第147話 神罰の鉄鎚

 黒い聖帽に修道服姿の悪魔祓いマーガレット。

 細かく波打つ黒髪を腰まで伸ばした色白の女で、胸元には十字架を模した銀の首飾りが鈍く光っている。

 一見すれば敬虔なる聖霊教会の伝道者そのものだが、肩に担いだ武骨な鉄鎚がそれらの印象を大きく裏切っていた。


 俺は先ほどまで、この女を含む四人の悪魔祓いと戦っていた。

 しかし今、他の悪魔祓いは駆けつけた俺の援軍とそれぞれ戦っており、俺とマーガレットの一騎討ちという状況ができあがっていた。


 圧倒的に不利な状況から脱して、俺は幾分か余裕を取り戻していた。

 一方で、圧倒的に優位な状況を覆されたはずのマーガレットもまた、落ち着き払った様子で俺に対峙していた。

 形勢は逆転している。

 そのはずだが、揺らぐことのないマーガレットの態度は、不気味で油断のならないものを感じさせた。


「一対一で、俺に勝てると思っているのか?」

「主に仇なす敵は滅ぼすのみ、それが私の務めです」

 俺の挑発にマーガレットはさしたる反応も見せず、ただ淡々とした表情で口上を述べた。

 お互いに口先の挑発には乗らない性質だ。細かい駆け引きをしてみたところで無駄だろう。


『……罪深く愚かな咎人に、天の神罰を与えたまえ……』

 マーガレットが不穏な呪詛を吐き出すと、戦鎚が青白い燐光に包まれる。

 小さな火花がぱちぱちとぜ、ぼんやりとした薄気味悪い光がマーガレットの白い肌を浮き上がらせた。

 見たところ、雷気をまとわせる呪詛で殺傷力を高めたようだ。あれをまともに受けるわけにはいかない。


 マーガレットは無言で腰を落とした。

 ゆっくりと沈み込むように体勢を低く取り、次の瞬間には全身のバネを使って一気に跳躍してくる。

 ――速い。

 理解するよりも早く、俺は大きく横に跳んでいた。

 つい今しがた俺がいた場所に、重量のある鉄鎚の一撃が振り下ろされる。


 ずんっ、と洞窟全体が揺れたかと思うほどの衝撃が地面を伝わり、攻撃を完全に避けた俺の元に砕けた石の欠片が飛んできた。

 俺は外套を翻して石礫を防いだが、すぐさま追撃に移るマーガレットの姿を視界に捉え、足を止めることなく地を蹴って後ろへと距離を取った。

 しかし、距離を離した分だけマーガレットは距離を詰め、風が唸るほどに大きく鉄鎚を振るってくる。

 咄嗟に姿勢を低くした俺の頭上を鉄鎚が通り過ぎていく。かすめた雷気がちりちりと肌を焼いた。

 四人同時に仕掛けてきた時とは違って、マーガレットの踏み込みが深い。

 先ほどまでの戦闘の感覚で、間合いの外だと思って動きを止めていれば確実に一撃をくらっていた。


 マーガレットの動きは姉妹四人で襲いかかってきた時とは比べ物にならない俊敏さを見せていた。

 長い柄の先に付いた鎚頭つちがしらが、人を殺すに十分な重さと速さでもって振り抜かれる。

(――霊剣でも、この一撃は受けるも流すもできはしない。どう対抗する?)

 荒々しい鉄鎚の連撃に、付け入る隙が見出せない。マーガレットは鉄鎚の重量に振り回されることなく、敢えて勢いに抗わず自身を軸に回転することで、攻撃の速さに転化している。


 俺は内心で舌打ちをしていた。

 読みが甘かったと言わざるをえない。

 マーガレットは、四人で戦うときは確実に標的を仕留める為に、力を抑えて連係を重視した戦い方を選んでいたのだ。

 一対一の勝負でこそ発揮される、これが本来のマーガレットの実力ということか。

 四人一度に相手するよりはましだが、かと言って少しでも隙を見せればやられてしまう。


(早期決着は難しいな……。仕方ない、こちらも戦法を切り替えるか)

 両手に握った二本の霊剣を鞘に収め、俺は踵を返して一気にマーガレットから距離を取った。

 完全に逃げに徹すれば、いくらかは距離を離すことも可能だ。


 突然の逃走にマーガレットは罠を警戒したのか、すぐの追撃はしてこなかった。

 その僅かな間に、俺は懐から水晶の魔導回路を取り出して術式を発動させた。


(――組み成せ――)

