第142話 祓霊儀式呪法
聖霊教会の悪魔祓い、黒い修道服に聖帽をかぶった四姉妹に俺とジュエルは囲まれていた。獲物を逃すまいとする囲いの中で、俺は現状を打破する方法を考える。
「一応、確認しておきたいんだがな……」
「なんですか?」
俺の苦し紛れの質問に、意外にもマーガレットは乗ってきた。
「宝石の丘へ辿り着いたあと、この屑石精霊をあんたらに差し出すっていうのはどうだ? それなら今ここで俺達が戦う必要はないだろう」
「ボス!? それひどくない!? 鬼畜! 悪魔! 童て――」
「お前は黙っていろ……」
やかましく喚くジュエルを地面に蹴り倒して、俺はマーガレットへと視線をやる。その間も、左右と背後に位置する三人の姉妹の動きにも注意を配っておく。
この話し合いがいつ中断されて奇襲を受けることになるか、相手が話に乗っているからと言って安心は一切できない。
マーガレットは俺の提案に少し首を傾げて、言葉の裏にあるものを探ろうと思案したようだった。
「……その案に乗ることはできませんね。宝石の丘へ着く寸前で、そこの精霊を貴方が逃がすかもしれません」
「俺がそんな情け深い人間に見えるのか」
ジュエルを足蹴にしながら即答する俺に、マーガレットは再び思案する様子を見せた。やや言葉を選ぶように口を動かした後、しかしはっきりとした確信を持った口調でマーガレットは言葉を紡ぐ。
「…………そうは見えませんが、だからこそ油断なりません。今この場に来るまで、貴方には一切の隙がなかった。猶予を与えれば、貴方は私達を排除する手段を用意するでしょう」
マーガレットの戦鎚を握る手に力が篭る。ほぼ同時に、他の姉妹三人からも身構える気配が伝わってきた。
「どうしてもここで決着させる気か」
「ええ、私達の行動に変更はありません。そして貴方もまた宝石の丘への道を諦めないのでしょう?」
「そうだな。ここまで来て宝石の丘への道を諦めるなどありえない。道案内となる
「わかりきっていたことですね。私達の間に折り合いはつきません。そして、もうこれ以上の時間稼ぎに付き合うつもりもありません。どの道、貴方も罪深き精霊の庇護者、咎人として処分することは決定事項なのですから」
やはりこちらの時間稼ぎの意図は見透かされていた。それでも問答に付き合ったのは、向こうもまた俺の出方を警戒していたということ。
それも、今のやり取りでこちらに大した手はない、と判断したようだ。切り札があるなら時間稼ぎなどしない、と考えたことだろう。
マーガレットが腰を屈め、戦鎚を肩の上に回して担ぐ。他三つの気配にもそれぞれ動きが感じられた。
(――来る――)
四姉妹が何の合図もなく同時に走り出し、四方から俺に向かって迫る。
接近速度は四人ともほぼ同じ、全員がきっちりと足並みを揃えながら恐ろしく素早い動きで距離を詰めてくる。
悪魔祓いが四人、一人で相手をするには分が悪すぎる。だが、俺もただ漫然と時間稼ぎをしていたわけではない。
(――見透かせ――)
俺は右耳に付けた
『魚の広角眼!』
視覚を補助する術式の効果で全周囲に視界を広げ、迫り来る四姉妹を視界に捉える。
俺は外套をはね上げて、腰に帯びた霊剣・
前後左右から同時に打ちかかって来る四姉妹に対して、俺は斜め背後から迫る三女エリザベスの錫杖と四女エイミーの戦棍に、一歩後退しながら剣を当てに行くことで軌道を逸らした。即座に前方へと飛び出し、次女ジョゼフィーヌへ霊剣霧雨を横薙ぎに振るって牽制、次女が後ろへ飛んで避けたところで、俺は長女マーガレットに向かって逆手握りの霊剣寒風で突きかかっていく。
寒風の柄頭を、霧雨を握り締めた拳で後押しし、思い切り地を蹴って全体重を切っ先に込めた突きを放つ。真っ直ぐに放たれた突きを、マーガレットは肩に担いだ戦鎚を振って勢いのまま身体ごと回転し、剣の腹を打ち据えて刺突の方向を逸らし身体を捻ることで完璧に避けてみせる。
剣を弾かれた衝撃で俺の身体も翻り、マーガレットと俺は一瞬だけ背中合わせになって交錯する。
互いに背中を向け合った大きな隙。そこへすかさず双方の後ろ回し蹴りが放たれ、マーガレットの蹴り足は俺の頭上をかすめ、俺の蹴り足は飛び上がったマーガレットの片足を払った。マーガレットは空中で身を捻り、体勢を立て直そうとしている。
その時、俺の背にはエリザベスとエイミーが迫ってきており、俺はマーガレットへの追撃を諦めて前方へ転がるように跳躍した。体を反転させながら着地して、霊剣二本を構えて一瞬の隙も作らない。
四姉妹も俺がこの程度で隙を見せるとは思っていなかったらしく、確実に俺の四方を囲もうと回りこみ、間を置くことなく攻撃を仕掛けてくる。
四姉妹が再び迫り、今度はわずかな時間差をつけて流れるような連係攻撃を仕掛けてくる。エリザベスの錫杖を弾き、エイミーの戦棍を剣に角度をつけて受け流す。受け流しついでに手首を回転させて、エイミーに浅く斬りつけることで一歩退かせる。黒い修道服が霊剣霧雨で僅かに切り裂かれ、エイミーが眉間に皺を寄せて舌打ちした。
エイミーへの反撃で一瞬、足の止まった俺にジョゼフィーヌが大上段から戦棍を振り下ろしてくる。一見して単純な攻撃だが、次に俺が避けるか受けるかすれば、追撃できる位置にマーガレットが戦鎚を担いで待ち構えていた。
(――思い通りの連係など、させるかよ!!)
俺は敢えてジョゼフィーヌへ向かっていき、霊剣霧雨で戦棍を受け止め、がら空きになったジョゼフィーヌの胴へ寒風の刃を走らせる。
そのままなら確実にジョゼフィーヌの胴を切り裂いていた攻撃を、脇から飛び出してきたマーガレットがすんでのところで戦鎚の柄を間に挟み防いでいた。
重い戦鎚を振るっていては間に合わないと踏んで、咄嗟に柄を突き出してくるあたり相当に場慣れしている。追撃のつもりで悠長に戦鎚を振り回そうとしたなら、ジョゼフィーヌを斬った勢いでマーガレットも斬り伏せるつもりだったのだが。
そして、俺の反撃が失敗に終わった僅かの間隙を縫って、エリザベスの錫杖が突き出されていた。先端が円環となった杖だが、良く見ればその円環は薄く、研ぎ澄まされた刃を有している。
狙いは首の頚動脈、的確に急所を狙ってきたエリザベスの一撃は、しかし俺の首に触れる寸前で弾き飛ばされる。自動防衛の術式が発動して、衝撃波を周囲に撒き散らしたのだ。
宝石一つで人一人が一年は食べていけるだけの価値があるもの。しかし、それでも命に比べれば安い代償だ。
衝撃波で四姉妹は吹き飛ばされたが、ある程度はこの防御術式も予想していたのか、地面あるいは空中で回転しながら体勢を制御して受け身を取る。
俺もまた四姉妹の攻撃を凌いだところで一旦、距離を取って体勢を立て直した。
冷たい汗が顎を流れ落ち、耳に響くほどに心臓が鼓動を打つ。
(……この四姉妹の連係……まともに打ち合い続ければ、もって二分がいいところか……)
こちらは休む間もなく敵の攻撃を捌くので手一杯。対して向こうは、徐々に俺の手の内を読み解きながら追い詰めにかかっている。
三度、四姉妹が武器を手に駆け出す。息つく暇も与えないつもりか。
しかし、攻撃の手を緩めるつもりがないのはこちらも同じだ。自動防衛の術式も数に限りがある。防御に回ってばかりでは確実に負けるのだから。
次の手となる術式発動に必要な魔導因子は、戦闘の最中に十分な量を発生させていた。
その魔導因子を右手人差し指で強い輝きを放つ指輪、金の台座に嵌め込まれた鮮やかな赤の八面体結晶、
(――焼き尽くせ――)
『八面烈火!』
意識を集中すると指輪に赤い光が灯り、術式発動の呪詛を吐くことで空中に八つの火球が出現した。
八つの火球を四姉妹に向け、時間差をつけて一人に二つずつ飛ばす。
高速での奇襲を狙った一発と、低速で誘導性を重視した二発目の火球。
それぞれを時間に差をつけて四姉妹に放つことで、ほぼ同時に俺へ攻撃を仕掛けようとしていた彼女らの足並みを乱してやる。
マーガレットは大きな戦鎚を盾代わりにこれらを防ぎ、ジョゼフィーヌとエイミーは素早く戦棍を振るって火球を殴り散らした。
唯一人、錫杖を得物としていたエリザベスは一発目の火球は避けたものの、二発目の火球を払い切れずに腹部への直撃を許していた。
付け入る隙はここか。得物が違うということは、この四人が得意とする戦い方にも差があるということ。
いくら巧みな連係で足並みを揃えていても、身体能力や技量には差があるのだ。その差を上手く広げてやれば、連係を崩して各個撃破することも可能。
足の止まった四姉妹から更に距離を取りながら、俺は右手薬指に嵌めた指輪へと魔導因子を集中させる。
(――焼き尽くせ――)
血のように深い赤色の
『十二劫火!!』
先ほどと同じ火球を今度は十二個出現させて、四人に三発ずつ同時に撃ち出す。
四姉妹は後方に下がりながら、それぞれに迎撃を行った。
マーガレットは青白い光を帯びた戦鎚を豪快に振り回して、三方向から襲い掛かった火球を一度に吹き消した。
ジョゼフィーヌは火球の一発を避けながら、二発目を戦棍で叩き消し、三発目を空いた手で弾き飛ばした。
二人とも何らかの術式で武器なり身体なりを補強して、俺の火球を防いだようだ。
一方でエイミーは三つ同時に襲い掛かった火球を、一発は身軽に避けながら、弧を描く戦棍の軌道で残り二発も一息に叩き散らしてしまった。
だが、エリザベスは三つの火球に対して、一発目は避け、二発目は錫杖で散らすも、円軌道を描いて背後から襲い掛かった三発目は捌き切れずに背中への直撃を受けていた。大きな悲鳴こそ上げなかったが、白い顔を驚愕の表情で歪め、苦鳴のような小さな呻きを漏らしていた。
半ば予想通りの展開、だが予想以上の成果は得られなかった。
今の攻撃で一人は確実、あわよくば二、三人に痛手を与えられるかと期待したのだが、結果は予想通りの期待外れといったところか。敵は術士としての本領も発揮し始めて、いよいよ倒すのが難しくなってくる。
(――だが、ここは攻め時か。一人でも数を減らせば大分やりやすくなるはず――)
そう考えて俺が追撃に移ろうとした時、四姉妹は突然背を向けて俺から距離を取り始めた。焼け焦げたエリザベスの背中は、服が一部灰となって焼け落ち生白い素肌が見えている。
彼女達は反転してあっという間に俺から離れると、ある場所でぴたりと四角形に整列した。その中心には、いまだ地面に突っ伏したままでいるジュエルの姿があった。
事ここに至り、俺は失敗を悟った。
いつの間にかジュエルと引き離されていたのだ。
『十字結界、魂の檻を!』
『魂の枷を!』
『魂の縄を!』
『魂の楔を!』
悪魔祓い四人がジュエルを囲んで十字の位置に立ち、それぞれ小型の十字剣を大地に突き刺して呪詛を唱える。
空間を断絶する四角錐の隔離結界。四人の術士によって行われる結界構築ともなると、相当に強固なものとなっているはずだ。
四姉妹はそのまま精神統一に入り、身体に刻まれた魔導回路を最大に活性化させている。非常にまずい気配が漂っていた。
あれは恐らく、かなり強力な儀式呪法を発動させようとしている。
呪詛の発動を阻止しようと駆けつけるが、俺が辿り着くより一瞬早く、四人の悪魔祓いによる儀式呪法が完成した。
『……異界座標、煉獄より我は喚びこむ』
『あらゆる幻想を灰と化すもの』
『悪しき魂を焼き滅ぼし給え……』
『
四角錐の結界の中に、目を潰すかと思うほどに強烈な閃光を放つ炎が生まれる。
きぁあああああぁぁぁー――!!
