第127話 焦熱地獄
紫色の炎が地を這うように拡がり、岩の割れ目から噴出した火炎が風に煽られ、逆巻いて渦を為す。
この世とは到底思えない光景は、まさしく地獄と称するのが相応しい。
「何だ、あの炎の色は……」
「ここは地獄なのか……?」
あまりにも現実離れした世界の様相に誰もが呆然と立ち竦み、足を前へ運ぶことをためらった。
皆がその場に立ち尽くしている間も、山の斜面に沿って青紫の光を放つ溶岩が川のように流れていく。
「あの青紫色の炎は……おそらく溶けた岩石に含まれる硫黄成分が燃えているのだろうね」
テルミト教授の冷静な観察に、我を失っていた面々も少しばかり落ち着きを取り戻す。
いかに恐ろしい光景であっても、それが自分達の常識で推し量れるものであれば人は平静を保つことができる。
「熱泉地帯とはまた違った暑さだな……身を炙られるようだ」
常時、冷却の術式を使用しているにも関わらず、肌がひりつくほどの暑さ。汗はすぐさま蒸発して、気が付かぬうちに身体の水分を奪われてしまう。
紫色の火の粉が吹き荒れ、目の前を過ぎていった。
焼け付くような熱風にさらされて、舌を出して体温調節する獣人達は喉まで焼かれて苦しそうだ。狼人のグレミーも軽口を叩く余裕すらなさそうである。
「ハミルの魔導鎧なら、この程度の暑さ何ともありません! 皆さん、怯まず進みましょう!」
学級長レーニャの鼓舞にハミル魔導兵団の面々は気炎を上げて前進した。
「ふむ、元気な術士達だな! 我々も負けてはおられん。国選騎士団の不屈なる意志を見せい!」
並ぶように国選騎士団も進む。複数で全方位に盾をかざして青い炎の熱線から身を守り、密集陣形で進んでいく。
ここまで環境の熱源温度が高いと、盾に囲われた中で人間同士密集していた方がまだ涼しい。とにもかくにも防がなければならないのは溶岩が発する熱線なのだから。
「ビーチェ、平気か?」
「平気。暑いけど、つらくない」
ビーチェは今、冷却術式を展開した俺の外套に包まるようにして歩いている。ジュエルの鈍い感覚でこの地帯を行くのは、ビーチェにとって危険と判断したからだ。石の塊に憑依した幻想種であるジュエルにはどうということのない環境でも、その感覚でビーチェを運ばれてはまず確実に焼け死んでしまう。
踏み出す足元の地面もまた溶岩の熱放射に焼かれ、耐熱ゴムの靴底が想定を超える温度に焦げ付く。
つんと鼻を突く臭気が漂い、獣人達が顔をしかめる。だが、それもすぐに鼻が利かなくなってしまったのか、グレミーにしても不機嫌な表情ながら文句をこぼすことはなかった。
誰もが黙して歩みを進める中、比較的余裕のありそうなダミアンが俺の近くまで来て耳打ちする。
「なあ、クレストフよぉ。これ、皆やばいんじゃないか? 後どれくらい続くのかわからないが、こんな所じゃ休憩なんて無理だ。かと言ってこのまま進めば体力がもたない。他に道はないのか?」
ダミアンの心配はもっともだ。しかし、最短距離にして確実に宝石の丘へ辿り着く道として、この道以外を通る選択肢はない。
「道を外れれば、到着までの時間がいったい何年延びるかわからない。迂回路が宝石の丘へ確実に辿り着ける道か、地図もない現状では判断できないしな。このまま進むしかない。いざとなれば俺が安全に休める拠点を構築する」
「拠点構築って、この地獄みたいな火山のど真ん中にか?」
「相当の労力を消費してしまうが、こんな場所で全滅するぐらいなら出し惜しみはしない」
「……そうか、手があるんならまあお前に任せるよ。じゃ、俺は前列のレーニャちゃん達の様子を見てくるわ」
「あまり前に出すぎるなよ。無駄に体力を消耗する」
「わかっているって。様子を見てくるだけだよ」
先頭を行くジュエルのすぐ後ろでハミル魔導兵団が道を踏み均し、騎士団が続いて危険がないか確かめながら進み、さらにその後を他の同行者がついていく。こういった特殊環境では、地形に合った装備の者が先を進んで道を拓くのが効率的だ。
(……とは言え、前列よりも後列の疲労が深刻か。少し余裕のあるうちに休憩した方がいいかもな)
前を行くハミル魔導兵団を眺めながら、俺は休憩の機会を窺っていた。前列ではレーニャのお尻を触ろうとしたダミアンが、目つきの鋭いハミルの女学生に小突かれているのが目に入る。こんな時に何をやっているのか。
俺が呆れていると、隣に精霊術士のグレゴリーがやってきて、声をかけてくる。
「あの、クレストフ殿。ダミアンがどこへ行ったか御存知ありませんか?」
「あいつなら、前の方で女の尻を追っかけているぞ」
「またですか……」
もはや諦めの表情である。しかし、すぐに表情を引き締めるとやや焦ったように走り出す。
