第163話 終わりなき酒池肉林
時系列は再び、宝石の丘より帰還後……
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秘境・
十日間ほどは酷使された心身の回復に努めていたが、体力が回復した後は世話になった伯爵令嬢への挨拶を済ませに行った。
その後は魔導技術連盟への報告も行い、念願だった一級術士の資格を得ることができた。だが、不思議と感慨は湧かなかった。あれほど求めてやまなかった地位も、手に入れてしまえばどうということはないのかもしれない。
魔導技術連盟への報告が済んだ後、俺は速やかに宝石の丘で得た莫大な宝石資源を売り捌く手配を進めた。黒猫商会のチキータと念入りに商談を交わして、俺は莫大な利益を確定させたのだった。
その後、八年という長旅の間に放置され過ぎた自宅兼工房へと戻ってきた俺は、工房内を隅々まで確認しながらこれから先のことを考えていた。しばらく後には黒猫商会から莫大な入金がある。その資金で、工房を大きく改造するのもいいだろう。これまでは金銭的に諦めていた設備も、今なら全て揃えることができる。
魔導因子を貯蔵できる人造結晶の開発と量産を行う設備を始め、魔導技術に関わる書籍や研究資料を大量に保管できる書庫、食料や水などを工房内で作り出す生産工場など、俺が生活するのに必要な全てのものを収めた工房を作り上げるのだ。
また、これら重要施設を自動で防衛する設備の導入も欠かせない。ひとまずは黒猫商会から軍用の防衛術式でも購入して仕掛けるとして、ゆくゆくは俺が開発した防衛術式を工房全域に張り巡らせる計画だ。
そんな感じで妄想を膨らませながら新しい工房の設計図を書いていたら、宝石の丘より帰還して一ヶ月が経過していたのだった。
工房の設計に集中していたこともあって、俺の生活はかなり乱れていた。そんな生活の最中に黒猫商会から宝石の売却益の一部が入金された報せが届いたこともあって、ふと自分の生活状況を見直す機会ができた。
(……そういえばろくな食事をとっていなかったな。体も洗っていなかったし……)
宝石の丘から帰還してせっかく休養を取ったのに、なんだかまた疲労感が溜まっていた。
とりあえずシャワーを浴びて食事を何か作ろうか、と考えたとき、そんな労力を自分が抱えることはないのだということに気が付いた。
(……そうだとも。金はあるんだ。自分がやりたいことだけやって、面倒なことは他の人間にやらせればいい……)
家政婦でも雇うかと考えたが、よく知らぬ人間を近くにおいて生活するのは面倒な感じがした。
幸いにもここは
思い立ったらすぐに行動へ出た。まずは汚れた体を洗い流し、疲労を取り去ることにする。
夜の帳が落ちた暗闇都市は魔導ランプの青い光が街中を満たし、人々の欲望を黒い影として浮かび上がらせていた。
俺は繁華街でもひときわ明るい通りへと足を運び、煌びやかな門構えの店に迷わず向かう。店の入り口まで来たところで、すぐ脇から屈強な体格の男が二人、正面へと回って声をかけてくる
「失礼、お兄さん。この店には癒しを求めに来られたので、お間違いないですかね?」
「ああ、そうだ。体の洗浄とマッサージにな」
「最低料金が銀貨十枚からですが、構いませんか?」
「問題ないな。俺は疲れているんだ。早く案内してくれ」
俺が面倒くさそうに腕を振ると、宝石の付いた銀の腕輪がぎらりと光り、男達の目を一瞬引き付けた。
男二人は顔を見合わせて頷き、柔らかな笑顔を見せると俺を店内へと案内する。
「ようこそいらっしゃいました。『
「ごゆっくりおくつろぎください」
中へと通された俺は簡単に店の説明を受けると、必要なサービスを注文した。前払いで銀貨二十枚となったので、金貨一枚を出して支払いを済ませる。釣りは銀貨五枚だ。
会計を済ませると入口にいたのとは別の店員が店の奥へと先導する。細い通路を何度か曲がったところで店員が立ち止まり、
「この先も一本道となっております。通路を曲がった先にある扉にお入りください」
それだけ言って店員は一歩下がる。言われたとおりに通路を曲がると扉が一つあって、その前には生地が透けるほど
この店は『人魚の泉』という名前だったが、担当するのは純人の娘であって亜人の人魚娘だったりはしないようだ。
