第137話 九死一生

 剣聖アズーによって、剣妖と化したファルナ剣闘士団は全員、斬り伏せられた。

 半死半生の状態で無理に戦わせ続けるのが忍びないということなのだろうが、ベヒモスに対しての時間稼ぎを邪魔された俺は面白くなかった。


 一方で、それまでファルナ剣闘士団と戦っていたベヒモスは、突然の闖入者であるアズーに狙いを変えて襲い掛かった。

「悪いがお前とまともに戦うつもりはないのだ」

 アズーは素早い身のこなしで余裕を持ってベヒモスの攻撃を避けると、ファルナ剣闘士団が持っていた三本の妖刀・妖剣を拾い上げて俺の所まで戻ってくる。


「それは……もしかして探していた魔剣、だったりするのか?」

「いや、これらは妖刀に相違ない。それ以上のものではない。そして、これで確信が持てた」

 アズーの言い回しに俺は首を傾げた。これが妖刀だと改めてわかったことで、何が確かめられたのだろうか。

「済まぬがここで私は別れる。これら妖刀もそうだが、魔剣を回収しなければならない」

「なんだと!? ちょっと待て、どういうことだ? 魔剣は同行者達の中に紛れているのではなかったのか? ここで別れるというのは……」

「既に、動き出しているようなのでな。失礼する――」

 言うだけ言って剣聖アズーは颯爽と立ち去ってしまう。俺はあっけに取られて呆然と見送るばかりだ。


 これは単純に戦力が失われたということなのだ。

 あれだけの剣の腕があるというのに、ベヒモスに一太刀も入れず離脱してしまうとは。

「ちっ……。剣聖アズー、もう少し使えるかと思ったが……当てが外れたな」

 元々、魔剣を探すのが目的で同行していただけなので、ベヒモスの相手をする義務などないわけだが、敵を前にしてどこかへ行ってしまうのは随分と勝手な話だ。

 ただ、魔剣という不安要素については、剣聖が目星をつけているようなので心配する必要はなくなったということだろうか。


(……いずれにしろ分が悪い。このまま全滅するくらいなら……使うか? 切り札を――)


 同行者達にざっと視線を走らせ、残存する戦力を冷静に分析する。幸いと言うべきか、戦闘能力の高い騎士はまだ多くが健在だ。

 逆に言えば、これだけ多くの人間がいる場で切り札を使うにはリスクが高い。

(――いや、ここで切るには早すぎる手札だ。もう少し、粘ってみるか)


 こちらの攻撃も、ベヒモスに対してまったく効果がないというわけでもない。

 ならば手段を変えて攻めるまでである。

 俺は水柱石アクアマリンの魔導回路を握り、一度に可能な限界まで魔導因子を流し込んだ。

 意識を集中し、敵を貫く武器を想像する。


(――貫け――)

『海魔の氷槍!!』


 魔導によって一から創り出された水柱石アクアマリンの結晶槍。

 遥か上空より降り注ぐ無数の槍が、ベヒモスの頭を集中的に貫いていく。

 通常の武器では深く傷をつけられないベヒモスに対して、上空から加速をつけたこの結晶槍ならば十分な貫通力を得られる。

 さらに、頭だけでなく肩から胸、腹と空から地面へ向けて水柱石の槍が突き抜けていく。


 ヴォオオォアアァ――ッ!!


 ベヒモスが苦悶の叫びを上げ、手足を振り回し大暴れする。かなり効いていると見ていいだろう。

 巨体のベヒモスに対して、細い槍は防ぎようのない一点集中攻撃である。硬さと加速について申し分ない威力を持った結晶槍なればこそ、ベヒモスの分厚い皮膚や肉に阻まれることなく、内臓にまで達する傷を与えられるのだ。


 一つ問題なのは術式の制御が複雑かつ魔導因子の消費が激しいところか。すでにあるものを召喚してくるのとは違って、そこにないものを魔導で創り出すのはかなりの精神的消耗を強いられる。

(……この術を連発はできない。一回きりでどこまで奴を追い詰められるか……)

