第172話 帰還と旅立ち

 遺跡近くの森の中にレリィは両親の遺骸を埋葬した。

 墓標には、遺跡の戦闘で発生した副産物、水晶の塊を二つ使った。レリィは律儀にも水晶を墓石として使うことに許可を求めてきた。


「気に入ったのなら、その水晶棍もくれてやる。俺はそんな重いもの持って歩きたくはないからな。普段なら使い捨てになるところだ」

 元々、洞窟の岩盤を材料に造りだした人工水晶だ。

 物質の組成と結晶構造を組み替える術式によるものだが、素材となった岩石の質が良くない為、水晶にしてはやや脆く、不純物も混じって白く濁りがちの仕上がりとなっている。回収する価値もないので、いくらでも使ってくれて構わなかった。



「……これまでも、両親を探すために山歩きしていたのか?」

 夜が明けて、徐々に明るさを取り戻し始めた山道をレリィと並んで下りながら、柄にもなく取り止めのない身の上話をしていた。


「生活の為でもあったけどね。猛獣駆除の仕事をするついで。見つけられたらいいなとは思っていたけど、正直なところ諦めていたんだ、もう」

「諦めていた?」

「今回を最後の仕事にして、都会へ出ようと思っていたから」

 決意を秘めた表情は、しかしすぐに柔和な笑顔へと変じた。

「でも、村を出る前にお墓を作れて良かった。これで私もやっと、気兼ねなく前に進める」


 昇る朝日がレリィを照らし、少女の行く末を祝福する。

 もしかしたらこんな風に暖かな光のことを、人々は幸の光と呼ぶのではないだろうか。……などと、一瞬だがつまらない幻想を抱いてしまった。

 全く、どうかしている。幻想であっては困るのだ。

 幸の光が実在しなければ、自分は決して救われることがないのだから。




 調査を終えた後、一日ほど村で休んでから首都へ戻ることにした。

 レリィには残りの賃金として金貨を一枚渡してやったが、初めは恐縮して受け取ろうとしなかった。元々、五日間の報酬だったのだから、一日で仕事が終わってしまっては受け取れないと言うのだ。


 実に殊勝な心がけだ、と金貨を引っ込めようとしたらレリィは急に腕にしがみついてきて、「怪物との戦闘では怪我をしたから、これはやっぱり特別手当てとしてもらっておく!」と、結局は報酬を受け取ったのだった。


(……欲しいなら、初めから素直に受け取っておけばいいものを……)


「本当に面倒なことだ……」

「何が?」

「お前の……いや、峠越えのことだ」

 村の食堂で、のんびりと一日を過ごしながら考えていたのは、何もレリィの面倒な性格のことだけではない。それよりも切実な悩みとして帰路の事を考えていたのだ。


 首都に戻るには、行きに苦労した道のりで再び峠越えしなければならない。そのことを考えると億劫にもなるというものだ。

 また、鋭爪竜のような猛獣どもと遭遇する場合を考えると、夜間の移動は避けねばならない。しかし、途中にある休憩所には日が落ちるより少し早い時間帯に到着してしまう。その次の休憩所まで足を伸ばしたいと思うのは、自分がせっかちだからだろうか。


「また、猛獣どもに遭遇しても面倒だからな。ゆっくりと帰るしかない」

「ふ~ん。早く帰りたいんだ?」

「できる限りな。時間は無駄にしたくない」

「へぇ……そっか、そっか……」

 人が切実に困っているというのに、その様子を見ていたレリィは気のない相槌を打ちながら、食堂の中を行ったり来たりしている。


(……それにしてもこいつ、先程からどうしてここに居る?)

