第126話 叫喚地獄
熱を持った白い濃霧が蔓延し、むせ返るような蒸気が肺を刺激する。
大地が煮沸して、泡の弾ける音があちらこちらから聞こえてくる。
針岩の森を越えた一行が次にやってきたのは、熱い蒸気の噴き出す湯溜まりが点在する荒野だった。
「なんて蒸し暑さだ……この場にいるだけで体力が奪われるな」
傭兵隊長タバルが水筒を取り出し、ぐいと水を飲み干しながら忌々しげに顔を伝う汗を拭った。
他の者もそれを見て喉の渇きを感じたのか、各々が水筒を取り出して水分補給をしていた。
水も食糧も十分に用意してある。ここはしっかりと水分を取って、脱水症状に陥らないよう注意しなければならない。
「くそ、あちぃ。はぁ、くっそ、毛皮脱ぎてぇ……」
「ほんっとに、そうっすねぇ兄貴……」
この暑さに一番苦労していたのは厚い毛皮を身にまとった獣人達だった。
狼人のグレミー、鬣狗人のブチ、熊人のグズリといずれも舌を出して荒い呼吸を繰り返していた。
唯一、馬人のボーズだけは大量の汗をかきながらも涼しい顔をしている。
そんな中、術士達は避暑の術式でも使っているのか、汗一つかいていない者が多かった。
「皆、汗だくでご苦労なことね~」
氷炎術士メルヴィオーサは冷気を自分の周囲に振り撒き、常に快適な温度を保っていた。
「心頭滅却すればこの程度の暑さ、なんともない!」
「ちょっと、汗が飛んでいるわよベルガル」
騎士達は元々の身体のつくりが頑丈なだけあって、この程度の暑さで疲労を感じているものはいないようだった。無論、暑いものは暑いので汗はかいていた。一方で、傀儡の魔女ミラは身体そのものが人形に置き換えられているので、暑さに強いうえ汗もかいていない。ただ、男の汗は生理的に受け付けないのか、むさ苦しい騎士達からは距離を取っていた。
「レーニャちゃんは暑いの平気なのかい? そんな全身鎧で。なんだったら、脱ぐの手伝ってあげようか?」
「この魔導兵装は耐熱耐寒構造ですから! 平気です! 脱ぎませんよ!?」
相変わらずダミアンは女の尻を追いかけてばかりだったが、やはり水妖精の精霊術士だけあって、自身の周囲に冷たい霧を発生させるなどしてうまく涼を保っていた。
一方で、俺も以前に溶岩地帯で悩まされた経験から、自身の周囲へ持続的に冷気を放つ術式を開発していた。
涼を取る為だけに作り出された氷晶石の魔導回路。
(――
意識を集中して魔導因子を込めれば、氷晶石は白く冷たい輝きを放ち始める。
『吸熱渇水!』
術式発動によって俺の周囲の空気から急速に熱と水分が失われていく。熱と水蒸気を選択的に別の場所へと移動する、送還術の応用であった。べたついた蒸し暑い空気が、からりと乾燥した心地よい空気に代わり、汗が引いて快適な温度と湿度に変化したのが体感できる。
術式効率は低いが、急速冷凍でもする必要がなければこの程度で十分である。後は術式の出力を調整して、自分にとって快適な温度と湿度を維持すればいい。
「お? なんだぁ、この辺、涼しいじゃねぇか」
「あ、本当っすね。砂漠にオアシスって感じで、極楽だぁ」
術式によって快適な周囲環境を確保していたのだが、その冷気を敏感に感じ取った獣人達が本能的に俺の周りに集まってきた。
見る間に辺りが毛皮の獣だらけになってしまい、せっかく冷えた空気が獣の体温と汗で蒸してくる。
「あ、暑苦しい……」
「そう言うなって大将! ひゃぁー、快適だぜぇ」
「すんません、厄介になって、すんません」
馴れ馴れしく背中を叩いてくるグレミーと下手に出ながらも悪気のなさそうなブチ。そして、自前の毛皮を着込んだ獣人達に俺は囲まれた。
暑苦しい思いをして涼を提供した分は、しっかり働いてもらわないと割に合いそうにない。
「それにしても蒸気がひどくて視界が悪い……全員、ついて来ているのか?」
先行するジュエルとビーチェの姿は宙を浮いているので良く見えるが、その他の同行者の姿は白く立ち込めた蒸気の中に消えて全体が把握できない。
(……ここは透視の術式で全員の位置関係を確認すべきか? 負担は大きくなるが……)
