第115話 黒猫チキータ商隊

※関連ストーリー 『黒き聖帽の四姉妹』『霊剣泗水』

         『集う強者ども』『集う強者ども(2)』参照

――――――――――


「にゃあぁぁあん……ふにゃあぁぁん……」

 静寂な洞窟に不安で満ちた鳴き声が響き、集光性の高い一対の瞳がきょろきょろと辺りを窺い、闇の中を迷いながら進んでいた。


「にゃあぁ……。まさかカグロ達とはぐれてしまうなんて……しかも私だけ、どうして……にゃぁぁ……」

 闇と同化してほとんど姿の見えない鳴き声の主は、頼りない魔導ランプの明かり一つを掲げて洞窟を歩いていた。

 よく目を凝らせば、鳴き声の主が黒い毛並に覆われた猫人であることは、ランプの明かりが作る陰影で辛うじてわかる。


 猫人の商人チキータは、補佐役の烏人からすびと達と共に底なしの洞窟の最深部へ向かっていた。

 錬金術士クレストフが目指す宝石の丘。その旅路に同行して商売をしながら、あわよくば宝石の丘の利権も黒猫商会で手に入れようと、商会で組まれたのが黒猫チキータ商隊である。


 副官の烏人カグロはチキータと同じく黒猫商会の一員だ。切れ者で、魔導の嗜みもそれなりにある頼りがいのある人材だった。実際、彼の率いる烏人の集団はチキータを部隊長として守りながら、ここまで危なげなく進んできていた。

 ところが、洞窟の中層から下層に生息していた合成獣キメラの襲撃を受けて商隊は散り散りになってしまったのだ。


 ――いや、正確にはチキータだけがはぐれてしまっていた。

 合成獣も落ち着いて対処すれば、確実に倒せる相手だった。腰に提げられた魔導拳銃に触れ、それがいつでも発動可能なことは何度も確認していたのだから。

 しかし、複数の大型獣が混ぜこぜになった不気味な姿を見て、不覚にもチキータは全速力で逃げ出してしまったのである。


(にゃあぁぁ……まさか、アレとアレとアレが合体して出てくるなんて……悪夢……)


 アレとアレとアレが何かは改めて思い出したくもないが、チキータに取ってアレらは苦手動物の類であり、それが一塊になって襲い掛かってきたのだ。生理的嫌悪感から逃げ出してしまうのも無理はなかった。


(にゃあぁ……不安……。こんな一人でいるところを襲われたら、きっと助からない……)

 一応、クレストフから守護者との対立を避ける『招待状』はもらっていたが、洞窟に生息する有象無象の獣には効力を発揮しない。

 その程度、最低限は身を守れなければ宝石の丘へ同行する資格なし、といったところであろう。

 チキータとて、護身用の武器は魔導拳銃以外に幾つも持ってきてはいるが、はっきり言って気休め程度のものだ。初めから戦闘に関してはカグロ達、烏人が契約する精霊の力に頼る予定だったのである。


 一人、不安を抱えたまま闇の中をさまよい続けるチキータ。

 ふと足を止めると、前方から自分のものではない足音が聞こえてくることに気が付く。

「にゃふっ……!? 足音!?」

 足音は徐々に遠ざかっていくようで、放っておけばすぐに聞こえなくなってしまいそうだ。

 チキータは心細さから反射的にそちらへ駈け出そうとした。


 しかし、すぐに思いとどまった。


 足音は四つ。四足獣のものではない。

 二足歩行の足音だ。人間である可能性が高い。

 ただし、カグロ達は五人組だから一人足りない。これは別口の何者かと考えるべきであろう。


 闇の向こうにいる何者かが、果たして善良な人間であるかどうか、これは賭けになる。

 このような洞窟の深い場所では、人の社会の法などないも同然。弱みを見せればすぐさま襲われるかもしれない。


(……だけど、宝石の丘への旅路に参加する人間なら、一緒に付いていけば集合地点でカグロ達と合流できるかも……)