 意識を集中し、先端の尖った六角柱状の水晶を、小路に生えた水晶に押し当て楔の名キーネームを告げる。

『六方水晶棍!!』

 天然の水晶を取り込んで、人の足ほどもある六角錐柱の巨大水晶を創り出す。水晶の底面からは長い丸棒の柄が生えて、即席の水晶棍が完成した。

 こちらが単に時間稼ぎのために後退したと気付き、マーガレットがすぐさま攻撃を仕掛けてくる。


 振るわれる鉄鎚、それに合わせて俺は水晶棍を叩き付けた。

 甲高く、しかし重く響く、鋼鉄と水晶の激突音。

 鉄鎚がまとう雷気と圧力で発生する水晶の放電がぶつかり合い、青白い火花が弾け散った。

 衝撃で互いに弾かれ、間合いが開く。空いた距離を即座に埋めに来るマーガレットに対抗し、俺もまた自分から距離を詰めていった。

 この戦い、互いに逃げ切れない間合いで本格的に打ち合いを始めたのなら、どちらかが力尽きるまでの殴り合いになる。

 及び腰になった方が負けだ。しっかりと距離を詰め、腰を入れて打ちこまなければ弾き飛ばされてしまう。一瞬でも体勢を崩せば、それは致命的な隙となるだろう。


 肩と腕を固定しながら水晶棍を握りこみ、ひゅぅ、と息を吸い込んで脚から腰そして背中の筋肉へと力を伝えていく。最後に胸筋へと力を集中し、斜め上段から力任せに水晶棍を叩き付ける。

 マーガレットも全身を捻転させて、下段から鉄鎚をかちあげる。

 互いの一撃が衝突した瞬間、空気の絶縁を裂いて雷撃が飛び、衝撃音がばりばりと水晶の小路を震わせた。

 立て続けに、今度は鉄鎚を大上段から叩き付けてくるマーガレット。俺は水晶棍を逆手に持ち直し、そこを支点として柄の末端を思い切り押し下げ、先ほどとは逆にこちらが水晶棍をかちあげるようにして攻撃をしかけていく。

 片足を大きく踏み込み、最後の一押しとして支点となった腕を思い切り頭上に持ち上げた。


 打ち合いは三度目、鉄鎚と水晶棍が激突し、盛大に火花を散らす。

 俺は歯を食い縛り衝撃に耐えた。

 上段からと下段からでは、振り下ろす方が楽に決まっている。だが、追撃の速さでは次に先手を取れるのはこちらだ。

 マーガレットは地面に鉄鎚をめり込ませ、俺は水晶棍を頭上に持ち上げている。

 なおかつ、マーガレットの鉄鎚よりも、俺の水晶棍の方が軽く、長い。威力では劣るが、速度と間合いで優れる水晶棍ならば、打ち合いの中で相手への直撃を狙いやすいのだ。


(――決定的な隙、取った!!)