吸熱渇水の術式を継続発動している中で同時に別の術式を扱うのは難しい。透視を行えば冷却の術式はその間、途切れることになるだろう。
どちらの術式を優先すべきか、俺がちょうどそんなことを考えていたときだった。
ずんっ、と地響きが鳴り、後方で悲鳴が上がる。
何事かと振り向けば、空高く舞った人影が目に映り、身体の平衡を崩したまま落下し地面に叩きつけられる姿が見えた。
近づいてみると、タバル傭兵隊の一員である傭兵だった。地面に叩きつけられた衝撃で四肢が折れ曲がり、酷い火傷も負っていた。
「……熟練の傭兵が一撃でやられた? 爆発系の魔導でも仕掛けられたのか?」
俺の疑問の声に答えるものはいない。グレミー獣爪兵団の面々も首を横に振り、何が起こったのか把握できている者はいないようだった。
(……何者かの不意討ちをくらったにしても、これだけの手練がそろった中で攻撃を察知できなかったというのは考えにくいな……)
敵意のある者が近づいてくれば、いくら視界の悪い状況であったとしても誰かしら異変に気が付くはずだ。
そうこうしている内に二度目の爆発音が轟いた。今度は隊列の中間辺りからだ。甲高い悲鳴が上がった後、ハミル魔導兵団のものと思しき魔導鎧が飛ばされてくる。篭手や具足など複数が散らばったのを見ると、固まって歩いていたところをまとめて吹き飛ばされたようだ。この様子では中の人間も無事とは思えない。
「全員、近くの者が見える距離で散開しろ! 爆発時の被害を最小限に抑えつつ、索敵範囲を広げる!」
俺の指示に従って人が適度に散る。全員で索敵を強化しながら、俺自身も索敵用の術式に集中を始めた。
左耳に付けられた
(――見透かせ――)
脳から分泌された魔導因子を指先へと誘導し、天眼石に刻み込まれた魔導回路へと流し込む。
天眼石が仄かに白い光を帯びたところで、術式発動の言葉を発する。
『天の
術式発動によって視界を遮る蒸気を見通し、周囲の同行者達の位置取りがはっきりと見えるようになる。
全員、ほぼ等間隔に散開してどこから来るとも知れない敵に対して警戒態勢になっていた。
「これだけの警戒態勢、どこから攻撃を仕掛けられても――」
どんっ、と斜め前方で水柱が立ち昇る。
攻撃の予兆はなかった。
防御行動に移る間もなく騎士が一人、大量の土砂と共に吹き飛ばされてしまった。俺の目が確かならば、今しがた吹っ飛んだのは国選騎士団の騎士隊長ベルガルだ。
どどんっ、と立て続けに爆発音が響き、悲鳴と共に次々と吹き飛ばされていく同行者達。視界に捉えただけでも、また騎士が一人、獣人も一人吹き飛ばされていた。
手練の集まった集団とは言え、一方的に追い詰められる危機に浮き足立つ者も出始める。
「おいおい! どうするよ、大将!? 敵の姿は見えねぇ、怪しい臭いも、妙な動きの足音も聞こえねぇ! 俺らは何と戦ってんだぁ!!」
グレミーが必死になって辺りを見回しながら吼えている。獣人達の耳も、鼻も、敵影を捉えることができないでいた。
(――何だ? 俺達は、いったい何を相手にしている!?)
透視の術式で俺は事細かに周囲の観察を徹底した。
「ジュエル! 何が起こっているのか、上からわかるか!?」
「……ボス~? 蒸気が真っ白でわからないよー! 時々、誰か上まで飛んでくるけど? 大丈夫~?」
どうやら、上空から爆撃を受けているわけでもなさそうだ。では、どこから――。
ふと目をやった斜め前方で、地面に腰を下ろして屈み込む一人の騎士の姿が映った。あれは、ベルガルだ。強かに腰を打ちつけた様子だが、のろのろと一人で立ち上がる。さすがに騎士だけあって身体が頑丈である。
俺は即座にベルガルの元へ走った。
「騎士隊長ベルガル! 状況を教えてくれ! いったい何から攻撃を受けた!?」
「あつつ……うん? ああ、クレストフ殿。いや、それが……何が起こったのかさっぱり。しかし、攻撃を受けた方向はわかるぞ、下だ! 地面から突き上げをくらったようだ!」
「下? 地下からか?」
考え込む俺のすぐ間近で、どぅんっ、と激しい地響きと炸裂音が鳴り、再び立ち昇る水柱。
ばらばらと頭の上から降り注ぐ小石と、熱い水の粒。
「これは――そうか! 全員、立ち止まるな!
