第128話 大寒地獄

 視界を遮る白い吹雪。

 凍てつく空気が肌を切り付けるように、ごうごうと唸りを上げながら耳元を通り過ぎていく。


「……今度はまた一転して、なんて寒さだ、くそっ!!」

 震える唇から悪態が突いて出る。だが、それも吹き荒れる吹雪の音に紛れて、意味のない喚きとなって消えた。

 俺の懐でビーチェが微かに震えたが、俺の声に応える者はいない。いたとしても声が通らないので、もしかすると皆が同じように叫んでいたりするのかもしれない。

 隣を見ればエシュリーが青い顔で俯きながら、もごもごと口を動かしてなにごとか呟いている。

「……やばい……寒い……死ぬ……」

 今は彼女も普段の軽装ではなく、分厚い毛皮の外套を身にまとっている。ちなみにこれも黒猫商会の売り物だ。

 エシュリーは持ち合わせがなかったのか、セイリスに金を借りていた。そうでもしなければこの極寒の山に入った時点で凍死しているところだ。

 ただ少し安物だったのか毛皮の継ぎ目に隙間があり、そこから徐々に体温を奪われているらしい。


「いっそう吹雪いてきたな……このまま進むのは危険か……」

 皆が吹雪の中の強行軍で体力と精神を磨り減らしている。そうそう頻繁に使えるものでもないが、また拠点召喚をすることも考え始めていた。その矢先、前を進んでいたコンゴ魔獣討伐隊の騎士が何やら山の一角を指差して声を張り上げる。

 山の頂上付近から、白い靄のようなものが斜面を下って滑り降りてくる。ひどくゆっくりとした動きに見える。が、かなり遠距離の光景であることを思えば、それが間近に迫った時の勢いは相当なものに違いなかった。

「雪崩だ――っ!! 全員固まれ!」


 俺の声が周囲に届いたかはわからないが、意図を察して全員が身を寄せ合いお互いの手を繋ぐ。その中心で俺は防御用の術式発動に集中する。拠点召喚に使ったものとはまた別の水晶群晶クラスターを取り出し、雪崩の迫るぎりぎりまで魔導因子を注ぎ込む。

(――壁となれ――)

 圧倒的な運動量を持つであろう雪崩に対抗できる強固な壁を想像して魔導回路に意思を込める。

『白の群晶!!』

 術式発動の楔の名キーネームを叫び、水晶群晶を雪の大地に打ち込んだ。


 瞬時に、俺の周囲に集まった同行者達を地面から生えた水晶の壁が囲む。無数の太い六角水晶が幾重にも折り重なり、雪崩に対する即席の堤防を作り上げた。

 まもなく雪の奔流が水晶の壁に激突し、轟音と共に白い飛沫を飛び散らかす。勢いを失ってなお止まらない大量の雪が、水晶の壁を乗り越えて頭上から降り注いだ。あっという間に俺達は雪に埋もれて押し流される。

 視界が真っ白になり、一瞬意識が遠のいた。だが、すぐに自分の手をしっかりと握った掌の感触を感じて、俺は無我夢中に光ある方向に向かって雪を掻き分けた。


 息が詰まっていたのはほんの十秒程度だったろう。

 水晶の防御壁とぶち当たって雪の塊も細かく砕けたのか、幸にも俺達を生き埋めにした雪は柔らかく、難なく雪上へ這い出すことができた。

 俺は全身を雪の中から出すと、まだ雪に埋もれたまま片手だけ雪上に出ている小さな手を引き上げた。

「無事か!? ビーチェ!」

 勢いよく引っ張り挙げた手は思いのほか軽く上がり、その手応えのなさにぞっとする。

 俺が掴んで引き上げたのは人間の片腕、肘から先がない、それだけのものだった。


「ビーチェ……?」

 小さな手を胸元に抱え、俺は呆然と辺りを見回した。

 すると、すぐ近くに見慣れたくしゃくしゃの黒髪が白雪に混じって広がっているのが見つかった。

 雪の上に転がった、ビーチェの頭。

「ビーチェ!! おい!?」

 俺の声にぱちりと目を開けるビーチェ。覚醒と同時に全身を埋めていた雪を払いのけながら、何事もなかったかのように這い出してくる。

 腕は――。


「なんともないのか、ビーチェ?」

「平気……。ちょっと雪、口に入っただけ」

 五体満足な様子で、服についた雪を払い落としている。

 改めて周囲を見回せば次々と同行者達が雪の中から這いずり出てくる。俺は思わず彼らの腕を見たが、皆しっかりと腕が付いた状態である。

「じゃあ、この腕は誰の……」

 子供のように小さな掌に細い腕。その持ち主が同行者の誰であるか考えながら観察してみる。特徴的なのは、千切れた肘の断面。真っ白でつるりとした、生物的な要素とは無縁の性状。


