?」

「謎の光って、もしかして幸の光のこと?」


 あまりにも自然な会話の中、不意に出てきた『幸の光』という言葉に虚を突かれる。

 思わず片眉がぴくりと跳ね上がり反応してしまったが、それ以上は動揺を表に出すような迂闊な真似はしない。


 幸の光に関する話を求める者は多い。

 組織的な団体で言えば西国ヘルヴェニアの『光信仰教団』、大きくは北国ノーザンピークの『幸福調査旅団』など、そんな連中がどこで聞き耳を立て、目を光らせているか知れたものではないのだ。


「……幸の光だと言うのか? その謎の光の正体が」

 努めて平静に声を抑え、あくまでも自然に流れる会話の中で話の真偽を探る。

 少女もまた、そんな雰囲気を感じ取ったのか、内緒話をするように声を潜める。


「んー……皆が勝手にそう言っているだけだと思うよ? 光の柱ならあたしも見たけど、あれはただの明るい光だったもの」

「――お前、見たのか……!」

 つい、勢い込んで少女に詰め寄ってしまう。


「ま、まあね。村の人も何人か見ていたと思うけど? 聞き込みしてみる?」

「いや、必要なくなった。それより、光を見たのはどのあたりだ」

 聞き込みをしたところで、光を目撃したこと以上の情報は手に入らないだろう。下手に聞き込みをすれば、かえって妙な好奇心を抱く輩が現れるかもしれない。あまり目立つ行動をしていると、最悪、こちらの調査を妨害してくる可能性もある。

 それよりも、この少女が数少ない目撃者だというのは朗報だ。普段から山歩きしている分、普通の村人よりも正確な位置を把握できているはず。


「西の山の尾根。四番目に高い峰の辺りかな」

 思ったとおり、少女は迷うことなく山の一点を指差した。

 幸先が良い。

 ひょっとすると今日にでも、具体的な手掛かりを掴むことができるかもしれなかった。

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