第136話 限界超越
※関連ストーリー 『集結の地(4)』参照
──────────
――超越種。
魔獣を超えた獣、神獣として崇められることさえある生態系を逸脱した超越存在。
彼ら超越種がいかにして生まれたのかは明らかでない。
仮説では、高位の幻想種と混じり合った魔獣であり、活動に必要なエネルギーはすべて異界から摂取しているという。それ故に、無尽蔵の活動力を持ち、寿命もなく延々と生き続けるのだとか。
「あの姿、あの食人癖、まさか……」
赤い袴と白い胴着を身に付けた、呪術結社赤札の巫女アメノイバラノヒメは目前の怪物を見上げながら、常にない緊張感を漂わせて呟いた。
「古代の神獣、
神としてあらゆる生物の頂点に君臨した彼らの足跡は、現代にも数多く残されている。
そして恐るべきことに、彼らの内いくらかは現代まで生き続けているのだ。
子孫ではない。超越種は繁殖能力を持たないのだ。
紛れもなく古代に神として名を馳せた存在そのものが、今こうして目の前にいるのである。
「ひ、怯んだら負けです! 皆さん、力を合わせてあの怪物に立ち向かいましょう! お、おほん! 全員、散開しつつ距離を詰めよ!! 一撃離脱で断続的に攻撃を仕掛ける!! ハミル魔導兵団の武威を示せ!」
ハミル魔導兵団の学級長レーニャが檄を飛ばして、魔導鎧に身を固めた一団が怪物へと立ち向かっていく。
鎧に刻まれた魔導回路が力強く輝き、高い機動力を発揮して縦横無尽に葦の草原を滑走する。
速度を活かし、一箇所に固まらず分散して怪物の横手や背後へと回りこんだ。
動きは悪くない。怪物も巨大な腕を振り下ろすが、小さく素早い敵に対して翻弄されたように攻撃の的を絞れずにいる。
「せぇいっ!!」
風をまとい、まさしく疾風の如く突撃した魔導兵の拳が怪物の足を強かに打つ。
だが、怪物は全く怯むことなく、それどころか攻撃を受けたことに気が付いたのかさえ怪しい様子だった。
「これならどうですかっ!?」
レーニャが炎を噴出す魔導剣を腰元に構え、加速をつけて怪物の腹めがけて飛び掛っていく。
魔導剣は怪物の腹に根元まで深々と刺さり、さらに傷口へ炎が吹き込まれ肉を焼く。
レーニャはすぐに魔導剣を引き抜いて、怪物の腹の上から飛び降りた。振り回される腕を掻い潜り、安全圏まで離脱していく。
確実に傷は与えたはずだ。
ただ、怪物の体の大きさに対して、レーニャが与えた傷はあまりにも小さなものだった。
「お、大きいです……。大きすぎます……」
絶望に染まったレーニャの声。先ほど、怯んだら負けと言った自分の言葉も忘れてしまうほど、超越種たる怪物に対してレーニャ達の抵抗は無力だった。
なおも小さな傷を与え続けるハミル魔導兵団であったが、よく観察すれば怪物に負わせた傷の幾つかはもう塞がり始めていた。
これではどれだけ傷を負わせても致命傷に至ることはないだろう。
ただ怪物からすれば、それらの攻撃は蚊に刺される程度には気に障ったのか、断続的に攻撃を仕掛けてくる魔導兵に対して怒りをぶつけるように、大地をめったやたらと両の手で殴りつけた。
「あ、危ない!? 皆、一旦撤退!! 距離を取って!!」
すぐに怪物から離れる魔導兵達であったが、怪物は足も使い地均しを始めて地面の揺れを引き起こし、魔導兵の離脱を妨害しようとする。
さらに天を仰いで深く息を吸い込むと、怪物はそれまでにない大音声で咆哮を上げた。
――――――!!
