第117話 悪食の獣
※関連ストーリー 『金剛石の輝き』『ある調査班の冒険』参照
――――――――――
煮えたぎる溶岩が赤々と洞窟の天井を照らし、立ち上る陽炎が視界を揺らす。
熱放射と高温の蒸気が空間を支配する地底洞窟は、さながら地獄の様相を見せていた。
普通の生物は生存を許されない極めて過酷な環境を、男の騎士一人と女の術士五人が身を寄せ合いながら進んでいた。
「ちょっと、あなたヴィクトル様から離れなさいよ」
「無理よ、熱払いの術式は効果範囲が狭いんだから。ヴィクトル様に余計な負担をかける気?」
「それを口実にしてヴィクトル様を独り占めするつもりなんでしょ。そうはいかないわよ」
「レジーヌ、あんたは自分で冷却系の術式使いなさいよ。暑さをやわらげるくらいの初歩なら学んでいるでしょ」
正確には、四人の女術士が騎士ヴィクトルの涼を取る役目を奪い合っていたのだ。
そして、この六人での洞窟探査任務が始まってから、毎度のことのように一人だけ蚊帳の外へと追い出されるレジーヌ。これでも調査班の班長なのだが、最年少であることから何かにつけて先輩術士達に嫌味を言われている。
「レジーヌ、探索術士の君が俺の傍を離れては困る。常に危険な敵が存在しないか、教えてくれないと」
そう言ってヴィクトルはその場の空気を読むこともせず、班から距離を置こうとしていたレジーヌを引っ張り寄せた。
他四人の嫉妬の炎が燃え上がり、ただでさえ熱い周辺の空気がまた温度を上昇させたように感じる。
(……迷惑だって言うのに、ヴィクトルは真面目というか強引というか……)
二流騎士ヴィクトルは色々な点で頼もしい存在ではあるが、こうして明らかに班内の不和の要素になってしまっているのは、班長であるレジーヌにとっては頭の痛い問題だった。
(こういうときミレイアなら、うまくまとめるんだろうけど……)
今は別行動している、親しかった三級術士の友人を思い浮かべながら、レジーヌは不安な心をどうにかごまかしていた。
「それにしても、報告にあった古代儀式呪法の魔導回路はどこにも見つからないな。だいぶ深くまで潜ってしまったが、どこかで道を間違えたんじゃないか?」
「う……それは、否定できないかも。あちこちに横道が分岐していたし、真新しい隧道もあったから。誰の仕業か知らないけど、この洞窟は常に拡張され続けているみたい」
「それが錬金術士クレストフの指示だとしたら、危険な古代の魔導回路を隠匿している可能性もあるということか」
「どうだろう……。本気で隠匿するつもりなら、幻惑の呪詛とかを使うんじゃないかな。でも、この洞窟はただ複雑に掘られているだけ」
「ならば一旦、引き返すか? これ以上、深く進むのも危険だ。想定されていた場所に目的のものが見当たらなかった、これだけでも報告しておこう。必要があれば次はもっと探索者の数が増えるだろう」
騎士のヴィクトルでも、溶岩地帯の暑さは堪えるのかも知れない。
額の汗を拭ったレジーヌは、他の女術士達も暑さで気が立っていることを見て取り、引き返すことを決めた。
「それじゃあ一度、戻ろう。来た道はわかっているから、わたしが先導を……」
言いかけた台詞を途中で飲み込み、レジーヌは自身の展開する探索術式に引っかかった何者かの気配に注意を向ける。
(……なに? 大きい気配……でも、それだけじゃない。なんだか、気持ちの悪くなるほど濃密な……)
突然、黙りこくったレジーヌに他の隊員の視線が集中する。
いい加減、暑さで気が立っていた女術士の一人がレジーヌにくってかかろうとするが、それをヴィクトルは無言で制した。
脂汗を垂らしながら、レジーヌは洞窟のある方向を指差して声を絞り出した。
「何か……! とてつもなく濃い気配が近づいて来る!! 皆、警戒して――」
キヒィイイィイイイー――ッ!!
レジーヌの注意する声を掻き消して、身の毛もよだつような金切り声が洞窟内に響き渡る。
「ちょっと……なによ今の声?」
「気味が悪いわ。レジーヌ、いったい何が近づいてきているの!」
「わからない! だけど、大きな魔力の気配があって……」
「本当に役立たずね! 肝心なときに!」
「落ち着けレジーヌ! わかっていることだけでいい! 確かな情報を伝えるんだ!」
「ヴィクトル様!? こんな子の言う事など聞く必要ありません。それより迎撃体勢を整えましょう」
六人の間で意見が錯綜し、次の行動を決められないまま混乱に陥ってしまう。
その間に、脅威は目前まで迫ってきていた。
キィイイイヒィイイィイイイ――ッ!!
