第144話 贖罪の連接棍

 戦いは前触れもなく唐突に始まった。

 悪魔祓いのエイミーが戦棍を握り締め、黒い修道服をはためかせながらミレイア達に襲いかかる。

「あはっ、ぶっ殺してあげるから! まずはぁ……澄ました顔してるテメエからなぁっ!!」

 エイミーは真っ先に医療術士ミレイアを狙って走った。武装は錫杖一本で見るからに戦闘向きではない、回復役の彼女を狙うのは当然とも言うべき選択だ。


「やらせはしない!」

「くっそ、やっぱりこいつ、たち悪い!」

 グゥがミレイアを守るように剣を構え、イリーナも霊剣水鏡れいけんみかがみを抜き放ち、エイミーの迎撃に備える。

 だが、エイミーは突然に走る方向を転換して、一人だけ孤立していたルゥに狙いを変更する。


「え? あ、やっ、来ないで……!」

 慌てて杖を構えて応戦しようとするが、ルゥは迫り来るエイミーを前にして術式に集中できないでいるようだ。

「狙いはそっち!?」

 エイミーが狙いを切り替えたことで、イリーナはエイミーの背を追って走ることになった。

 グゥはミレイアとルゥを守れるぎりぎりの位置に素早く移動して、エイミーの動きを注視している。いつまた狙いを変えてミレイアに襲いかかるかも知れないからだ。


 だが、エイミーはルゥに向かう足を止めて、その場で半回転しながら後ろに向き直った。

 勢いのままに戦棍を振り回し、追撃しに来ていたイリーナへと攻撃を仕掛ける。振り向きざまの攻撃で目測を誤ったのか、イリーナが間合いに入るよりも早く戦棍は振り切られていた。

「間合いの取り方がなっちゃいないよ!」

 イリーナは一歩、深く踏み込んで霊剣を右上段から斬り下ろす。

 曇り一つない霊剣水鏡の銀の刃が、勝ち誇った笑みを浮かべるエイミーの顔を映し出していた。


 ――ぼぐんっ。


 不快な音が響き渡り、霊剣水鏡が力なく宙を舞った。

「あなたの方こそ、間合いを読み違えたんじゃないの?」

 冷ややかな声を発するエイミーの手には、打撃部の鉄塊がなくなった戦棍の柄だけが握られていた。

 その先端からは鎖が伸び、鎖の先には戦棍の打撃部であった鉄塊が繋がっている。

 そしてそれは今、イリーナの後頭部にめり込んでいた。


「ああぁっ!? イリーナっ……!!」

 ミレイアの悲痛な叫びが、水晶の小路にこだました。

 イリーナの後頭部を背後から襲ったのは、エイミーが振るった連接棍フレイルの鉄球だった。

 鎖に繋げられた鉄球は、一歩踏み込んできたイリーナの死角を通り過ぎてから、エイミーによって勢い良く引き戻されたことでイリーナの後頭部を直撃したのだ。単なる戦棍メイスと見せかけておいての騙まし討ちであった。

「イリーナ……嘘……でしょう……?」

 鉄球を後頭部に受けたイリーナは顔から地面へと倒れこみ、びくんびくん、と小刻みに痙攣を繰り返している。どう見ても後頭部に受けた外傷は致命的で、救いようがないほどに陥没していた。痙攣も単に筋肉の反射で動いているに過ぎないようだ。

 医療術士であるミレイアには、イリーナが何をやっても助からないということが絶望的にわかってしまった。


「汚い手を……!」

 イリーナを援護しきれないままみすみす死なせてしまったグゥは、怒りの声と共に水色の闘気を全身から立ち昇らせる。

「決闘じゃあるまいし、殺し合いに綺麗も汚いもないんですけどぉ? 一番やりやすい奴からやる。戦闘の常識でしょ~、無能騎士さん?」

「兄様の侮辱は許しません!! その口の軽さ、後悔させてあげます!」

 三級術士ナブラ・ルゥは、憤る感情のままに両腕に刻まれた魔導回路を活性化させ、エイミーに向けてあらん限りの呪詛を込めた術式を放つ。


『呪われし囚人の足枷を――!!』

 地面から無数の白い触手のようなものが生え出して、呪詛を向けた捕らえるべき敵、エイミーの足を掴もうと蠢き出す。

「うっわ、気持ち悪ぅ~い! やだもー、こんな呪詛使うとか、変態なんじゃないのー」

「だ、黙りなさい! さっさと捕まるのです!!」

 エイミーはそれらの触手を前後左右に素早く移動しながら避け、連接棍で薙ぎ払っては足場を作り、また別の場所を薙ぎ払っては移動するといった行動を繰り返す。そうして隙なく動き続けるエイミーは、なかなか触手で捕らえることができなかった。