衝撃波を伴った音圧と言う凶器が、十分な距離まで離脱しきれなかったハミル魔導兵団を襲った。
音圧の負荷に魔導鎧が耐え切れず、粉微塵に吹き飛んでいく。
それは爆発と言っても過言ではない威力で、ハミル魔導兵団の女学生達から鎧を剥ぎ取ってしまった。
音圧を間近でくらって吹き飛ばされた魔導兵は、身体の弱い部位を破壊されてあちこちから血を流し、ぼろぼろの下着姿で草原に放り出された。
もはや指一本動くこともなく、怪物に摘み上げられ捕食されてしまう。
レーニャは仲間が食われるのを安全圏から見届けることしかできなかった。
俺は十分に離れた位置にいたにもかかわらず、鼓膜に軽い痛みを覚えていた。
生身の人間が間近であんな咆哮を聞いてしまったら、鼓膜が破れるどころか脳髄が破裂してしまうかもしれない。
「今のは……『
ある種の危険生物は持ち前の生体器官を使って、音響攻撃をしかけてくるものがいる。魔獣になるとこれに魔導的な付加効力を足して威力を増すのだが、あの怪物が使った『轟く声』は純粋に音圧でもって敵を破壊していた。
(……おかしな呪詛が混じっていないだけましと言えるか。連発してくることはないようだが、迂闊に近づけなくなったのは確かだな。どうするか……)
俺が攻撃の手段を考えていると、すぐ隣で猫人商人のチキータが何かの召喚を始めた。黄色い光の粒が立ち昇り、チキータの手の平に小さなスポンジ状の物体が山と出現する。
「にゃ、あの大音声に対抗するには耳栓が一番!
「お前はこんなときまで商売を……一つくれ。いや、ビーチェの分も含めて二つだ」
「毎度ありがとうございまーす!」
チキータ商隊は烏人達も素早く動いて耳栓を販売していく。
耳栓を必要としないのは、身体が魔導人形の傀儡術士ミラぐらいのものか。
ただ、どちらにせよあの音圧を間近で受けるわけにはいかない。耳栓はあくまで音に敏感な鼓膜を守るためだ。接近しすぎれば鼓膜どころか全身を音の衝撃波で粉々に砕かれてしまう。
「よし、私達も仕掛けるぞ」
耳栓を装備して戦闘態勢を整えたファルナ剣闘士団は、すぐさま戦線に出ようとする。
「待て、闇雲に攻撃を加えてもアレには通用しないぞ。足並み揃えて火力を集中しなければ勝てない」
俺の意見に、ファルナはこちらを一瞥しただけで止まらなかった。
「私達は私達でやらせてもらう。大人数の拙い連係より、息の合った六人で戦う方がいい」
ファルナ剣闘士団はそれぞれ霊剣と妖剣を抜刀して、超越種・ベヒモスへと斬りかかっていく。
「くそっ、つまらない意地を張りやがって……!!」
「師匠! それで、私達はどうすればいい!?」
こういうとき、使える奴と言うのは実直に指示に従い、なおかつ命令を確実にこなせる人員だ。
その点ではセイリスのように愚直な実力者というのは役に立つ。
「ファルナ剣闘士団が敵を引きつけている間に作戦を立てる! 時間がないから、指示内容は一回しか言わないぞ。聞き漏らすなよ!」
俺は手早く戦えそうな人員を集めて、ベヒモス討伐の作戦を伝えた。
◇◆◇◆◇
クレストフ達が作戦の打ち合わせをしている間、ファルナ剣闘士団は時間稼ぎの大役を見事に果たしていたといえる。
しかし、彼女らにとってみればベヒモスに一太刀も攻撃を与えられず、逆に一撃で死にかねない暴力の嵐にさらされるばかりで、徐々に絶望感が漂い始めていた。
「くっ……。とてもじゃないが、剣の間合いに入れない……!」
ベヒモスは圧倒的な巨体と恐ろしく素早い動きでファルナ剣闘士団を寄せ付けず、隙あらばその小さな命を押し潰そうと破壊の拳を振り下ろしてくる。
既に陣形は乱れ、ファルナ剣闘士団は個々に分散してベヒモスの攻撃を避け続けるほかない状況に追い込まれていた。
絶望など何度も味わい、それでも不屈の心で這い上がってきた。人の悪意に翻弄されるも、泥水をすすって生き延び、這いつくばりながら自力で道を切り拓いてきた。
だが、今回ほどファルナが死を意識したことはない。一瞬後には自分の命が失われるかもしれない自覚を強いられる、目に見えて迫る死の恐怖。踏み込んでしまったからには、背中を見せて後戻りすることもできない詰んだ状況。
弾け飛ぶ土石が身体を強かに打ち、徐々にファルナ達から体力を奪っていく。遠からず訪れるであろう死を前に、ファルナの心は散々に乱れていた。
(こんなところで……! こんなところで私達が敗北することなど――)
ファルナの視界を影が遮った。
拳を振り回してファルナ達を翻弄していたベヒモスが、ファルナがほんの一瞬だけ気を散らした瞬間に、大きく足を持ち上げていたのだ。
あの巨体で、片足で均衡を保てるなど誰が想像しただろうか。
次の瞬間には巨大な足が踏み下ろされ、盛大な地響きと共にファルナ剣闘士団は吹き飛ばされていた。
(馬鹿な――私、達が――)
圧倒的暴力の前にファルナ剣闘士団は蹴散らされた。
(こんな……所で、ゴミみたいに死に果てるのか……?)
