第155話 唯一人の凱旋

※関連ストーリー 『借金返済』『領主館の昼』参照

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 宝石の丘より帰還した俺は、ひとまず体調を万全の状態に戻すため帰還の事実を伏せたまま十日ほどの休養を取った。

 ここ数日はだいぶ楽になったが、張り詰め続けた精神は自覚よりも消耗していたようで、錬金工房に戻ってからは三日ほど泥に沈むような深い眠りについた。

 食欲もあまりなく、普段通りの量が喉を通るようになったのは一昨日くらいからだ。疲労が完全に抜けたわけではないが、体調は随分とよくなっていた。


 一人、工房の椅子に腰掛けながら、これからのことを考えていた。

 まずは手に入れた宝石類をある程度、売り捌いておく必要がある。俺が宝石の丘に到達したと知れ渡れば、色々と勘ぐられたり騒ぎになったりして商売にならないからだ。

 黒猫商会にはチキータを通して既に話をしてあるので、今は極秘裏に宝石を売り捌く算段を立てているはずだ。なるべく同時期に、広範囲で一度に宝石を売り捌く。

 宝石が値崩れすることは黒猫商会もわかっている。一足先に帰還したチキータが既に在庫は売り払っており、今度は俺が持ち帰った大量の宝石が黒猫商会に補充され、商会はそれを一挙に売り捌いて利益を得る。手元に宝石は残さず、全て金貨に換えてしまうことだろう。


 黒猫商会はチキータが宝石の丘へ到達することは失敗したものの、宝石の卸売りで莫大な利益を手に入れることになる。

 宝石の市場は混乱するだろう。当初は市場の急激な変化と信用の失墜を嫌っていた黒猫商会だったが、得られる利益が予想以上に莫大なものになるとわかって、この商売に乗ってきた。

 幾つの宝石小売業者が首を括ることになるのか計り知れないが、それは俺の知ったことではなかった。


 市場の混乱が起きる前に、世話になった伯爵令嬢には義理として挨拶を済ませておかなければなるまい。

 それから、魔導技術連盟への報告だ。

「……そろそろ出かけるとするか。面倒だが……」

 俺は重い腰を上げて、外套を羽織ると工房の外へと出た。

 久しぶりに見た太陽の光が、やけに目に沁みた。



 俺が採掘をしていた朝露の砂漠リフタスフェルトそびえる永眠火山、その中腹にある底なしの洞窟で、一攫千金を目指す自称冒険者達が集う洞窟攻略都市は、いまや首都にも見劣りしない大都市になっていた。

 街の中心部にある領主館も以前のこぢんまりとした外観とは変わって、まるで砦のように重厚な石壁で囲われた中に小規模な城が納まっているという無駄に立派な造りになっていた。それは確かな月日の流れを感じさせる。

 一方で、依然として底なしの洞窟で日銭を稼ぐならず者がいることは、まったくもって人の進歩のなさを象徴している。

 あの生意気な伯爵令嬢がどのように変わっているのか、あるいは相変わらずの性格なのか、領主館の前に立った俺は少しばかり興味が湧いていた。


 領主館の使用人に応接室へと通され、そこで再会した伯爵令嬢エリアーヌは落ち着きのある貴婦人へと変貌していた。

 もう令嬢と呼ぶのも相応しくなく、今は別領地の伯爵貴族と結婚して伯爵夫人となったそうだ。とは言っても、自分の手で作り上げた都市を手放すつもりはないらしく、夫とは別居してこの洞窟攻略都市の領主におさまり続けているらしい。

「お久しぶりですわね。お変わりないようで、クレストフ……」

「あんたは変わったな、随分と」

「帰ってきてから暦の確認はしましたか? あれからもう、八年が過ぎたのです。変わらない方がおかしいでしょう」

「理解はしているが、実感が湧かなくてな。これから旧知の人間に挨拶回りへ行くところだ」


 ――八年。宝石の丘へ行って帰ってきてみれば、それだけの年数が流れていた。

 異界の狭間を行き来していた影響だろうか、体感では一年程度の旅だったように思う。実際、俺も自分では歳を取った感覚がない。

 だが、月日は確かに俺を取り巻く世界に変化を与えていた。伯爵令嬢あらため伯爵夫人の存在は、その事実をはっきりと俺に告げていた。


「それで、戻ってきたのはあなた一人なのですか? もっと華々しい凱旋を飾るかと思ったのですけれど、他の方々は?」

 使用人が運んできた紅茶を優雅に口に運びながら、伯爵夫人は探るような視線を俺に向けてきた。根掘り葉掘り聞き出したいこともあるのだろう。俺がそれに付き合う義理はないが、最低限の情報は伝えておかなければならない。後々の誤解に繋がっては面倒だ。