「了解、ボス!」
ビーチェを抱えて滞空していたジュエルが、俺の指示で進行を再開する。
それに伴い、全員がジュエルの先導を受けて移動を始めた。時々、爆発音が轟くものの、皆が今の状況を理解し始めたのか爆発に呑まれる者はいなかった。
よくよく注意すれば、規則的な間隔で地鳴りの後に爆発が起きる、という特徴に気が付くはずだ。
足元に湧く湯溜まりと合わせて考えれば、自分達が何と戦おうとしていたか自ずと知れる。
「なんだ、なんだ大将、逃げるのか、おい!? やられっぱなしだぞ、こら!」
「むぅ、騎士たる者、敵に背を見せるのは……」
グレミーとベルガルはわかっていない様子だったが、前へ進む足に躊躇はなかった。やはり部隊の長を務めるだけあって、全体への被害を考えて行動できている。早い段階で他の隊長格とも意思疎通を深めておいた方が、この先の旅路は楽になるかもしれない。
ほぼ一昼夜を走り抜けて、ようやく蒸気が薄い地帯まで辿り着いた。
小高い丘に登り走ってきた方向を眺めると、白い蒸気の中で時おり土石を吹き飛ばして噴出す水柱が見える。
「クレス、あれ何?」
「あれは間欠泉だ。俺達はあの中を突っ切って来たんだ」
ぼこん、ぼこん、と泡の立つ音と、間欠泉の噴出す爆発音がここまで聞こえてくる。
「温泉なの?」
「温泉というか、熱泉だなこれは。触れれば火傷する」
「温泉、入れない……残念」
とてもゆっくり浸かれるような温度の湯ではない。まともに浴びれば全身大火傷で死にかねない。
「皆、とりあえず集まったか。各部隊長はこっちへ来てくれ、被害はどの程度出た?」
全員ここまで走り詰めで息も絶え絶えといった様子だったが、同行者達の安否確認が最優先だ。
「タバルだが、うちの隊の傭兵が一人、最初の爆発に巻き込まれて死んだ」
「レーニャです。ハミル魔導兵団、席次十五番と十二番が死亡。十三番が行方不明です……うぅ……ひくっ」
「レーニャちゃん……。おっと、ダミアンだ。幻想術士団は被害なし、問題ない」
「グレミーだ。ブチの隊の奴が一人、大火傷を負っちまった。こいつは助かりそうもねぇ、捨てていく」
「ベルガルだ! 国選騎士団は騎士が数名、軽い火傷と打撲を負った。人的被害はそれだけだ! ちなみに傀儡の魔女ミラ殿が、お気に入りの衣服に泥が跳ねたと被害報告を上げている。以上!」
ハミル魔導兵団にかなりの被害が出ていた。それ以外は運のない数名が犠牲になった程度で、間欠泉の爆発に巻き込まれていた騎士達は全員軽傷で済んだらしい。
「後は無事のようだな……」
コンゴ魔獣討伐隊、ファルナ剣闘士団、黒猫チキータ商隊、それに呪術結社赤札とアカデメイア秘境調査隊も怪我を負った者はいなかった。
ほか修道女四姉妹も一昼夜の走破にしっかりついて来ていた。巡礼で旅慣れているらしく足腰は相当強いようだ。今は亡くなった同行者の為に鎮魂の祈りを捧げている。
医療術士のミレイアが軽い火傷を負った騎士を治療して回る間に、俺も少数で参加していた者達の安否を再度確認した。
「兄様、お疲れではありませんか?」
「ルゥこそ、術式補助があったとは言え、一日中走り続けたのは疲れたろう。ここでゆっくりお休み」
ナブラ・グゥ兄妹は健在。兄が妹に膝枕して休んでいる。
「マルクス、ここまでありがとう、運んでくれて。愛しているわ!」
「ふっ……ユリア、大丈夫だったかい? 君の珠の肌に火傷でもできたら一大事だからね。身を挺して僕が守るさ!」
術士ユリアは恋人の騎士マルクスにお姫様抱っこされて、熱泉地帯を抜けてきた。女とは言え、人一人を抱えて走りきるとは、見た目が優男でも騎士なだけはある。
剣聖アズーも勿論、ついて来ていた。この人は息一つ乱さず、ただ固い表情で岩に腰掛け休んでいた。
騎士セイリスはまだ元気が有り余っているのか、ミレイアの手伝いをしようとして逆に邪魔になっている。