「ねぇー? 誰か私の腕を見なかった? 今の雪崩で外れてしまったのよ」

 雪の上をちょこちょこと歩き回る幼き少女。不釣り合いな大きさのローブを引きずり、レースをあしらったボレロを羽織っている。雪山だろうと服飾を変えることなく、薄着で吹雪の中を進んできたのは傀儡の魔女ミラ。

 その身は魔導人形の器であり、俺が今手にしている腕の持ち主であった。



 どうにか雪の中から這い出した俺達は、依然として吹雪の猛威にさらされながら前進していた。先導役のジュエルはいち早く雪崩を察知して、空に逃げていたので無事だ。契約者である俺を放って自分だけ逃げるのはどうかと思ったが、俺ならば対処できるとジュエルも考えていたのだろう。俺もジュエルが雪崩に巻き込まれてどうにかなるとは欠片も思っていなかった。お互い様だ。

「皆! 前方、左手を見てくれ! あそこに洞穴がある!」

 騎士ナブラ・グゥが、妹のルゥを背負いながら、山の斜面を指差した。

 白く荒れた視界の中、目を凝らしてみればぽっかりと大口を開けた洞穴が見える。あそこで休憩しようということだろう。誰もそれに反論することなく、自然と足が洞穴へと向かった。やはり、全員が限界を感じていたようだ。


 崖に開いた横穴は、床も壁も全て凍りついた氷洞であった。

 それでも吹雪を凌げるだけで、休憩するには十分な環境だ。

「はぁあ~、こりゃ参ったね。きっついわ……」

 イリーナはこのような環境を冒険したことはないのか、疲れ果てた様子で氷の床に座り込み身体を擦って暖めていた。


「おい! 人数が足りないぞ! 誰かいなくなっている!」

 にわかに騒ぎ始めたのはタバル傭兵隊だった。どうやらここに来るまでに行方不明者が出たらしい。騒ぎはグレミー獣爪兵団でも起きていた。

「おかしら、すまない。うちの隊で一人、遭難者が出た」

「兄貴ぃ、探したんだけど、さっきの雪崩で二人くらい、いなくなってらぁ」

 馬人ボーズの隊で一人、鬣狗人ブチの隊で二人、行方不明者が出ていた。

「なんだと!? くそがっ! この吹雪じゃ臭いもわからねぇし、打つ手なしかよ!」

 外へ出て捜索するのは二次遭難の恐れもあるため探しには行けない。

 休憩中にこの氷洞へ辿り着けなければ、行方不明者は置いていくことになるだろう。


 他に行方不明者が出てはいないか、俺は一通り同行者を見回してみる。

 ふと目に留まったのは剣聖アズー。彼は厚手の外套を一枚着ているが、それ以外は雪山を行くとは思えない軽装に見える。それでも全く寒さに震える様子は見られず、疲れはないのか表情は常に平静だ。

 ただ、時おり見せる鋭い視線は『魔剣』の脅威を警戒してのものか。未だにそれらしいものは見つかっていないが、まだこの同行者の中に紛れ込んでいると考えているようだ。


「……おい、……おい! 錬金術士!」

「ん? ああ、俺のことか?」

 思索に耽っていたら呼びかけられている事に気づくのが遅れた。

 すぐ横を見れば、剣闘士団の団長ファルナがやや苛立った顔をして立っていた。

「お前、これからどうするつもりだ? 雪山をこのまま強行突破する気なのか? 何人死ぬかわかったものじゃないぞ」

 言われなくとも、このまま強行するつもりなどない。


「ここは厳しい局面だ。互いに少しばかり協力してもらおう。隊列を組んでこの雪山を抜ける」

 俺は隊長格を呼び集めて、雪山越えの隊列構築を提案した。

「基本は密集隊形での移動となる。その際、寒さに強い者を一番外側と一番内側に分けて配置する。一番外の者は定期的に内側の者と入れ替わり、体の芯までは冷え切らないように注意しろ。寒さに弱い者は間に挟まれながら、周囲の探索と熱源の提供を頼む」

