【ダンジョンレベル 17 : 地獄の参道】

第125話 針山地獄

 気味の悪い空気が漂う洞窟を抜けると、目の前には灰色の岩石地帯が広がった。

 鋭くそそり立った槍型の岩が大小無数に生え、さながら地獄の針山という風景である。

 突き出した岩と岩の間を乗り越えて進まねばならず、一旦、偽鶏竜ガリミムスから下りて歩くことになった。

「ここは慎重に進むしかない。足元に気をつけろ! 蔓草に足を取られて転んだら、串刺しになりかねないからな」

 多孔質の石灰岩が、大量の雨によって浸食されて形成した針岩の森ツィンギという特殊環境。

 岩と岩の間、底の方には多数の植物と小動物が生息している。


「ああん、なんだーここは? 岩だらけにしちゃぁ、妙に獣臭ぇぞ?」

「そうっすね。臭ぇっすね、兄貴」

 狼人のグレミーと鬣狗人はいえなびとのブチが鼻をひくつかせて顔を見合わせる。

 俺には獣の気配などわからなかったが、獣人にしか気づかない臭いがあるのかもしれない。

 グレミー獣爪兵団の面々は全員、この奇岩の山に潜む何者かの気配を敏感に察知しているのか、一様に緊張を高めていた。


 獣人達の反応に他の同行者も辺りを警戒するようになる。

 そんな中、双眼鏡を手にして周囲を窺っていたアカデメイアの学士が不意に手を挙げて、全体の進行を制止した。

「待ってください。なんでしょう、岩の陰に何か大きなものが身を潜めています」

 そう言って指差した、とりわけ大きな奇岩の陰にちらちらと動く人影のようなものが見える。

「どれ、双眼鏡を貸してごらん」

 学士から双眼鏡を受け取ったテルミト教授は、ずっと遠くに見える人影を注視すると、顎をさすりながら納得したように頷いた。


「あれは、化け狐猿メガラダピスだね」

「化け狐猿?」

 聞き慣れない生き物の名前に俺も興味が湧いてきた。

 双眼鏡は持ち合わせていないので左手の中指に嵌めた指輪、鷹目石ホークスアイの魔導回路を使って、遠視の術式を発動する。


(――見透かせ――)

 意識の集中と共に、仄かな青灰色の光を放つ鷹目石の指輪。

『鷹の千里眼!』

 術式発動と同時に俺の視界が急速に狭まり、遠く岩陰に隠れた化け狐猿の姿をはっきりと捉えた。


 こちらの気配には既に気づいているのか、岩陰から幾つも、人間の成人男性ほどの大きさをした毛むくじゃらの獣が顔を出している。

 灰茶色の長い毛と狐のように突き出した鼻先が特徴的な大型の猿であった。四肢はそれほど長くなく、猿にしては尾も極端に短い。

「大丈夫、刺激しなければ危険のない獣だよ。草食性だしね」

 テルミト教授の言う通り、彼らはこちらの様子を窺うばかりで積極的に襲い掛かる意思はなさそうだった。


「襲って来ないのならわざわざ構うこともない。無視して進むぞ」

「は~い了解、ボス。でも面白そうだから石投げてみていい?」

「狐……猿……どっち……」

「無視して進むぞ……。ジュエル、お前はビーチェを抱えて飛べ」

 化け狐猿に注意を向けて足元がおぼつかないビーチェをジュエルに抱えさせて、二人が余計な行動を取らないようにさせた。特にジュエルは両手が空いていると何を始めるかわからない。互いを枷としておくのが良策だろう。


 化け狐猿の縄張りを横切り、奇岩の針山を越えていく。化け狐猿は岩陰に隠れ、ちらちらとこちらの様子を窺っていた。特に、グレミー獣爪兵団を強く警戒しているのか、グレミーが睨みを利かせて唸ると化け狐猿達は一斉に後退していく。しかし、すぐに戻ってきては遠くから様子を窺っていた。

 グレミー獣爪兵団の多くは肉食獣の血を引いている。草食性の化け狐猿にとっては天敵の臭いだ。縄張りを放棄して逃げることはできず、近づきたくはないが入ってきた敵を無視することもできず、ただ警戒に甘んじているといったところか。