ファルナ剣闘士団が地に這いつくばっている間に、クレストフ達は態勢を整えてベヒモスに攻撃を仕掛け始めていた。
地面に横たわり、続く戦いを目の端に捉えながら、ファルナは屈辱に震えた。
(こんな……ところで……)
妖刀・断ち首の
(あと少しで……将来の不安が一切ない、安定した暮らしを手に……できるはずなのに……)
視界が赤く染まっていく。
目に映るのは、暴れ狂う巨大な獣。
(――奴さえいなければ――)
どくり、と弱まりかけていたファルナの心臓が強い鼓動を取り戻す。
妖刀・断ち首の鋸から、禍々しい赤紫色の妖気が漏れ出してファルナの全身を包み込む。
(――奴さえ殺せば――)
やがてファルナの視界には、巨大な獣の姿しか映らなくなっていた。
妖気を身に纏い、赤く濁った瞳には、もはやかつての仲間の姿は映っていない。
◇◆◇◆◇
「覚悟はいいな。手はず通りにいくぞ」
作戦内容は単純だ。遠距離から間断なく強力な術式を放ち、隙ができたところで騎士が突撃するだけである。小賢しい呪詛などあの怪物相手に通用するはずもない。
そのことは、今まさにベヒモスに蹴散らされたファルナ剣闘士団を見れば一目瞭然である。
「わかりきっていた事だが……まるで刃が立たないとはな……」
人の扱う剣術など、人智を超えた怪物にはまるで通用しなかった。
この怪物を倒すのに必要なのは技量ではない、火力だ。
「アルバ君! 一斉砲撃の準備! 砲台召喚を!」
「はい! 教授!!」
テルミト教授、そしてアカデメイアの学士達が揃って精神集中を始め、召喚前兆の黄色い光の粒が彼らの周囲を飛び回る。
大掛かりな兵器の召喚である。召喚まで多少の時間がかかるのは避けられない。あまり遠くで召喚してもベヒモスに攻撃を仕掛けづらく、かといって近すぎれば気づかれて召喚を邪魔されてしまう。
アカデメイアの一団は、その絶妙な中間距離に陣取って大規模な召喚術を発動させようとしていた。だが、異変を察知したらしいベヒモスがテルミト教授達のいる場所へ向かって突進してくる。
「援護します!」
アメノイバラノヒメ率いる呪術結社赤札、彼女らの呪符による風の障壁が広範囲に渡って展開される。内から外へと流れる強風は、外部からの攻撃を押し返し、なおかつ内部からの攻撃には加速を与える。
身体が大きい分、ベヒモスの受ける風圧もまた尋常でない力になったのか、目に見えて突進速度が落ちていた。それでも止まることのないベヒモスに、アカデメイアの科学力が炸裂する。
『対城塞級・榴弾砲! 召喚!!』
声を揃えて一斉に召喚されたのは、爆薬の詰まった榴弾を撃ち出す対城塞級砲台である。一時召喚によってアカデメイア兵器開発局より砲台を召喚し、弾薬だけは完全召喚で呼び出して大砲に装填された。
「砲撃、撃てぇ――っ!!」
轟音を発して多数の榴弾が飛び出し、狙い違わずベヒモスの巨体へと全弾直撃した。
「やった! 当たった!!」
「全弾直撃だぞ! 見たか!!」
砲撃はベヒモスの表皮を焦がし、肉を僅かに抉り取っていた。
しかし、それだけである。
決定的な損傷には程遠い。
ベヒモスの勢いは止まらず、爆煙を突き抜けてアカデメイアの一団へと迫る。
