第162話 終わりなき遊嬉宴楽
『永眠火山』の中腹に、ぽっかりと口を開けた洞穴がある。
巷では悪魔が棲むと噂され、『底なしの洞窟』と称される深い穴の奥では、今日も獣たちが活発に動き回っていた。
小鬼がツルハシを岩に打ち付ける音が鳴り響き、灰色狼が砕石の積まれたソリを引いている。洞窟の外まで運ばれた砕石は
一連の役割分担がなされるなかで、彼らの足元をちょこまかと
獣やノーム達の動きを見ていれば現在の宝石採掘が効率よく行われているか、鉱脈が枯れてきてはいないか、おおよその現状を知ることができる。
洞窟の中でも移動量の多い通路で監督していると、狼のソリで運ばれていく砕石類に混じって、外へと運び出されている
「…………」
そう、例えば一日当たり何匹の小鬼が死んだかによっても、労働力の消耗度合いが計算できる。極端に数が多い時には洞窟のどこかで事故が起きたり、侵入してきた冒険者共が暴れていたりする可能性がある。
「ゴブラーが死んだ」
「彼、お調子者だったからね……。『あんな大岩、一発で砕いてやる』なんて意気込まなければ落石の下敷きになることもなかったんだけど……」
淡々と被害者の名前を俺に報告してくるビーチェと、隣で「惜しいゴブリンを亡くしたね……」と悲しそうに泣き真似をしている精霊ジュエル。ビーチェには洞窟の巡回を頼んでおいたので、落石事故で小鬼が死んだことをわざわざ伝えに来てくれたのだろう。
ジュエルには新しい坑道の掘削を命令していたはずなのだが、何故ここにいるのだろうか。
「おい、ジュエル。サボってないで働け。お前の持ち場はこの辺りじゃないだろ」
「そんな!? ゴブラー君は大事な採掘仲間だったんだよ!? 死を悼むのは当然だよー! せめて最後のお別れくらいさせてくれたって! ボスの鬼! 冷血漢! 人でなし! 童貞――」
罵詈雑言を上げ連ねるジュエルの口に、手近にあった拳大の岩を放り込んで口を塞ぐ。
「俺への悪口を喋り続けていられるくらいだ。もう十分に死者の見送りは済んだろう? さっさと持ち場に戻れっ!!」
「……むぐむぐ。ふぁ~い」
ばりんぼりん、と岩を噛み砕き、不服そうな顔しながらジュエルは持ち場である坑道の奥に戻っていった。その様子を見ていたビーチェも黙って洞窟の巡回へと戻る。
最近では日常となってきた採掘風景。日がな一日、太陽光の入らない洞窟の中で作業を監督していると時間の感覚さえ曖昧になる。
昨日も似たような作業をしていた。
実際のところ、昨日と今日では微妙にやっていることは違うし、坑道が掘り進むという成果もある。だが、あまりにも代わり映えしない作業の連続であるだけに、時々自分が夢の中にいて同じ毎日を繰り返しているのではないか、と錯覚に陥ってしまいそうだった。
退屈な採掘の日々が続くある日、一日の作業に区切りが着いたところで、ジュエル、ビーチェ、それに数匹の小鬼が揃って俺の下へと相談にきていた。その相談内容は俺からするとひどく奇妙なものに聞こえた。
「あー……今なんて言った? 祭りをやりたい?」
「そう! お祭りだよ、ボス! 皆で大きな篝火を囲んで、踊り回って無病息災を祈るお祭りだよ!」
「お祭り、初めて。楽しみ……」
相変わらず騒がしいジュエルと、妙に熱のこもった言葉を漏らすビーチェの二人が、唐突に祭りの開催を進言してきたのだ。
「祭りと言っても、そもそも誰がいつ始めた何の祭りなんだ?」
「それはもう、古来より小鬼達に伝えられてきた篝火送りの祭りだよ。死んじゃった仲間の魂を弔う大切な儀式なんだから。仲間の死が続いて気分が落ち込んだり、ふと死んだ仲間に思いを馳せたりしたときに、時期を問わずに自然と集まって篝火を焚きながら仲間の死を悼むんだー」
「なんだ、随分と湿っぽい祭りだな」
「そんなことないよ! その湿っぽい感情を吹き飛ばすためのお祭りなんだから!」
「そう……お祭りで、気分転換」
「う~ん、小鬼達が祭りねぇ……お前ら、本当にやる気あるのか?」
直談判に来ていた小鬼に俺が尋ねてみると、小鬼共は一様に首を捻ってわけがわからなそうにしている。大丈夫か、こいつら?
