第139話 神隠し
※関連ストーリー 『集結の地(3)』参照
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超越種ベヒモスとの戦いは激しく、旅の一行は生き残った者も大なり小なりの手傷を負っていた。
「あ、痛たた……ルゥ、痛いよ。もっと丁寧に……」
「あ、兄様が動くからです! 大して活躍もしてないのに、怪我なんてして……あまりルゥを心配させないでください」
ベヒモスとの戦いではあまり目立たなかったナブラ兄妹であったが、彼らも地味ながら攻撃に加わり、ベヒモスの体力を奪うのに協力していた。
だがその際にベヒモスの攻撃の余波で、ナブラ・グゥは少しばかり手傷を負っていた。今は慣れない治療に悪戦苦闘するルゥの手によって、腕の傷を包帯で縛り上げられている。止血はできているが、きつく絞めすぎて鬱血しかかっていた。
「その巻き方では必要な血流まで妨げてしまいます。傷口なら、私が塞ぎましょう」
ミレイアはルゥがめちゃくちゃに巻いた包帯を丁寧に解いて巻きなおし、治癒の術式で傷の回復を促す。
「君には何度も助けられるね。ありがとう」
「いえ、そんな……これも医療術士の務めですから」
礼を述べるグゥに、頬を赤く染めながらもあくまで医療術士としての態度を崩さないミレイア。
しかし、傍から見ればミレイアがグゥに対して特別な感情を抱いているのは一目瞭然である。
「ああ~! 兄様を治療するのは、わ、私の役目ですからっ!」
「ルゥは治癒の術式、使えないじゃないか……」
「うぐっ、むぅうう……!」
しごく当然のことを兄から指摘され、ルゥは不満そうな顔で唸る。
せめてもの抵抗なのか、グゥの腕に絡み付いてミレイアに牙を剥いている。
「あ、はは……そ、それでは私は他の方の治療がありますので……」
あからさまなルゥの威嚇に、ミレイアは苦笑いしながらナブラ兄妹の元を離れていった。
治癒の術式が使えるのは医療術士のミレイアだけと言うわけでもない。
そもそも騎士は自己回復能力に優れているし、自然治癒力の向上くらいなら四級程度の術士であれば誰でもできる。
難しいのは即効性をもって傷の回復を行う術式である。こればかりは三級以上の医療術士でもなければ、習得していることは稀だ。
そんな中、聖霊教会の四姉妹は心得があるのか、彼女らはあらかたの怪我人を見て回り、今は幻想術士団の面々をそれぞれ看護していた。
「癒しが必要ではありませんか?」
四姉妹の長女マーガレットが、洞窟の壁に寄りかかっていた精霊術士ダミアンに声をかける。黒の修道服に看護帽、胸元に光る銀で作られた
「ん? シスターさんか。俺は見ての通り、怪我の一つもしてないさ」
「身の傷を癒すだけが私達の仕事ではありません。磨り減った心を癒すのもまた大切な務め」
「ありがたい説法で心の安寧を、って? そういうのは――」
拒絶の言葉を言いかけたダミアンの台詞はマーガレットに手を取られて中断した。
導かれた先に触れ、その柔らかな感触がダミアンに取って慣れ親しんだ女の象徴であることに気が付く。
そういえば最近、ご無沙汰だった。と、艶めかしい色気を放つ修道女を前に生唾を飲み込んだ。
「欲情は恥じるものではありません。それは愛の根源。人が健やかに生きるために必要な概念」
「それはつまり、シスターさんが俺に愛を教えてくれるってことか?」
「あなたがそれを望むなら、癒しを与えるのが私の務め」
そう言って修道女マーガレットは、ダミアンの手を引いて人のいない場所へと誘う。
ダミアンは冷静を装いながらも、降って湧いた幸運に下半身の血の巡りが良くなるのを抑える事ができなかった。
マーガレットは人目の付かない所までダミアンを誘い出すと、おもむろに衣服を脱いで裸になった。
白くしなやかな肢体に絡みつく長い黒髪が、ふくよかな胸の曲線をなぞるように流れ落ちる。十字架の首飾りだけを身に付けた修道女は、両手で髪をかき上げ、惜しげもなくその裸体を晒していた。
情欲を煽るマーガレットの姿にダミアンも興奮して衣服を脱ぎ始める。
その間に、マーガレットはごく小さな声で一つの術式を発動させた。
(――世界座標、『聖者の蔵』より我が手元へ――)
『神罰の鉄鎚……』
背に隠して一本の戦鎚が召喚される。召喚時に発生した光の粒は、ふわりと広がった闇色の長髪に包まれて消える。ダミアンは革の
ダミアンが腰紐を緩め、ようやく顔を上げたときには既に戦鎚が彼の目の前へと迫っていた。
一撃の下にダミアンの頭がかち割られ、ほぼ無抵抗のままに、地面へとうつ伏せに叩きつけられる。
手足を痙攣させながら、辛うじて命を繋ぎ止めているダミアン。