 報酬を渡した後、レリィはどういうわけかそのまま食堂に居残っていた。一晩経って真紅から深緑に戻った髪を指先で弄りながら、何をするでもなくうろうろとしていた。

 意図が読めず、しばらく無言で考え込んでいると、レリィはなにやらもじもじと傍に寄ってきて、咳払いなど始めた。――不可解な。


「賃金は払ったんだ。用は済んだから帰れ」

 追い払うように手を振ると、初めて出会った時のように憤怒の表情で手近な椅子や机に八つ当たりする。すぐに食堂の女主人が飛んできて叱られてしまった。

「ううぅ……怒られた……」

「当たり前だ。馬鹿」


 しかし、この期に及んでもまだレリィは帰ろうとしなかった。それどころか、妙に気合の入った深呼吸を繰り返し、目を血走らせながら突然こちらに向き直る。

 殴りかかってでも来るのかと思わず身構えてしまったが、そうではないらしい。レリィは興奮しているのか、口をぱくぱくと開け閉めして声にならない言葉を発している。伝えたいことがあるようなのだが、熱くなり過ぎてうまく喋れないのだろう。


「興奮するな、危ない奴だな」

 詰め寄ってくるレリィの額を軽く指で弾く。

「あいたっ! あ、あ、あのさ! あたし、君の峠越えの手助けができるかと思って!」

「峠越えの手助け? また用心棒ってことか?」

「そう! それに、山に慣れた人間しか知らない近道があるから、そこを行けば一日早く帰れる! だから……あたしが首都近くの街まで道案内と用心棒を務める、っていうのはどう?」


 そう言えばレリィは村を出て首都へ行きたい、と話をしていた。どうやら首都へ向かうついでに用心棒の仕事を請け負い、路銀を稼ぐ狙いのようである。

「ま、悪くない話のようだが……いくらだ?」

「銀貨三五枚!」

 妙に具体的な金額だった。ひょっとして、半日の間それを計算していたのだろうか。


 やや緊張の面持ちで、瞬き一つせずにこちらの返答を待つレリィ。整った顔の稜線りょうせんを、一滴の汗が伝っていく。

 ――銀貨三五枚。レリィほどの腕を買うなら、相場より少し安いといった程度か。それでも格安とは言い難い。レリィの表情から察するに、銀貨五枚分くらいは欲が出たと見える。減らされるのを覚悟で主張しているのだろう。ならば、手の打ち所は……。


「一日早い峠越えになると言ったな。だとすると、首都までは……まず峠を越えて近郊の都市まで徒歩三日、それから馬車に乗って一日だ。賃金は必要経費込みの銀貨三〇枚、支払いは首都の自宅に着いてから。それでどうだ?」


 ざっと条件を言ったが、反応の薄いレリィを見ると今ので内容を理解できたのかは怪しかった。ただ、銀貨三〇枚と、支払いは首都についてから、というのは理解できたらしい。


「えっと……それってつまり、首都近郊の都市までじゃなくて、首都まで……ってこと?」

「どうせ首都まで出てくるつもりだったんだろう?」

 この返答にレリィは跳ね上がって喜び、「急いで出立の準備をしてくる!」と、自宅へ帰っていった。出立は明日の朝になるのだが、その辺りのことは理解しているのだろうか?

 夜中に宿へ押しかけて来はしないかと、少しばかり不安がよぎった。




 そして出立の朝、レリィは宿の前で早々はやばやと待っていた。

 自身の三倍の重量はありそうな巨大な荷物を背負って。

「凄い量の荷物だな」

「まあね! この先、首都で暮らしていくつもりでいるから」

 ずん、と意味もなく自慢げに水晶棍を地面に突き立てて、鼻息荒く宣言する。


「そいつは結構なことだが、首都に近づいたらその棍棒は布か何かで隠せ。街中で武器をひけらかしていると、厄介事に巻き込まれやすいからな。特に田舎者は――」

「ば、ばば、馬鹿にしないでよ! それくらい、わかっているってば! 時と場所を考えて行動をしろって言うんでしょ!」


 明らかに何も考えていなかったようだ。もっとも、首都で別れてしまえば後はどうなろうと知ったことではない。それから先は……きっとこの娘と関わりになることもないだろう。


(――首都に着けば知れること)


 知ればもう、この娘が自分に近づいてくることはない。その事実を僅かながら寂しいと感じたことに、自嘲の念を持って苦笑した。

 これからまた自分は、そんな僅かな情さえ切り捨てて日常へと戻っていくというのに。

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