 並みの生物なら頭を槍で貫かれた時点で絶命しているものだが、相手は超越種である。

 ベヒモスは全身を穴だらけにしながらも、ゆっくりと俺のいる方向へと歩みを進めてきていた。

 術式による槍の雨はもう間もなく打ち止めだ。すぐに次の手を打たねば――。


「ふんっ。どうにも攻め手に欠けていたが、なるほど……これならばやりようもある! 便乗させてもらうぞ、クレストフ殿!!」

 それまで攻めあぐねていた騎士ベルガルが前へと出て、地面に突き立った水柱石の槍を引っこ抜き肩に担いだ。

「ぬうぅぉおおー――!」

 雄叫びを上げながら、恐れることなく巨大な敵に向かって駆けていく。ベルガルはベヒモスの攻撃の間合いに入る寸前で大きく踏み込んだ。そして背を弓のように仰け反らせ、限界まで全身の筋肉を引き絞り渾身の投擲を放つ。

「ぐぅううぅっ……!! くはぁ――っ!!」

 飛び上がり、全身の体重さえ乗せて放たれた結晶の槍は、琥珀色の輝く闘気に包まれて真っ直ぐに飛来し、悪鬼の胸に深々と突き刺さった。


「ベルガル隊長に続けぇーっ!!」

『おぉーっ!!』

 若手騎士フリッドの気勢に同調し、闘気をみなぎらせた国選騎士団が水柱石の槍を一斉に投擲する。

 柑子色の闘気を棚引かせて水柱石の槍が一際高く飛んでいき、ベヒモスの腹へと突き刺さった。

 後を追うように色取り取りの闘気に包まれた結晶槍が、雨の如くベヒモスへ降り注ぐ。

「私も!!」

 降り注ぐ槍の一本に、群青色に輝く槍が混じる。騎士セイリスによる渾身の投擲が放たれ、それは真っ直ぐにベヒモスの眉間へと突き立った。


 ヴォオオォ――ッ!!


 苦悶に呻くベヒモス。

 確実に効いている。しかし、それでもこの程度では倒れないのが超越種たる存在である。

 身体から無数の槍を生やしながらも動きは鈍る気配を見せず、圧倒的な重量と速度を持って腕が振るわれ、脚が踏み下ろされる。

 騎士達はベヒモスの攻撃に対して十分な距離を取り、余裕を持って回避する。隙を見ては無数に地面へ突き立った水柱石の槍を拾い上げ、闘気を込めた投擲を放ち続けている。


 だが、ベヒモスの体力は底なしだった。回復力も並みの生物とは比較にならない。

 少しずつ追い詰めている感触はあるが、あと一手、強力な攻撃手段が必要だった。


『来なさい、軽銀の鋳塊インゴット!』

 ベヒモスを睨む俺の脇をすり抜け、傀儡の魔女ミラが前へと出る。召喚術によって金属の塊を呼び出したミラは、精霊機関を核とした魔導人形を生成した。

『生まれなさい、破壊の指人形ギニョール!』

 白銀の金属が精霊機関を取り込み、溶けて形を変えながら小人姿の魔導人形が十体、その場に創り出される。

 それぞれが斧や鎌で武装した、小悪魔じみた造形をした人形達だ。

「行きなさい、足の指を削り取るのよ」


 ミラの命令に従い、十体の魔導人形が同時に動き出す。

 風を切って走る人形は、並みの人間よりもよほど素早い動きを見せてベヒモスの足元へと到達した。

 すると、更に動きを加速させてベヒモスの太い足の指に斬りかかる。何度も何度も執拗に切りつけ、細かな傷が徐々に大きく裂けていった。


  ヴゥォオォッ――!!