ところが俺の心配をよそに、小鬼達はジュエルと何やら話し込むと納得したような声を上げてから、ツルハシを打ち鳴らしてしきりに祭りの開催を要求するようになった。
「ガグギッ!」「ガグギガッ!!」「ガグギゴ、ガゴー!」「ガグギ~、ガグギ~」
何を言っているかはわからないが、やる気があるのならやらせてみよう。
「掘削作業の邪魔にならない洞穴の入口付近でなら構わないぞ。一日だけな」
「やったー!! ボスのお許しが出たぞー!!」
「早速、準備……」
飛び回ってはしゃぐジュエルと、いそいそと祭りの準備に取り掛かるビーチェ。小鬼達はやかましく騒ぎながら、ビーチェの指示に従って篝火に使う薪を集めに早速森へと向かっていった。
山の峰の裏側に太陽が沈み、空が茜色に染まる時分、洞穴の入り口付近では無数の小鬼が犇めき賑わっていた。
小鬼達は薪の山を中心にして周りを囲んでいたが、そのあとどうしていいかわからない様子でウロウロとしている。
「ビーチェ、祭りの進行はどうなっているんだ?」
「……皆、この後どうしていいのか、困ってる……」
「なんだそりゃ、自分達の祭りだろうに。まぁ、小鬼だからそんな
小鬼達は乱雑に積み上がった薪の山を前にして戸惑いが見て取れる。
火はまだつけないのだろうか、と考えながらよく観察していると一匹の小鬼が着火を試みているのだが、うまくいかずに四苦八苦していた。よく見ればその小鬼は俺が直接に眷属とした個体だった。火を熾す知識は身についているようだが、まだまだ応用の利かない部分があるようだ。
つまるところ、拾って来た薪が乾いていない生木だったのである。火を点けたそばから白い煙ばかりが立ち昇り、一向に他の薪へ燃え移る気配がない。
「あ、待って、待って、ゴブリエフ君! それはダメだよ~!」
「ガグガゲ、ゴガゲ~!」
洞窟の中から一匹の小鬼が壺を抱えて出てきた。勢いよく薪の下へと走っていき、途中で地面の窪みに躓いて壺の中身をぶちまけてしまう。
中に入っていたのは透明な液体、油だ。それがちょうど火を点けようとしていた小鬼の頭へと降り注いだ。
かちり、と火打石がぶつかり合う音が響いた瞬間、小鬼の体が火柱に包まれて一気に燃え上がる。
「ギョギョゲェエエエー――!?」
「あああっ!? ゴブベイくーん!!」
「……ゴブベイが、燃えた」
呆れ果てた醜態をさらす小鬼達を見て、俺は一人、深い溜め息を吐いた。そのまま見殺しにするのも後味が悪いので、
(――搾り出せ――)
『
燃え盛るゴブベイの頭上から、空気中の水蒸気を凝縮して創り出した水の塊が落ちてきて、一度にゴブベイの身体から火と油を除去した。ゴブベイは体の半分が焦げていて見るからに死にかけていたが、どうにか命だけは取り留めたようだ。こんな馬鹿なことで小鬼達を統率する眷属を失いかけるとは情けなくて泣けてくる。
「まったくお前達、とても見ていられないぞ! もう一度、薪を積み上げなおしだ。空気が良く入るように互い違いに重ねろ! いきなり全部を積み上げるんじゃなくて、途中で足す薪を別の場所にも取って置け!」
小鬼達に指示を出して薪を積み直させた後、生木を乾かすための術式を使う。
(――世界座標『
砂漠の薔薇と称される
『
術式発動によって召喚された熱風が、積み上げた丸太に吹き付けられて急速に熱と水分を奪っていく。奪った熱と水分は大気中へと拡散し、後にはカラカラに乾燥した丸太が残される。急激に水分を失った反動で丸太の幾つかは罅割れてしまったが、建築物に使うでもなく燃やすだけなので問題はないだろう。
本来は強烈な熱風を吹かせることで敵の足を止めながら体力を削る攻勢術式なのだが、使い方次第ではこのように乾燥目的にも使用できる。一夜の篝火の為に使うには勿体ない術式だが、祭りという特別な儀式の日であるならば多少の贅沢も構わない。
「さあ、火を点けろ! 天高く炎の柱を立ち昇らせろ!!」