「すばしっこい! でも、足元ばかり見ていては戦えないでしょう!」

 ルゥの指摘通り、エイミーは白い触手を避けるので手一杯の様子だ。その絶好の機会を逃す手はない。

「手加減はしない、覚悟!!」

 水色の闘気を棚引かせ、二流騎士ナブラ・グゥが飛び出していく。

 闘気をまとった鋼鉄の刀で、触手を薙ぎ払っている最中のエイミーへと斬りつける。


「――それで、隙を見たつもりか、三流がぁっ!!」

 それまで足元を薙ぎ払っていた鉄球が、唐突に軌道を変えてグゥの振るった刀めがけ飛んでいく。闘気をまとった刀と急激な加速を得た鉄球が激突して水色と赤色の火花を派手に散らした。激しい衝突によって、甲高い金属音が辺りに響く。

「ぅ……っ! くそ……この程度、どうということは!!」

 びりびりと刀から伝わってくる振動で痺れた手に、グゥは闘気を集中して握力を取り戻す。刀の方も闘気に守られていた為、歪んだり刃が欠けたりはしていないようだ。エイミーの持つ鉄球は元が相当に頑丈なのだろう。闘気をまとわせた刀とぶつかっても、ほとんど傷ついた様子がない。


 だがそれ以上に脅威なのは、エイミー自身の身体能力である。獣じみた感覚の鋭さと俊敏な動き、そして細腕に似合わぬ恐るべき腕力。おそらくは術式か薬か、何らかの方法で身体を強化しているのは間違いない。

 武闘派の術士でも、肉弾戦で騎士と互角に戦えるのは一級術士くらいである。

 しかるにエイミーの実力は、戦闘面においてだけ見れば武闘派の一級術士に匹敵する実力の持ち主と言えるかもしれない。これほどの技能を、エイミーの若さで身に付けるには、かなり幼い頃から戦闘訓練を受けてこなければならなかったはずだ。それこそ、人生の全てを犠牲とするほどに。

「これが……悪魔祓いエクソシストってやつなのか!? いったい、どんな悪魔と戦うことを想定しているんだ!!」

「あっははははっ、何驚いているの? 悪魔ってのはねー、人に憑くものなんだよ? だったら~、憑かれた人間をぶっ潰すのが基本だろうが!!」


 ごおごおと鎖が空気を切る音を鳴らし、荒々しく振るわれる連接棍はまるで生き物の如くうねる。

 グゥを叩き潰さんと、上から、横から、正面から、時に背後から迂回して鉄球が飛び、反撃の暇さえ与えぬままに追い詰めていく。

 舞い踊り荒れ狂うエイミーの連接棍に阻まれて、グゥは近づくことすらできない。薄刃の刀と連接棍では相性が悪く、俊敏さでもエイミーが上回る。

 遠心力を巧みに利用した鉄球の威力は一度打ち合ってわかっている。無理に突っ込めばグゥの刀の方が叩き折られてしまうだろう。


 そして今ひとつの問題が、イリーナの死から立ち直れずにいるミレイアだ。先ほどから隙だらけの姿でイリーナの死体の前に立ち尽くしている。

 そんなミレイアをエイミーは散発的に連接棍で狙い、グゥがそれを阻止しながら戦うという状況になっていた。

 ミレイアを庇いながらの戦いとなり、実力を出し切れないグゥ。

 妹のルゥが補助に回るものの、兄のグゥがミレイアを庇うために連係がうまく取れずにいた。

「兄様!? そんな人、庇っている余裕はありませんよ! 戦いに集中して!」

「そうはいかないだろ! 放って置いたら真っ先に殺されてしまう!」

 グゥがあくまでミレイアを庇おうとするため、ルゥは苛立った様子でミレイアに怒鳴りつけた。


「ちょっと、貴女!! そこの女はもう死んだの! 医療術士ならわかるでしょ!! 割り切りなさい!」

 ルゥの発した『医療術士』という言葉に、はっとした様子でミレイアが顔を上げる。それから慌てて周囲を確認し、錫杖を構えて鉄球を振り回すエイミーに向き直る。

 おぉん! と風を巻き起こしながら眼前を通り過ぎていく鉄球にミレイアの顔は青ざめた。今もまたグゥがエイミーに牽制を入れたことで、ぎりぎりミレイアに鉄球が届かなかっただけのこと。誰も止める者がいなければ、ミレイアもイリーナ同様とっくに頭を潰されて地面に倒れ伏していたことだろう。

