第121話 集結の地(4)
自分の身に鋭い視線を感じたような気がして、俺は背後を振り返った。
そちらには真っ黒な修道服と看護帽を身につけた四人の修道女が立っていた。
彼女らは俺と視線が合うと軽く頭を下げて会釈してきた。四人は仲良さそうに寄り添って、柔らかな笑顔を向けてくる。
(気のせいか……。悪意を含んだ視線を向けられていたように感じたが……)
俺自身は信仰心の欠片もなく神を信じるなど愚かな行為と考えているが、それで宗教関係者を馬鹿にしたことはなく、恨みや非難を受ける覚えは一切ない。ましてやこんな地の底で初めて会った人間に、いきなり理由もなく敵意を向けられることは考えにくい。
「チキータ、あの四人の修道女はどういう素性の奴らだ?」
「はい? ああ、聖霊教会の方々ですか。実は私、洞窟の道中で助けて頂きまして、少しお話したのですけど何でも聖地巡礼の旅をしているのだとか」
猫人チキータは商売道具を整理する手を止めて、髭を撫でつつ質問に答えた。
「聖地巡礼? こんな地の底へか? それとも宝石の丘のことを聖地と――」
「あ、それはですね。あくまでも宝石の丘へ向かう道すがら、失われし聖地の痕跡がないか探索するのが目的とか。宝石の丘自体には興味はないそうですよ」
チキータの情報に耳を傾け、とりあえず四人の修道女が俺の不利益になるような考えは持ってないことを理解した。
聖霊教会は世界的に見ても大きな組織だ。それが宝石の丘を自分達の聖地と称して独占するつもりがあるなら、速やかに排除しなければならない。
だが、とりあえずその心配は杞憂のようだった。
彼女らが、どの程度どんな形で役に立つのかは知れないが、俺はそれきり四人の修道女から興味を失った。
◇◆◇◆◇
集合期日も迫ってきて、招待した人間がいまだに集合地点へ到着しないことに俺は一抹の不安を覚えていた。
(……忙しい人だ。立場もある。もしかしたら来られないのかもしれないな……)
しかし、俺が半ば諦めかけた頃合に、待っていた招待者が集団を伴って拠点へと現れた。
埃で煤けた白衣を羽織って、落ち着いた足取りで悠々と登場する。
「やあ、クレストフ君!」
「テルミト教授! こんな所までよく来てくださいました!」
「やー、太古の遺跡も調査できたし、その上さらに、伝説にしか聞いたことのない宝石の丘へ向かえるなんて! こんな機会を逃すわけにはいかないからね! 本当、よくぞ呼んでくれたよ!」
テルミト教授は興奮冷めやらぬといった様子で、俺の両手を握ってぶんぶんと上下に振ってくる。ここへ来るまでに随分と楽しい寄り道をしてきたようだ。
一方で、後から続いてきたアカデメイアの学士達は少し疲れたような様子だった。おそらく、テルミト教授の発掘に付き合わされて体力を使ってしまったのだろう。教授に遅れてのろのろと拠点前まで歩いてきた。
「教授、見たところ学士達も疲れているようですね。拠点に休憩できる部屋を用意してあるので使ってください」
「ああ、それはどうも気遣い感謝するよ。宝石の丘へ向かう前に疲れ切っていてはまずいからね」
休む場所があると聞いて学士達の表情は見るからに緩んだ。
「では、教授。僕達は先に休ませて頂きますね」
「宝石の丘へ行く前準備もしないといけませんので」
「うん、ここまでご苦労様、アルバ君、ビルド君。ゆっくり休んでおくのだよ」
テルミト教授の労いの言葉を受けながら、学士達は拠点の中へと入っていった。
そして、彼らに続くようにして白い胴着と赤い袴姿の女性達が拠点前に歩いてきた。
「失礼します、私達もこちらで休ませて頂けますか?」
声をかけてきた女性を見て、俺は思わず胸元に視線が惹き付けられた。豊満な胸が白い胴着を押し上げて、大きな谷間を作り出している。メルヴィオーサと比べても大きな胸は、今にも胴着から零れ落ちそうでつい手を出してしまいそうな誘惑に駆られる。
すぐに視線を外したが、これではダミアンを笑うことができない。
「ああ、ええと。テルミト教授、こちらもアカデメイアの学士ですか?」