全身火傷を負ったゴブベイが運ばれていくのをよそに、別の小鬼が藁と火打石で種火を作る。生まれた種火へ息を吹きかけ、必死になって空気を送りながら木片に着火させる。次々と大きな木片に燃え移らせていって、とうとう大きな丸太にも引火すると自然に火勢が強まっていく。
「ゴゲギャーッ!!」「ゴゲギャッ!!」「ゴゲギャッ!!」
勢いよく立ち昇る火柱に小鬼達が興奮して叫び出す。いつの間にか日は落ちて、辺りはすっかり暗くなっている。赤々と燃える炎の光が際立って、舞い散る火の粉が幻想的な雰囲気を作り出していた。
小鬼達が炎を囲み、踊り狂っている。
音楽の旋律もなく、ただ闇雲に跳んだり転がったり、踊りとも呼べないような原始的な振る舞いだったが、そこには確かに群れが一体となって祭りを楽しむ姿があった。
灰色狼達も騒ぎを聞きつけて周囲を取り巻き、篝火から少し離れた位置で意味もなく遠吠えを上げている。
「いえーい! 皆、楽しんでいるかーい? ボクは楽しいよー! ほらほら、今日は無礼講だー! ゴブロフ君も、ゴブゴリン君もどうかな、一杯!」
「ゴフッ、ガブゴブ……」「ゴグッ、ゴフッ!」
小鬼達の日頃の労働を労うように、ジュエルがどこで手に入れたのか怪しい酒瓶を抱えて、頭蓋骨を削り出して作った盃に注いで回っている。酒は冒険者の持ち物だったのかもしれない。頭蓋骨の盃もおそらく……。
さすがに俺は頭蓋骨の盃で酒を飲む気にはなれず、召喚術で取り寄せた清酒を手酌で小さな器に注ぎながらチビチビと舐めるように飲んでいた。酒は量を飲めばいいというものではない。本当に旨い酒は少量、味わいながら楽しむものだ。
今は特に、燃え盛る篝火を眺めながら、久々に気分よく酒の味が楽しめていると思う。普段から少しばかり気を張り過ぎていたかな、と考える余裕が今晩はできた。たまにはこういうのも悪くない。
「……クレス、お酒、私が注ぐ」
いつの間にか俺の隣に座り込んでいたビーチェが、清酒の入ったガラス瓶を持って、何故か浮かれた様子で待ち構えている。酒の酌など何が楽しいのか。俺には理解できないが、たぶん子供のビーチェには大人の真似事が面白いのかもしれない。ましてや今は小鬼も狼も浮かれ気分で祭りの真っ最中だ。
俺は無言で小さな銀の盃を差し出して、ビーチェがそこに清酒を注ぐ。表面が盛り上がるほど、ぎりぎり一杯まで注がれた清酒を零さないように気を付けながら飲み干す。
実に気分がいい。酒は別に量を飲むのが良いわけでもないが、自然と進んでしまうのは仕方がない。再び注がれた清酒に口を付けようと首を前に出したところで、突如がつんと後頭部に衝撃が走る。
「ぶっ!?」
思わず体が前に泳ぎ、盃の中の清酒が地面に零れる。防衛術式が発動するほどではなかったが、後頭部が地味に痛い。
後ろを振り返ると細めの丸太を持った小鬼が一匹、真っ赤な顔をしてゲラゲラと笑っている。
「ゴブロフ……酔ってる……」
ビーチェが鼻を摘まんで眉を顰めるほどに酒臭い。相当な量の酒を呑んだのだろう。足元がふらふらとしていておぼつかない。丸太を振り回しながら、近くにいた小鬼にも殴りかかっていた。
ふぅ、と俺は溜め息を一つ吐いた。ビーチェは俺が漂わせる空気が変わったことを敏感に察したのか、一歩引いて様子を窺っている。
今日は祭りだ。その酒宴において細かいことは言いっこなしである。しかし無礼講とは、傍若無人に振る舞うことではない。そのことをゴブロフには教えてやらねばなるまい。焼け付くような痛みと共に。
俺は無言で立ち上がり、丸太を振り回すゴブロフの頭を背後から掴み上げて、そのまま祭りの中心地まで運んでいって焚き火の前にかざす。
「アヂジャ~ッ!? アジャッ!! アジャッ!!」
火に炙られて、あまりの熱さに丸太を放り出して叫ぶゴブロフ。とりあえず酒が抜けるまで軽く炙り続け、ゴブロフが静かになったところで適当にそこいらへ放り出す。ぴくぴくと痙攣しているゴブロフを指差して、周囲の小鬼達は笑い転げている。楽しそうで大変結構。酒宴はやはり皆で楽しめなければ意味がない。