「す、すみません! もう大丈夫です!!」

「油断しないでくれ! この悪魔祓いは、尋常じゃなく強い!!」

 グゥは振り向くこともせず、手振りだけでミレイアに下がるよう指示を出す。一瞬でもエイミーから視線を逸らせば、次の瞬間には高速の鉄球で殴り飛ばされてしまう。


「騎士様も大変よねー、お荷物の雑魚を三人も抱えて戦わなくちゃいけないなんて。あ、でも一人死んだから少しは楽になったんじゃな~い? もう一人、二人殺して、もっと楽にしてあげようか? あはっ、あはははっ!!」

「くっ……! 死者を冒涜して……。何がそんなにおかしい! あんたはそれでも聖職者なのか!?」

「兄様!! 挑発に乗せられては駄目です!」

 激昂するグゥを落ち着かせようと、ルゥはグゥの腕を取る。だが、グゥはその手をやんわりとどかすと、穏やかな表情でルゥに語りかけた。


「大丈夫だよ……ルゥ、僕は冷静だ。そして……本気だ!!」

 グゥの全身から輝く水色の闘気が迸り、身内のルゥでさえ一歩引き下がるほどの気迫が放たれる。

「ルゥ、少し下がっていてね。巻き込まれると危ないから」

「あ、兄様、一人で戦う気ですか? ルゥも援護します!」

 不満気なルゥの言葉にグゥは小さく笑みをこぼすと、返事はせずにエイミーへと剣を構えた。


「行くぞ! 悪魔祓い!!」

 騎士グゥがこれまでよりも数段速い動きでエイミーへと肉薄する。正面から飛んできたエイミーの鉄球を、闘気をまとった左腕の盾で弾き返して間合いを一息に詰めていく。

「ちぃっ……調子に乗りやがって……! くそがっ!!」

 攻撃を弾かれたエイミーは暴言を吐き捨てながらも瞬時に鎖を引いて、鉄球をグゥの側面から当てにいく。グゥは怯まず再度、盾で鉄球を弾き返そうとして、不意に後ろへと飛んだ。鉄球の軌道が途中で変わり、先ほどまでグゥの頭があった場所を鋼鉄の塊が通過していった。


 さすがに闘気を全力で展開しているとはいえ、頭部にあの鉄塊が激突しては堪らない。一旦は後ろへ下がって回避したグゥ。しかし、グゥはその後も攻撃の手を緩めることなく、弧を描いて加速しながら迫る鉄球を確実に盾で弾き返しながら、間合いを詰めて鋭い一太刀をエイミーへと浴びせかける。

 つい先ほどまでとは一転してエイミーが防戦一方となり、鉄球をグゥへの牽制としながら、閃く水色の斬撃を跳ね回って避け続けていた。グゥがやや押しつつも戦況は膠着状態に陥ったかに見えた。


 だが、エイミーはグゥの刀を掻いくぐりながら、僅かな隙を突いて反撃に打って出た。

『……あがなえぬ罪の重さに打ちひしがれよ……!』

 不吉な言葉を含んだ呪詛がエイミーの口から紡ぎだされる。同時に連接棍の鉄球が振るわれた。

「――っうく!?」

 それまでと同様に盾で弾き返そうとしたグゥであったが、ずしりとした感触が盾の上から伝わってきて、弾くどころか受け止めることさえ叶わずにグゥは地面を転がった。

「な……なんだ!?」

 疑問に思う間もなく、頭上から振り下ろされた鉄球がグゥを襲う。恐ろしい速度で落下してくる鉄球を、グゥは片膝を着いた状態で盾をかざし、どうにか防いだ。しかし、ずっしりとした重みは腕や肩にまで伝わってくる。


「死ねっ! 死ぃねっ! 死ねぇー――!! あはははっ!!」

 エイミーは狂ったように何度も何度も鉄球をグゥに叩き付けた。グゥはひたすら防御の姿勢で耐えるが、上から横からと角度を変えて襲い掛かる鉄球に、体を強かに打ち据えられる。どうにか耐えることができてはいたが、常人ならば全身の骨がばらばらに砕けているところだ。