冒険者イリーナと猟師エシュリーはかなり限界が近かったらしく、汗だくで息を切らして地べたに寝転がっていた。氷炎術士メルヴィオーサはいかなる術式の効果か涼しげな顔で、他の同行者達の様子をにやにやと笑いながら眺めていた。
「にゃはぁ~。皆さん暑い中お疲れさまです。黒猫商会の特別出張販売ですよ。冷たくて甘い氷菓子が今なら一本、銀貨一枚で販売中!」
こんな所まで来て、いやこんな場所でこそというべきか、黒猫商会のチキータが棒に刺さった直方体の氷菓子を持って商売を始め出した。銀貨一枚、二〇〇〇ルピア相当となると、一日三食分の安い食事が賄える金額だ。
「足元見やがって、高すぎるだろ! 糞猫!」
「今まさに欲しいけど、高いねぇ……」
氷菓子一本の価格からすると、およそ相場の二〇倍といったところか。不相応な値段設定にグレミーが怒り、イリーナが購入を迷っていた。
「にゃはは~困りましたねー。私共としても売れ残ってしまうとまずいので、仕方ありません。これは責任を持って私が処理する他ありませんね」
言うだけ言って氷菓子を赤い猫舌でざりざりと舐め削るチキータ。まさに至福の表情で氷菓子を舐め回すチキータを見て、同行者の多くが生唾を飲み込んだ。食べたいけれど手を出したら負けな気がする、相場の二〇倍もする氷菓子。
「黒猫さん、こちらに人数分、氷菓子を頂けますか?」
皆が購入を躊躇うなか、赤札の巫女アメノイバラノヒメが仲間の分も含めて購入してしまう。
「はい、お買い上げ、ありがとうございますー!」
呪術結社赤札は金持ちなのか、それとも相場がわかってないのか、あるいは誘惑に弱いだけなのか。巫女達は氷菓子を無邪気に頬張り、冷たい口当たりを楽しんでいる。
「美味しいですねー」
「イバラノヒメ、お早く食べないと溶けてしまいます」
「あ! 大変、お召し物に垂れますよ」
大きく開いた胸元に溶けた氷菓子の雫が垂れ落ちて、汗と混じりながら谷間へと伝っていく。その冷たい感触に「ひぅん!」と背筋を仰け反らせるイバラノヒメ。周囲の男共の体温が少し上昇した。
「あの、僕も一本、買おうかな」
巫女達の様子を見て、アカデメイアの学士アルバが購入を決意。
「ふむ、身体の中から熱を奪い去るには好都合だな。おい、黒猫商会の、我々騎士団の分も用意しろ。一人、三本ずつだ!」
さらに金持ちで金銭感覚の鈍い騎士、ベルガルが騎士団全員分をまとめ買いする。
「ふふっ、僕らも一本貰おうか。ユリア、これで少しは涼しくなるよ」
「マルクス、私のことを気遣って……ありがとう。でも、貴方はいいの?」
「僕は君の冷えた唇が頂ければ満足さ……」
マルクスの衝撃的な発言に辺りの空気の温度が幾らか下がった気がした。メルヴィオーサなどは鳥肌を立てて青ざめている。
一方で頭までのぼせ上がったこの二人には、氷菓子一本では足りないのではなかろうか。
「クレス、私もあれ欲しい」
「涼しくはなるが、体力も奪われるからやめておけ。こういうときは敢えて、温かい飲み物にするんだ」
俺は召喚術で取り寄せたお茶の入った水筒をビーチェに押し付ける。ビーチェは酷く暗い顔をしていたが、やがて意を決したようにお茶を飲み始めた。
汗だくになってお茶を飲み干すビーチェの隣で、俺はおもむろによく冷えた氷水を呷る。ビーチェが裏切られたような表情で、表面に結露した俺の水筒を凝視している。
「な、何でクレスは……?」
「俺は色々と厚く着込んでいるからな。放熱が難しい代わりに冷却の術式や氷水を飲むことで、熱を取り除いているんだ」
しごく当然の理屈を聞いて、ビーチェはそれ以上の疑問を差し挟むことはなかった。
そうして数週間、熱泉地帯の間欠泉を避けながらの進行が続くのだった。
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