ごく間近で聞こえた声に、一同が身を竦ませる。
声の聞こえた方向へ視線を向けると、洞窟の曲がり角から見目醜悪な怪物が長い首を覗かせていた。
頭部に眼球はなく、大きく尖った耳が四つ花弁のように顔面を囲み、その顔の大半を丸い口が占めていて、ぞろりと太く鋭い牙が円を描いて生え出している。
「な……なによ、あれ……」
あまりの醜さに、誰かが信じられないといった様子で呟いた。
どう見てもただの合成獣とは思えない禍々しさを放つ怪物は、レジーヌ達の前へとついにその全貌を現した。
丸い肉団子のごとき胴体に蜘蛛のような脚が生え、体表面は硬質な鱗状の外骨格で覆われ黒光りしている。
その姿はただ醜悪の一言につきる。
レジーヌにしても、こんな醜い生き物がこの世に存在するなど信じたくなかった。
ヒィギイイィイイイッ!!
怪物はおぞましい金切り声を上げながら無造作に間合いを詰めてくる。
レジーヌにはこれが何であるのか、知る由もない。
この怪物が、錬金術士クレストフによって生み出された掘削用魔導生物、『
「怪物め!!」
誰よりも早く、気を取り直したヴィクトルが闘気を纏って怪物へと切りかかっていく。
鋭く振り抜かれた剣は山吹色の残光を宙に描き、怪物の脚部を切り裂いた。数枚の黒い鱗が弾け飛び、怪物の脚から石油のようにどす黒い血液が噴き出した。
ギィヒィッ!! ギイイィイッ!!
苦悶の声を上げて、首を捻り暴れる怪物。大きな口をヴィクトルへ向け、牙を剥いて恨みのこもった雄叫びを叩きつける。
「くぅ……っ! この程度では怯まないか!!」
怪物に対して確実に傷を負わせたヴィクトルの一撃であったが、これをきっかけに怪物は俄然いきり立ってしまう。
苦い顔をして大きく跳び退るヴィクトルに怪物は反撃を加えようと追い縋る。
大きな四つ花弁の耳を器用に丸めて閉じ、ぽっかりと開いた口からおぞましい叫びを上げた。
『ギキィィィイイイイ――ッ!!』
空気が震え、耳を
強力な振動エネルギーを持った高周波、『
岩石さえも破砕する音圧がヴィクトルの全身を貫いて、骨や内蔵へ直接的な損傷を与える。
「ぐぅわぁああっ!?」
真正面からこの攻撃を受けたヴィクトルは、堪らず苦鳴を上げて地面を転がりまわった。
いくら闘気で体を護られているとは言え、至近距離で高周波をくらえば網膜や鼓膜などの弱い部分から痛手を被る。
「ヴィクトル、はやく下がって!! 次の攻撃が来る!」
ゆっくりと鎌首をもたげ、攻撃の予備動作に入る怪物。
レジーヌはヴィクトルを援護するために、怪物の前へ立ち攻撃系の術式を放った。
(――倉庫街、第七保管庫、五番より召喚。念ずる座標へと、誘え――)
『導く鉄杭!』
白い細腕に刻まれた魔導回路が淡い光を帯びて活性を示し、空中に出現した数本の鉄の杭が急激な加速を持って撃ち出される。
だが、打ち出された鉄杭は赤い火花を散らし、怪物の硬い鱗に弾かれてしまった。
「この程度じゃ、牽制にもならないの!?」
怪物が大きく開けた口を前へと突き出す。
『キィヒィイイィィィイイィッ!!』
どっ、とレジーヌの体に重たい負荷がのしかかり、抗うこともできずに膝を着く。怪物の叫びに腰が抜けたわけではない。体に力は入っている、にも関わらず体を自由に動かすことができなくなったのだ。
(――まさか。音響振動を介した拘束呪術、『
知性があるのかさえ疑わしい目の前の怪物が、このような搦め手の術式を扱うことにレジーヌは驚愕していた。やはりこの怪物はただの合成獣などではなく、魔獣に近しい知恵ある存在と見て間違いない。
――ギヒィイイィイイイッ!!
硬直するレジーヌに、怪物は大きな口を広げながら近づいてくる。
口内にびっしりと生えた牙が不気味に蠢いているのが見えた。
「あ……」
ずぞっ……と、
キィヒィィィィィィイ――ン!!