周囲の地面から水が染み出して、彼を守護するために契約精霊の
「出てきましたか。しかし、既に手遅れですよ」
契約者が危機を感じたり、常時防衛の命令を与えたりしていなければ精霊の守護も役には立たない。
精霊自身が危機を感知して契約者を守る場合もあるが、その判断基準は極めて難しく、下手をすれば契約者に近づく者すべてを排除しかねない。ダミアンは自分自身の行動に自由度を持たせるため、精霊の守護には制限を設けていた。
だがそれ故に、マーガレットの色仕掛けによって警戒心をなくしていたダミアンの守護は遅れたのだった。
『十字結界、魂の檻を』
己が主である精霊術士を気遣うように周囲を漂う精霊に、マーガレットは封印の術式を発動する。
投げ放った四つの十字剣が精霊を囲って地に突き立ち、四角錐の結界を作り出して閉じ込めた。
「契約者が瀕死の状態では、精霊も力を発揮できませんか。先に契約者を処分したのは正解でしたね」
結界の中で暴れる精霊の姿をよく観察して、魔導因子の固有波動を読み取る。
「やはり……。優先順位は低いですが、手配書の抹殺対象に挙げられている第二級有害指定精霊、『三日月湖の水妖』に間違いありませんね」
罪状は遊泳中の子供を湖の底に引き込んでの殺害。三百年間で犠牲者は延べ、八十人以上。
マーガレットは神罰の鉄鎚を水平に構え、術式の起点として意識を集中させる。
腕に刻み込まれた魔導回路が、赤色の強い輝きを発して熱を帯びていく。常人ならば悲鳴を上げて気絶してしまうような痛みが、回路を通して神経を流れ続けていた。
だが、マーガレットは眉一つ動かすことなく術式の発動まで完了した。
(――異界座標、『煉獄』より我は喚びこむ――)
『悪しき魂を焼き滅ぼし給え……
神罰の鉄鎚を結界中の精霊に差し向け、呪詛の矛先を決定する。
一瞬で結界の中が紅蓮の炎で満たされ、三日月湖の水妖はのた打ち回りながら焼かれていった。
幻想種を決定的に滅ぼすことが可能な、煉獄と呼ばれし異界の炎である。
それは一つ間違えれば世界に歪みを残しかねない、限りなく禁呪に近い術式であった。
外法をもって外道を正す。
悪魔と戦うためには、時として神罰を身に受ける覚悟で臨まねばならない。
例え背教者と身内から罵られようとも、揺るがぬ意志で外道のすぐ脇を歩むのが彼女ら悪魔祓いの宿命である。
……そして粛清は、悪魔を庇護する契約者、精霊術士ダミアンにも適用された。
既に虫の息であったダミアンに、とどめの鉄鎚が振り下ろされる。
血と脳漿が飛び散り、マーガレットの素肌にべったりとこびりついた。
大量の返り血を身に受けたマーガレットであったが、すぐに術式で生み出した湯水で洗い流す。
素肌の上に直接付着した血液はまだ固まっておらず容易に水で洗い流された。
衣服を着ていれば処理が面倒であったろうが、マーガレットは裸だ。血を洗い流した後は乾いた布で身体を拭いて、離れた場所に脱ぎ捨ててあった衣服を再び着込めば、まるで何事もなかったかのように普段通りである。
誰も知らぬ場所で、誰にも気づかれぬうちに男は死んだ。
「さて、他も片付いている頃合でしょう」
ダミアンの死体を骨も残らず焼き尽くした後、マーガレットは他の姉妹との待ち合わせ場所へ向かった。
マーガレットが待ち合わせ場所へ着くと、三人の妹達もほどなくして姿を現した。
「全員、うまくやったようですね。それでも一応、報告を」
マーガレットが報告を促すと、青白い肌をした痩身の三女エリザベスがおずおずと自信なさげに口を開く。
「ほ、他の精霊術士達は小者でした……。い、一応、処理したけど……放っておいても良かったのでは?」
「悪魔に心奪われた者達は全て断罪すべし」
いまいち自分の判断に自信がない三女とは対照的に、小麦色の肌をした大きな体格の次女ジョゼフィーヌがはっきりとした口調で断言する。
「三日月湖の水妖を知っていて隠匿していたもの。罰せられるのは仕方ないんじゃなーい?」
からからと快活な笑い声を上げて、短髪で小柄な四女エイミーが賛同する。
マーガレットはそんなエイミーの報告に少しばかり眉を曲げ、責めるような口調で問いただした。
「……拷問したのですか?」
「うん、嘘は言ってなかったと思うわ!」
全く悪びれた様子もなく、エイミーは肯定した。
「ならばよし」
「そういうことならぁ……」
「仕方ありませんね」
結局、四姉妹全員が納得して、幻想術士団の精霊術士達は悪魔を庇護した咎人として、人知れず処理されたのだった。
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