「すみません、ダミアンを退かせます。どうも風の勢いが強くなってきているようで、いざという時に連係が取れないとまずいですから……」
「待て、風の勢いが強くなっているとはどういうことだ?」
走り出したグレゴリーに、俺はビーチェの手を引っ張りながら付いて行き、疑問をぶつける。何か、聞き逃してはならないことだと思った。
「感じませんか? 先ほどから風向きが変わって、勢いも少しずつ強くなっています。これはひょっとすると……」
言われてみて初めて気がついたが、確かに風向きが追い風から向かい風に変わっていた。
そして、風の勢いも強く――。
突如、前方で紫色の火柱が上がり、捻じれた竜巻となってハミル魔導兵団を包み込んだ。
「炎が、風で煽られたのか!?」
紫の炎の中から、ハミル魔導兵団が何事もなく抜け出してくる。所々に火の粉を散らしているが、全員無事なようだ。ダミアンも水妖精の加護に護られて無傷の様子。さすがに慌てて後ろへ戻り、俺やグレゴリーと合流する。
「おい、クレストフ! やばいぞ! 嵐が来る! 生身じゃ死人が出るぞ!!」
「嵐だと? まさか……さっきの竜巻も……」
「たぶん、そんな比ではありませんよ。もっと広範囲で風の動きを感じます」
「ああ、俺の
――炎の嵐。その言葉通りなら、想像するだけで危険極まりない災害が迫っているとわかる。
「よし、ここで拠点を構築しよう。前列を呼び戻してくれ、俺は拠点を作るための儀式呪法の準備にかかる」
「わかった、お前の精霊とレーニャちゃん達、あと騎士団の連中には俺とグレゴリーが伝えてくる」
言うが早いか、グレゴリーと共に先へ進んでいた前列へ注意を促しに行くダミアン。
「さて、こちらも準備だな。ビーチェ、お前も力を貸せ。術士を俺の元に集めてくるんだ。術士全員で儀式呪法による拠点召喚を行う」
「わかった。術士、皆、連れてくる」
ビーチェが後続の術士達に声をかけている間に、俺は儀式呪法の準備を始める。
魔力増幅用の魔導回路が刻まれた六角水晶を十二個、六芒星の頂点と交点に配置して召喚用の陣を為す。その中心に、召喚術式の核となる水晶の
「クレス。皆、連れてきた!」
間もなくビーチェが後列にいた術士を引き連れてやってきた。
傀儡術士ミラ、氷炎術士メルヴィオーサ、医療術士ミレイア、三級術士ナブラ・ルゥ、それに呪術結社赤札の巫女、コンゴ魔獣討伐隊の術士達、幻想術士団の精霊術士も勢揃いである。更には黒猫チキータ商隊も、猫人チキータと烏人のカグロほか数名が集まる。
「来たか、早速だが手伝ってもらうぞ。十二人、必要だ。それぞれこの水晶に魔導因子を注ぎ込んでくれ」
六芒星召喚陣の中心に俺が立って、周囲十二箇所の水晶の前に術士達が配置する。
「僕らもお手伝いします。学士ですが、術士としての技能もありますから」
アカデメイアの学士アルバとビルドも加わって、魔導因子を召喚陣に注ぎ込む。
「にゃぁあ、クレストフ様、これはアレですか? 黒猫商会の星形拠点を召喚しようと?」
「そうだ。最大二百名収容の中隊規模星形拠点の召喚を行う」
「にゃるほど、これはこれは御利用ありがとうございます。でしたら、初回特典ということで、今回の召喚は私が担当いたしましょう。ささ、クレストフ様は陣のお外でごゆるりと」
「ん? まあ、座標だけわかっていれば単純な召喚作業だからな」
チキータが是非にと言うので、ここは任せることにした。
「傀儡の魔女ミラさま、貴女様も普段より当商会を御贔屓にして頂いております。ここは黒猫商会の営業課長、私カグロが代わりをお務めします」
「あらそう。じゃ、任せたわ」
烏人カグロがミラに代わって召喚陣の一角に入ると、中心に立つチキータが一つ頷き、陣を為す他の術士達に目配せする。
「それでは皆様方、御協力のほどを」
術士達が水晶へ魔導因子の注入を始めると、徐々に中心のチキータへと魔導因子の流れが収束していく。
チキータは目を閉じて意識を集中し、召喚物の世界座標を絞り込む。
『中隊規模星形拠点、製品番号九〇二一〇二、召喚!』
チキータによる術式発動の合図で、召喚陣の隣に無数の光の粒が立ち昇り、大きな星形の建物が徐々に姿を現し始めた。
頑丈な石材を鉄筋で繋ぎとめた、武骨な六つの突起を持つ建物が荒れ果てた火山地帯のど真ん中に出現する。
傾斜の多い地形でも拠点を水平に建てられるよう、基礎には柔軟かつ丈夫な人工粘土が使われている。
召喚直後に形状を最適化し、短時間で基礎土台として硬化する機能性粘土だ。
例え溶岩流に襲われても燃えることなく、崩れない頑丈さを持つ。
「拠点の設置は完了だ! 全員、正面階段から拠点内に避難しろ! 火炎混じりの嵐が来るらしい、急げ!」
後列にいた面々は安堵の表情と共に拠点へと入っていく。これから嵐が来るということより、とにかく休憩ができるという気持ちが強いのかもしれない。