「あ、あの、私達の魔導鎧なら寒さには強いので、外側を担当しましょうか?」

「俺ら獣人は寒さに極端に強い奴と弱い奴が混じっているからな。細けぇ配置は勝手に決めさせてもらうぜ」

 ハミル魔導兵団のガチガチな魔導鎧とグレミー獣爪兵団のもふもふの毛皮を外殻とする密集隊形が自然と決まった。


「後は内側の配置だが、熱源になるような術式を扱える者はなるべく分散してくれ。特に一番外側の列にいた者が内側と交代した時には優先して暖めるように」

 そうして俺は同行者達の様子をざっと眺める。皆、防寒着を着込んでいるのは変わらないが、肉付きや血行の良さを見ると騎士連中やコンゴ魔獣討伐隊は寒さにも強そうだった。氷炎術士メルヴィオーサは暑さにも寒さにも対応できる術式があるのか、相変わらず余裕の態度を崩していない。後は人形の体を持った魔女ミラも平気そうだが、残りは大体が顔色も悪く、なるべく内側にいた方が良さそうな感じだ。ただ一集団、呪術結社赤札を除いて。

「なぁ……ずっと気になっていたんだが……あんた達はそんな格好で平気なのか?」

「はい? 私達の格好ですか?」

 赤札の巫女達は普段と変わらない白い胴着と赤袴、その上に藁で出来た外套のようなものを羽織っている。みのというもので撥水性は高いらしいが、風通しが良さそうなので体温が維持できているのか大いに疑問だ。


 だが、アメノイバラノヒメは血色の良い頬と唇で微笑み、軽く胸元を叩いてみせた。

「ええ~、平気ですよ。私達はこれできちんと暖を取っていますから」

 そう言いながら、豊満な胸の谷間に手を突っ込み、まさぐりながら何かを取り出す。思わずアカデメイアの学士やダミアンが身を乗り出した。俺もイバラノヒメが取り出した『暖を取るもの』に興味を惹かれ、彼女に群がろうとする男衆を押しのけて前へ出る。

「これは私達の結社で作った、魔導懐炉というものなんですよ」

 彼女が胸の谷間から取り出し、目の前に差し出したのは使い捨ての札式魔導回路『呪符』をやや厚手にしたような代物だった。

 差し出された魔導懐炉を手に持ってみると、確かに人肌ではありえない熱を継続的に発しているのがわかる。


「これは……いいな。程よい温かさで制御できている。もしよければ、幾つか譲ってもらいたいものだが」

「にゃぁあ、こんな便利道具が存在したのですねぇ。赤札さん、黒猫商会に商品として卸してもらえませんかにゃぁ?」

 俺が会話しているところへ猫なで声で割って入り、商売を始めようとするチキータ。こんなときくらい商人魂は控えてもらいたい。

 周囲の人間にも魔導懐炉の存在が知れ渡り、皆が物欲しげな視線をイバラノヒメに送る。しかし、イバラノヒメは静かに首を振って断った。

「……実は、試作品なのであまり数を用意していなくて……申し訳ありません」

「試作品か……普及すれば寒い地域の術士には重宝されるだろうな」

 一つ貰って研究したかったが、残念ながら非売品ということでまだ他人には渡すことも出来ないらしかった。



 宝石の丘を目指す一行は猛吹雪の中、密集隊形で山越えに挑んでいた。

 協力意識の薄い連中であったが、ここへ来て互いに助け合う必要性は痛感したように思える。

(……腹の中じゃどう考えているか知れないが……)

 それぞれ役目があるにしても、こういった特殊環境では役に立つ者と立たない者の差がはっきりと表れる。

 無論、今役立たずでも、また別の状況でなら活躍することはあるかもしれない。だが現時点のみを見て、足を引っ張っている者に悪感情を抱く者もいるだろう。

(思考まで凍えてしまう前に、早くこの雪山を突破しなければ……)

