第129話 毒蟲地獄

 雪山を越えて麓に下りると、そこはまるで春のように暖かく緑生い茂る森林地帯だった。

「これまでの道程を考えるとまるで天国だね」

「はい、こうして兄様と落ち着いてお話できるのも、なんだか久しぶりな気がします」

 騎士ナブラ・グゥが妹のルゥと並んで歩きながら、森の木々を見上げて大きく深呼吸している。


 真上を見上げれば突端が見えないほどの巨木が並ぶ深き森。

 葉が擦れ合い、ざわざわと音を立てている。

 得体の知れない鳥の鳴き声や、獣の遠吠えがどこからともなく聞こえてもくる。

「森の中だ。何が出てくるかわからない。警戒を怠るなよ」

 俺は気の緩みがちな同行者達に注意を喚起した。しかし、旅の疲れが出ているのか、いまいち皆が締まりのない様子だった。


「こういう森を歩いていると、いや~なこと思い出すな……」

 森には慣れているだろうに、猟師のエシュリーが辺りを不安そうに見回しながらセイリスの後ろを歩いている。

「鬱蒼とした森だな。日差しも枝葉で遮られてきた」

「昼間のはずなのにまるで夜だね、こりゃ」

 蜘蛛の巣を手で払いながらセイリスが呟いた言葉に、イリーナも同意する。


「あ、セイリス……服に蜘蛛が付いていますよ」

「え、どこに? 背中か?」

 セイリスが背中に手を回すと、服を登っていた一匹の蜘蛛が彼女の手の甲に這い登る。

 ――次の瞬間、森の中に絶叫が響いた。

 甲高い、悲痛な叫び。声の主はセイリスだった。

「セイリス!? どうしました!?」

 悲鳴を上げて突然その場にうずくまったセイリスに、ミレイアが慌てて駆け寄る。

 セイリスは額に脂汗を浮かべながら、手の甲を押さえていた。


「うぅ……っ。い、痛い……」

 押さえた手は真っ赤に腫れあがり、見る見るうちに紫色に変色していく。

「これは……? まさか……毒!?」

 ミレイアはすぐに辺りの地面へ視線を走らせた。すると先ほどセイリスの背中にくっついていた蜘蛛がのろのろと歩いていた。

 すかさずコンゴ魔獣討伐隊の騎士ガザンが地面を這う蜘蛛を踏み潰し、腫れあがったセイリスの手の甲を見て言った。

「娘、毒糸蜘蛛に噛まれたのか。すぐ、毒を抜け。運悪ければ死ぬ」


 医療術士のミレイアがセイリスの手を取り、解毒の術式を行使する。

(――蝕むを除け――)