「死んだ者もいれば、行方不明の者もいる。宝石の丘へ辿り着けたのは……俺一人だ」

 他に宝石の丘に辿り着いたものがいると知られれば、遺族が権利を主張するなど余計な面倒があるとわかっていた。どうせ俺以外に誰も真実を知る者はいない。そんな浅ましい考えで吐いた嘘だが、俺の良心は僅かも痛むことはなかった。

 なんにせよ、宝石の丘に到達して生きて戻れたのは俺だけだ。嘘と言うほどの偽りでもあるまい。


 伯爵夫人は納得しきれていない様子だったが、他に気になることがあったのか、それ以上は追求せずに別の質問をしてきた。少し体を前に乗り出して、本当は真っ先にそれが聞きたかったのだとわかりやすい態度で問いかけてくる。

「あの娘は? ビーチェはどうしましたか? 私の所を飛び出してからは、貴方の元へ向かったと聞いています」

「宝石の丘へ向かう道半ばで、はぐれた」

 沈黙が流れ、伯爵夫人は腰を浮かせたまま凍りついていた。そして、喉の奥から搾り出すような声で、俺に確認の言葉を投げかける。


「はぐれた……とは? 旅先で行方不明になった、ということですか? そのまま――」

「捜索にも時間を費やしたが、見つからなかった」

「そんな……」

 再び長い沈黙の後に、伯爵夫人は深く息を吐き出して、力なく革張りのソファに腰を落とした。

 それ以上、俺の口から説明もないことがわかると、悲しげに目を伏せて問いかけてきた。


「クレストフ、あなたは……それで良かったのですか?」

「何がだ? 良いも悪いも仕方のないことだった。ビーチェは運がなかった、それだけだ」

 俺の言葉に伯爵夫人は軽く首を振り、ゆっくりと席を立った。

「やはり……あなたも変わりましたね」

 一言だけ言葉を残し、伯爵夫人は体をふらつかせながら部屋を出て行った。

 俺は彼女の態度に釈然としないものを感じていた。ビーチェが伯爵家に世話になっていたのは短い一時期だけであったはずだ。挙句の果てに伯爵家からは逃げ出してきたと聞く。

 そのビーチェが帰還しなかったことがそれほど無念であったのか。伯爵夫人が何を思っていたのか、俺には結局わからなかった。



 伯爵夫人への挨拶を終えると、俺は馬車に乗って首都へと移動した。馬車の窓から見える街道の風景は、八年経ってもあまり代わり映えのしない景色だった。そもそも、今まで街道の風景など気にしたこともなかったのだ。八年経って何かが変わっていたとしても、あるいはただ気がついていないだけなのかもしれない。


 首都にある魔導技術連盟の本部へ到着すると、背の高い一人の女性が入り口で仁王立ちしていた。

 八年の月日が経過したことで、若干だが年齢を重ねてきた様子の見られる『風来の才媛』であった。それでもまだぎりぎり二十歳代なのだから、老けたと言うほどではない。


「やあ、クレストフ。よく、戻ってきたね。お帰りなさい」

 以前と何一つ変わらない自信に満ちた笑みで風来の才媛は迎えてくれた。

 一級術士である彼女が直々に迎えに出ている姿を見て、魔導技術連盟に来ていた他の術士達は何事かと集まり、一定の距離を取りながらも興味深く俺と彼女のやり取りを眺めていた。

 俺は正直言って晒し者のようで気分が悪かったが、彼女からすれば俺の凱旋を最大限に祝おうという趣向なのだろう。相変わらず、はた迷惑でおせっかいな女である。

 やがて、古参の術士達は俺が準一級術士の錬金術士、クレストフ・フォン・ベルヌウェレであることに気がつくと、にわかにざわめき始めた。これまで長い間、表舞台から姿を消した男が帰ってきたのだ。何か大きな変化が訪れようとしていることに、勘の良い者は気がついたかもしれない。


「風の噂に聞いたよ。戻ってきたのは君一人のようだけれど。道中で何があった? 同行者達はどうした?」

「途中で別れた。それぞれの理由でな」

「……? そうなのかい? 目的地には辿り着けたのだろう?」

「ああ、俺は目的地に辿り着いた。だが、戻ってこられたのは俺だけだ」

 俺の返答に風来は首を傾げたが、周囲を見回してから一度大きく頷き、理解したようだった。このような公衆の面前で詳しくしらせるような内容の話ではない。

 ただ、俺としてはもっと単純な理由で、この女に説明するのが面倒になっただけだ。経緯はどうあれ、結末は変わらない。宝石の丘に辿り着き、無事に生きて戻れたのは俺だけだ。伝えるべきことはそれだけなのだ。