 迷わず水晶棍をマーガレットの頭頂部めがけて振り下ろす。

 それをマーガレットはあろうことか、左腕を掲げて受け止めた。

 放電の青白い火花が飛び、がぁんっ、と硬いものがぶつかり合う音が響いた。

「ちぃっ!! 何か、仕込んでやがったか!!」

 マーガレットは左腕で俺の攻撃を受けると、残った片腕だけで鉄鎚を振り回してくる。

 牽制と見るにはあまりに速度の乗った反撃に、俺は一度後ろへと下がって距離を取るしかなかった。マーガレットもここは追撃をせずに後退した。


 先ほどの左腕での防御、鋼鉄製の篭手でも服の下に装着していたのか。

 それでも、水晶棍から放たれた電撃は軽減できなかったようで、マーガレットは左腕をだらりと下げ、右肩に鉄鎚を担いでいる。

 痺れはあるようだ。けれど、それがマーガレットの戦闘力をどれだけ削ぐことができたか、まだ気をぬくことはできそうもなかった。



 俺とマーガレットの戦闘が拮抗するなか、戦場に変化が訪れた。

 他の悪魔祓いとの戦闘が先に決着したのだ。

「師匠!! 御無事ですか!?」

「クレス! こっちはやっつけた!!」

 元気に俺の元へとやってきたのは騎士セイリスとビーチェだ。二人とも大きな怪我はない様子で、俺は少し安堵した。

 だが、次にやってきた人物を見て、俺は我が目を疑った。


「マーガレットお姉さまぁ~。エイミーがお手伝いに参りましたよ」

「エイミー、務めを果たしましたか。ご苦労様です」

 悪魔祓い四姉妹の最年少エイミー、彼女は確か二流騎士グゥ、三級術士ルゥのナブラ兄妹と、さらには医療術士ミレイア、冒険者イリーナの四人を相手にしていたはずだ。

 俺の予想では、この組み合わせが最も早く決着すると思っていた。騎士ナブラ・グゥがいればまず負けることはない、と。

 だが、エイミーがここにいるということは、騎士であるグゥも敗れたということだ。

(……あの戦力差を覆した……? 尋常ではないな……)

 小柄な少女にしか見えないエイミーに対して、俺は警戒の度合いを高めた。

 騙まし討ちであれなんであれ、騎士を倒したというのはそれだけ重い意味を持つ。


 心配なのはここに姿を見せない、氷炎術士メルヴィオーサとおまけの猟師エシュリーだ。

 相手方も姿を見せないので、どうなったかはわからないが。

「エイミー、エリザベスは見ましたか?」

「ううん? でも戦闘の音は聞こえなかったし、決着はついているみたい」

「エリザベスが生きていれば、すぐに回復してやってくるでしょう。だとすれば、ジョゼフィーヌとエリザベスは主の御許みもとへ旅立ったのですね」

「えぇー? まじ? そんなー、姉さま方が死んじゃって、悲しいわー」

 けらけらと笑いながら、まるで悲しみを感じさせないエイミーに、マーガレットもまた表情を変えることなく淡々とした態度だった。


「帰ったら新たな妹をまた迎えねばなりません。しかし今は……」

 マーガレットとエイミーが並び立ち、それに対して俺とビーチェ、セイリスが対峙する。


 俺はエイミーに対して警戒の念を抱きながら、現状をどう切り抜けるか考えていた。

 ここまでの戦いで時間をかけすぎた。悪魔祓いの呪法に囚われたジュエルも限界が近いだろう。

 俺の予定では、ナブラ・グゥの一団がエイミーを早々に倒し、残りの悪魔祓いとの戦いを任せたところで俺はジュエルの救出に向かうつもりだった。

 だが、今の状況で俺が戦線を外れるわけにはいかない。


「ビーチェ、お前はジュエルの救出に向かえ。どうにかして結界を破壊するんだ」

 俺の指示にビーチェは困ったように眉根を寄せた。

「……でも、私、わからない。結界の壊し方……」

「この霊剣を使え。二本ともくれてやる。それでどうにかしろ。……正直、悪魔祓いの結界を破壊する方法なんてのは俺もよくわからん。だが今、それを試せるのはお前しかいない。いいな? お前がやるんだ、ビーチェ」

「……やってみる」

 小さな声。けれども決意を固めた言葉。

 俺はその返事に満足し、無言で頷いてビーチェを送り出した。


 マーガレットとエイミーは、戦線を離れるビーチェは完全に無視していた。

 自分達の儀式呪法が破られることはない、と踏んでいるのか。あるいは既に手遅れと考えているのか。

(……俺はそうは考えない。ジュエルのしぶとさと、ビーチェの賢さを信じる……)


 今、俺がすべきことは目の前の敵を倒すこと。

 騎士セイリスの実力はある程度、信頼できる。俺自身も悪魔祓いの二人、どちらにも実力的に劣るとは思っていない。

 この戦いは勝てる。ただ、不安要素があるとすれば騎士殺しのエイミーが、いかなる手段を隠し持っているかだ。

「セイリス、お前はこっちの長髪女を相手にしろ。そっちの小さい方は……騎士を殺している。何を隠し持っているかわからん。俺が相手する」

「師匠……考えがあるのですね。了解しました」

「無理に倒そうとしなくていい。とにかく、俺があのエイミーとかいう悪魔祓いを片付けるまで、お前は負けるな。どちらかが敗れれば、もう片方も敗れると思え」

「承知!!」


 ずい、とセイリスが前へ出て、マーガレットに剣先を向ける。

 俺は何歩か横へずれて、エイミーを正面に捉える。

「私に騎士をぶつけますか。まあ、いいでしょう。エイミー、そちらの錬金術士の始末は任せましたよ」

「は~い! ……マーガレットお姉さまにびびってる腰抜けなんてぇ、私一人で十分だし!」


 双方、仕切りなおしての再戦が始まった。

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