『吸毒中和!』

 蜘蛛の牙によってセイリスの手の甲に穿たれた小さな穴。そこから毒の成分を吸い出していく。


「おい、無事か?」

「し、師匠~……あうぅ……」

 俺が声をかけると、セイリスは半泣きの情けない表情で唸った。毒はミレイアが取り除いたようだし、傷そのものは大きくない。

 だが、手の甲が壊死したままでは、痛みで剣を握ることもままならないだろう。

「……だから気を抜くなと言ったろうに。あと、いつまでそんな情けない顔をしている。お前は騎士だろうが、そんな傷など気合いで治せ」

「き、気合いでと言われても……」

 俺の冷たい対応に項垂れるセイリス。彼女を庇ってミレイアが俺の前に立った。


「いくらなんでも、怪我人にその態度はないでしょう! 気合いで直せなんて馬鹿げた事、医療術士でもないのに無責任なこと言わないでください!」

 食ってかかって来るミレイアに俺は面倒くさくなったが、いまだに腫れた手をさするばかりのセイリスを見かねて、一つ助言をすることにした。

「もう一度言うぞ? セイリス、お前は騎士だろう。毒が抜けたのなら、その程度の傷は闘気を集中して自分で癒せ、と言っているんだ! その方がよっぽど早い」

『あ……』

 ミレイアとセイリスがお互いに顔を見合わせて赤面する。

 他人の傷を治すより、自分の傷を治す方が医療術でも簡単なことは常識だ。

 まして、騎士の自己治癒能力の高さは言うまでもない。


 セイリスにはまだまだ騎士としての自覚が足りないのか、戦闘中以外に闘気を使いこなすという意識が欠けているようだ。

 群青色の淡い光がセイリスの体から立ち昇り、この闘気を手の甲に集中させることで、見る見るうちに壊死していた傷が回復していく。

「まったく、便利なものだな、騎士って奴は」

「くっ……師匠に指導の手間をかけさせてしまうとは……未熟……」

 俺の皮肉も指導の一つと考えているのか、セイリスは難しい顔で反省していた。



 森の奥へと進むに連れて、ますます影は濃くなってきていた。

 時折、ざあぁっと風に吹かれて木々の枝葉が揺れ、ちらちらと木漏れ日が差し込んでくる。

「むぅ? 今、何か空から降って来たように見えたが?」

 騎士ベルガルが足を止め、辺りの気配を探る。

 他の者も同様に足を止めて、異常がないか注意深く周囲を警戒していた。


「エ、エシュリー! 私の背中、背中に何か付いていないか!?」

「付いていないよ……セイリス今度は気にし過ぎだって」

「あ! イリーナ! 肩に毛虫が!!」

「なんだって、毛虫!? わ、と、取って! あたし毛虫だけは駄目なんだ!!」

 ミレイアが錫杖の先端で毛虫を払いのける。決して素手で掴むような愚行は犯さない。というか、気持ち悪くて触れるものでもないだろう。

 そして、結果的にその判断は正解だった。


「う、うわぁああっ!! か、かゆい!! 体が、体がぁっ!!」

 後列にいたタバル傭兵隊の数人が、狂ったように体を掻き毟りながらのた打ち回り出した。

 首筋まで力いっぱい掻き毟り、出血するまでに至っている。

「お前達! やめろ! それ以上、掻くんじゃない!!」

「た、タバル隊長っ!! 駄目ですっ、我慢でぎないぃぃぃい!!」

 ぶちぶちと音がするほどに顔面から首、腕、胸、背中、ありとあらゆる部位を掻き毟りながら、やがて一人の傭兵が出血多量か、あるいは何か別の要因でか、がくりと力を失って息を引き取った。


「ひぃいいいっ、かゆい! かゆぃいい!!」

「こ、これはいったい……」

 傭兵隊長タバルは気狂いを起こした仲間達の姿を見て困惑した。傍目には突然、体を掻き毟りながら自殺したようにしか見えなかったからだ。だが、その原因は恐ろしく近くに潜んでいた。真っ先にそれに気が付いたのは、森に入ってから人一倍警戒をしていたエシュリーだった。

「皆、頭の上、すぐ目の前! 浮いている! 毛虫が、浮いているからっ!!」

 エシュリーの言葉に、はたと頭上を見上げた。すると自分達の頭の上、あるいはすぐ目の前に、茶色と緑色の保護色を持った無数の毛虫が浮いていた。


「うおぉぉおっ!? こんな間近に!?」

「兄貴ぃ! 辺り一面、毛虫だらけだぁ!」

「触れるなよ!! たぶんこいつら、毒針を持っている!」

「きゃぁああーっ! け、毛虫ぃ!?」

「レーニャ学級長、落ち着いて! 魔導鎧、着ていれば触れても平気だから!」


 一見して宙に浮いているように見える毛虫だが、正確には枝葉から透明な糸を伸ばして宙吊りになっている。

 その毛虫達のどれもが細長い毛針けばりを有していた。

 毒針を持った毛虫、その危険性と生理的嫌悪感から一行は女性陣を中心に大混乱に陥っていた。


「どうするよ、クレストフ! グレゴリーに頼んで、全部まとめて吹き飛ばしちまうか!?」

「いや待て! 木の枝を揺らすのはまずい! 余計に毛虫が降ってくる!」

 ダミアンの提案も一つの手ではあったが、事態を悪化させる可能性もある。ここはより確実な方法を取りたいところだ。

「よし……こんな時こそ、ジュエル! お前の出番だ!! とりあえず、そこらへんを飛び回れ!」

「アイアイサー!! って、飛び回ってどうするの?」

 言うが早いか、条件反射で既に飛びまわっているジュエル。

 その体に毛虫が垂らしていた糸が絡まり、無数の毛虫がジュエルにまとわりつく。


「わきゃきゃぁ~! 毛虫が、気持ち悪いよー! ボスっ、ボス~っ!!」

「よくやったジュエル!! だからこっちに来るな! いいか、そこでじっとしていろ?」

 毛虫まみれになったジュエルを一旦落ち着かせてから、俺はメルヴィオーサに目配せする。

 メルヴィオーサは小さく溜め息を吐きながらも、俺の意図を汲んでくれた。


(――世界座標、『トルクメニスの地獄門』より召喚――)

