第164話 幸の光

続編導入、予告編

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 暗闇都市と呼ばれる首都周辺は、常日頃より分厚い雲が空を覆っていて薄暗い。夜ともなれば月明かりの恩恵さえ得られず真の闇となる。

 だが、首都の街中に限っては昼間から街灯が灯っており、暗闇都市という名称とは裏腹に華やかな雰囲気に包まれている。

 昼か夜かもわからなくなるような首都の繁華街を、酒に酔った俺は一人でふらふらと歩いていた。


「あ~……くそ、飲み過ぎたか? 頭痛がする……」

 酒の質は悪くなかったはずだ。酌をした女の質も上等で、変なものを混ぜられた様子はなかった。

 だからこれは単なる飲み過ぎだろう。朝から丸一日、まさに日が一周する丸一日、飲み明かしたのだ。いい加減、酔いを通り過ぎて頭痛を起こしてもおかしくはない。

 なんだか視界がくしゃくしゃに歪んで、前方わずかの領域しかまともに認識できない。いや、視界に入っていても見えているというだけで、正しい認識ができているかは怪しいところだ。


 最後の店では、酌をしていた女が宿か自宅まで同伴すると申し出たが、俺はその申し出を断った。女は酔った俺を純粋に介抱していたようにも見えたが、店の方は明らかに女を売るつもりでいた様子だったからだ。

 泥酔状態では幾らいい女でも抱くに抱けない。既に気持ち悪いのに、気持ち良くなれるわけもない。精々、ベッドに寝かしつけられて、添い寝にしては高い代金を請求されるだけだ。


 別に幾ら高額でぼったくられようが、それが常識的なぼったくりの範囲なら俺も気にしないのだが、俺の財を目当てに集ってくる連中に気前よく金をばら撒くのもいい加減に面白くなくなってきた。

 奴らはとにかく少しでもおこぼれに与りたいという浅ましい欲望で俺に近づき、陰では嘲笑っているのだから。

 最近は、そうした態度があからさま目につくようになってきており、それがとにかく気に食わない。金を出すのを渋ればそれはそれで強欲だのケチだの口さがない。


 宝石の丘より凱旋して莫大な富を得た俺は、その財を振るってありとあらゆる贅沢をしていた。美食も酒も女も娯楽も全て、最上のものに手を出した。

 それらは確かに最高の快楽と愉悦を俺に与えたが、何度も味わってみれば次第に驚きも刺激も鈍化していき、やがてはこの程度かと納得するものに落ち着く。

 そして飽きるほどの回数になれば感じるものは何もなくなり、後には虚しさだけが残った。

「ちっ……つまらない娯楽だ……。まったく、世の権力者どもはよく飽きもせず、こんなくだらない贅沢を続けるものだ……」


 頭痛は酷くなる一方で、気分はまったくもって最悪な方向に落ち込んでいく。

 頭を押さえながら、大通りを外れて路地へと入った俺は、とうとう我慢できずに胃の中の物を吐き出してしまった。止めようにも止まらない、腹の底から喉奥まで押し出されてくる抗いようのない奔流が口から溢れ出る。

 声も出せないほどに大量の吐瀉物が喉を通過し、ごぼごぼと流動体の流れる音だけが路地に響く。

 ひとしきり吐いてしまうと腹の重みと胸のむかつきはやや治まった。ただ依然として頭痛が俺を苛み、吐くものもないのに嘔吐感だけがしっかりと残る。

「あー……うー……」

 動くと頭に響くので、路地の壁に背をつけて寄りかかり安静にする。そうして吐き気の波とも言うべき不快な感覚が過ぎ去るのを待っていた。


 そこへ、路地裏から一つの人影が近づいてきた。

 吐瀉物を撒き散らされて文句を言いにきた周辺住民か、あるいは偶々この路地を通り抜けようとした通行人か、いずれにしろ俺が路地を塞いでいるためにその人影は必然的に俺の前で立ち止まる。

