第160話 終わりなき柔毛欲求

 ごりごり……ごりごり……。

 薄暗い洞窟の奥から岩を削る破砕音が聞こえてくる。


「はぁ~……硬ーい岩盤だなぁー。嫌になっちゃうよ」

 両腕に鋼鉄の巨大錐を装備した精霊ジュエルが洞窟の岩盤を削って坑道を掘り進めていた。

 もう一昼夜、目の前の硬い岩盤を削る作業が続いている。

 錬金術士クレストフの見立てでは、この先に貴石の鉱脈が繋がっているということで集中的に掘り進めているところだった。


 宝石の探知に関しては抜群の感度を誇るジュエルの鼻も、この岩盤を掘り進めていけば必ず貴石が産出するだろうと確信していた。

「あー……でもなー。つまみ食いするとボス、怒るし。もー、生殺しだよ~。あぁ~……宝石食べたい。それがダメなら、せめて何か癒しが欲しいー……」


 いくら二千年の時を生きてきた精霊であっても、ただひたすら坑道を掘り続けるだけの作業というのは退屈なものがある。

 悠久の時を生きてきたからこそ、退屈は敵だ。常に楽しいことを追っかけていないと存在意志が希薄になってしまう。


「はーっ! 暇、暇、暇っ! 単純作業の繰り返しとか、やってられないよぉー!」

 両手の錐を地面に放り出して、勝手に休憩を取るジュエル。

 そのとき、岩壁の小さな横穴から白くて丸いものが飛び出し、ジュエルの目の前を通り過ぎていった。

「わっ!! なになに!?」

 壁の横穴を見ると次々に白くて丸いものが飛び出してくる。その中の一つをジュエルは両手で素早く掴み、自分の眼前まで持ってくる。

 白いものは、ふわふわとした毛玉に包まれた生き物、赤い目をした洞窟兎だった。


「うわー……。もっこもこのふわふわだー!」

 思わず洞窟兎に頬ずりするが、洞窟兎は激しく身をよじるとジュエルの手を蹴って逃げ出してしまう。

「ああ……兎さんがー……」

 ごく短い癒しの時間だった。


 また洞窟兎が横穴から飛び出してこないものかと、ジュエルは指を咥えながら横穴を見張っていたが、それきり洞窟兎が姿を見せることはなかった。

「はふぅ~。もっとモフモフと戯れたかったなー。う~ん……よし! ちょっと休憩のついでにモフモフを探そう!」

 そうしてジュエルは持ち場をほっぽりだして、癒しのモフモフを探すことにした。



「もっふもふ~。モフモフやーい、出ておいでー」

 ジュエルがモフモフを求めて洞窟内をさまよっていると、真っ先に目に付いたのは灰色の毛玉の姿だった。洞窟兎の白くてふわふわとした毛とは違い、しっとりとして長く伸びた毛が特徴の地の精ノームだ。

 ノーム達はクレストフの指示で坑道に溜まった砕石を外へと運び出している最中だった。ひょこひょこと石を抱えて歩いているノームの一匹をジュエルは掴み上げて抱きしめる。


『――!?』

 抱きしめられたノームは驚いた様子でもぞもぞとしているが、やがて逃げ出せないとわかると大人しくなった。

 そんなノームをジュエルはしばらく頬ずりしたり、撫でてみたりするが、だらんと伸びた毛はほとんど抵抗がなく、洞窟兎のように手を優しく押し返してくるような弾力はなかった。

「う~ん、違うなー」

 ジュエルがノームを地面へ下ろして解放すると、ノームは身体を左右に揺らしてジュエルのことを数秒だけ観察すると、その後は何事もなかったかのように砕石を運ぶ仕事へと戻っていった。