『業火の窪地!!』

 紫檀の杖で大地を突くと、術式によりジュエルの立つ地面が浅く陥没して、そこから勢いよく火柱が立ち上った。攻撃目標を窪地に落とし込み、逃げることを許さぬまま火炎で炙り殺す呪術である。

「あきゃーっ!? 最近、ボク、こんなのばっかりだぁ!!」

 炎に炙られて、ジュエルにまとわりついていた毛虫は完全に燃やし尽くされた。


「思っていた以上に、この森は危険だ。早いところ通り過ぎてしまうに限る。少し、進行速度を上げるぞ! 各自警戒を厳しく、術士は探索術を展開しながら進め!」

 駆け足で森を進む一行に、次から次へと森の生き物が脅威を与えてくる。

 毒蜘蛛、猛毒毛虫、そして今度は樹の皮に擬態していた毒蛾の大群が襲い掛かってきた。

「あんなもの、警戒していても気が付きませんよ! テルミト教授!? 何やってんです! 昆虫採取している場合じゃないでしょ!」

「よく観察していれば、わずかな違和感の正体にも気づくものだよ、アルバ君。しかし、あれは私もわからなかった! 是非とも一匹、捕まえておきたい!」

「かくれんぼのお上手な虫が多いんですねぇ~」

「イバラノヒメ、虫除けの加護を切らさないよう注意いたしましょう」


 毒虫の大群に追われながらも俺達は着実に森を走破していた。

 だが、徐々に集団が分散していき、統率が失われつつあった。

「まずいな……。こんな森の中で散逸したら、迷う奴が出てくる。ビーチェ、お前はジュエルと一緒にいるんだ。離れるなよ」

「わかった。ジュエルと一緒にいる」

 森を疾走しながら、隣を走るビーチェに注意をしておく。

 いつの間にやらビーチェも成長しているのか、俺に手を引かれなくても自分の足でついて来られるようになっていた。いや、再会してから少し、過保護が過ぎたのかもしれない。

 成長は喜ばしいことだ。その分、俺も他の連中に多少は意識を割く余裕ができる。


「グレミー獣爪兵団! 先行しすぎだ! 先導役のジュエルより前へ出るな!」

 障害物の多い森の中でも、足の速い獣人達が突出しているのに気が付き、俺は制止の声を上げた。

 しかし、グレミー獣爪兵団、馬人ボーズの隊だろうか、声をかけても止まる様子がない。

「おおい、こらボーズ!! どこ行きやがる! 一回、戻りやがれ!!」

 状況に気が付いたグレミーがボーズを呼び戻そうと声を張り上げる。するとボーズがこちらを振り返り、全力疾走のまま逆走してくる。何だか様子がおかしい。


「な、なんだぁ? ボーズ、おい、ボーズっ!! 止まれ! ぶつかんだろうが!!」

 グレミーの声にも耳を貸さず、突進してくるボーズ。その背後にぎらぎらと光る無数の飛行体が迫っていた。

「くそ、最悪だ……今度は一体、何を引き連れてやってきたんだ……?」

 謎の飛行体の正体はすぐに知れた。

 翅を震わせ不快な音を発しながら、高速で飛行してくる蜂の群れ。外殻が金属光沢を持って輝いており、僅かな木漏れ日を受けて青緑色の反射光が煌いている。


「クレストフ君、あれはまずいよ。畜食宝石蜂だ」

 常日頃から冷静なテルミト教授が、やや焦った様子で呟く。

「攻撃性の高い蜂ですか?」

「ああ、寄生蜂の一種でね。自分より大型の動物を襲い、脳髄に針を刺して毒液を注入する。生きながらに脳を破壊された動物は、宝石蜂の誘導に逆らえなくなり、蜂の巣穴へと自ら移動してしまう。巣穴まで誘い込まれたら後はもう餌にされるだけだ。体の柔らかい部位に卵を産み付けられ、体内の卵が孵化して幼虫が育つまでの期間、常に新鮮な肉を提供できるように最低限の生命維持行動のみ取るだけの肉塊と化すのさ」

 背筋が薄ら寒くなるような説明だった。

 迫り来る宝石蜂の集団を前に、俺は迎撃の体勢を整える。


 宝石蜂の飛行速度は速い。駿馬の足で疾走していたボーズだったが、俺達の元へと戻る前で宝石蜂に回りこまれてしまった。

 宝石蜂が一斉に、馬人ボーズの分隊に襲い掛かる。獣人達の多くは軽装だ。硬い皮膚や分厚い毛皮に身を包み、強靭な肉体を持っているので、鎧がなくともそれなりの防御力を誇る。

