第146話 弾劾の戦棍
透き通った六角錐の結晶が無数に生える水晶の小路で、ビーチェとセイリスの二人は
黒き聖帽の四姉妹、その次女ジョゼフィーヌは修道女とは思えない威圧感を放っていた。
肩幅広く上背のある体格で、肌は焼けた小麦色、髪は透き通る金色。肩まで伸びた髪を後ろで一括りにまとめている。
長い髪を背中で一括りにした騎士セイリスにも似た雰囲気であるが、体格は明らかに一回り大きく、ビーチェと比べようものなら熊と小鹿と言わんばかりの対比になる。
ビーチェはと言えば、真っ黒でぼさぼさに伸びた自分の髪を手櫛で梳かしながら、どこか羨ましそうにジョゼフィーヌとセイリスの艶やかな髪を見つめていた。
ジョゼフィーヌは真っ直ぐにセイリスを見据え、油断なく戦棍を構えていたが、わずかに視線だけを動かしてビーチェを見やる。
「子供と言えど、邪魔立てするなら容赦はしない」
殺気を込めた視線でビーチェを睨みつけ、低い声で恫喝する。
ビーチェもまた金色の瞳で睨み返す。魔眼の力は可能な限り抑えて、相手に余計なことを悟らせないように注意していた。
「ビーチェ、あの悪魔祓いの言う通り、私の後ろに下がっていてほしい。戦闘になったら君を庇っている余裕はなさそうだ」
そう言って一歩前へ出るセイリス。だが、ビーチェはその隣に歩み出て堂々とジョゼフィーヌに相対する。
「セイリス一人じゃ心配」
黒いミニドレスに身を包んだビーチェは、この殺伐とした戦場において場違いな存在に感じられる。クレストフの過保護な愛情が、過酷な旅路のなかビーチェを傷つけることなく守ってきたのだ。
「しかし、君に万一のことがあっては師匠に顔向けできない。そもそも、君はどうやって戦うつもりなのだ?」
「私は大丈夫。クレスに、武器も貰っているから」
「それは――」
ビーチェは小さな両手を目の前に掲げ、どこか誇らしげに『武器』を披露して見せた。
武骨な鉄製で、四つ指に填まるよう一繋がりに作られた指輪。
半球状に磨き上げられた
拳打を補助するその武装には緻密な魔導回路が刻み込まれ、術式によって威力を高めるのだろうことが窺い知れる。
「引く気はないか。ならば死んでも構うまい」
ジョゼフィーヌが戦棍を強く握りこむと、先端の打撃部に空気の渦がまとわりついた。
黒い修道服がばたばたとはためき、足元や腰回りなどにも旋風が発生する。
「風を扱う術士か……!」
セイリスは改めて一歩前へ出て、ビーチェを守る立ち位置に動く。なんだかんだと言っても、セイリスはビーチェを守るつもりでいた。
そして、ジョゼフィーヌもまたセイリスを主敵と見なしている。
セイリスの一歩に合わせる形で、ジョゼフィーヌが動き出した。
ジョゼフィーヌは足元で空気を炸裂させ、勢いで自らの身体を跳躍させる。爆発的な加速を得て振るわれる戦棍を、セイリスは軽銀の盾で受け止めた。群青色の闘気で強化された盾に、僅かながら凹みが生じる。踏みしめた両足が固い地面を削り、セイリスは辛うじて踏み止まった。
しかし、ジョゼフィーヌの攻撃はそれだけに終わらず、盾で受け止められたとわかるや、戦棍の打撃部にまとった圧縮空気の塊を爆発させた。
風圧でもって強引にセイリスを押し込み、体勢を崩しにかかる。
「くっ!?」
予想以上の圧力にセイリスは後ろへ仰け反るように後退させられる。すかさずジョゼフィーヌは間合いを詰めて追撃してくる。
「なんのこれしき!!」
群青色の闘気を足元に集中してどうにか踏ん張ると、セイリスはジョゼフィーヌの戦棍をダマスカス鋼の長剣で弾き返す。戦棍を包む空気の渦に剣が流され、十分な力を伝えることができず、それ以上は反撃の隙を作るだけの余裕がなかった。
ジョゼフィーヌの動きには瞬発力があり、風圧の威力も相乗して一撃が重い。
一進一退の攻防は徐々に形勢が傾いて、少しずつ押されているのはセイリスの方であった。