「防御結界を重ねてください! 敵の突進を止めます!」
「イバラノヒメ! お下がりください!」
イバラノヒメは巫女達の制止を振り切り、最前線に立って呪符による結界を展開する。
「迫り来る者を退けたまえ! 『呪符・
二枚重ねた呪符を両手の指に計十六枚挟みこみ、神経系を通して魔導因子を注ぎ込む。
呪符に描かれた文様が赤く燃え上がり赤い火の粉を散らして焼失すると、頭上高くに黄色い光の粒が舞い踊って巨大な『月の影』が召喚される。
星界に浮かぶ天体の一つ、月の部分召喚によって重力場を発生させる大規模術式。
どういう制御か知れないが、重力場の効果がベヒモスにのみ適用されるように調整しているようだ。
ベヒモスの動きが鈍り、巨体が宙に浮いた。
「捕らえました! 今の内に――」
イバラノヒメがベヒモスの動きを封じたと確信した瞬間、捕らわれたベヒモスは悪あがきのつもりか身体をよじって暴れた。
振るわれた腕の一振りは、風の結界を難なく破って呪術結社赤札とアカデメイア調査隊を砲台ごと薙ぎ払った。
赤い袴と白衣が宙を舞って、遠くの地面へと投げ出される。
一時召喚されていた砲台と月の影も、一斉に術式を解かれてあるべき場所へと還っていった。
ずん……、と巨体が再び地に足を着ける音が響く。
超越種ベヒモスに大きな損傷はなく、いまだ健在。
「ダミアン!! 今の隙を逃すな!!」
俺は端的に旧友の名を呼んで指示を出した。
ここで俺達が追撃を止めては、犠牲が無駄になってしまう。作戦はまだ続行中だ。
「
「
精霊術士ダミアンとグレゴリーによる、水の渦に竜巻を重ね合わせた荒々しい連係攻撃が放たれる。
神話に名高き龍神の如く、水と風の奔流が圧倒的な質量と運動量でもってベヒモスに激突した。
水流の檻に囚われたベヒモスは片膝を着いて動きを止めている。
傷を負わせるほどの威力はないにしても、確実に動きを封じて体力は奪っているはずだ。
ベヒモスが動きを止めている間に、俺の方も精神集中を終えて術式の準備が整った。
(――世界座標、『欲望の坑道』に指定完了――)
黄鉄鉱の魔導回路に、使い捨てるつもりで魔導因子を一気に流し込む。
負荷で黄鉄鉱の結晶が砕け散るが、引き換えに強力な術式を発動することができる。
『押し潰せ! 立方晶弾!!』
位置エネルギーの高い空中に大質量の金属塊を召喚し、重力加速を利用して目標を押し潰す。
本来は砦などの建造物を破壊するのに使う系統の術式だが、ベヒモスが動きを止めた今ならば十分に効果を発揮するはずだ。
ベヒモスの頭上に召喚された巨大な金属立方体が、重力加速を受けて落下していく。
十分に加速の乗った金属塊はベヒモスの頭部を直撃し、めしめしと音を立てながらその太い首を直角に曲げた。
さすがのベヒモスも両膝を着き、そのまま地面と金属塊に挟まれて倒れ伏す。
「おおっ! やりやがった!」
「あのベヒモスをぶっ潰したぞ!」
周囲から歓声が上がった。
確かにベヒモスは金属塊に押し潰されて、地面に倒れ伏している。
だが、奴は両腕で金属塊をしっかりと受け止めた状態のまま倒れていた。
両腕の筋肉が弾け飛ぶのではないかと思うほど隆起して、ぶるぶると震えているのだ。
(――おい、冗談だろう……?)