 俺は舌打ちをしながら、とりあえず路地から出ようとした。頭痛が酷いこの状況で、余計な問答はしたくなかったのだ。


「……錬金術士クレストフだな?」

 人影が、野太い男の声で俺の背に質問を投げかけてくる。

 知り合いかと思って振り向いてみれば、顔はフードを目深に被っていて見えない上に、手には抜き身の短剣を持っていた。

 とりあえず働きの鈍い頭を活動させて記憶を辿ってみるが、こんな怪しい格好で抜き身の刃物を手にして歩く知り合いはいないはずだ。


 俺が呆けてフードの男を眺めていると、男は一歩踏み出して短剣を前に突き出しながら声を荒げた。

「お前のせいで、俺は職を失った! 返しようもない借金まで作るはめになって、嫁と子供にも逃げられた!! 全部、全部、お前のせいだ! これまで堅実に商売してきた俺の人生を、よくもむちゃくちゃにしやがって……死ねぇ、クレストフ!!」


 男が腰下に短剣を構え、体ごと俺に向かって体当たりを仕掛けてくる。

 俺は相変わらず酔いの回った頭と、まともに動かない体で、男が接近してくるのを黙って見ていた。正直言って、何もかも面倒くさい。言葉を返して制止するのも、その場から逃げ出すのも、反撃するのも。

 短剣の切っ先が俺の腹に届く寸前で、首輪チョーカーに縫い付けられた宝石が弾けて、俺の周囲に衝撃波を発生させた。ある一定以上の威力で俺に接近する物に対し、自動発動する防衛術式である。


 フードの男は衝撃波に吹き飛ばされて路地奥の壁に強かに叩きつけられる。石壁を揺らすほどの衝撃で叩きつけられた男は、白目を剥いて地面に倒れこんだ。運が悪ければ死んだかもしれない。

「あー……最近、多いな、こういうの……」

 俺は特に男の素性を確かめることもなく、その場を後にした。大方、俺が仕掛けた宝石相場の暴落に巻き込まれた宝石商か何かの逆恨みだろう。

 宝石の丘より帰還し、一級術士になってからの俺にとって、この手のことは取るに足らない日常茶飯事であった。




 宝石の丘より帰還後、あり余る金でもって大幅改造された自宅兼工房の寝室で、俺は唸りながら二日酔いに苦しめられていた。

(あったま痛ぇ……。くっそ、馬鹿らしい……。こういう生活も、そろそろ終わりにする頃合だな……)

 贅沢にも飽きてきた。こうして最終的に不快な思いしか残らないのなら、その贅沢はもはや価値を持たない。長らく休止していた術士としての活動に精を出すのも、気分転換になっていいかもしれない。


(……だが、これから先、俺は何を目指せばいい? 念願の一級術士の地位は手にした。研究者としての名声は十分なほど、戦闘で騎士に劣らない実力もある。金も有り余るほどにある。俺に今、足りないものは何だ? 俺は何を欲している……?)

 これが魔導技術連盟の魔女どもなら、不老長寿の研究とか飽くなき権力の拡大に励むのだろうが、あいにくと俺はそういったものに興味はない。老いも死も自然なことと恐れてはいないし、今以上の地位向上や権力拡大は、同時にいらぬ責任まで抱え込むことになり自由を奪われかねないので不要だ。


 では自分が今、何もかも満たされているかと問われれば頷くことをためらう。

 何かが足りていない。自分に欠けているものとは――。

「…………ぃっ」

 心の奥底でわだかまる重苦しい感情が、鎌首をもたげて俺の心臓に食らいつき、喉を這い上がって脳髄に牙を立てる。自分が何を求めているのか。そこまで考えて、激しい頭痛に襲われた俺は考えることを止めてしまった。