「この悪魔祓いは……本当に術士なのか!?」
荒々しく振るわれる空圧を伴った戦棍と、群青色の闘気を棚引かせた長剣のぶつかりあい。
いくら武闘派の術士であっても、騎士と真っ向勝負をすれば十中八九敗北する。だというのに、そんな常識を覆してこの悪魔祓いは騎士と渡り合っていた。
いったいどれほどの修練を積んで死線をくぐり抜ければ、この若さでここまでの武の境地に至るのか。それこそ、人生の全てを殺人術の習得に当てなければ到底辿り着けない域であろう。
あるいは本当にそうなのか。人生の全てを捧げてきたというのだろうか。
黙々と戦棍を振るうジョゼフィーヌの表情からは、この戦いもまたありふれた日常の作業であるかのように感じられる。
実際、彼女にとってはそうなのだろう。
余計なものは一切ない。ただ純粋に主の敵となるものを滅ぼすのみ。
「滅びろ。悪魔を庇護する、咎人の共謀者め」
ジョゼフィーヌが片足を一歩強く踏み込むと、その周囲で圧縮された空気が炸裂し、爆風の如き突風が発生する。
「うぁっ!?」
風圧で盾が煽られ、セイリスの身体が僅かに浮き上がり、致命的な隙が生じてしまう。
がら空きになった側頭部目掛けて戦棍が振り下ろされる。
――ばんっ、と空気が弾けて衝撃波が洞窟の壁を震わせた。
セイリスの目前にまで迫っていたはずのジョゼフィーヌが戦棍ごと真横に吹き飛ばされ、地面を派手に転がっていく。
ジョゼフィーヌは身の回りの空気を制御して衝撃の勢いを相殺すると、地面を転がりながら器用に体勢を立て直し軽やかに着地した。
若干だが頭を揺らしながら、ジョゼフィーヌは自身を吹き飛ばした者へと視線を送る。
「セイリス、無事?」
「ビーチェ!? ……い、いや、しかし、助かった。うん……」
半身を後ろに引き、腰をやや落として拳を構えるビーチェの姿に、セイリスは面食らった様子で二度見直した。
腰だめに構えた小さな拳が、ぼんやりと薄青く光っている。ビーチェの填めた指輪が発光しているのだ。
ジョゼフィーヌとの戦闘に集中していたセイリスは気がつかなかったが、横合いから割り込んだビーチェの拳がジョゼフィーヌを衝撃波で吹っ飛ばしたのである。
衝撃波を生み出したのは紛れもなく、四つ穴の指輪に象嵌された
「子供には過ぎた玩具だ。その腕ごと置いていけ!!」
ジョゼフィーヌが破裂する空気の推進力で飛びかかり、戦棍をビーチェの腕に振り下ろす。
「やだ! これは、渡さない!!」
ビーチェは素早く横に跳躍して戦棍をかわすと、すぐさま体を捻りジョゼフィーヌの背後へと回り込んだ。そして一歩前へと大きく踏み込み、戦棍を空振りしたジョゼフィーヌ目掛けて正拳突きを放つ。
輝く指輪が青白い衝撃波を生み出して、物理的な圧力を持った波動でジョゼフィーヌを弾き飛ばした。
先程よりも強力な一撃が決まり、ジョゼフィーヌは受け身を取る間もなく洞窟の岩壁に衝突する。
「……つ、強い……」
ビーチェの攻防を目の当たりにして、セイリスが思わず感嘆の声を漏らす。
クレストフから与えられたという武器も強力だが、ビーチェの身のこなしもまた見事なものであった。
あくまでも素人拳法の域を出ていないが、身体のバネがしなやかで野生の獣のような動きを見せる。苛酷な環境の中で鍛え上げられた、天然の闘争本能とも言うべき格闘技能。それは長い洞窟生活の影響もあれば、とある貴族令嬢の館から逃げ出そうと毎日のように騎士を相手に取っ組み合いを続けた成果でもあった。
「……どうやら、ただの子供ではないようだな」
かなりの速度で岩壁に叩きつけられたジョゼフィーヌであったが、それほどの痛手を受けた様子はなく、ついにビーチェも注意すべき敵として認識した。
――どぅっ、と風圧で地を蹴り、ジョゼフィーヌは一瞬でビーチェとの間合いを詰めてきた。