ベヒモスは実際、潰される寸前の状態でどうにか均衡を保っていた。見れば両膝と両肘を地面に食い込ませながらも、しっかりと金属塊を支えているのだ。
ベヒモスはそこから信じ難い行動に出た。
ゆっくりと、金属塊が持ち上がっていく。
斜めに金属塊を傾ければ、ベヒモスは超重量の負荷から解放されてしまう。
しかし、あろうことか奴は受け止めた金属塊を持ち上げて立ち上がると、大きく吼え猛りながらその塊を俺の方へと投げ返してきた。
「まさか……あれを投げ返すのかよ!?」
常識はずれの行動に一瞬反応が遅れた。
見る間に巨大な金属立方体が目前へと迫ってくる。
慌てて懐から
(――組み成せ、地を跳ねる獣の如く――)
魔導回路が光を放ち始めるのを確認する間もなく、俺は赤鉄鉱を足元へと叩きつけた。
『
術式が発現して、強靭なバネを仕込まれた靴が形成される。
「いくらなんでも、反則だろ!!」
悪態を吐きながら俺は瞬時にその場を離脱する。バネの力で飛び退いた場所に、巨大な金属立方体が回転しながら落下してきた。
立方体の角は地面を盛大に抉りつつ、俺を追うように転がってくる。
「だぁあああー――っ!?」
格好の悪い声が漏れてしまうのを気にする余裕もなかった。
あの角に引っ掛けられようものなら、確実に内臓を抉り出されてしまう。
自分で召喚した物にやられるなど冗談にもならない。
転がる立方体の軌道から飛び退き、どうにか窮地を脱する。
金属立方体はそのまま転がっていき、渓谷の断崖にぶつかってようやく止まった。
「クレストフ殿! 無事か!?」
「師匠っ! 師匠ー!! 生きていますか!?」
国選騎士団の騎士隊長ベルガルと、セイリスが俺の無事を確かめに駆け寄ってくる。本来なら、俺の攻撃の後に騎士達が突撃を仕掛ける予定だったのだが、ベヒモスの反撃で連係は途切れていた。
「俺は無事だ! それより、奴から目を離すな! 距離なんて、あってないようなものだぞ!」
ベヒモスも体力の消耗はあったのか、今は肩を大きく上下に揺らしながら地面に座り込んでいるが、回復すればすぐにでも飛び掛かってくるだろう。あれだけの運動能力を持った化け物だ、本気で跳躍すれば俺達との距離などあっという間に詰めてしまうに違いない。
「一旦、立て直すぞ……何とかしてもう一度、攻撃を仕掛ける」
「しかし、どうやって? 生半可な攻撃では、また強烈な反撃をくらうぞ」
ベルガルの言う通りではある。だが、たった一度の応酬で諦める理由などない。
……コンゴ魔獣討伐隊は全滅、ハミル魔導兵団も半壊。アカデメイアや赤札の連中もベヒモスの攻撃を受けてから立ち上がってこない。あとは――。
ダミアン達、幻想術士団は無傷で健在だ。国選騎士団も戦力はまだ減っていない。追撃要員として傀儡術士ミラと氷炎術士メルヴィオーサ、それにセイリスやナブラ兄妹が控えている。
そして、その後ろで立ち尽くしている者達が何人か。
「無理だ――。こんな奴相手に、勝てるわけないって……」
「歯がゆいね……あたしらが出て行っても足手まといにしかならない。遠くで見ているしかないってのはわかっているけど……」
「皆さんの勝利を祈りましょう。私達にできることは、戦いの後に傷ついた人達を介抱することくらいです」
エシュリー、イリーナ、ミレイアの三人。
「古代の獣に立ち向かう戦士達に、聖霊の加護がありますよう……」
そして、膝を着いて天に祈りを捧げる聖霊教会の四姉妹と、ただ一人で覇気もなく佇む傭兵タバル。
(……あいつらを戦力に含めるのは難しそうだな……)
聖霊教会の四姉妹から視線を外せば、そのすぐ近くでは尻尾を巻いて右往左往する猫人チキータの姿がある。
「にゃああぁ!? 退避、退避~! 安全な場所に退避~!」
「商隊長、とりあえず落ち着いて」
「商隊長、こんな場所では安全に隠れる場所などありません」
「商隊長、ちょっと見苦しいかと」
副隊長であるカグロ以下の烏人達が、混乱したチキータを宥めていた。
「こら、チキータ! お前、逃げるだけか!」
「商人にだって、お金に換えられないものはあるんです~!」
根性のある人間なら、命さえ金に換えてみせると言う者もいるかもしれない。
だが、チキータに言わせればそれは商人ではなく、ただの