結界の内から、魂を切り裂くかのようなジュエルの悲鳴が聞こえてくる。
「ジュエル!!」
思わず声に出して契約精霊の名を叫ぶが、結界の中のジュエルからは悲鳴しか返ってこない。
四姉妹の発動した呪詛。精霊を焼き滅ぼすことができる炎と言えば、異界より召喚される煉獄の浄火があまりに有名だ。
高位精霊のジュエルならばすぐには消滅しないが、このままではいずれ焼き尽くされてしまう。
四姉妹は一旦、煉獄の炎を呼び込むと結界から離れる。その間も結界は維持され、内側では目も眩むような激しい炎が燃え盛っている。
どうやらこの儀式呪法は一度発動すると、術士が離れても継続するようだ。
ジュエルは呪法に囚われ、消滅は時間の問題。
俺は四姉妹と一人向き合い、分の悪い戦いを続けなければならない。
「最悪だな……この状況」
ゆっくりと歩み寄ってくる四姉妹を前に、俺は霊剣二本を握りなおして不敵に笑ってみせる。
俺の笑いが気に障ったのか、エイミーが大きく一歩前に踏み出してくる。
「笑ってんじゃねーよ、生き汚い咎人が! お姉さま達の手を煩わせやがって、とっとと……死ねぇっ!!」
突出するエイミーに合わせて、他の姉妹も同時に突っ込んでくる。エイミー一人で突っ込んでくるなら容易に返り討ちにできたものを、この姉妹は本当に抜け目がない。
けれども、抜け目のなさでは俺も負けていない。
走り寄るエイミーの目の前に、真っ黒な霧が突然出現して彼女の行く手を阻む。
「はぁっ!? 何っ……!?」
勢いのまま黒い霧の中に突っ込んでしまうエイミー。あの中に入ってしまっては、周囲の状況などわかりはしないだろう。エイミーは前進を止め、霧から脱出する為に一人だけ後退せざるをえなかった。
エイミーに合わせて足を止めてしまうエリザベス。
マーガレットとジョゼフィーヌの二人はそのまま俺に向かって突撃してきた。
「小賢しい真似を。いますぐ殺してやるから、そこで大人しくしていろ!」
戦棍を振りかざし迫るジョゼフィーヌに、横手から猛烈な勢いで群青色の闘気がぶつかっていく。
棚引く群青の光をまとって現れたのは、俺を妙な呼び名で慕う騎士セイリス。
「師匠!! 助太刀する!」
セイリスの後からも、慌しく複数人の足音が響いてくる。
「クレスー!! 助けに来た!」
先ほどエイミーに仕掛けられた黒い霧は、ビーチェの行使する闇の精霊によって生み出された現象だろう。
ビーチェと一緒に氷炎術士メルヴィオーサ、冒険者イリーナ、猟師エシュリー、医療術士ミレイア、そして何故かナブラ兄妹がついて来ていた。
「ちょっと、ちょっとぉ、なんなのこの状況! クレストフ、あなた聖霊教会の人間に襲われているって、どんだけ罰当たりなことしでかしたのよ~」
「聖霊教会の方々が……!? どうして……」
「どうも穏当な雰囲気じゃぁないねぇ……」
「うわ、やばっ……あたしまた変な場面に首突っ込んじゃったよ……」
「これは……いったいどういう状況なんだい?」
「兄様……あの教会の人達、武器を持っています。今まで一度も見たことがなかったのに……」
まだ、状況の把握ができていないメルヴィオーサとミレイア、そして他の面々も戸惑いを隠せないでいる。
こうした時、無条件で俺を信じるビーチェや、直感で敵味方を判断できるセイリスは貴重な人材と言える。
何はともあれ、同行者全員ではないようだが、十分な戦力が来てくれた。
ビーチェには動くなと伝えていたが、異変を察知した場合はその限りでないことは旅が始まる前から密かに言い含めてあった。
裏切り者も出るかもしれない。同行者の行動には目を光らせておくこと、と。
四姉妹はここまで巧みに行動の不審さを隠してきたのだろうが、偵察に行った俺が戻らず四姉妹も姿を消した状態で異変を察知できないわけがない。そして何より一番の要因が、二回も洞窟に響き渡っていたであろう派手な衝撃音である。
俺が奇襲を受けて、自動防御の術式が発動した時点で盛大な音が洞窟に響いていた。
偵察に行った人間のいる先でそんな大きな音がすれば、当然何かあったと思って駆けつける。
四姉妹の誤算は、予想以上に俺がしぶとかったことだろう。
本来なら二回は殺していたはずのところを、俺は生き残ってしまった。
手間取らなければ援軍が来る前に暗殺は完遂していたはずだ。
とは言え、彼女らの目的の一つ、
「悪いが細かい説明をしている暇はないぞ。奴らは敵だ。ジュエルが滅ぼされかけている。宝石の丘に行く気があるなら、敵対者の排除に協力しろ!」
端的な説明は駆けつけた者達を迷わすことなく、現状の危機も素直に伝わったようだ。
騎士ナブラ・グゥもまた剣を引き抜き、聖霊教会の悪魔祓いに対峙していた。
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