 痛みに怒り、ベヒモスが吼え猛る。足元をちょろちょろと動き回る白銀の魔導人形を、乱暴に踏みつけて地面にめり込ませてしまう。

 それでも魔導人形は再び起き上がり、ベヒモスの足の指を刃物で斬りつけ続けた。

 そしてとうとう、ベヒモスの足の小指、親指を切り落とし、巨体の踏ん張りを弱めて動きを鈍らせることに成功する。

「いいわよ、人形達。両の足の指を全て落としてしまいなさい」

 ミラが凶悪な命令を人形達に与え、言われるがままそれを実行する人形達。


「地味な攻撃だが……効いているのか」

 俺が次の攻撃の準備に備えているうちに、ミラの魔導人形はベヒモスに小さな傷を負わせている。ベヒモスの回復力は並外れたものだが、果たして切り落とされた指なども再生するのだろうか。いずれにせよ、局所的とは言え継続して痛手を与えられているのは大きい。

 今はとにかく、相手の回復能力を上回る勢いで攻撃を続けなければいけないのだ。


 続けて人形達が両足の指を二本、三本と切り落としていくと、ベヒモスは身体の平衡感覚をうまく保てなくなったのか地面に尻餅を着いて座り込む。

「徐々に削り取っていって、最後は手も足もない達磨だるまにしてあげるわ」

 そう言ってミラは再び、新たな銀塊を召喚して魔導人形を倍の数に増やす。

「これで畳みかけて――」


 俺の斜め前に位置取りしていたミラが、高速で飛来してきた魔導人形に弾き飛ばされて視界から消える。

 半ばまで言いかけた台詞を残して、魔導人形の残骸と共にミラは断崖の岩に叩きつけられていた。


「ミラ殿!?」

 ミラと親しい騎士ベルガルが、突然に吹き飛んだミラの安否を気遣う。


 何が起こったのか。

 飛んできた魔導人形は、主であるミラに突撃して砕け散っていた。

 ミラが術式を誤ったわけではない。

 どうやらベヒモスが地面を這うように動き回る魔導人形を捕まえて、的確にミラへ向けて投げつけてきたようだ。


 次々とミラへ向かって飛んでくる魔導人形達。

 ことごとくが銀の弾丸と化して、新たに創られた魔導人形達と衝突して砕け散る。

 一部はミラの身体に激突し、その人形を器とした身体を大きく損傷させた。両手がもげて失われ、左足の膝が割れ、美しい造形だった顔にも罅が入っている。


(――あんな小さくて素早い魔導人形でも捕まえられるのか。しかも、術者の存在をどうやってか感知して、確実に潰してきやがる。厄介な……)

 強烈な反撃を受けてしまったミラは、お気に入りのボレロが跡形もないずたぼろの様相で、崖に背を預けながら無表情に自分の身体を眺めていた。


「あーらら……もう駄目ね、この身体。ここで脱落みたい、悪いけど」

 傀儡術士ミラの突然の離脱宣言に皆が驚きの視線を向けた。どちらかと言えば離脱宣言に反応したというよりは、あれほど致命傷と思われる攻撃を受けてぼろぼろなのに、それでも平然としているミラの姿に驚いている者が多いようだが。

「ミラ殿! 無事……ではないようだが……大丈夫なのか?」

「本体の内臓系は無事よ、心配しなくても。でも工房に戻って新しい人形に移らないと、長くはもたないわ。……だからお別れね、名残惜しいけれど」

 罅割れた顔に、魔導人形とは思えないほど自然な微笑を浮かべて、ミラは立ち上がった。


 どこか晴れ晴れとしたミラの表情から、彼女が道中、十分に楽しめたのだと感じられた。元々、興味本位で参加していたらしいので、彼女の協力に甘えるのはここまでだろうと俺も納得する。

「残念だが、その姿を見せられては俺も引き止められない。ここまで本当に助かった、ありがとう」

「ええ、後は任せたわよ。送還術で帰るからね、私は。もし宝石の丘に辿り着いて、生きて帰ってこられたなら……土産話を聞かせなさい、その時は」

「約束しよう。俺は必ず宝石の丘へ辿り着き、帰還する」

 ミラは俺に近づいて小さく身じろぎし、「うん?」と不思議そうな声を漏らして、苦い表情になった。どうやら握手か何かしようとして、腕がないことに改めて気が付いたらしい。