そういうのはわかりやすく、亜人専門店に所属しているのだろう。ちなみに俺は亜人の女に興味はない。クォーターくらい純人の血が濃ければいいが、純人と獣のハーフキメラである亜人は範囲外だ。
「どうぞこちらへ~」
間延びした声で俺を誘いながら、扉を開いて中へと招く。歩くたびに豊満な胸が上下に揺れていた。
促されるまま入った部屋の中は薄暗く、珍しい桃色の光を放つ魔導ランプで照らされていた。相手は一人かと思っていたら部屋の中にもう一人、これまた若くて綺麗な娘が待機していた。そういえば受付の注文確認で補助を付けるかどうかと尋ねられたような気がする。なるほど、これが補助か。
少女はこちらを見て、にこりと微笑むと、部屋の前にいた若い女とで俺を挟むように両脇へ立つ。
「それじゃあ、お召し物をお預かりしますねー」
若い女がちらりと上目遣いに俺と視線を合わせると、特に俺からの拒絶がないと見て取ってからゆっくりと衣服に手をかけてくる。一緒になって少女の方も外套に手をかける。
俺はいつもの外套を着ていたが、裏地のポケットに魔導回路を刻んだ結晶は数える程度しか入っていない。普段であればずっしりとした外套も、今日ばかりは軽いものだ。
それでも彼女達にとっては重かったのか、俺の肩から外套を受け取ると二人で目を丸くしながら、丁寧に洋服掛けへ吊るしていた。
続いて今度は手早く、上下の衣服と下着まで剥ぎ取られる。俺の体に残されたのは、宝石の付いた
若い女が俺の裸体をじっくりと凝視して、「ほふぅ……」と艶っぽい息を吐いた。
「お兄さん、ひょっとして術士ですか?」
少女の方が尋ねてくる。
「ああ、その通りだ」
これだけ怪しげな宝飾品を身にまとっていれば術士だと思うだろう。大勢の人間を接客してきた彼女らなら、まさか成金趣味のぼんぼんなどと勘違いしたりはしないはずだ。
「えぇ~、やっぱりそうなんですね! 驚きましたー。術士の方ってもっと全身にあれこれ模様が入ってるから、もしかして違うのかなと思ったんですけど」
「本当にね。体つきからして傭兵さんかと思ったわ」
少し口調の砕けた感じで接してくる女二人。いつまでも堅苦しい感じではなく、早々に打ち解けた印象を与えてくるのはさすが
「肌が綺麗……」
「乳首も……」
じっと食い入るように観察されて、俺もやや気恥ずかしくなる。しかし、妙な辱めを受けるためにここへ来たのではない。あくまで風呂のついでにマッサージを頼みにきたのだ。
「ここ最近、工房にこもりきりでなぁ。とりあえず体から洗ってくれるか」
「あっ!? ごめんなさい。つい見とれちゃって……」
「じゃあ、私達も準備しますねー」
言うが早いか上衣を脱ぐと、その下に着ていた下着もスルスルと脱いでいく。若い女は迷いなく、より年若い少女は少し恥じらいながら。
シャワーのコックを捻ってお湯を出すと、温度の加減を確かめてから、
「ではお背中流しまーす」
「こちらはお先に失礼しますね」
徐々に全体へ広がるようにお湯が足、背、腹、胸、首、そして頭へとかけられて、女と少女がそれぞれに石鹸で両手に泡を立てたあと、女は俺の体を洗い始め、少女は自分の体を洗い始めた。
しばらくして俺の全身が泡まみれになるころ、女と少女が交代して、今度は女が自分の体を洗い始めて少女が俺の体に寄り添ってくる。
少女は泡まみれの状態で、両手は俺の胸と腹を優しく撫でながら、小さな胸を俺の背中に擦り付けるようにして全身で洗い始める。柔らかく小さな突起が背中の上を滑っていく感触。
「お待たせしました~」
そこへ女が加わって、正面に回るとまだ洗っていなかった部分へと手が伸びていく。
「くっ……」
くすぐったくなって思わず声が漏れてしまう。
豊満な胸の女と上品な体つきの少女が二人がかりで全身を丁寧に洗ってくる。全身で、全身を洗ってくるのだ。
とうとう頭まで綺麗に洗われたところで、これで一旦区切りというように少女が軽い口付けをしてくる。
予め準備していた寝台へと女に手を引かれて向かう。相変わらず豊満な胸が歩くたび上下に揺れ動くので、ついそちらに目が向かってしまった。
「お兄さん、こっち」
寝台の方向から少しズレそうになった俺を、ちょっとだけムスッとした感じの少女が誘導する。これは俺の視線を吸い寄せる女の胸に対する嫉妬だろうか。それとも、専門職ゆえの演技か。どっちでもいいか。悪くない反応だ。