 既に行方不明者が何人も出ている。こんなところで内輪揉めなど起こせば全滅しかねない。


「レーニャ! 少し進行方向がずれている。前方左十五度ほど、向きを修正してくれ」

「りょ、了解です! 左十五度……え? 十五度って言われても、あれ? これくらい?」

「進行方向ずれ過ぎだ、戻せ。右五度修正」

「わ、わかりませ~ん!」

 俺は密集隊形の前列近くで、吹雪の中を進むジュエルの位置を適宜、最前列を行くレーニャに伝えながら進む。

 目の前が雪で真っ白に塗り潰されている以上、ジュエルの気配を感じ取れる俺が指針を示さないといけない。


「よし、いいぞ。そのまま真っ直ぐだ」

「はい、あ……!?」

 突如、目の前から姿を消すレーニャ。文字通り、消えた。一瞬のことだ。

「――!? 止まれ! 全体止まれ!」

 俺は隊列の進行を止め、周囲の様子を確認する。相変わらず視界は白く閉ざされている。

 ジュエルの気配は前方で止まっているのがはっきりとわかる。だが、レーニャの姿がどこにも見当たらない。


「消えた!? 馬鹿な……さっきまで目の前を歩いていたのに?」

 一歩、踏み出そうとしたとき、肩を強く掴まれて俺は後ろに引き倒される。

 剣闘士のファルナが後ろから俺を引っ張ったのだ。二人して倒れこみ、ファルナの胸に背を預けるような形で俺は尻餅をついた。

「何だ? 一体どうした? 前方に何かあったのか?」

「前じゃない、足元を良く見ろ、錬金術士」

 一瞬、風が強く吹いて吹雪が途切れる。白い闇が晴れて、辺りの風景が見えるようになると、自分が今どういった状況にいたのかようやく理解する。


 足元は崖だった。

 いや、厳密には崖というほどのものではなく、亀裂といった方が近い。

 これは凍土の裂け目クレバスだ。

 気づかずに足を踏み出していれば、裂け目に落ちて死んでいたかもしれない。


「……レーニャは落ちたのか。この深さ、生きてはいないだろうな」

 俺の呟きに、ハミル魔導兵団の少女達が次々に泣き出す。しかし、涙は凍って流れ落ちることはない。

 極地においては、仲間の死を悼むことすらまともにできないのだろうか。

「死んでいません! 生きていますよ!」

 誰かが、そんな希望に縋るような声を上げた。そうは言っても、まったくの不意討ちに近い状況で、これだけ底の見えないクレバスに落ちては受け身を取れたとは思えない。

「ここです! レーニャです! 誰か! 引き上げてください!」

 誰かと思えば、レーニャ本人の声だった。思いのほかすぐ近くで声が聞こえる。


「レーニャ? いるのか? どこだ!」

「ここ! 裂け目の、手前側の壁にしがみついているんです! た、助けてください!」

 クレバスを覗き込むと、レーニャと思しき魔導鎧の頭部が手前側の壁にへばりついていた。

 俺はすぐに銀の蔓を術式で編み出し、レーニャを引っ張り上げた。

「し、死ぬかと思いました……」

「うわーん! 学級長ー!」

 ハミル魔導兵団が学級長レーニャの無事に今度は嬉し泣きしている。正直、今ここでレーニャを失っていれば、残された兵団員は使い物にならなくなっていたかもしれない。そうなれば雪山を越えることも叶わず、最悪は全滅もありえた。


「首の皮一枚で繋がった感じだな……。それにしても……ジュエル!!」

 俺の声に反応して、先に前を進んでいたジュエルが戻ってくる。四枚の翅を忙しなく動かしながら、はたはたと低空飛行して。

「なにー? どしたのボス?」

 俺はただ溜め息と共にジュエルの頭を掴んで、雪原に押し付ける。押し付けて上から踏みつける。

「もごごっ!? むぁんも!? もぐ、もにももごもー!!」

 自分は何もしていない、と言っているようだが、むしろそれこそが罰を与えるに相応しい理由だ。


「お前は何のために先行していたんだ? 宝石の丘に向かって馬鹿みたいに進むだけがお前の仕事じゃないんだよ。さっきの雪崩のときもそうだが、俺達を安全に届けるために、先に危険がないか偵察しながら進むのが仕事だろうが、ん? それをお前だけ飛行して足元の危険を見逃し、俺達を危険にさらすってのはどういう了見だ? まさか、俺を嵌めようとしていたわけじゃないだろうな?」