 未知の相手に対する危険と現状の打開、どちらに重きを置いて行動するか。

 チキータが判断に迷っている間に、四つの足音は消えてしまった。


 現状打開の機会を失ってしまった一方で、チキータは安堵も感じていた。

(にゃあ……残念。でもまあ、いいです。危険は避けて、確実にカグロ達の所在を突き止めれば……)

 チキータは来た道を引き返し、カグロ達との合流を目指した。

 はぐれた場所から、そう遠くへは行ってないはずだ。



 ところが、事態は思わぬ方向に転がり始めた。

 チキータが道を引き返そうと反転したところ、背後から再び四つの足音が聞こえてきたのだ。

 猫人の鋭敏な感覚でこそ捉えられた微かな足音である。

 道が行き止まりで引き返してきた、というような足取りではない。

 意図的に音を殺して近づいてくる。


 チキータは早歩きでその場を離れようとした。

 すると、後ろの足音もやや駆け足となって追ってくる。

 恐るべきことに、チキータの足音は洞窟に反響しているというのに、追ってくる足音は先程とほとんど変わらない。

 ごくごく静かなままで、しかし速度はチキータより少し足早に追ってきていた。


 チキータは恐怖で混乱しかけていた。

 自分は今、追いかけられている。

 そして、追手はチキータに声をかけてこない。


 特に害意のない人間なら、声をかけて相手の正体を尋ねようとするのではないか?

 何故、声をかけてこないのか? 向こうも警戒しているのか?

 あるいは声をかけずにチキータに近づいて――。


 最悪の想像が頭の中で膨れ上がった瞬間、足音は既にチキータを取り囲んでいた。

 背筋を悪寒が走り、全身の毛が逆立った。


 チキータの前後左右に、黒い影が音もなく立っていた。

 


 ◇◆◇◆◇


 長いようで短い沈黙が闇を満たした。

 ――下手に動けば死ぬ。

 そう直感したチキータであったが、彼女が痺れを切らして動くよりも先に、沈黙はあっさりと破られた。


「これは失礼しました。猫人の方でしたか」

 黒い影がチキータに向かって言葉を発した。

 若い、女の声だった。

 そこに害意は感じられず、チキータはとりあえず最悪の予想は外れたようだと安堵した。


「失敬。こう、暗闇の中だ。有害な獣の類かと勘違いした」

「お、驚かしてしまったようで、ご、ごめんなさい。あ、後をつけられていたように、かか、感じたので……」

「そうそう。獣なら休憩場所までついてこられても面倒だし。早めにぶっこ――」


 四つの影のうち、一つの人影がもう一つの小さな人影に手を伸ばし、口元の辺りを抑えている。

 小さな人影はしばらくもがいていたが、やがて動かなくなった。

 いったい今この状況で何を戯れているのか。チキータには理解できなかった。


「私は聖霊教会の伝道者マーガレット。他の三人も同じく、信念を共にする姉妹です。人に害なす者ではありません。どうかご安心を」

 最初に声をかけてきた人影がチキータの間近に迫り、素顔を晒した。

 黒い看護帽に、黒い修道服を着た、漆黒の長髪を背中に流した美しい女性だった。

 よくよく見れば、ほかの人影も同じ格好をしており、若い女性ばかりの四人組である。


「女四人の旅です。周囲を警戒する癖が自然と身についておりまして」

 聖職者らしい落ち着いた振る舞いで、マーガレットと名乗った彼女は真摯にチキータの警戒を解こうとしていた。

 それが彼女らの態度からわかったチキータは、ひとまず襲われて身ぐるみ剥がされるようなこともないだろうとようやく気持ちを落ち着けることができた。

 加えて言えば彼女達が全員女であったことも、チキータが警戒を解いた理由の一つでもあった。


 普通の純人ならば猫人の雌に発情することはない。が、男というのは罪深い生き物で、普通ではない性的嗜好の持ち主も世の中にはいる。そういったこともあって、純人であっても男は油断ならないのだが、女ならばそれもまずないだろうとチキータは考えていた。