見たところ拠点は相当に強固なつくりで、よほどの災害でも耐え切れるだろう安心感がある。
「避難状況はどうだ? 収容はまだ終わらないのか?」
俺は星形拠点の一角に立ち、烏人のカグロに現在の避難状況を尋ねる。
「まだ、幻想術士団のダミアン様、グレゴリー様、それとハミル魔導兵団の方々が遅れております。前列にいた国選騎士団は全員、避難完了されました」
「ダミアン……まだぐずぐずしているのか……」
「それから、
「あいつは気にしなくていい。溶岩に呑まれても死にはしないからな。俺がここに留まっていれば、気づいて自力で引き返してくる」
俺は『鷹の千里眼』の術式でダミアン達の姿を遠目に探した。
グレゴリーが
三人を先頭にして、土煙を上げながらハミル魔導兵団が移動してきた。
その後ろから、青紫色に光り輝く炎の波が押し寄せてきている。
「おいおい、ぎりぎりじゃないのか……? 早く来い……来い!!」
空からダミアン達が拠点の中へと飛び込んでくる。
続いて、地面を疾走し、滑り込むように階段を駆け上がってくるハミル魔導兵団。
だが、一番後ろにいた一人が青紫色の炎に呑み込まれてしまう。
「サーヤ!?」
レーニャの悲痛な声が上がる。
サーヤと呼ばれた魔導兵は炎に呑まれた瞬間、その場に立ち尽くすようにして動きを止めた。
がっくりと膝をつき、焼けた地面へと倒れ込む。
「どうして!? 炎の影響は受けてないはずなのに……まさか、魔導回路に故障が!?」
「サーヤ~! 今、助けるからね~」
間延びした声を出しながら、救出に向かおうとする一人の魔導兵。
レーニャも救出へ向かおうとしたが、ダミアンに止められていた。
救出に向かう魔導兵を見て、俺は嫌な予感がした。
「よせ! 助けには行くな! お前も避難しろ! その周辺、『何か』あるぞ!!」
「……!! ミーシャ、拠点に入って!! 様子がおかしいの! 戻るのは危険だから!」
『何か』という言葉に、レーニャもまた違和感に気がついたようだった。必死に仲間を呼び止めるが、俺やレーニャの言葉が聞こえなかったのか、魔導兵ミーシャはサーヤの救出に向かい、拠点の階段を下りたところで不意に立ち止まってしまう。
どういうわけか、ミーシャは身体から力が抜けてしまったようで、ばったりと倒れ伏してサーヤの上に覆い被さった。
「いやぁっ……ミーシャ……!!」
ミーシャはサーヤと違って炎に呑まれたわけではない。だが、致命的な何かに襲われたのだ。それだけは遠目にもわかる。
いつまで待っても、ミーシャは起き上がらなかった。
何があるかわからない以上、助けに行くこともできなかった。
しばらく後、ジュエルが最後に一人で拠点へと帰ってきた。
「たっだいまー、ボス~。今日はここで休憩することにしたの? なんか、二人だけ途中の道で寝ていたから連れてきたけど……」
「あぁ……。サーヤ……ミーシャ……うぅっ……どうして……」
目つきの鋭い少女サーヤ。おっとりとした印象のミーシャ。
二人の息は完全に止まっていた。心肺停止から時間も経っていた為、ミレイアも早々に蘇生は不可能と診断していた。
「肺機能が停止して、ほぼ即死だったようです。症例からすると、おそらく火山ガスが原因ではないかと……」
「原因は炎ではなくてガスか、厄介だな……この先へ進むにも」
道理でミーシャが倒れた時、周囲に何も見えなかったわけである。
火山ガスの犠牲となった二人の遺体は、今は拠点の片隅に安置されていた。
ハミル魔導兵団と修道女四姉妹が簡単な葬送の式を行っている。
星形拠点の内部は戦争時のガス攻撃を想定して、外界から完全に遮断された構造になっている。酸素の供給は拠点内の各所にある植物が賄っていた。
この場に留まる分には問題ないが、ガスの蔓延する地帯を越えていくのは骨が折れそうだ。
「そこで当商会の特製ガスマスクを御用意させて頂きました。にゃ、お代は一日の使用で金貨一枚、貸し出し品となります。ガス吸着フィルターの交換が必須ですので、その分のお値段が日ごとにかかってきますにゃぁ」
金貨一枚、その価値は銀貨二十五枚相当、五万ルピアである。節約を心がければ二ヶ月分の食費にはなる金額だ。
「宝石の丘へ辿り着けると考えれば、命を守る為の安い投資……なんて思えるか! ここぞとばかりに、ぼったくりやがって! チキータお前最近、叔父の二キータに似てきたんじゃないのか……!?」
「にゃぁ~、お褒めの言葉として受け取っておきます」
なんだかんだ言いながらもガスマスクを借りて、俺達は地獄の如き火山地帯を踏破した。
何日かかったかは……敢えて数えたくない。
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