 軽く俺の胸に頭突きをしてきて、ミラは小さく笑った。

「激励のつもりよ……これでもね」


 俺に激励をくれたミラは、振り返って騎士ベルガルにも声をかけた。

「ベルガル、あんたもね。生きて帰ってきなさいよ。まだ若いんだから」

「ミラ殿……いや、余計なことは言わぬとしよう。そちらもご健勝であることを願います」

「老人扱いしないでよ。私はまだあと一世紀は生きるつもりだからね」

 冗談なのか本気なのかわからない台詞を言って、ミラは笑みを深くした。ぴしり、と頬に走った亀裂が大きくなった。


「……さて、ちょっと離れていなさいな。せっかくだから最後は派手に使い潰すわ、この身体」

 表情を引き締めたミラは、地面に座り込み肉体の回復を図っているベヒモスに向き直った。

「機会を作るから、後に続くのよ。後はあんた達でどうにかなさい――」

 言うが早いかベヒモスに向かって駆け出すミラ。葦の草原を掻き分けながら徐々に加速していき、身に受ける風圧に破れたボレロがはためく。


(――速い! だが、近づいた後でどうする? 人形の身体を派手に使い潰すとは――)

 俺が胸中で疑問に答えを出すより早く、接敵したミラが大地を蹴りベヒモスの眼前へと跳躍する。

 跳躍の瞬間、風に煽られてボレロが舞い飛んだ。

 そちらに一瞬だけ目を奪われていた間に、ミラはその身における最後の術式を発動していた。

『呪爆送還!!』

 ミラの身体から黄色い光の粒が立ち昇り、彼女の本体が送還された後、残された魔導人形の身体が青い放射光を放ち――盛大に自爆した。


 衝撃波が渓谷全体に轟き、風圧が到達した後で爆音が遅れて届く。

 凄まじい威力の爆発である。

 葦の草原を焼く青い炎から、遠くにいる俺達の方まで焼け付くような熱気が伝わってくる。発生した熱量が半端なものではないと知れた。


「やったか!?」

 ベルガルが吹き付ける爆煙と熱風に目を細めながら、爆発に巻き込まれたであろうベヒモスの生死を確かめんと、必死に爆心地の方向へ視線を向けていた。


(――見透かせ――)

『天の慧眼!』


 左耳の耳飾り、天眼石アイズアゲートの魔導回路を起動させ、俺はいち早く状況を掴んでいた。

 天の慧眼の術式で煙の向こうを透視し、そこにベヒモスの影があるのを確認した。

 ミラも「後に続け」と言っていたように、やはり彼女の自爆攻撃だけでは倒しきれなかったのだ。


 煙幕が晴れて、ベヒモスの姿が顕わになる。爆発はベヒモスの右半身、体の三分の一ほどを抉り取っていた。

 しかし、それでもまだベヒモスは生きていた。抉られた肉も徐々に盛り上がって再生を始めている。

「どこまで非常識な化け物なんだよ……」

 誰かが絶望的な声で呟いた。

 しかし、これは千載一遇の機会でもある。ここまでベヒモスを追い詰めたのなら、さらなる追撃をしない手はない。


「回復など、させるかぁ――っ!!」

 騎士ベルガルが剣を抜き、琥珀色の闘気をまとってベヒモスへ突撃を仕掛ける。国選騎士団も後に続き、闘気を剣に絡めて直接ベヒモスへと叩き付けた。

 ベヒモスからの反撃はない。回復に手一杯な証拠だ。そのことに気が付いた残りの者達も、総出で攻撃を仕掛ける。

 セイリスもまた国選騎士団に混じって、群青の闘気をまといながら剣を振るっていた。


(――やるなら動きの止まった今しかない。ミラの残した機会を最大限に活かす! 禁呪は使えないが、切れる手札で最高のものを――!!)

 口に手を突っ込み、奥歯を掴んで軽く捻ると金属的な着脱音が鳴り、無色透明の宝石が転がり出てくる。それは最高級の金剛石を魔導回路の基板に使った、俺の持ちうる術式で屈指の威力を誇る切り札だ。

 ぎらぎらと光り輝くそれを握りしめ、俺は静かに精神統一を図った。


(――世界座標『風吠えの洞穴』に指定完了。我が呼びかけに応えよ――嵐神ルドラ、汝が力の一端を――原初の宿命に従いここに示せ――!)