 ――これ以上、考えてはいけない――。

 自己暗示による抑制で、俺は二日酔いの頭痛共々、心の中で浮き上がりかけた不快な感情を奥底へと沈めた。



 そんな気分が最悪の日に限って、まるで狙ったかのように気に食わない客が俺を訪ねてきた。

 実際の年齢以上に落ち着き払った雰囲気を持つ女。首都では有名な一級術士『風来の才媛』である。今日は魔導技術連盟の仕事を依頼にやってきていた。


「……時に、君もそろそろ、自分の幸せを本気で考えてはどうだい?」

 小一時間ほど仕事の話をしていた女は、唐突にそんな話を切り出してきた。


 ――幸せ――。

 そういえばこの女、つい最近になって結婚したのだった。相手は旧家の騎士で、中々に評判の良い人物である。

 こんな話題をわざとらしく振ってくるというのは、つまるところ惚気のろけか、でなければ幸せの押し売りと思われた。生憎とこちらは惚気話に付き合うつもりもなければ、幸せを見せつけられて素直に祝福できるほど人間ができてもいない。


「妙な事を言う。俺は、金貨と宝石に囲まれていれば他に何もいらない。十分に満たされている。で……それ以上、何を望めと? 俺はそこまで強欲ではないぞ」

 皮肉交じりの返答に、女は苦笑した。

「……その考えを改めてほしい、と願っているのだけどね。豊かさと幸福は、全く別の概念なのだから」

 気に食わない言い回しだ。それはつまり、金貨や宝石という『豊かさ』は、真の『幸福』などではないと言いたいのだろう。

(はっきりそう言えば良いものを……回りくどい)


 幸福とは何か、自分とてその事は本気で考えている。

 だが、正直わからないのだ。

 何が本当の幸せか、など。


「幸せの形は人によりけりと言うけれど、君の金貨や宝石は豊かさの象徴ではあっても、直接に君を幸せにするものではないと思うよ。その事を、よく考えた方がいい」

「……つまらない説法はよせ。まさかそれで、仕事の依頼料を値切るつもりか?」

 金に困っていないとは言え、金貨の備蓄には限度がある。

 宝石価格が著しく低くなっている現在、宝石を換金するのはあまり期待できない。大量であれば換金そのものを拒否されてしまうだろう。

 ここ最近の贅沢もあって、金の減りは激しい。困窮するには程遠いが、補充はしておきたいところだ。一級術士の地位でもって、仕事の料金をなるべく高く吊り上げるのは当然の流れだった。


 しかし女は、俺の疑念とはまったく正反対の返事をした。

「とんでもない。今回の仕事、依頼主は金に糸目をつけないと言っている」

「依頼主……なるほど。けちな連盟の依頼ではなくて、依頼主が別にいる仕事か」

「――ただし、君を直接ご指名でね」

「指名、ね。そいつは光栄だ。仕事の内容次第だが、可能な限り引き受けよう」

「それは良かった……。仕事の内容はあるモノの調査依頼。対象物は――」

 女はもったいぶって、一拍の間を置いてから言葉を紡ぐ。


「――さいわいの光――」


 話にだけは聞いた事のあるものだった。

 確か、隣国のヘルヴェニアでは特に有名な伝説……御伽噺の類だ。


「……ふん。幸、とは。当てつけのつもりか?」

 興味のない振りをしながら話の続きを促す。だが心の中では既に、件の調査依頼を受けることに決めていた。

「違うよ。まあ、私が言うとそう聞こえてしまうか。でもね、依頼主の考えは全くの逆だ。むしろ、君のように『満たされた人間』にしか任せられない、と思っている」

 詳細な話を聞いてみて納得した。

 今回の依頼は調査対象について、私欲を持たない人選が好まれる。傍から見れば幸福に満たされていて、それ以上に何も望む物がなさそうな、そういう人物にしか務まらない仕事なのだと。


「まあ、いいだろう。幸の光、手掛かりとなる目撃情報もあると言う話だし、本物か偽物かの真偽を確かめる調査、ということなら引き受けよう」

(――もし、そんなものがあるのなら、俺が頂戴してしまうがな……)

 邪念を心に抱き、今更ながら自覚する。

 自分は何一つ満たされてなどいない。

 自分はどこまでも強欲で、悪質だ。

 噂が真実で、本当にそんなものが実在するというのなら、例え頼まれた仕事であっても信用さえ裏切って手にする価値があるだろう。

 あらゆる不幸を打ち消して、求めるだけの幸福をもたらすという。

 その、幸の光を。




 ――続編『ノームの終わりなき道程』へ続く――

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