第124話 異界法則
はるか彼方に望んでいた茶色い地平線も、幾日か着実に歩みを進めた結果、突き当たりへと到達していた。
「行き止まりか?」
「あ、ボス、ボス。こっちだよ、こっちー」
ジュエルが行き止まりの崖を腕から生やした鋼鉄の錐で突き崩すと、崖の岩が大きく崩れ落ちて洞穴がぽっかりと口を開けた。
同行者達が僅かに驚きの気配を漏らす。
驚きは現れた洞穴の口に対してか、それとも自分達を導く精霊、
どちらにせよ、それを敢えて口に出して言う素人はこの場にいなかった。この程度のことで一々驚いているようでは、この先の未知の世界を探索していくことなどできはしない。
「ジュエル、道、わかっているの?」
「大丈夫、大丈夫! 所々、崩れたりしているみたいだけど、掘り進めて行けば問題なーし!」
「確かにな。下手に迂回路を探すより、確実な道を切り拓いていく方が安心できる」
ぽっかりと口を開けた洞穴はこれまでの巨大空洞と同様、天井に小さな穴が無数に開いていてそこから太陽の光が差し込んでいる。
だが、洞穴の中は常に薄暗く、冷え冷えとした空気と薄白い霧が漂っていた。
いつしか縦列で進む同行者達は先頭と最後尾で距離が離れてしまい、全員の姿が確認できない状況になっていた。
「嫌な空気だな……」
「?」
不安感を煽るのは視覚的な原因ばかりでなく、肌に触れる違和感にもあった。
先ほどから低級の幻想種が洞穴内を漂っていて、寒々しい空気が肺を通り抜ける。加えて、すぐ傍の岩壁が茫洋とした深淵に思えてくるような不気味な感覚。
「妙な魔力が場を支配している。こういう場所では、常識の通用しない事象が発生するんだ……。異界に足を踏み入れたつもりで慎重に進む必要があるな」
「妙な、魔力って、なに? 何が妙なの?」
「魔力というものについて、ビーチェには詳しく説明したことがなかったか」
実践的な術式を身に付けさせることを優先していたので、ビーチェには肝心の基礎がいまいち知識不足だ。術士としての成長を長い目で見るなら、基本的なこともしっかり教えておくべきかもしれない。
「魔力というのは異界の法則そのものであって、しかし決して単一の事象を示すものではない。世の学士達も把握しきれないほど多種多様な魔力が異界には存在している」
偽鶏竜に乗って揺られながら、隣を並走するビーチェに特別講義をしてやる。
「最も一般的で広く使われている種類の魔力は、召喚術を行使する際に生じる魔力だ。学士連中はこの魔力の発現を『情報と存在の乖離現象』と称して、異界法則の中では最もこちらの世界・現世と親和性が高い現象だと分析している」
何故かハミル魔導兵団とアカデメイアの学士達まで周囲に集まり、講義に耳を傾けていた。学士は講義を聞くものと躾けられているのかもしれない。
うんうんと納得する学士達に囲まれながら、ビーチェは眉根を寄せてうんうんと唸っていた。
「すまん、すまん。つい難しい説明になってしまうな。まあ、なんだその『情報と存在の乖離現象』と言うやつはだな、言い換えれば物体をエネルギーと情報に分解する魔力のことだ」
わかりやすく言い換えたつもりだったが、ビーチェにはそれでも理解が及ばないらしく、眉根の皺は深まるばかりだ。もう少し具体的な内容を話せばわかるだろうか。現段階でのビーチェの理解度を確認するより、とりあえず講義を進めてみることにした。
「そもそも異界は空間も物質も存在せず、エネルギーと情報に満たされた世界だと考えられている」
「え、エネルギー、と情報? それだけ?」
ビーチェの首が、直角ではないかと心配になるほど折れ曲がる。
「想像できないか? まあ、あまり深く考えるな。ここで悩むと話が先に進まない」
やはりビーチェの理解は追いついていないようだったが、他の学士達の反応を見るに俺の説明がわかりにくいわけでもない様子だ。むしろ、基礎理論の復習にでもなったのか、しきりに頷きながら俺の話に耳を傾けている。
「召喚術ではまず異界の魔力で物体を分解して、その存在を一時的に異界へと沈める。その後、現世のどこか別の場所で異界からエネルギーと情報を汲み上げ、物体を元の形で再構成する。異界には空間が存在しないから距離と言う概念もない。ただ、座標という位置情報があるだけだ。それ故に異界を経由した物体は再構成する際に、距離を無視した移動が可能となる」
「異界に沈めても、戻ってくるの?」
「戻ってくる。意図的な魔力による干渉で、現世の物体を無理に異界へと詰め込んでいるんだ。魔力干渉を止めれば物体は即座に現世へ戻り、自然と元の形に戻ろうとする。それが本来あるべき姿で、安定した状態だからだ。現世へ戻る時に位置情報だけを改変してやれば、一瞬で遠く別の場所へと召喚できる。これが召喚術の仕組みだ」
「分解して、異界に沈めて、元に戻す。場所だけを変えて……それが召喚術?」
自分なりに解釈をしたのか、ビーチェが簡潔にまとめた答えを返す。賢い子だ。本質をよく捉えている。
「召喚術には、物体を手元へ完全に召喚するものと、一時的に借り受けて後で元の場所へ戻すものの二種類あるが、詰まる所は完全召喚するだけの魔力制御ができないと不完全な召喚になるってだけだ。手元に置いておくのが邪魔で、敢えて不完全召喚で物体を借り受ける場合もあるけどな」
「不完全でもいいの?」
「特に大きくて複雑な物体の完全召喚には、魔力の呼び水である魔導因子を大量消費する。この時、魔導因子が不足すると召喚は不完全な状態となり、その物体が元からあった場所と召喚先とで、存在確率が五分五分に分かれる。完全召喚に比べて、あらゆる物質的な性質が半減するが、それでも一時的とは言え召喚した物は確かにそこに存在する。魔導因子の消費量は少ないし、使いこなせば完全召喚より便利だから、上級の術士は好んで不完全召喚を利用することが多いな」
ここまで応用面の話をすると、復習程度に俺の講義を聞いていたハミル魔導兵団やアカデメイアの学士達は、自分達の術式運用に思い至るところがあったのか、急に手帳を取り出して何か書き込んだり、仲間同士で相談を始めたりしていた。
ところが肝心のビーチェは脳の容量を超えてしまったのか、頭を抱えてすっかり縮こまっていた。偽鶏竜に揺られながら難しい顔で唸り続けるビーチェを見て俺は苦笑する。
「話が広がり過ぎた。ま、何にせよ、召喚術に限らずあらゆる術式において得体の知れない魔力が働いているってことさ。魔力の働きがあるところ、必ず現世に歪みありってな」
「……歪み?」
歪み、という言葉が気になったのか、そこだけは反応するビーチェ。
「ああ、現世と異界が入り混じった特殊な領域が生じるんだ」
「う~、それってつまり……どういうこと?」
またしても難しい表現になってしまった。異界現出と言ってもビーチェには通じないだろう。俺はわかりやすく適確な言葉を探して、しばし黙考する。
やがて俺は、その状況を表すに相応しい言葉を考えついた。
「つまりここから先は、地獄かもしれないってことだ」
ビーチェの金色の瞳に、微かな恐怖の影が差した。
こんな地の底、大地の果てへと来て。この先、地獄とは。
洒落になっていないな、と地獄の風景を思い描きながら俺自身が身震いしてしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます