第166話 豊かさと幸福と

 一週間前、首都の一等地に構える邸宅へ、一人の来客があった。


 実際の年齢以上に落ち着き払った雰囲気を持つ女。ついでに言うなら、こちらよりも一つ年上というだけでお姉さん面をする、鼻につく女だった。

 首都では有名な一級術士で、今日は『魔導技術連盟』の仕事を依頼にやってきていた。


 この女が持ち込む依頼はいつも面倒な仕事ばかりなのだが、過去に色々と世話になった経緯もあるものだから、邪険には扱えないのがまた面倒なところだった。


「……時に、君もそろそろ、自分の幸せを本気で考えてはどうだい?」

 小一時間ほど仕事の話をしていた女は、唐突にそんな話を切り出してきた。


 ――幸せ――。そういえばこの女、つい最近になって結婚したのだった。相手は旧家の騎士で、中々に評判の良い人物である。

 こんな話題をわざとらしく振ってくるというのは、つまるところ惚気か、でなければ幸せの押し売りと思われた。生憎とこちらは惚気話に付き合うつもりもなければ、幸せを見せつけられて素直に祝福できるほど人間ができてもいない。


「妙な事を言う。俺は、金貨と宝石に囲まれていれば他に何もいらない。十分に満たされている。で……それ以上、何を望めと? 俺はそこまで強欲ではないぞ」

 皮肉交じりの返答に、女は苦笑した。

「……その考えを改めてほしい、と願っているのだけどね。豊かさと幸福は、全く別の概念なのだから」


 気に食わない言い回しだ。それはつまり、金貨や宝石という『豊かさ』は、真の『幸福』などではないと言いたいのだろう。

(はっきりそう言えば良いものを……回りくどい)

 幸福とは何か、自分とてその事は本気で考えている。

 だが、正直わからないのだ。

 何が本当の幸せか、など。


「幸せの形は人によりけりと言うけれど、君の金貨や宝石は豊かさの象徴ではあっても、直接に君を幸せにするものではないと思うよ。その事を、よく考えた方がいい」

「……つまらない説法はよせ。まさかそれで、仕事の依頼料を値切るつもりか?」

「とんでもない。今回の仕事、依頼主は金に糸目をつけないと言っている」

「依頼主……なるほど。けちな連盟の依頼ではなくて、依頼主が別にいる仕事か」

「――ただし、君を直接ご指名でね」

「指名、ね。そいつは光栄だ。仕事の内容次第だが、可能な限り引き受けよう」

「それは良かった……。仕事の内容はあるモノの調査依頼。対象物は――」

 女はもったいぶって、一拍の間を置いてから言葉を紡ぐ。


「――『さいわいの光』――」


 話にだけは聞いた事のあるものだった。

 確か、隣国のヘルヴェニアでは特に有名な伝説……御伽噺の類だ。


「……ふん。幸、とは。当てつけのつもりか?」

 興味のない振りをしながら話の続きを促す。だが心の中では既に、件の調査依頼を受けることに決めていた。


「違うよ。まあ、私が言うとそう聞こえてしまうか。でもね、依頼主の考えは全くの逆だ。むしろ、君のように『満たされた人間』にしか任せられない、と思っている」

 詳細な話を聞いてみて納得した。今回の依頼は調査対象について、私欲を持たない人選が好まれる。傍から見れば幸福に満たされていて、それ以上に何も望む物がなさそうな、そういう人物にしか務まらない仕事なのだと。


 その点を考慮して、既にあり余る富と名声を勝ち得ている『幸福であろう』人物、が選ばれたと言うわけだ。

 まったく、お笑いぐさだ。どうせその依頼主も、本当の幸福などわからない類の性格なのだろう。

「まあ、いいだろう。幸の光、手掛かりとなる目撃情報もあると言う話だし、本物か偽物かの真偽を確かめる調査、ということなら引き受けよう」


(――もし、そんなものがあるのなら、俺が頂戴してしまうがな……)


 邪念を心に抱き、今更ながら自覚する。

 自分は何一つ満たされてなどいない。

 自分はどこまでも強欲で、悪質だ。

 噂が真実で、本当にそんなものが実在するというのなら、例え頼まれた仕事であっても信用さえ裏切って手にする価値があるだろう。


 あらゆる不幸を打ち消して、求めるだけの幸福をもたらすという。

 その、幸の光を。

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