「うらぁあっ!! こっち見てんじゃねぇぞぉ!! 腰抜け猿がぁっ!!」

 グレミーはこの何をするでもない視線が気に食わないのか、大声を上げて威嚇しては化け狐猿を散らす。

 しかし、それでも彼らは一定の距離を保ちつつ、監視を怠ることはなかった。


 不気味な視線を全員が感じている。

 脅威ではないが、不快になる視線だ。

「ずっと見られていて気分が悪くなるなぁ……」

 猟師のエシュリーも山で獣と遭遇することは多いのか、化け狐猿の視線を敏感に感じ取っている。

「そうか? 大人しい草食獣らしいし、よく見ればなかなか愛嬌のある顔立ちをしている。あの円らな瞳など、私は可愛いと思うんだが」

 反面、騎士のセイリスは鈍いようで、彼らの敵意を好奇の視線とでも受け取っているようだ。

「可愛い、とは言えないと思いますけど……」

「遠いからわかりにくいけど、熊みたいにでかいね、あの獣。可愛いもんじゃないよ」

 案の定、常識人のミレイアや怪物相手に戦うことのある冒険者のイリーナからも否定されていた。


「くだらないな。獣風情に構うより一歩でも先へ進むべきだ」

 妖刀使いのファルナと彼女率いる剣闘士団はつまらなそうに化け狐猿を流し見て、先行する俺とジュエルの後についてきた。

 俺も全く同意見なので、他の連中にも見習ってほしい。ただでさえ長い旅路になりそうなのだ。ぐずぐずしていたら、いつまで経っても宝石の丘に辿り着けない。


「ちょっとー! 後がつかえているんだから早く進んでよー」

「す、すいません! ここの地形は歩きにくくて……」

 後続を見るとハミル魔導兵団が少し遅れていた。平地で機動力の高い魔導兵装といっても岩の障害が立ち並ぶ地形では動きにくいのか、レーニャを先頭とする兵団が鎧を岩肌に擦りながらゆっくりと進行していた。

 後ろでは身軽な装備をした拳闘術士エリザが、腕を後ろ頭に組んで退屈そうに欠伸している。その両隣に医療術士のアニックと武闘術士のオジロがいて、周囲を警戒しながら歩いてくる。


「後列と少し離れてしまったな。あまり長い列になるのはよくないんだが」

 後続の状況を眺めながら俺は不安を口にした。先行する者達も同じく、ある者は足手まといに苛立ち、ある者は素直にその身を案じていた。

「レーニャちゃんが心配だな。俺、ちょっと後衛みてくるわ。グレゴリー! 同行頼む、運んでくれ!」

「ダミアン、あなたまた女の子と見ると気にして……やれやれ仕方ありませんね……」

 精霊術士グレゴリーが指をパチリと鳴らすと、契約精霊である三陸三海トラキアの風精が呼び出される。渦巻く風と霞を纏う、涼やかな緑色の瞳をした少女姿の精霊。

 グレゴリーは旋風に身を包んでダミアンと共に浮遊すると、あっという間に後続の方へと飛んでいってしまった。


「便利なものだな、風妖精シルフという精霊は」

 俺が素直に感心していると、目の前に突然ビーチェの顔が現れる。ビーチェを抱えたジュエルが、俺の元へ近づいてきたのだ。

「ボクは!? ボクも役に立っているでしょ?」

闇の精霊シェイドだって、役に立つ……」

 それぞれ主張があるようだったが、俺は二人の声を聞き流しながら後続の様子に注視していた。

(……うまくやれよ、ダミアン。あまり時間をかけすぎると、良くないことが起こるかもしれない)

 先程から、化け狐猿達が後続集団に近づいているのも気になる。何の根拠もない直感だったが、こういうときの悪い予感というものはよく当たるものだ。



 ダミアンとグレゴリーがハミル魔導兵団の移動を手伝いに行ったことで、後続の渋滞は解消された。

 どうやら岩と岩の隙間に挟まってしまった者がいたようで、後続の遅れの原因となっていたのだ。ダミアンの水妖精ウンディーネが岩と鎧の接触面に水を浸入させて、滑りをよくすることでどうにか脱出することができた。