 次にジュエルが目を付けたのは灰色狼だった。

 彼らもまたノームや小鬼達と一緒に洞窟の掘削作業を手伝っている。砕石をソリに載せて外へと運び出し、また洞窟の奥へと戻ってくる。その繰り返しだ。

 灰色狼は洞窟内のどこにでもいて、触れようと思えばいつでも触れられる距離にいる。


 比較的、忙しくなさそうな灰色狼を探して、すれ違いざまに背中の毛を撫でてみる。少しごわごわとしているが、ノームよりは洞窟兎のモフモフ感に近い触り心地だ。

 背中の毛を撫でられた灰色狼は訝し気な表情でジュエルを見返し、しばらく黙って撫でられていたが不意に興味をなくしたように走り去っていった。


「あ! あー……行っちゃった。でも、やっぱり少し違うかなー」

 ワキワキと手を握ったり開いたりしながら、洞窟兎の毛と灰色狼の毛の感触を思い出して比べてみる。

「子狼はモフモフだったんだけどな~……。働く大人になると、過酷労働で毛が痛んじゃうのかな?」


 ちょっと前に子供の狼に手を出したら、大人の狼に取り囲まれて攻撃された怖い記憶がある。

 あの感触は洞窟兎に匹敵するモフモフ感だったが、子育てで気の立っている成獣の灰色狼を怒らせるのはまずい。

 そもそも今の時期、子狼がどれだけいるのかジュエルは知らない。

 ひょっとしたら子育ての季節が過ぎて、小さな子狼は探してもいないかもしれなかった。ジュエルは子狼のモフモフを堪能するのは諦めて、次なる標的を探しに戻った。



 洞窟の曲がり角を折れたところで、ジュエルは大きな影とばったり出くわした。

「あ……!」

「オォン?」

 赤みがかった金属質の毛色が目を惹く、巨体にして獰猛な赤銅熊がジュエルの目の前に立ち塞がる。

「や、やばい~!」

「グ? グォッ!」

 慌てて回れ右して逃げ出したジュエルの背を、赤銅熊は全速力で追いかけてくる。


「わぁああ~!! どうして、追いかけてくるのー!!」

「グワッハァ!!」

 赤銅熊は背後から走り寄りながら両腕を大きく広げると、ジュエルに飛び掛かりながら熱烈に熊の抱擁ベアハッグをかましてくる。


 ジュエルの岩で構成された体がギシギシと音を立てて軋むほど、強力な抱擁でがっちりと締め上げられてしまった。

 とても振りほどいて抜け出せる状況ではない。

 そしてそのまま、赤銅熊は大きな口を開けて、鋭い牙をジュエルに近づけてくる。

「ひゃぁああっ!? ボクなんか食べても美味しくないよ! 硬いんだから、歯が折れたって知らないからねー!」


 ベロン。べろべろベロベロ……。


 真っ赤な舌がジュエルの顔を無遠慮に舐め回す。

 赤銅熊は嬉しそうにジュエルの頭を甘噛みしながら、全身を執拗に舐め回している。おかげでジュエルの体は熊の唾液だらけだ。

「ううう……」

 存分にジュエルのことを舐め回した赤銅熊は、ジュエルを抱えたまま頬ずりをしてくる。赤銅熊の金だわしのような毛先がざりざりとジュエルの肌を擦った。


「違う……違う……。こんなのボクが求めるモフモフじゃない……」

 その後、たっぷり一刻ほど赤銅熊の玩具にされたジュエルは、唾液まみれになった状態で解放され、焦点の合わない虚ろな瞳を揺らしながら理想のモフモフ探索へと戻った。



「……それではクレストフ様、本日もありがとうございました。またのご利用をお待ちしております、にゃ、にゃっ」

 ジュエルが外で水浴びでもしようかとふらふら歩いていると、洞窟の入口付近で覚えのある声が聞こえてくる。

「あの声は――」

 声の主が誰であるか気が付いたジュエルは、背中の水晶羽を羽ばたかせ洞窟の入口に向けて全力飛行した。


 途中で仕入れ品の一覧表を読み歩きしているクレストフと擦れ違うが、クレストフはジュエルを横目で一瞥しただけでそのまま洞窟の奥へと歩いていく。

 ジュエルも今は洞窟の外にいるであろう愛しの彼女のことしか頭にない。速度を落とさず坑道を抜けて、洞窟を飛び出した。


 洞窟の外、太陽の光が降り注ぐ明るい世界に、黒く艶やかな毛並みを持った猫人が凛とした姿で立っていた。

「黒猫のお姉っさ~ん!!」

「うにゃっ!?」

 黒猫商会の商人、猫人チキータの胸にボフッと飛び込んだジュエルは、弾力のある胸とその谷間に茂る上質な黒い柔毛に顔を埋めて首を振り、両頬をまんべんなく擦り付けて高級感溢れるモフモフを遠慮なく蹂躙する。


「ぎにゃぁぁああああっ!?」

「あああああっ! もふもふもふもふっ!!」

 赤銅熊に捕まっていた時間が地獄の拷問であったなら、猫人チキータの胸に顔を埋めるこの瞬間はまさに極楽の雲海に突っ込んだが如き至福であった。



 存分に上質なモフモフを堪能したジュエルは、洞窟の奥へと戻って来ていた。

「いや~。やっぱり猫さんのモフモフが最上だねー。あ、ボス?」

 他よりも少しばかり坑道を掘り広げた空間に、簡易机で書類を広げながら仕事をしているクレストフがいた。

 だいぶ集中しているようで、ジュエルが戻ってきたことにも気が付いていない。


 ふと、クレストフの髪に目をやってジュエルは首を傾げた。

 そういえば――。

「ボスッ!」

「おっ!? あぁ……なんだジュエルか」

 ジュエルは背中からクレストフへと抱き着いて、彼の頭に顎を乗っけてみた。

「う~ん……」

「おい、重いぞ」

 ジュエルはぐりぐりと顎をずらしてみて、クレストフの頭髪の感触を確かめる。


「先端はチクチク……けど、根っこは柔らかい。綺麗に整えられた芝生みたい……」

「はぁっ? 意味不明なことを言ってないで、どけ。仕事の邪魔だ」

 クレストフの体勢が斜めに傾いて、ジュエルは背中からずり落とされた。

 固い地面に寝転がりながらジュエルは思った。


 たまには変わり種のモフモフも悪くない、かも?

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