寝台にうつぶせで寝かされた俺の上に少女が腰を下ろす。全体重を腰にかけられているはずだが、大して重さを感じない。伝わってくるのはスベスベの尻の感触で、それが腰から背中にかけて滑っていき絶妙な圧迫感で背骨を伸ばしてくれる。
同時に、俺の足元へ回った女が足の裏や指をぐりぐりとこねくり回して、ふくらはぎまでを丹念にマッサージする。
「あー……こ、これは……」
言葉にならなかった。気持ち良すぎる。口から変な声が漏れ出そうだ。
なんというか、それまでのどんな行為よりも結局これが一番気持ちいいと言わざるを得ない。それほどまでに卓越したマッサージであった。
しかもその間、俺の体の上では体勢をあれこれと変えながら、少女が体を擦り付けている。くすぐったいその感触が相乗効果となって、マッサージの精神的効用を増大させている。
そうしておよそ二時間、マッサージを受けた俺は気分よく『人魚の泉』を後にした。どこが人魚要素だったのかはよくわからなかったが、体の疲れが吹き飛んだのは間違いないので文句はなかった。
いい具合に腹の減った俺はどこで食事を取ろうかと、『人魚の泉』を出てすぐ立ち止まって考えていた。
そんな俺の姿を見た、『人魚の泉』の入口に立っていた二人組の男の片割れが、「もし贅をこらした持て成しの店が好みなら……」と店を勧めてくれた。
その店は――。
「はーい、ご主人様お口をあけてくださーい」
やたらと露出度高く改造された女中服に身を包む美女達が何人も、入れ替わり立ち替わり俺の隣に座っては体を密着させながら口元へ料理を運んでくる。
それら料理の一品一品が至極の味で、このような雰囲気の店にあって、決して妥協しない料理人の心意気が伝わってくる。
「ご主人様、お酒を一口どうですか?」
透き通った葡萄酒がグラスに注がれると、俺が手を動かすまでもなくグラスは口へと運ばれ、適量を俺の喉へと流し込む。まるで渋みがなく、爽やかな甘い香りが鼻に抜けていく。
酒も料理も給仕も最高だ。金さえあれば、これだけの享楽を味わうことができるのだ。
存分に飲み、食い、気まぐれに女を抱く。夜が更け、朝が来るまで饗宴は続いた。そのまま気絶するように眠りについて、昼頃になって目を覚ませば酔いつぶれた美女が数人、大きな寝台の上で俺と一緒に横になっていた。どうやら昨晩は散々に飲み食いした後で宿泊用の部屋に移動したらしい。
さらに数人、腰砕けになって動けない美少女達が床に転がっていた。床といっても上質な絨毯の上なので、体が冷えることはないだろう。空調も適度な温度に保たれていて、裸で過ごしても寒いとは感じない。
「つぅっ……! 飲み過ぎたか?」
目の前の視界がぐしゃぐしゃで頭痛が酷い。これほどまでに酷く酔ったのはビーチェと酒を飲み交わしたとき以来ではなかろうか。
(――ビーチェだと?)
途端に不快な感情が湧き上がってくる。
どうしようもなく絶望的で、足元が覚束ないなか目の前を真っ暗な闇に閉ざされたような極度の不安が心を押し潰さんとしてくる。
不意に去来するのは、
――錬金術士クレストフ……あなたは……決して幸福を得られない――
不吉な遺言が脳裏にこびり付き、まるで呪詛のように俺の頭の中をぐるぐるぐるぐると回っていた。
幸せを得られないとはどういうことなのか。そもそも自分にとっての幸せとは、いったいどこにあったのだろうか。
気持ちが悪い。吐き気がする。
俺は懐をまさぐり、
(――正常なる心身を取り戻せ――)
『酔い覚めの杯……』
「はぁ……帰るか……」
昨晩はよくよく楽しめたことは間違いない。羽目を外し過ぎて体調を少し崩してしまったが、別に今日は仕事の用事もない。
しばらく面倒な仕事は断って、長い休暇を取ることにしていたのだ。金も時間もある。これから先、いくらでも楽しいことができる。
気持ちのいいことは嫌いじゃない。
だというのに、どうして俺の気分はどこまでも暗く晴れないのだろうか?
世の中の享楽は俺を楽しませようとしてくれるのに、なぜ俺はこんなにもつまらないと感じているのか――。
「足りてないのか……」
享楽か? それとも何か別のもの?
俺に何が足りていないのかわからない。
俺はその足りない何かを埋めるために、何度でも享楽に耽るのだった。満たされないと知りながらも。
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