 あとはグレゴリーの風妖精がハミル魔導兵団を針山の難所から運び出し、自力で進むことのできる位置にまで持ってきた。


「あー、あれ楽そうでいいなー。風の精霊に運んでもらって、気持ち良さそう」

 旋風に包まれて運ばれていくハミル魔導兵団を見ながら、エリザが羨ましそうに呟いた。

「身軽なお前さんには必要なかろうて。普通に走ったほうが速い」

「それはそうだけどさー。面白そうじゃない、空中散歩!」

 気楽に話すエリザにオジロは溜め息を吐いた。何にでも好奇心旺盛なのは良いことだが、少しばかり気が抜けすぎている。今はいかなることが起きてもおかしくない、秘境への旅路の真っ最中だ。常に警戒をして進まなければ足元をすくわれてしまうかもしれない。

 エリザが楽しげに浮遊する魔導兵団の姿を眺めている最中にも、アニックが周囲の警戒をしてくれていた。こちらは若い割には落ち着いていて、医療術士としての腕も確かな頼もしい仲間だ。


「エリザさん、オジロさん、ちょっと静かに。周囲の状況がどうもおかしいんですが……」

 アニックが何か異常に気が付いたのか、声を潜めてエリザとオジロに話しかける。

「僕ら、囲まれていますよ。化け狐猿達に」

「え、嘘? 本当に?」

「ふむ。これは迂闊だったの。草食獣ということでそこまで警戒していなかったが、縄張りを荒らされたと思ってこちらを排除しに来たか」

 改めて周囲の気配を探れば、かなり近い岩陰にも化け狐猿が潜んでいる。


「気にすることないわよ。こういうのはね、堂々と振る舞っていれば、向こうが気圧されて勝手に下がるものなのよ」

 そう言って無駄に胸を張りながら、化け狐猿の包囲を破ろうとするエリザ。そこへ無数の黒い塊が飛んできて、エリザの頭や体にぶつかってくる。

「あたっ!? 何よこれ! 石!?」

 強行突破を図ろうとしたエリザめがけて、化け狐猿達が石を投げてきたのだ。今まで静かだった化け狐猿達がぎゃあぎゃあと騒ぎ立て、エリザ達に向かって次々に石を放り投げてくる。

 それほど速さはない、放物線を描いて飛んでくるような石礫だったが、拳大の大きさなので決して無視できるものでもない。


「このーっ! あんた達、私と一戦やろうっての!!」

 エリザは意識を両の拳に集中し、拳に刻まれた魔導回路へと術式発動のための魔導因子を流し込んでいく。

 体に石礫が当たるのも無視して精神統一するエリザの拳から、圧倒的な魔力の高まりが生じる。

「よさんかエリザ! これ以上、奴らを刺激するでない!」

「っ……! オジロ! どうして止めるの!」

 オジロがエリザを制止した直後、エリザの顔面に黒い塊がぶち当たった。それは泥玉のように形を崩して潰れ、エリザの顔を黒く汚した。石ではない、泥のような何か。鼻の穴にまで飛び散ったそれが放つ強烈な臭気に、エリザはそれの正体を知った。