 息を吸い込み、術式発動の言葉を告げる。

金剛杵ヴァジュラ!!』

 楔の名キーネームが告げられると、短い竿の両端に槍の穂先を備えた特殊な武器が光の粒と共に出現する。

 ある種の神々が扱ったとされる金剛石ダイヤモンドで創られし法具、それを物力召喚によって借りてきたのだ。

 純粋な硬度でこれに匹敵するものは世界に存在しない。どれほど強靭な超越種の肉体も、世界最高硬度の物質で創られた奇跡の結晶が破るだろう。

『汝が敵を討て!』

 金剛杵が細かく振動して、空気を振るわす高音を発する。

 瞬間、金剛杵は超加速で飛翔し、抵抗を許さずベヒモスの胸部を貫いた。

 水柱石の槍で貫いたときとは比較にならない威力で、ベヒモスの胸部に大きな穴を穿つ。


「ここだっ!! メルヴィオーサ、やれ!!」


 既に紫檀したんの杖を構えて、魔導因子の練り上げに意識を集中していたメルヴィオーサ。

(――世界座標『溶岩海溝マグマオーシャン』より召喚――)

 メルヴィオーサの太股に刻まれた魔導回路が強く輝き活性化する。

 間を置かず、紫檀の杖を下から上へ大きく振るって、杖の先端をベヒモスの心臓に向けながら楔の名を発した。

『ガイアの鮮血!!』

 無数の光の粒がベヒモスの胸板をさざ波のように伝わり、追従して赤黒い光がふつふつと湧き出してくる。

 それは溶岩海溝から召喚された、赤熱する融けた岩石の光。

 傷の再生を許さず、胸に開いた傷口から溶岩が流れ込み、劫火がベヒモスの心臓を焼き尽くす。


 ヴオォオオォォォ……ン


 ここまでして、ようやくベヒモスの瞳から光が消えた。

 巨大な獣の体が赤熱した赤黒い炭と化し、やがて白い灰となって崩壊していく。


 その日、古代の神と呼ばれた超越種が一柱、滅び去ったのだった。



 ◇◆◇◆◇



「教授!! テルミト教授!!」

 ベヒモスの消滅を確認した後、俺は急ぎアカデメイア秘境調査隊のもとへ走った。戦闘開始直後にベヒモスの攻撃を受けた彼らは、そのまま復帰することがなかった。

 彼らの安否を確かめに行った俺は、葦の野原に横たわるアカデメイアの学生とテルミト教授を発見した。それに、呪術結社赤札の巫女達も姿が見られた。


「おぉ、クレストフ君か。やれやれ……どうやら私達はここまでのようだね。魔獣相手でも負ける気はなかったんだが、さすがに災害級の超越種となると……」

 アカデメイア調査隊は全滅していた。辛うじて教授は息があったが、相当に大きな怪我を負っているようだ。

 テルミト教授は地面で仰向けに倒れたまま、懐から取り出したものを俺の目の前に差し出してくる。

「クレストフ君。君にこれを託す。今回の調査で得られた情報が記録されている。録場機ろくじょうきだ」

 半透明な棒状結晶の録場機ろくじょうき。古代に使用されていた記録媒体である。ただ持っているだけで周囲の風景、音声を記録できる。アカデメイアでは、こうした遺物を復元して実際に利用しているのだ。


「ここから先の記録は君にしかできない。最後まで記録を取り、無事に帰還して欲しい。そして……」

「その記録をアカデメイアに渡せと?」

 同情を誘っての最後の頼みごとかと思ったが、教授はゆっくりと首を横に振った。

「君に不利益となるような記録を、アカデメイアに渡せと言っているわけじゃない。そんな必要はない。ただ、全ての真実を記録しておいてほしい。ずっと未来に、君が後世に伝えてもいいと思ったら、その時に公開してくれればいいんだ」