「それにしても、八年とは長い旅だったね。いや、当初の予定からすると早かったのか。いずれにしろ……」

 そこまで一息に喋って、風来の才媛は俺を真っ直ぐに見据えた。

「君は変わったようだね、クレストフ。かつて僅かながらも持っていた、人としての温かみは完全に失ってしまったのかな」

「…………どうだろうな。俺は昔から人情というものには疎くてな」

 風来の才媛の辛辣な言葉も、俺には否定する要素がなかった。事実であり、自身も認めていることなのだから腹が立つということもない。


 俺の返事に風来の才媛は、ふっと息を漏らすと背を向けて連盟本部の建物へと入っていく。

「君に対して、つまらないことを言ってしまったね。さ、本部へ入ってくれ。『魔女』達も待っている」

 風来に導かれて、俺は魔導技術連盟の本部へと足を踏み入れた。八年ぶりの建物は、細かい物品の配置こそ違いはあるものの、おおむね以前と変わらない雰囲気のままであった。


 本部にある会議場に通されると、そこには既に一級術士の魔女が三人、円卓の椅子に座っていた。他にも何人か見たことのない術士や貴族の姿が多く見受けられる。知った貴族ではエリアーヌの父、フェロー伯爵がいた。

 今この場に居るのは、連盟でも上層部に位置する限られた者達だけだ。その顔ぶれを見て、俺は何となく連盟の現状を察した。

(……あからさまに幹部の顔ぶれが変わったな。術士以外の人間が多い。王国の息のかかった貴族達が連盟の経営に深く関わり始めている、と言ったところか。古参の魔女三人は相変わらずだが……)


 どうやら、派閥争いは王国側の貴族達が優勢なようだ。

 それでも依然として、一級術士の魔女三人の存在感は大きい。


 魔女の一人は短髪赤毛で色黒の肌をした女性。緋色の龍鱗をあしらった軽装鎧に身を包み、一見して戦士かと思わせる引き締まった体つきをしている『竜宮の魔女』である。皮肉げな笑みを浮かべているが、あれは恐らく相当に機嫌が良い。俺が彼女の竜を借りて宝石の丘へ向かったことは、竜宮にとっても一つの成果になったと言える。


 もう一人、隣にいるのはひどく不機嫌そうで、暗く沈んだ表情をした長い黒髪の魔女。彼女が表に出てくるのは非常に珍しい。実のところ、俺とはあまり関係のよろしくない『王水の魔女』だ。陰気な雰囲気を身にまとっているのはいつものことだが、今日はことさら機嫌が悪いようだ。ただ単に、俺の活躍が気に食わないのだろう。


 そして今一人、魔導技術連盟においても最古参の魔女とされる『深緑の魔女』。若草色のローブに身を包み、腰まで垂れた波打つ栗色の髪には白髪一本とて見当たらない。深緑の魔女は、八年の年月を経ても全く外見に変化がなく、妙齢の若々しい姿を保っていた。以前と同じ、皺一つ浮かぶことのない真っ白な笑顔を見せながら、彼女は静かに椅子から立ち上がった。

「無事の帰還を祝福申し上げるわ。そして今一つ、祝いの言葉を」

 その場の代表として、深緑の魔女が俺の前に歩み出て祝辞を述べる。

「おめでとう、貴方には一級術士の資格が与えられることに決まりました」


 告げられた言葉に動揺するものは、この場には居なかった。ここに集まった者達には既に周知されていたことだろうし、話を聞かされていなかった俺としても予想は容易にできたことだ。

「宝石の丘への到達。この偉業をもって一級術士への昇級に異議を唱える者はいないでしょう。貴方には今後、魔導技術連盟の幹部としても働いてもらいたいと考えています。さらなる活躍を期待していますよ」


 妖艶に微笑む深緑の魔女。会議場には疎らに拍手が起こった。歓迎する者としない者で拍手の有無が別れていた。

 おおむね前者は連盟における術士の発言力が高まることを期待する者達、後者はそれを良しとしない者。ただ、個人的に俺のことが気に食わない王水の魔女はそっぽを向いていたし、個人的に繋がりのあるフェロー伯爵は俺の昇格を拍手で祝ってくれていた。


 特別な儀式もなく、あっさりとしたものだが一級術士の誕生というのは大事件である。それこそ社会に多大な影響を及ぼす実力を持つ、と判断されたのだ。

 これから俺の周囲では望むと望まざるとに関わらず、金や権力の動きが活発化していくことだろう。その名声にあやかろうと近づいてくる者もいれば、実力を見込んで難度の高い仕事の依頼もくるに違いない。


 確実に俺を取り巻く世界は変わる。

 俺自身もまた一級術士という肩書きだけで、これまでよりも格段に我が侭を通すことができる。

 そして、常に術士の上に立つ階級とされている騎士達とも、同等以上の畏敬でもって扱われることになる。長年に渡り騎士を超えようとしてきた俺が、ついに名実共に一流騎士とも引けを取らない存在へと昇華したのだ。


 それは念願叶っての一級術士への昇格。


 ――だと言うのに、どうしたわけか俺は喜びも何も感じなかった。

 あれほど求めてやまなかった地位なのに。


 何故なのだろう。

 俺には本当にわからなかった。

 本当に、何故なのだろうか。

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