怪物は首を高速で左右交互に捻りながら、レジーヌの体を飲み込んでいく。
ガリガリと、あるいはバリバリと、もしくはゴリゴリと。
表現し難い擦り込み音が鳴り響くたびに、怪物の口からはみ出したレジーヌの足先が細かく震えた。
その凄惨な光景をヴィクトルは間近で呆然と眺め、他の女術士達も青ざめた表情でレジーヌの最期を見届けた。
ほどなくしてレジーヌは、完全に磨り潰され怪物に喰われてしまった。
怪物、卑しき石の魔獣は、本来の機能である岩盤掘削と宝石の篩い分けを忠実に行い、肛門から宝石でない余分な物を排出する。
泡のはじける排泄音と共に出てきた赤黒い泥、それがレジーヌの成れの果てだった。
あまりに惨いレジーヌの死を前にして、四人の女術士達は恐慌に陥り、泣き叫んだ。
そして声を上げたものから真っ先に怪物に狙われ、脚先に付いた硬質の鉤爪で次々に切り裂かれる。
掘削作業の邪魔者と見なされた彼女らを、怪物は鉤爪で切り裂いたのち口の中へと放り込み、レジーヌ同様に磨り潰してしまう。
先程よりも多く、赤黒い泥が排泄された。
「お、おおお……うぉおおおおーっ!!」
全速力でその場を離れ、怪物の感知範囲から遠ざかろうと必死に、逃げた。
◇◆◇◆◇
(全滅だ! もう、立て直すことはできない! レジーヌも、他の術士達も、疑いようもなく絶命して助からない。あれでは――!!)
どろりとした赤黒い泥を思い出し、ヴィクトルの喉に嘔吐感が込み上げる。
(……撤退するしかない。そして魔導技術連盟、そして騎士協会にも報告しなければ。底なしの洞窟の奥底には、危険極まりない魔獣が生息していると。それにしても、くそっ! 幻想種絡みで厄介な仕事とは思っていたが、あんな魔獣が誕生しているなんて! 錬金術士クレストフは間違いなく『黒』だ。普通の環境で自然発生するはずもないあんなものを、知らずに放置しているとは思えない! もしかするとあの怪物も、奴が操獣術で操っているのかもしれん!)
錬金術士クレストフが、宝石の丘へ向かう人員を募集する一方であのような怪物を産み出し、底なしの洞窟の奥底で何を企んでいるのかはわからない。だが、あんなものを飼っているのだとすれば、それだけで危険人物と判断できる。
連盟か協会に報告すればなにかしらの対策がなされるだろう、とヴィクトルは考えた。
しばらく、がむしゃらに逃げ回っていたヴィクトルだったが、怪物の追ってくる気配がなくなったことに気が付き、次第に思考が冷静さを取り戻してくる。
同時に、今まで気が付かなかった周囲の状況に注意が行き渡るようになる。
「ここは……どこだ? まずい、迷ったか?」
いつの間にか、長い長い一本道の隧道にヴィクトルは迷い込んでいた。
暗い隧道で立ち止まり落ち着いて辺りを観察してみると、大型の吸血蝙蝠が「キキキ」と高い声を発しながら飛び回り、ごるごるごる……と、遠くから地鳴りのような音が響いてくる。音は段々と近づいてきて、地面からも小刻みな振動が伝わってくる。
「なんだ……? 今度は何だというんだ!?」
思わず誰もいない暗闇に向かってヴィクトルは怒鳴った。
その声に応えるかのように、ヴィクトルの目前に大きな白い蛇の頭が、ぬぅっと姿を現した。
先程遭遇した怪物とは比較にもならないほど巨大な蛇の頭。底なしの洞窟・下層部を棲み処とし、常日頃から洞窟内を巡回している
グローツラングはヴィクトルに視線を寄越すこともなく、ただ床と壁を巨体で擦る音だけ響かせて前進してきた。
「ぬぅ!? ぬわ、ぬぅあああっ!!」
全身に闘気を
どこまでも行っても止まる気配のないグローツラング。絶望感がヴィクトルを支配し始めた。
逃げようにも横道すらなく、ひたすらグローツラングの鼻先を抱えながら、押し運ばれるのを耐えるしかない。
やがて、向かう洞窟の先に光が見え始めた。ようやくどこか広い空間、外へと出られる。
ヴィクトルの疲れ果てた体と頭は、そんなありえない妄想を抱いてしまった。
こんな地下深くから外へ出る穴などあるはずもない。
では、あの先に見える赤々とした光は何なのか。
徐々に近づいてくる赤い光は、空気を歪ませるほどの熱を帯びていた。
「馬鹿な……そんな馬鹿なことが……! この俺が、こんな所で!」
ヴィクトルは必死にグローツラングを押し返そうとしたが、足は地面を虚しく削るばかりで僅かな減速も見せない。
坑道の曲がり角を折れて、広い空間に押し出される。その先には――。
「ああああああぁー――っ!!」
ぐつぐつと煮えたぎる溶岩の池へとヴィクトルは押し込まれた。
水分が蒸発し、肉の焼ける音がした。
いかに闘気を纏った無敵の騎士も、圧倒的な質量と、無尽蔵の熱量を前にして抗う術はない。
人一人が溶岩池に沈むも、グローツラングには関わりのないことだった。
蛇の精霊は悠々と溶岩の池を泳いで渡り、洞窟の巡回を続けていた。
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