「騎士様はお固いですね~。あと、何回殴れば死ぬのかなぁ~?」

 グゥは闘気を全力で迸らせ、我慢強くエイミーの攻撃に耐えながら反撃の隙を窺っていた。

 また、それがわかっているからこそ、エイミーも攻撃の手を緩めることはなかった。

 どちらが押しているのか、どちらが優勢なのか。勝敗の天秤を傾けたのは、この場に居合わせた残る二人の存在だった。


「いけない! 回復を!」

「兄様! 今、ご助力します!」

 ルゥとミレイアが揃って前へ出た、その瞬間――。

「馬ぁ鹿な足手まといが! 二人一度に出てきたら、騎士様も守りきれないでしょ!!」

 鉄球に力と呪詛を込めた渾身の一撃でグゥを弾き飛ばしたエイミーは、すかさず修道服の下から二本の十字短剣クロスダガーを取り出して投擲する。


「さあ! どっちを守るの!?」

 弾き飛ばされたグゥはちょうどルゥとミレイアの中間にあたる立ち位置にいた。十字短剣は回転しながら弧を描き、風を切って確実に二人の元へ飛んでいく。狙いが極めて正確なのはグゥにもわかった。そして、二人同時には助けられないことも。

「――それでも、守り切る!!」

 グゥは闘気を爆発させて跳躍し、飛来する十字短剣の軌跡からミレイアを庇うように立ちはだかった。ほぼ同時に闘気を込めた刀をルゥの目の前へと投げ放ち、飛来した十字短剣を弾き落とす。


 ――その決定的な隙に、エイミーはグゥの懐に飛び込んでいた。

 飛んできた十字短剣はグゥによって阻まれ、地面へと落ちて突き立っている。

 一方で、エイミーの握る一本の短剣がグゥの胸に突き立っていた。


「…………え?」

 グゥは自分の胸に深々と突き刺さったものを、信じ難い目で見下ろした。

 騎士が闘気を纏えばその身体は鋼鉄の如き頑強さを持つようになる。これに対して、騎士でもない人間が短剣で突きかかったところで怪我を負わせることなど普通はできない。にも関わらず、短剣は確かに騎士グゥの胸板を貫いていた。


「くふふ……どうですかぁ? 慈悲の短剣ミゼリコルデの刃の味は? 存分に堪能してね、騎士様の心臓で」

 特殊な任務にあたる者へ聖霊教会が貸し与えし神聖なる武装。

 十二人、苦しむ人を安楽死させることで、騎士の闘気さえ一度だけ打ち破る奇跡を得ると言う古代の聖遺物、『慈悲の短剣ミゼリコルデ』。

 慈悲の短剣ミゼリコルデによって、エイミーはグゥの心臓を一突きにしていた。


「い、や……いやぁあああっ!! 兄様! 兄様ぁっ!!」

「し、しっかりしてください! 心臓……心臓を刺されたからって……まだ何か手は……手は……」

 最愛の兄が目の前で命を失い、ルゥは錯乱した。ミレイアもまた冷静ではいられず、グゥに治療を施そうと既に事切れて横たわった死体の傍に駆け寄る。だが、グゥは紛れもなく即死しており、成す術はなかった。


「そん……な……イリーナばかりか……私はまた助けられなかった……」

「兄様ぁっ!!」

 ミレイアは後から走り寄ってきたルゥに突き飛ばされ、踏ん張る力もなく地面に倒れ込んだ。

 倒れた先ではエイミーが連接棍を持ち直し、ちょうど鉄球を振るったところだった。


「あ――」

 ばしゃぁ……っと、果物を叩き潰したようにミレイアの頭部が赤い果汁を散らした。


「兄様! 兄様っ! ああああ……!! 嫌です! ルゥを一人にしないで! 兄様ぁっ!!」

 ルゥは兄の遺骸に縋り付きながら、泣きじゃくっていた。すぐ隣でミレイアが撲殺されていても、ルゥは見向きもしなかった。

 彼女にとっての世界とは兄ナブラ・グゥと共に在ってこそ。いまやナブラ・ルゥの世界は終わりを迎えていた。


「あはっ……。かわいそうにねぇ……一人だけ残されて」

 ルゥは背後にエイミーが迫っても、ただひたすら嗚咽を漏らしてグゥの遺骸に縋りつくばかりだった。

 エイミーは奇跡を失った短剣をグゥの遺骸から丁寧に抜き取り、その血を舐めとった。そして、いまだ泣きじゃくるルゥの背後に立って、恍惚とした表情で一言告げた。


「せめてもの慈悲を与えてあげるわ」

 エイミーは凄絶な笑みを浮かべながら、ルゥを後ろから抱きしめるようにして、肋骨の隙間を縫うようにその小さな心臓へ慈悲の短剣を突き入れた。


 こうして、哄笑を上げるエイミーの前に、男女四名もの骸が転がったのであった。

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