「いや、彼女らは違うよ。偶々、道の途中で一緒になってね。何でも呪術結社赤札の巫女様達らしいよ」
学士にしては変わった格好だと思ったが、やはりアカデメイアとは別口であったようだ。それも、俺が名前を知っている組織の一員だった。
「呪術結社赤札……か。また有名所が来たな。それで、巫女、というのか?」
「はい、赤札の巫女、アメノイバラノヒメと申します。以後、お見知りおきを」
俺の問いにイバラノヒメが丁寧な挨拶を返してくる。礼をした際に胸元が更に開いてその奥が見えそうになる。まったく、目の毒である。
「知っているかもしれないが、一応こちらも名乗っておこう。俺は錬金術士クレストフ、宝石の丘探索を目標に掲げて同行者を集めている。あんた達も同行するということでいいんだな?」
「はい。その為にこちらまで来たのですから」
一切の気負いなく、大きな胸を張って言い切る姿には、美しい潔さを感じさせる。
「よし、それなら拠点の部屋を好きに使ってくれ。出発までまだ時間がある。ゆっくりと英気を養ってくれ」
俺が許可を出すと、イバラノヒメは大きく息を吐いてから笑みをこぼした。ここへ来るまでに気を張っていたのだろうか。休息できると聞くと途端に肩の力が抜けたようだった。
「それでは、お言葉に甘えさせて頂きます。皆さんも、ひとまずここまでお疲れ様でした。ここで休憩させてもらいましょう」
「そういたしましょう、イバラノヒメ。私、疲れてしまいましたぁ」
「イバラノヒメもさぞお疲れでしょう。部屋で御肩をお揉み致しましょう」
呪術結社赤札の面々はイバラノヒメを中心に囲みながら、拠点へと歩いていった。
途中、イバラノヒメが一度こちらを振り返り、テルミト教授へ声をかける。
「あの……テルミト教授。休養を取ってから、もしお時間がありましたら今回の発掘成果について、またお話を聞かせて頂くことはできるでしょうか?」
「構わないよ。アルバ君達にも伝えておこう。君らに説明ができるとなれば、彼らも喜んで発掘品の帳簿整理をやるだろうからね」
テルミト教授の冗談を受け、赤札の巫女達はくすくすと笑いながら拠点の奥へと入っていった。
「ここまで来る途中で出土した発掘品、帳簿を整理しなければならないほどの量になりましたか?」
「うん、大収穫だったよ。安心してくれたまえ、クレストフ君。発掘品は約束通り一覧表にして管理する。後で君にも転写した表を送るよ」
「まあ、そちらは急ぎませんので。とりあえずは学士共々ゆっくり休んでください」
「気遣いありがとう。では、私も休ませてもらうよ」
テルミト教授も巫女達の後に続き、白衣を翻して拠点の中へと消えていく。
ああは言っていても休まず仕事をしてしまうのだろうな、と教授の後ろ姿を見ながら俺は苦笑していた。
少し間を空けて到着したのは、男女二組の騎士と術士だった。
一組は兄妹であろうか。浅黒い肌に漆黒の髪、彫りが深く目鼻立ちがしっかりした顔が共通している。
「兄さま、お疲れではありませんか?」
「いや、平気だよ。ルゥこそ疲れているんじゃないか。腕にしがみついて歩くくらいなら、おぶってあげようか?」
「そ、それはそれで魅力的な提案ですが……いえ。子供ではありませんから、ルゥは自分の足で歩きます。でも、このまま肩をお貸ししてもらえると嬉しいです」
「ルゥは子供じゃないけど、甘えん坊だね」
「兄さまが隣にいるから、つい甘えてしまうのです」
「じゃあ、そろそろ兄離れする?」
「嫌です!」
傍から見ていてちょっと危険な関係に見える兄妹だ。しかし、俺はそんな各個の事情にまで深く関わるつもりはない。
要は同行者として役に立ちそうか否かだ。
会話に割って入りづらい雰囲気だったが、俺は意を決して、一つ咳払いをしながら二人に声をかけた。
「わざわざ地の底までよく来た。俺は錬金術士クレストフ。宝石の丘へ向かう意思があるなら、歓迎しよう」
俺の呼びかけに、妹の方はやや気分を害されたような顔をして口を噤んでいる。
対して兄の方は何の気負いもなく、俺の呼びかけに応えた。
「騎士ナブラ・グゥと三級術士ナブラ・ルゥ、宝石の丘への旅路に加わるため参りました。よろしく」
騎士と術士の兄妹。妹ルゥは、専門こそわからないが三級術士ともなれば、そこそこに役立つ力量の持ち主と見ていいだろう。
兄グゥは、はっきり騎士と名乗るからには正式に騎士協会へ登録した騎士なのだろう。こんな地の底では確認のしようもないが、裏づけを取る意味はないように思われた。
(……このナブラ・グゥという男、かなりできるな。二流の腕前はありそうだ……)
普通、騎士は自分で一流とか二流とか、具体的に名乗ることはない。
それでも見る者が見れば、三流の駆け出し騎士と二流の熟練した騎士の違いはわかるものだし、一流ともなれば名前が売れているので敢えて格付けをする必要もない。
多くの騎士を観察してきた俺から見れば、自身の闘気を身の内に無駄なく収めたグゥは、間違いなく二流以上の騎士と見られた。年齢が若く、名前も聞いたことがないので一流とは言えないが、実力は申し分ないように思える。
「宝石の丘へ辿り着くことができれば、莫大な富と名声が手に入る。ま、頑張ってくれ」
名声、という言葉にグゥの表情が僅かに変化した。彼はきっと、財を得るよりも栄誉を求めているのだろう。それは俺にとっても好都合なことだった。
いくら分配しきれないほどの宝石の山が手に入るとしても、ある程度は取り分についての約束事をしておかなければならない。そうしたとき、必要以上の富を求めないグゥのような人物は、実に扱いやすい。
一生、食うに困らない程度の報酬を最初から与えておいてやれば、後は名誉を掲げるだけでこの手の人間は満足するのだ。
(……本当に、扱いやすい性格の人間で助かるよ……)
もっとも、妹の方は何を考えているのか、俺には読みきれない部分が残った。だがそれも妹の態度を見る限り、兄の名誉を浅ましい金銭欲で汚すような真似はしそうにない。
本当に、都合のいい同行者だった。
もう一組、遅れて到着した騎士と術士は、明らかに恋人とわかる雰囲気の男女だ。
先程の二人よりも、更に声をかけにくい雰囲気を醸し出している。
「マルクス、私少し疲れてしまったみたい……どこかで休みたいわ。このまま宝石の丘へ出発するのは嫌よ」
「ああ、ユリア、可憐な君には酷な道程だったものね。でも、大丈夫だよほら。僕らの憩いの場はもうすぐそこだ」
優男風の騎士マルクスが拠点を指差して術士ユリアを宥めている。遠くからでも、休憩できる拠点があることを察知できるようだ。音の反響で空間の大きさを知り、人の気配、食糧の匂いで休憩所があることを察した、そんなところだろうか。
見た目はきざったらしい男だが、騎士としての実力は本物のようだ。腰に提げている剣も霊剣か妖剣の類だろう。並々ならぬ力強い波動を発している。
「ゆっくりと横になれる場所がきっとあるからね。そうしたら、僕がユリアの疲れを癒してあげるよ。全身を優しく揉み解してあげるからね」
ユリアの頬に軽く口付けしながら甘い言葉を囁くマルクス。ユリアは顔を赤くして俯き、無言になってしまった。しかし、その表情は口元が緩んでおり色々と期待しているのが見え透いていた。
連れ込み宿ではないのだから、正直言って来てくれるなと思ったが、宝石の丘への同行者であるというなら無碍にすることもできない。
「最下層の拠点へようこそ。疲れているなら、宝石の丘へ出発する前に休んでいくといい」
つい投げやりで荒っぽい口調になってしまったが、マルクスとユリアは気にした風もなく、いちゃいちゃと体を寄せ合いながら拠点の奥へと入っていった。
これから危険な地へ赴くというのに、和気藹々と賑やかな連中を続けざまに見て俺は思わず舌打ちをしていた。ここに集まった目的が何なのか、本当に理解しているのだろうか。
「まったく、どいつもこいつも……」
独り言を口にしていると、外套が背後からぐい、と引っ張られる。
「大丈夫。クレスには、私がいる」
「あー! ずるいー! ボクもいる! ボクもいるよ、ボス!!」
緊張感の欠片もない楽しげな様子で、ビーチェとジュエルが俺の外套をぐいぐいと引っ張っていた。
「お前らもな……」
◇◆◇◆◇
旅の同行者達が大方集まり、集合期日も迫って、もう他に参加者はいないかと思われた出発日前日。
一人の男が、拠点前へと姿を現した。
男は拠点の中には入らず、入り口から少し離れた場所で佇んでいた。
「ビーチェ、それにジュエル。お前達は拠点の中にいろ。俺は外で来訪者と話がある」
ビーチェとジュエルに有無を言わせず留守番を言いつけ、俺は一人で拠点前にやってきた来訪者に会いに行った。
来訪者の姿を視界に捉えた。
近づくにつれ、その男の放つ別格の存在感に緊張が高まる。
明らかに、常人ではない。格好は普通の剣術士のように見えるが、纏う気配は一流騎士に匹敵する威圧感だ。
動きやすさを重視した軽装の鎧を身に着け、立派な拵えの剣を背負っている。
腕や肩、首元など、肌の見える部分には、鮮やかな青と緑で彫り込まれた刻印が浮き上がっている。
俺が声をかけようとした瞬間、先を制するように男が口を開いた。
「魔導技術連盟、準一級術士のクレストフ殿とお見受けする。連盟でも信用のある貴方に、伝えておきたいことがある」
隙のない口調。一目見て俺が誰かを言い当てる洞察力。只者ではないな、という俺の勘を肯定するように男は驚きの素性を明かす。
「私は『剣神教会』の
驚きは二つ。
まず剣神教会という組織の名だ。
刀剣という概念を具現化したとされる『剣神』を頂点として、ただ剣の力のみを持って世の平穏を保とうと活動する組織、それが剣神教会である。
主な活動内容は、人間社会にとって害悪となる危険な特性を持った妖剣・魔剣の回収と、その任務中において遭遇した社会悪の討伐。それらの任務をこなすのが、世界に百本程度の数しかない『聖剣』を操る、特殊な刻印『聖痕』を身に刻んだ剣士、『剣聖』である。
剣神教会の一剣とは即ち、一流騎士と同格かそれ以上と評される『剣聖』の称号を持つということに他ならない。まさに、目の前の男がそれなのだ。
そして驚きはもう一つ。
「魔剣の担い手が、この洞窟に入り込んでいるだと?」
剣聖アズーは重々しく頷いた。
「魔剣は担い手の精神を蝕み、支配し、剣の奴隷として狂わせる。『剣奴』と化した魔剣の担い手は、その魔剣の特性に従った行動を強いられる。過程は様々だが、多くの結末は大量の殺人行為へと行き着いてしまう。私はそれを止めに来た」
宝石の丘への出発を前に、厄介な案件が出てきたものである。
「それで、その魔剣と、担い手の剣奴には目星がついているのか?」
アズーはきっぱりと首を横に振った。
「魔剣は必ずしも、わかりやすい形をしているとは限らない。本性を隠し、擬態する。操られている担い手も普段は一般人と区別がつかないのだ。ただ、より強力な担い手を求める性質が魔剣にはある。だとすれば、ここに集まった強者達に惹かれて来ているかもしれない」
俺は内心で舌打ちをしたい気分になった。
万全の体制を整えて宝石の丘へ出発しようという矢先、実につまらない不安要素を抱えてしまったものだ。
「魔剣を炙りだす方法はないのか?」
「自発的に正体を現すのを待つほかない」
つまり、拠点に集まっている者を調べたところで、魔剣に正体を明かす気がなければわからないということだ。
答えのない問題に俺は頭を抱えた。
「どうしろというんだ……今更、宝石の丘への出発はやめられないぞ」
アズーは俺の苦悩をよそに話を進める。
「貴方の宝石の丘への旅路、私も同行させてほしい。魔剣が紛れ込んでいれば道中で必ず正体を現すはず。後は、剣神教会が責任を持って対処する」
過信ではなく、ただ当たり前の仕事としてアズーは片付ける様子だ。このような任務は過去に何度もあったのだろう。
「……わかった、いいだろう。剣聖アズー、あんたの旅への同行を認める。魔剣の処分は剣神教会に一任しよう」
「約束しよう。魔剣が正体を現したときには、私が必ず捕獲する」
アズーの聖痕が淡く光り輝き、全身から薄っすらと
背負った聖剣に闘気の帯が絡め取られ、力強い波動が溢れ出していた。
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