ビーチェもまた応戦の構えを取り、頭上から振り下ろされる戦棍を横に跳んで避け、追撃として振るわれる横殴りの攻撃を拳で弾き返した。
連続で繰り出される戦棍を巧みに捌くビーチェに対して、ジョゼフィーヌは冷静に動きを見極めて不意にその長い足で蹴りを放つ。
「ふぐっ……!」
ジョゼフィーヌの足裏がビーチェの
追い討ちを加えようとしたところでセイリスが間に割って入り、ジョゼフィーヌの攻撃を阻んだ。
「ビーチェ! あまり無理をするな! 私もいるんだ!」
「あぅぅう……」
今のはかなり効いたのか、ビーチェはお腹を押さえて地面に丸まっている。ビーチェの格好は隙だらけで、ジョゼフィーヌがその絶好の機会を逃すはずもなかった。
『……庇護を退け、罪深き咎人を
不穏な言葉を含んだ呪詛がジョゼフィーヌの口から紡ぎだされる。
するとジョゼフィーヌの周囲の空気が揺らぎ、セイリスの視界を惑わした。
「なんだ、これは!?」
セイリスが動揺している間にジョゼフィーヌは彼女を置き去りにして、ビーチェの元へと走り寄っていた。
「死ね、小娘!」
いまだ地面にうずくまるビーチェに渾身の一撃が振るわれる。
戦棍がビーチェの顔面に潜り込み、そのまま突き抜けた。
「ビーチェ――っ!!」
セイリスの叫びと、
「手応えがないな」
ジョゼフィーヌの腑に落ちぬ呟き。そして、
「たぁあー――っ!!」
気勢の乗った声が響き渡る。
いつの間にかジョゼフィーヌの背後を取っていたビーチェが、強烈な拳打をジョゼフィーヌの背中へと打ち込んだ。完全に不意を突かれたジョゼフィーヌは見事に吹っ飛ばされ、地面を横倒しの状態で滑りながら、小路の壁際に生えた水晶の塊に激突した。
先ほどジョゼフィーヌの戦棍が打ち据えた場所には、ビーチェの影も形もありはしなかった。
ジョゼフィーヌからすれば不可思議なことであっただろう。戦棍は確かにビーチェの顔面を突き抜けていた。
そう、突き抜けて、すり抜けて、何の手応えもなかったのである。
「そうか、お前もそうなのか」
起き上がり際に、ジョゼフィーヌはどこか納得したような台詞を吐いた。
地面との摩擦で修道服がぼろぼろになっているが、ジョゼフィーヌの動きに衰えは見られなかった。
起き上がるとすぐにビーチェへと突進していく。
「させはしない!!」
ジョゼフィーヌの背にセイリスが追い縋った。
『……庇護を退け、罪深き咎人を弾劾せよ……!』
だが、ジョゼフィーヌが呪詛を吐くと周囲の空気が揺らぎ、その姿が二つにぶれて視認が困難になる。
「くっ、また……呪詛なのか、これは!? ビーチェ! 悪魔祓いがそっちに行く!」
圧倒的な加速でセイリスを置き去りに、ビーチェへと迫るジョゼフィーヌ。
「種は割れているぞ小娘。二人でも、三人でも、自分の影を出してみろ。全て叩き消してやる」
やっていることはジョゼフィーヌもビーチェも同じ。
先ほどビーチェは幻影を作ってジョゼフィーヌを惑わし、攻撃を掻い潜りながら背後を取って反撃に出たのだ。
ビーチェの契約精霊、
「
「通用するものか!」
ビーチェの姿が揺らめき、四つの影に分裂する。
ジョゼフィーヌは戦棍を振って、一息に二つの影を打ち消し、さらにもう一振りで三つ目の影を消し去った。
残る影は一つ、ビーチェ本人である。
「これで最後だ!!」
ジョゼフィーヌはビーチェを正面に捉え、戦棍を振り下ろす。覚悟を決めたビーチェの瞳と視線が交錯した。
金色の、瞳と。
「――――っ!?」
魔力を秘めたビーチェの魔眼が、ジョゼフィーヌを金縛りにかけて自由を奪った。
わずか一瞬、戦いの最中に生じた決定的な隙。
魔眼で動きの止まったジョゼフィーヌの胸を、突撃してきたセイリスの長剣が貫く。
剣先から群青色の闘気が溢れ、悪魔祓いジョゼフィーヌの心臓を爆散させた。
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