「しかし事実、我々の魔導ではあの怪物に通用しないかと」
「あれだけの巨体に傷を負わせるには威力が足りないかと」
「うちの商隊長も力不足で本当に申し訳ないです」
烏人の魔導は火力を発揮できる術式がないらしい。彼らもチキータ同様に補佐へ回ってもらうしかなさそうだ。
「クレス……勝てる?」
乱れた黒髪を撫で付けながら、ビーチェが上目遣いに金色の瞳で見つめてくる。
「俺が負けることなどない」
俺はビーチェが安心するように軽く頭を撫でてやった。
「ボス、ピンチだね~、やばいね~! ボク、どうする? 何かやる?」
「……ジュエル、お前は前線に出てくるな。相手は超越種だ、何が起こるかわからない。万が一、お前が滅ぼされでもしたら、俺達の旅が終わってしまうからな」
やる気満々のジュエルが飛び出してこないように、身柄をビーチェに任せると俺は再び戦場へ向き直る。
(……あと、主戦力になりそうなのは……)
順繰りにこちらの戦力を確認していった俺は、戦場でまだ戦おうと立ち上がる者達の姿を目にした。
全身ぼろぼろだが、剣を地面に突き立てて体を支えながら起き上がってきたのは、ファルナ剣闘士団である。全員ではないが、団長のファルナと他二人がまだ生きていた。
そして剣を構え、迷わずベヒモスへと向かっていく。
「あいつら、あの状態でまだ戦うつもりなのか」
既に連係も何もあったものではなく、それぞれが無謀にもベヒモスへ斬りかかっていく。
ベヒモスの振るう腕に弾き飛ばされ、踏み込む脚に蹴り飛ばされながらも、ファルナ剣闘士団の猛攻は続いた。
まさに無謀としか言えないファルナ剣闘士団の行動。そこに、俺は奇妙な違和感を覚えた。
「……様子がおかしいな。あいつら、死ぬ気か?」
倒されてはまた立ち上がり、向かってはまた倒されて。それでも絶命することなく、何度でも斬りかかっていく。まるで、恐怖を知らぬ魔導人形のように。
「剣に呑まれたな……」
いつの間にか俺の隣に立っていた剣聖アズーが、ファルナ剣闘士団の様子を見て呟いた。
「剣に、呑まれただと?」
「……剣妖と化した。ああなってはもはや、人に戻ることは叶うまい」
さらりと口にしたアズーの言葉に俺は絶句した。
人に戻ることはできない。『剣妖』と化した。それはまさか――。
「妖刀に、支配されたということか!?」
「いかにも。妖刀、妖剣の類は時として担い手の心を狂わせ、死ぬまで戦い続ける剣の奴隷とすることがある」
ベヒモス相手に猛攻を見せるファルナ剣闘士団。だが、恐れを知らぬことは、決して強いというわけでもない。
無謀な戦いを強要され、ファルナ達の体はもはや半死半生の状態だ。見るに堪えない、痛ましい姿である。
「――限界だな。務めを、果たさねばなるまい」
剣聖アズーが、腰に帯びた立派な拵えの剣を引き抜いた。
「力を貸してくれ、
アズーの腕や肩、首元に彫り込まれた聖痕が、鮮やかな青と緑の光を強く放つ。
すると、アズーの持った剣もまた刀身を青く光り輝かせる。
荘厳なる気配を放ち、目の前に立つ男と一振りの剣。
(……これが、剣聖……。これが……聖剣!!)
俺が息を呑み、瞬きをした一瞬の内に剣聖アズーの姿が消えた。
風を置き去りにして、アズーは走った。
妖刀に支配され、痛ましくも戦い続けるファルナ剣闘士団の元へ。
ファルナ達は既に正気を失っていた。
突然、視界に入ってきたアズーに対して、ベヒモスとの戦いに邪魔であると判断したのか、それとも目の前のものに反応しただけか、いずれにせよ彼女らは迷うことなくアズーに刃を向けた。
旅の同行者であったことなど、彼女らにはもうわからないのだろう。
アズーは僅かに悲しげな表情を見せたあと、ふっ……と腰を落とした。
「
アズーの低い声と共に、青い剣閃が三つ空を斬った。
途端に糸の切れた操り人形のように、ファルナ達三人が地面に倒れ伏す。
どこをどう斬ったのか、まるで太刀筋は見えなかった。
しかし決定的に、ファルナ達を終わらせたことだけは確かだった。
猛々しいファルナ剣闘士団の戦いは、剣聖アズーによって静かに幕を引かれたのだった。
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