 だが、中には皮膚や毛皮がさほど丈夫ではない獣人もいる。とりわけボーズのように薄い皮膚と柔軟な筋肉で、高い運動能力を自慢としている獣人にとって、宝石蜂は天敵だった。


 無数の宝石蜂にたかられて、馬人ボーズの頭に数十本もの毒針が突き刺さる。

 堪らず泡を噴いてひっくり返るボーズ。おそらく、ショック死を起こしたのだろう。生きた餌として巣穴に誘い込まれるよりはましな死に様かもしれない。

「ボーズっ!! ……こぉの、くそ蜂どもがぁああっ!!」

 怒り狂ったグレミーが妖爪鎌鼬を振り回しながら、宝石蜂の群れへと突っ込んでいく。後に続いて熊人のグズリも咆哮を上げながら突撃し、宝石蜂を叩き潰して蹂躙する。さすがに熊の分厚い毛皮と皮膚には毒針も通らないようで、グズリは両腕を振るい存分に宝石蜂の大群を叩き落した。

 グレミーは渦巻く風で宝石蜂を巻き込み、鋭い爪で切り刻んでいた。宝石蜂は頭や足、胴体をばらばらに散らして地面に落ちるが、いかんせん数が多くグレミーの攻撃だけでは大して数が減ったようには見えない。


 タバル傭兵隊やファルナ剣闘士団も、向かい来る宝石蜂に対して応戦していた。

「剣で一匹ずつ切っていては埒があかない……」

 素早い斬撃で一匹ずつ殺していくファルナ剣闘士団の剣技は見事なものだが、せっかくの妖刀・霊剣の切れ味はあまり意味を成していなかった。そればかりか、宝石蜂は常に他方向から同時に攻撃をしかけてくるので、毒針による攻撃が少なからず彼らの肌をかすめていた。

(……剣士を前に出しても、あれでは無駄に犠牲を増やすだけだな……)

 どう考えても剣で空中を飛び交う小さな的を狙うのは効率が悪い。俺は瞬時にそう判断すると、全員に指示を出した。

「剣士は下がれ! 術士で一気に面制圧にかかるぞ!」


 俺の号令一つでやるべきことを理解した同行者達は、即座に剣士と術士で前線を入れ替わった。

風妖精シルフ! 渦巻く風で蜂を押しやれ!」

 グレゴリーの風妖精が、旋風を巻き起こして宝石蜂を森の一角へ押し込める。そこへすかさず、メルヴィオーサが呪詛を放った。


(――世界座標『大寒地獄』より召喚――)

『吹けよ、白魔の息吹!!』

 大寒地獄から呼び出された猛吹雪が森の中を吹き抜け、宝石蜂を次々に凍りつかせた。

 それでもなお、宝石蜂は大群でもって森の奥から飛び出してくる。

 術式を行使し終えて無防備になったメルヴィオーサを庇い、俺と傀儡の魔女ミラが前へと出た。


 心の内で呪詛を練り上げ、ヘソに埋め込んだ蛍石フローライトに魔導因子を流し込む。

(――焼き尽くせ――煉獄蛍れんごくぼたる――!!)

 意思一つの一段工程シングルアクションで術式を発動すると、周囲に橙色をした光の粒が無数に出現する。

 光の粒は蜂の大群へ向かって浮遊し、高熱を感じて逃げ惑う蜂を正確に追尾して撃ち落としていった。


(――世界座標、『傀儡の人形館』より召喚――)

『急襲の指人形ギニョール!! 私にあだなす敵を滅ぼしなさい!』

 同時に十体、斧や鎌などの武器を持った小さな人形が召喚される。

 人形達は木々を足場に縦横無尽の跳躍をして、ミラの命令に従い、飛び回る宝石蜂を一匹ずつ確実に処理していった。

 本来の用途は対人間用の暗殺魔導人形だろう。あの小さな人形を操って、的確に急所を突いて殺すのだ。


「よし、あらかた排除できたようだな。宝石蜂の第二波が来る前に、急いでこの森を抜けるぞ!」

 その後も多種多様な生き物が行く手を阻むが、俺達は術士を主軸にした防御隊列で進み、幾人かの犠牲を出しながらも毒蟲の溢れる樹海を通り抜けたのだった。

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