「にゃ、こちらこそ。なんだか誤解を与えるような行動を取ってしまったみたいで、申し訳ないです。実はその……仲間とはぐれてしまいまして……にゃはは」

 照れ隠しに笑うチキータ。四人の伝道者達も頬を緩めて微笑み返してくれた。

「なるほど、そういう事情でしたか。それであれば、しばらく私達と行動を共にしませんか? 一人では心細いでしょう」

「にゃ。それは助かります。ちなみに貴女がた、宝石の丘を目指していたりします?」

 チキータの問いかけに一瞬だけ顔を見合わせた四人。


「あ、あ、あの、ひょっとして貴女も? わ、私達は巡礼の道の一つとして、宝石の丘を目指す旅に同行しようと、こ、こここ、ここまで、やってきました……」

「巡礼……? にゃぁ……事情はよくわかりませんが、目的地は同じということでよろしいですか?」

 つっかえつっかえ言葉を紡ぐ、病的なほど顔色の青白い女性は弱弱しい笑みと共に軽く頷いた。

 彼女らにとっての巡礼がいかなるものか、簡単に話を聞いただけではわからなかったが、敢えて問い質すこともないだろう。


 深く突っ込めば、ありがたい神の教えをとうとうと説教されてしまうに違いないからだ。



 ◇◆◇◆◇


 マーガレット達姉妹は道中で猫人チキータを拾い、宝石の丘への出立地点へと向かっていた。

 次女のジョゼフィーヌが先導し、そのすぐ後ろを猫人チキータと三女のエリザベスが噛み合わない会話をしながら歩いている。

 その更に後ろを、少し離れて長女のマーガレットと四女のエイミーが歩いていた。エイミーは仏頂面で、やや不機嫌な表情を見せている。チキータの目の前では良い子を演じているが、少し距離をあけてみれば不満は一目瞭然だった。


「……ねぇ、マーガレットお姉さま? どうして、あんな商売猫なんかに手を貸すの?」

 マーガレットにしか聞き取れない小声で、エイミーが不満の声を漏らした。

「不服ですか? エイミー」

「別にぃ、ただ意味わかんないだけでーす」


 マーガレットは小さく息を漏らし、仕方がないといった様子でエイミーの疑問に答えた。

「都合がいいからですよ。あの猫人、黒猫商会の所属でしょう。あそこの商会は錬金術士クレストフとも繋がりが深い。標的を警戒させず近づくのに、黒猫商会は隠れ蓑として使えるはずです」