 どこまでも真理を追い求める真摯な姿勢。俺がどこかに置き忘れてきたその精神を、テルミト教授は死を間際にして伝えようとしていることに気づかされた。


「テルミト教授、すぐに送還を。アカデメイアに戻りさえすれば命を繋ぐことはできるはずだ」

「ああ、いや、いいんだ。たぶん、私は助からないよ」

「しかし、アカデメイアの医療施設ならば可能性も……」

「駄目さ。……私は元々、荒事は苦手なものでね。自分の弱さを補う為、体中に限界まで魔導回路を刻み込んでいるんだ」


 そう語って、首から指先までびっしりと刻み込まれた魔導回路を見せる。

「送還術は効かないんだよ」

 ある一定以上の魔導回路を刻まれたものは、召喚術および送還術の発動を阻害する。

 俺のように別の媒体に魔導回路を刻んで使い、身体に魔導回路を刻んでいないのなら送還術で瞬間的に長距離を移動できる。

 だが、教授のようにここまで魔導回路を全身に刻んでしまっていては、外科手術で取り除くのも不可能だろう。

「わかりました。録場機は受け取っていきます。後の記録は自分が――」

 録場機を受け取った時、既にテルミト教授は息を引き取っていた。



 テルミト教授の遺体が横たわるすぐ近くでは、呪術結社赤札の巫女達が一つの遺体を前にして悲嘆にくれていた。

「イバラノヒメ……」

 白かった胴着は袴と同じ赤色に染まり、口からは一筋の血の線が垂れていた。傍らには、アカデメイアの学士……名前は何と言ったか忘れたが、互いを庇うようにして倒れ伏していた。

「申し訳ありません、術士クレストフ……。私達は、此度の超越種の情報とイバラノヒメの御遺体を本拠に持ち帰らねばなりません」

 生き残った呪術結社赤札の巫女は二人。彼女らは仲間の死体を綺麗に整えてから、送還術でどこかに送っていた。

 そして最後にイバラノヒメの遺体ごと、二人の巫女は送還術で本拠へと舞い戻っていった。

 後にはアカデメイア学士の遺体と、送還できない大量の呪符がその場に残されていた。



 念の為に確かめたが、ファルナ剣闘士団にも生き残りはいなかった。

 妖刀と妖剣は剣聖アズーが持っていってしまったが、三本の霊剣はこの地に残されていた。

 いまだに冷たい霊気を放つ三本の霊剣は、そこに残して去るにはあまりに勿体ない気がする。


「おい、イリーナ、エシュリー。お前達、この霊剣を使え。ろくな武装を持っていないのだろ」

「え、死んだ奴の武器をかい? まあ、霊剣ともなれば捨てていくには惜しいか……」

「うぇ、あたしには無理だって! こんな長物、扱ったことないから。あたしに使えるのは短剣と弓矢くらいだよ」

 エシュリーは霊剣を使いこなせないと言うので、三本のうち一本、霊剣水鏡れいけんみかがみをイリーナが持ち、残る二本、霊剣霧雨れいけんきりさめ霊剣寒風れいけんさむかぜは俺が持っていくことになった。

 あまりにもエシュリーが戦力として頼りないので、とりあえずやじりに魔力の込められた紅玉ルビー象嵌ぞうがんした矢を数十本、渡しておいた。これで多少は役に立ってほしいものである。



 一通り戦場跡を見て回った俺は、一箇所に集まって休んでいたメルヴィオーサ達に声をかけた。

「……どれだけ生き残った?」

「怪我を負った人も多いけど、彼らも含めて半分くらいかしら……。死人は見ての通り、この場にいる限りね。今の混乱で行方不明になった人もいるわ」

「そうか……。超越種が相手だったとは言え、随分と被害が出たな……」

 状況を冷静に分析する俺を、メルヴィオーサはどこか非難するような眼差しで睨んでくる。この女、軽薄そうに見えて意外と人情深いのは昔からの甘い性格だ。


「まだ、進むのかしら?」

「無論だ。ここで帰ったら、犠牲が全て無駄になる」

 メルヴィオーサの問いかけに俺は即答した。

「後戻りなど、できるものか」


 後戻りなどできない。

 どれほどの犠牲が出ようとも、必ず宝石の丘に辿り着いてみせる。

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