「こぉの……糞野郎ー!!」

 化け狐猿は糞便を投げつけてきたのだ。


 耐え難い屈辱に怒り狂ったエリザは、前後に両腕と両足を伸ばして屈みこむと、並び立つ岩山の先端付近まで即座に跳び上がり、術式発動の一声を吼えた。

土拳どけん岩嵐いわあらし!!』

 岩山の先端を掌で打ち抜き、術式の土石に対する反発力で砕いた岩の礫を、岩陰から半身を覗かせていた一匹の化け狐猿に向けて弾き飛ばす。

 真っ黒な糞を握り締めた化け狐猿の一匹が、飛散する岩の破片を身に受けて絶命した。

 真っ赤な血を撒き散らしながら、針山の底に落ちていく化け狐猿。

「どんなもんよ!」

 エリザは得意満面の笑みを浮かべて、背の高い岩山の先端に降り立つ。だが、その得意げな笑みはすぐに凍りついた。


 一匹の化け狐猿が死んだ。と同時に、場の空気が一変したのだ。

 それまで混乱のままに騒ぎ立てるだけだった化け狐猿たちが沈黙し、一斉にエリザへ視線を集中すると静かに殺気を漲らせたのだ。

 あまりにも純粋な獣の敵意、殺気の篭った無数の視線にさらされて、エリザは身を竦めた。

 そこへ、直線的に飛ぶだけの勢いを持って、四方八方から拳大の石が投げつけられる。

 エリザが身を竦めた一瞬に、正確な投擲で何十発という石礫が彼女の体を打ち据えていた。


 体の平衡を失い、エリザは岩山から落ちていく。落ちた場所にはまた岩山があり、鋭く尖った先端がエリザの腹部を背中側から貫いた。

 串刺しになり、びくんびくん、とエリザの体が痙攣している。白い胴着が、腹から溢れる血の色で真っ赤に染まっていった。

「エリザさん!!」

 アニックが悲痛な叫びを上げて、エリザの元に駆けつける。まだ辛うじて息はある。出血を止めて、治癒の術式を施せばまだ間に合うかもしれない。

 時間との勝負だと考えたアニック。医療術士としての判断は正しかった。しかし、その場における行動としては大きな過ちであった。

 岩山をよじ登りエリザへ近づこうとしたアニックは、不意に貫頭衣の裾に抵抗を感じて振り向く。岩にひっかけでもしたかとアニックが確認すると、そこには貫頭衣の裾を握りしめる化け狐猿の姿があった。


「あわっ……」

 アニックは化け狐猿に服を引っ張られ、岩山から放り投げられる。

 投げられた先には岩山の先端があって――。

「ごふぅっ……!」

 槍のように尖った岩で胸を貫かれ、アニックは即死した。その隣の岩山ではエリザがまだ痙攣を繰り返していたが、それもすぐに止まってしまった。

 オジロは、あまりに突然の事態に動くこともできず、ただ呆然とその様子を見ていた。


「うるぅあああぁっ!! 猿どもが、散れやあっ!! ぶっ殺すぞぉっ!!」

 遠くからグレミーが殺意を込めて吠えると、この段階に至ってようやく化け狐猿達も冷静になり、今度こそ監視もやめて一目散に逃げ出していった。

 後に残されたのは一匹の化け狐猿の死体と、二つの人間の死体だけ。


 岩山に突き刺さった二人を、後列に近い位置にいたダミアンとグレゴリーが地面まで運んでくる。

 医療術士のミレイアが一応、二人の治療ができないか診察したが、もはや手の施しようがない状態であった。

「傷が大きすぎて、私の力ではとても回復はできませんね……」

 その様子をオジロは、絶望で動けないままに見ていた。武闘術を教えていた手のかかる弟子のようなエリザ、将来の活躍に期待していた好青年のアニック。親しい仲間が二人一度に亡くなってしまったのだ。絶望の大きさは計り知れない。


「けっ、こんなとこでいきなり死にやがって。雑魚が」

「甘ったれには似合いの最期だ」

 グレミーが吐き捨てるように呟くと、傍にいたファルナも容赦のない意見を口にする。

 黒い看護帽を被った修道女の四姉妹が二人の遺体を囲むようにして立ち、黙祷を捧げた。

「こんな場所では埋葬もできませんが、せめて死者の安寧を祈りましょう」

 どこか場違いにも思える光景だったが、修道女がいると意外と便利かもしれない、などと俺は考えていた。これから先も死者が出れば、皆がその死を重く引きずって進まねばならない。しかし、こうして弔いをすることで、死者に対する一つの区切りができる。


 絶望するオジロを気遣ったのか、騎士ナブラ・グゥが声をかけた。

「爺さん、あんたはどうするんだ?」

 しばらく反応のなかったオジロだが、やがて小さく口を開くと、漏れ出るような擦れた声で問いかけに答えた。

「先へ行ってくれ……」

 その場に留まっても仕方ないと思うのだが、オジロはこれ以上、先へ進む気はないようだった。


「そうかよ、んじゃ行くぜ!」

 グレミーが鼻息荒く宣言し、踵を返してあっさりと先に進む。

「行きましょう、兄さま」

 最後までオジロの様子を心配していたナブラ・グゥであったが、妹のナブラ・ルゥが腕を引くとそれ以上は何も言わずに立ち去った。

 冷たく見捨てていく同行者達。非情かも知れないが、こうしたことが起こる事もあると覚悟しての旅路だ。


(最初の犠牲者、思っていたよりも早かったな……まあ、これで他の連中も気合いを入れ直すだろう)

 この旅路、危険は常に隣り合わせ。ついて来られない者は置いていく。

 早い段階で最初の犠牲者が出たことで、むしろ良い引き締めになったと考えるべきか。

(貴重な医療術士を一人失ったのは痛手だが……別にいいか。あの程度で死ぬような奴なら、先へ進んでも足手まといにしかならなかっただろうしな)

 俺は二つの遺骸と一人の老人を針山に残し、後ろを振り返ることなく宝石の丘への旅路を再開した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る