「……ふーん、そういうことなら良い子は演じるけど。どうも猫人って好きになれないなぁ」

「あなたは嫌いな人種ばかりでしょう。この前も狼人に無用な敵意を向けて」

「あれは、あっちが一方的に喧嘩を売ってきて……本当に、必ず殺すわ、あの犬っころ」

「標的を誤らないようになさい」

 マーガレットの冷たい声が差し挟まれ、漏れ出そうになったエイミーの殺気は霧散した。


「私達の標的はあくまで」

「宝石喰らい、でしょ? 承知していますマーガレットお姉さま」

「……わかっていればいいのです」

 それきりエイミーは不満の声を漏らすことはなかった。



 しばらくしてマーガレット達とチキータは、道中で無事に黒猫商会の烏人と合流することができた。

 合流時、彼ら五人の烏人は円陣を組みながら、表情の読めない鳥顔を突き合わせて会議をしていた。


「カグロ~!」

「あ、商隊長」

 烏人カグロは漆黒の羽毛に覆われた顔をくるりとチキータの方に向けると、真っ黒な嘴をぱかりと開いて黒い舌を小刻みに震わせながら喋った。


「商隊長とはぐれてしまって、どうしたものかと相談しているところでした」

 カグロが口を開くと、他の烏人達も次々に黒い舌を出してさえずった。

「商隊長、迷子になってどうしたものかと」

「迷子を捜すにはどうしたらと相談を」

「相談していたら商隊長がお戻りに」

「迷子が戻ってきたので相談は終わりです」


「うぅにゃぁ……面目ないです……」

 無表情で口々に告げられる事実は、聞くものが聞けば非難めいた口調にも聞こえる。

 ただ、表情が動かない烏人が実際にどう思っているのかは窺い知れない。


「お気になさらず。自力で戻られなければ、精霊の力を借りて捜索するつもりでした」

「商隊長、迷子を気にすることありません」

「自力で戻れない迷子でも問題ありません」

「迷子も精霊が捜し出します」

「商隊長が迷子になっても問題ない、という結論です」


「…………」

 はっきりと馬鹿にされているような感じがするが、迷子になったのは事実なのでチキータは反論できないようだった。


「それはそうと商隊長、一緒に来られた方々はどちら様でしょう?」

 カグロは相変わらず表情の読めない顔で、左右交互に首を傾げながら疑問を口にする。

 しきりに瞬きする目は、マーガレット達四人を様々な角度から観察していた。品定め、といった視線だ。

「見たところ、聖職者の方のようですが。なぜ、このような場所に?」


 聖職者がダンジョン奥深くいることに疑問を投げかけるカグロの疑問はもっともであった。

 しかし、カグロやチキータが疑いを深めるよりも先に、マーガレットが前へ出て口を開いた。


「私達は聖霊教会の遣いとしてやってきました。布教をしながら各地を渡り歩き、失われし聖地探訪の旅路の半ば。私達は、宝石の丘へと至る道が、あるいは聖地へ繋がる可能性もあるや、と考えて参りました。御安心を。私達が求めているのはあくまでも真なる聖地への道。宝石の丘を仮初かりそめの聖地として祀り上げるつもりはございません」

 聖地巡礼の旅。それは彼女達が底なしの洞窟へやってきた真の理由を隠す建前でありながら、聖職者としては至極当然の嘘偽りない真実でもあった。


「にゃー……。どこか行ってしまった聖地を探し求めているの? ご苦労様です……」

「宝石の丘を聖霊教会が狙っているわけではないのですね。聖霊教会の聖地にかける想いはよくわかりませんが、なるほど納得しました」

 首を傾げながら肯定する様子はとても納得したようには見えないが、カグロはそれ以上の追及をしてこなかった。

 聖霊教会の聖地にかける想いは、もはや狂信といってよい域にある。誰が何を言ったところで、その信念はいささかも揺るがないと理解しているのだろう。



 ――今より約二千年前、魔導開闢期の末期に引き起こされた地球規模の大災厄。

 地球大気の対流圏境界から地殻最下層までを含む空間領域で、都市規模の強制転移が各地で一斉に起きた未曾有の大災害である。


 その原因は定かではないが、一説によれば異界そのものを現世に呼び込もうとした儀式呪法の暴走によって、無秩序な召喚と送還が引き起こされたのだという。

 人類は異界から無尽蔵のエネルギーを得られるはずだったが、流れ込んだ無尽蔵のエネルギーが暴走すればどうなるか、それを世に知らしめた災厄だった。


 その際に、かつて聖霊教会が聖地として祀っていた地域も、座標のわからない何処かへ転移してしまったのだ。

 対流圏に放り出されて空中分解したとか、地殻最下層に埋もれてしまったとか、幾つかの不運な都市と同様に存在は絶望視されている。それでも、敬虔な信徒達は世界を巡り、いつか失われた聖地へと辿り着くことを願っている。



「さて、それで改めてどうでしょう。こうして知り合ったのも何かの縁。この先、行動を共にいたしませんか? 人数が多くなれば道中の負担は減ります。互いにとって都合が良いでしょう」

「にゃ、こちらこそ助かります。よろしくお願いします」

「商隊長が望むのであれば異論はありません。よろしくお願いします」


 了承したチキータに追従するカグロ。その様子にマーガレットは薄っすらと笑みを浮かべて、頭を下げた。

「姉妹共々、よろしくお願い致します」


 黒猫商会と黒き聖帽の四姉妹、二つの黒の邂逅であった。

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