「めっほうも、もざいまへふ~!」

 滅相もない、と言いたいらしいが過失にしても悪質だ。ジュエルが平気で先行しているものだから、全員安心して進んでいたのだ。まさか、こいつが低空飛行してクレバスを飛び越えていたなど誰が気づくだろうか。


「ここからは気を引き締めていくぞ。地形を探索できる術士は辺りの様子を逐一報告してくれ。隊列を整えて再出発だ!」

 ジュエルに長い縄をかけ、その端を持ちながら俺は隊列の前列近くに陣取った。

「よし、ジュエル、歩け。お前が一番前だ。いいな、飛ぶなよ?」

「うぅ……鬼だ。ボスは鬼だよ」

 万が一クレバスに落ちたとしても、ジュエルならば死ぬことはないし自力で飛んで上がってこられる。あくまで合理的な適材適所の役割分担である。



 雪山越えは、より過酷になっていた。

 術士は周囲の地形把握に探索術式を使わざるを得ず、加温の術式を扱う割合が少なくなるのだ。

 常に周囲へと気を張り、ろくに体も温められない。精神的にも肉体的にも厳しい状況が続く。

「せめてもう少し、身体を温める手段がほしいね……」

 冒険者のイリーナが意味はないとわかりつつも愚痴をこぼしていた。

 周囲を警戒しつつ歩きながら暖を取るのに、術式では細かな制御が難しい。呪術結社赤札の魔導懐炉ならば、初めから適度な熱出力を得られるように術式の回路が組まれているのだが、いかんせん試作品で数が確保できない。


 寒風が身に沁みるのか、テルミト教授が首を竦めながら呟いた。

「何か熱容量の大きな物に、熱を保持しながら移動できればどうにかなりそうなものだがね」

 教授の呟きに俺も思案する。継続的に適度な熱を発生させる制御は、それ専用の魔導回路がないと難しい。

 だが、何か熱容量の大きな物に熱を蓄え、それを囲んで移動できるなら余計な術式制御を減らして、辺りの探索に集中できるというもの。

(……いや、方法はあるか? いけるかもしれない)


 俺は少し後ろに下がり、氷炎術士メルヴィオーサに思いついた策を提案してみる。

「ええ? 本当にそんなことしちゃっていいわけ?」

「ああ、問題ない。うまくいくはずだ」

「そういうことじゃなくて……まあ、貴方が良いって言うなら構わないけどねぇ」

 メルヴィオーサの協力を取り付けたところで、俺はジュエルを近くに呼び戻した。

「ジュエル、ちょっとこっち来い」

「なになに~?」

「そこへ立っていろ。メルヴィオーサ、やってくれ」

「???」

 隊列が一旦停止して、これから何をするのか成り行きを見守っている。


「知らないわよ、後でどうなっても」

「えへへ、なーに、お姉さん? ボクに何の御用なの?」

 メルヴィオーサはジュエルの質問には答えず、少しばかり気の毒そうな顔をした後で杖を構える。

 銘木・紫檀したんの幹から削り出された一級品の杖に、太股に刻まれた魔導回路を擦りつけて活性化させていく。

「んん……あぁ……熱い、高まるわ……」

 紫檀の杖に刻まれた魔導回路とメルヴィオーサの太股の回路が共鳴し、術式の効果を増幅する。


(――世界座標『トルクメニスの地獄門』より召喚――)

『逆巻け、炎熱気流!!』

 周囲に吹き荒ぶ白雪をも蒸発させる火勢で高熱の陽炎が立ち昇り、発動した術式をまともに受けたジュエルが炎に包まれる。

「あきゃきゃ~!? なにするのー!!」

 見る見る内に真っ赤に焼けていくジュエル。その宝石の身体は熱を持ち、赤い輝きを放つようになる。

 その姿を見て、誰もが理解した。特に何も言わずとも全員がジュエルを囲むように位置し、隊列を組みなおす。

「ジュエル、暖かい……」

 ビーチェがジュエルからほんの少し距離を取りながら、手をかざしている。


 ジュエルを焼いて、熱を保持する焼き石の代用にしたのだ。

 ジュエル自身が動けるので、重く焼けた石を誰かが運ぶ必要もない。これでしばらくは暖を取ることを気にせず、地形の把握に術式を集中することができる。

「ぷー!! ボクを焼き石代わりにするなんて! 心外だよ!」

 雪山行軍中、ジュエルはずっと真っ赤になって怒っていた。

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