ふと周囲を見回して、盛り上がる祭りの中で普段から騒がしい奴の声が聞こえないことに違和感を覚える。
「うん? ジュエルの奴はどこにいった?」
ビーチェに聞いてみるが、いなくなったジュエルがどこにいるのか、小鬼達にもわからないらしい。
「まったく……あいつが一番熱心に祭りを計画していたってのに。それでこの後、この祭りはどうするんだ? 薪が全て燃え落ちたら終わりか?」
「…………? わからない」
ビーチェは小首を傾げ、それに倣うように小鬼達も首を傾げた。この場にいる誰も祭りの締めをどうするのかわからないようだ。
「小鬼達の祭りなんだろう? 最後、どうするかくらい何でわからないんだ?」
「……皆、このお祭りは初めて。だから、わからない」
「初めて? そういえば最初もやけに手際が悪かったが……小鬼の伝統的な祭りじゃないのか?」
「……? お祭りは、初めて。私は、そう言った」
ビーチェとジュエルが祭り開催の相談をしに来たときのことを思い返す。
確かにビーチェは『お祭り、初めて。楽しみ……』とだけ言っていた。小鬼達もわかっているのか怪しい雰囲気だった。そう言えばただ一人、ぺらぺらと祭りの趣旨を語っていたのは――。
洞穴の入り口からは祭りの喧騒がまだ聞こえてくる。
小鬼や狼が祭りの騒ぎで出払っている間、洞窟の奥で密かに蠢く影があった。
いつもは固く閉ざされているはずの宝石貯蔵庫の扉が僅かに開いており、中からぱきん、ばきん、と硬いものを砕く音が響いてくる。
俺は物音を立てずに貯蔵庫へと入り込み、蠢く影に向けて呪詛を放った。
(――縛り上げろ――)
『銀の呪縛!!』
「――――!?」
銀の縄が貯蔵庫の暗がりに向けて瞬時に伸び、蠢く影を素早く搦め捕った。影は往生際が悪くもがいているが、銀の縄は決して緩まることがない。
「さて、祭りの騒ぎに乗じて盗み食いしている現場を押さえられたお前は、どんな言い訳をしてくれるんだ? ジュエル?」
魔導ランプの青い光を影に向けてやれば、そこには口いっぱいに貴石を詰め込んだ
「契約主である俺を騙して、偽の祭りを開催させて……その隙に宝石貯蔵庫へ忍び込むとは。今回はまた随分と手の込んだ作戦だったな。本当に感心するよ、お前の飽くなき食い意地の強さには」
何か言葉を発しようとして口の中の貴石が邪魔をしたのか、もぐもぐごくん、とそれらを呑み下すジュエルを見て俺の額に血管の筋が浮かび上がる。一発、ぶっ叩いて吐かせるべきだったか。
「う、嘘じゃないよ! 本当に! 小鬼のお祭りは本当にあるんだから! 昔、旅先でそういう風習を持った小鬼族を見た事あるんだもの!」
ジュエルの口から出て来た言葉は謝罪ではなく、祭りの存在を説明するだけの言い訳だった。
契約で縛られているジュエルが俺に対して明らかな嘘を吐くことは難しい。だから、小鬼が篝火を焚いて踊り狂う祭りというのが実際にあるのだろう。嘘はついていない。ただし、どことは知れない地方の小鬼族が習わしとした、決して一般的ではない祭りだったのだろうが。
「祭りはたぶん本当にあるんだろうよ。そういう風習が小鬼にあることは新しい発見だった。ビーチェも楽しんでいたしな、いい祭りだった」
「そ、そうでしょ? そうだよね! お祭り、楽しかったでしょ! 大成功! 大成功だったんだよ! そのお膳立てをしたボクにさ、労いがあってもいいと思うんだ? 張り切ってお祭りの準備したから、お腹が空いちゃって……これはもう必要経費として許されるべきだよね、うん!」
悪びれもせず笑顔で盗み食いの正当性を主張するジュエルに、俺の堪忍袋の緒が切れた。
「このっ、屑石精霊がーっ!! 許すわけあるかーっ!!」
「ひゃあぁあっ!? やっぱり、ダメだったー!!」
その後、一週間ほど、宝石の被害額を補填できるだけの強制労働をジュエルに課した。
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